『華麗なる一族』に生まれた僕、パリピな太陽神に心を撃ち抜かれる。   作:えれくとろにくす

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6.ハリボテエレジー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

レッスン室の空気は、キリキリと限界まで引かれた弓の弦のように鋭く張りつめていて、僕はその緊張を切り裂くように、鍵盤へと指を振り下ろす。

 

ショパンのエチュード作品10第12番…通称『革命』。

 

その譜面が持つ激情を、僕の指先が正確にトレースしてゆく。

 

指先の限界へと挑むようなパッセージの連続に、胸が熱く燃え上がる。

 

けれど…

 

『華麗であれ』

 

僕は息を吐くように、心の中で唱える。

 

『至上であれ』

 

何があっても、指の動きと心が乱れないように。

 

『常に最たる輝きを』

 

この玉条を心の中で反復することが僕のピアノを弾くときのルーティーン。

 

僕の心を一介のピアノ弾きから『華麗なる一族』の末席へと引き戻す魔法の言葉。

 

迷い、弱さ、熱さ…完璧な音以外の不要な全てを奥底へと隠して、僕はピアノを弾くのだ。

 

 

……最後の和音が響き、張り詰めていた空気が振動する。

 

「……ふう」

 

僕は鍵盤から手を放して、大きく息を吐いた。

 

音の余韻が消えるまで、その場からは動かない。

 

額に浮かんだ汗が、頬を伝ってポタリと落ちる。

 

(.…いよいよ明日か)

 

思いはせるのは明日に迫ったコンクールの予選のこと。

 

国内の開催であるが、本選の審査員は海外からも募られる、伝統のある国際的なコンクールだ。

 

僕が挑むのはその最終予選、全くもって油断などできない。

 

(もし、このコンクールで優秀な成績をおさめたら…)

 

そう考え事をしていたその時。

 

「お疲れ様でございます。ぼっちゃん」

 

部屋の隅で控えていたらしい凛子さんが、ハンカチと水を手に僕の下へ歩み寄ってきていた。

 

「お…ありがとう凛子さん。ちょうど喉乾いてたんだよ」

 

僕がそう言って口角を上げると、凛子さんは無表情で水を差しだした。

 

「そうだと思っておりました。なにせ今日は随分とお力が入っているご様子でしたから」

 

僕は水を受け取って、喉を潤す。

 

「…そんなに力入ってたかな?」

 

「ええ、音が普段と違いましたから…それに、どこか鬼気迫るものを感じました」

 

凛子さんから淡々と放たれるその言葉に僕は苦笑しながら答える。

 

「……迫っちゃってた?」

 

「はい、それはもう迫っちゃってました」

 

「マジかぁ~」

 

そんな他愛もない会話を交わしながらも、受け取ったハンカチで汗を拭う。

 

「まぁでも…今回はそれくらいの気概で臨まないと」

 

「そうなのですか?」

 

「うん、もちろん。次のコンクール予選…絶対に失敗はできないからね」

 

凛子さんの言葉に頷きながらも僕は窓からのぞく夜空に視線を向けた。

 

そりゃ失敗はできない。

 

一族の期待に応えるため、ルビーにとって誇れる兄であるために、そして何よりも…

 

 

(…今回はヘリオスが来てくれるんだから)

 

 

窓の奥、どこまでも黒に染まる夜空を見ながら、僕は拳を固く握った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…いいね?ヘリオスマジで頼むよ?会場入ったら絶対騒がないでよ?」

 

「うぃ!まかせんしゃい!」

 

場所は、とあるコンクール会場の目の前。

 

(…ホントに大丈夫かな?)

 

私は心の中で小さく呟きながら、隣に立つ親友に目線を移す。

 

「それよりパマちん!どおよこのカッコ!?これはこれでイケっしょ!?」

 

ドヤ顔で並んで立つヘリオスは、いつもの派手な私服ではなく、淡いブルーの清楚なワンピースドレスを身に纏っていた。

 

(…まぁ私が貸したヤツだけど)

 

髪型もいつものサイドテールの位置を変えてポニーテール気味にセットされている。

 

(…まぁ私がセットしたんだけど)

 

だが、その甲斐もあり、黙っていればどこかのご令嬢に見えなくも……

 

「うぇいうぇい!!なんかテンアゲパーリーしてきたぁ!!」

 

(…やっぱし、見えなくなくもなくないな)

 

「マジ色々さんきゅね!パマちん!!」

 

「まぁズッ友だかんね、気にしないでいいよヘリオス」

 

「わああ!パマちんやさし!まじらびゅ!パマちんしか勝たん!」

 

「はいはい…ありがとね」

 

騒ぐヘリオスを横目に私は手元のチケットを眺める。

 

「にしても…チケット2枚も貰えるなんてね」

 

あの日、ヘリオスが「こんくーる?ってのに招待された…」と顔を真っ赤にしながら寮に帰ってきた日。

 

彼…こーぴょんがヘリオスに渡していた封筒には、丁寧な招待状と共にチケットが2枚も同封されていたのだ。

 

そこには、『もしヘリオスが一人で来るのが心細ければ、ご友人と一緒にどうぞ』という、やけに達筆で気の利いたメッセージカードまで添えられていた。

 

(気遣い〇だわ…ナニモンだよこーぴょん)

 

「まぁさすがウチのこーぴょんってカンジ?マジ神対応じゃね!?お陰でパマちん連れて来れたし!!」

 

「そうだね…まぁ、逆に私が来れなかったらと思うとゾッとするケド……で、これから中入るけど、もう一回確認するよ?」

 

「うぃ!」

 

私は真剣な眼差しをヘリオスに向けて、再三言い聞かせる。

 

「いいヘリオス?中入ったら?」

 

「お口チャック!!ペンラも出さない!スマホもoffる!!」

 

ヘリオスの元気ある返答に私は大きく頷く。

 

「おっけ!カンペキ!」

 

そう言って、私はふと目の前にそびえる、会場の重厚な扉を見上げた。

 

細かな装飾が施された取っ手に、重々しい木の感触と漏れ出る独特な空気感。

 

(うわっ…なんか懐かしいなぁ…よく昔はドーベルのピアノのコンクールとか見に来てたっけなぁ)

 

まさかあの時の変な緊張感を、ヘリオスと共に味わうことになるとは思わなかったけど…

 

「どした?パマちん?行かないん?」

 

「あ、ごめんごめん!ちょっと昔のこと思い出しててさ」

 

ヘリオスに顔を覗き込まれて我に帰る。

 

「じゃ、行こっかヘリオス」

 

「うぇーい!こーぴょんずピアノ、ガチ楽しみ〜!」

 

「ちょ!こっからはマジ静かにだかんね!シーだよヘリオス!(小声)」

 

「うぇいよー(小声)」

 

私たちはそう言って顔を見合わせると、重厚な扉の向こう側……静寂と緊張が支配する、クラシックの世界へと足を踏み入れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うぉぉ…なんかすごぉ…」

 

「ヘリオス…マジで静かにだかんね?」

 

会場は耳鳴りがしそうなほどの静けさに満ち満ちていた。

 

高い天井にふかふかの赤いカーペット。

 

中央の舞台には、黒のグランドピアノのが一つ、照明に照らされて光沢を放っている。

 

「うおお…あっこでこーぴょんが…」

 

そう言って目を輝かせるヘリオスを尻目に私はチケットに書かれた座席番号をキョロキョロと探す。

 

「…えっと…A列の14番と15番…お、あった。あそこだよヘリオス、私たちの席」

 

私は前方の、ステージがよく見えるかなり良い位置にある座席を指差した。

 

「うおお…めちゃアゲアゲ席じゃね?近くね?」

 

「まぁ関係者席っぽいしね」

 

感嘆の声を上げるヘリオスと共に私はその席へ向かって歩く。

 

その時だった。

 

「…あ」

 

ふと、私たちが座るはずの席の隣に座っている、見覚えのある小さな人影に気がついた。

 

「ん?どしたどした?……あ」

 

私の後ろをついてきていたヘリオスも、その人物に気づいて足を止める。

 

そこに座っていたのは、綺麗な赤色のドレスを身に纏って、背筋をピンと伸ばして座る…

 

「…おじょう?」

 

…ヘリオスのしゅきピ第一号のダイイチルビーの姿があった。

 

(…まぁ来てるよね)

 

この前の美術館での一件で見せつけられたあの仲のよさなら、ルビーがここにいることはなんら不思議では無い。

 

だが不思議なのは…

 

「……」

 

ルビーを見つけてもずっと黙って見つめたままのヘリオスの姿だ。

 

普段なら、大好きなルビーを見つけたらテンションブチ上げで飛び掛かっていきそうなものなんだけど…

 

「ヘリオス?座りに行くよ?」

 

「……んぇ?あ…うぃ…」

 

私の呼びかけに、ヘリオスはどこか上の空で答え、ぎこちなく足を動かした。

 

その視線は、ずっとルビーに注がれたままだ。

 

(…まぁ、そうなるよね)

 

ルビーを見つめるヘリオスの表情には、いつもの太陽のような明るさは見られない。

 

(私はまだ…恋とかそーゆーのはわかんないケド…)

 

ヘリオスの胸の内を想像すると、なんだか自分まで胸がキュッとなる。

 

彼の晴れ舞台であるコンクールの席に、当たり前のように彼女が座っているという事実。

 

「……やっぱし、おじょーとこーぴょんって……なかよぴなんだね……」

 

本当に小さなヘリオスの呟きが少しだけ聞こえた。

 

それでも、私たちは席に向かわないわけにはいかない。

 

ヘリオスが俯きがちに、重い足取りで席へと近づくと……

 

「……!」

 

私たちに気が付いたのか、ルビーがゆっくりとこちらに顔を向けた。

 

そして、私たちを見つめると、その凛とした瞳を僅かに細め、スッと席から立ち上がる。

 

「……どうも、ごきげんよう。ヘリオスさんにパーマーさん」

 

「あ、ああ…ごきげんようルビー」

 

私がとりあえず挨拶を返すと、ルビーは綺麗な所作で頭を下げた。

 

「本日はお忙しい中、こうして足を運んでいただきありがとうございます」

 

「え?あ、いやいや…私たちは招待してもらったから来ただけで…」

 

私が戸惑いながら答えると、ルビーはゆっくりと顔を上げて、続けた。

 

「ええ、聞いております。この度は私の『お兄様』のために…ありがとうございます」

 

「あー、いえいえ、私もそちらのお兄様にはいつもお世話になってて…ってアレ?なってなくね?」

 

(…てかお兄様?)

 

丁寧なルビーの言動に反射的にテンプレの返しをしかけたけど…これは…

 

私は隣の親友へとゆっくりと視線を向ける。

 

「…へ?お、おにーさま?」

 

隣で、固まっていたヘリオスの口が、ポカンと開いて、小さく言葉が漏れる。

 

その言葉にルビーは可愛らしく小首を首を傾げた。

 

「はい、わたくしのお兄様でございますが?」

 

「……それ、ガチで?」

 

「……はい」

 

「…………」

 

数秒の沈黙の後。

 

ヘリオスの顔色が、サァァと青ざめたかと思うと、次の瞬間、カァァと爆発的に赤く染まった。

 

「……う、う、うおおおおおおお!!!大どんでん返しキタァァ!!!!」

 

「ちょっ、バカッ!!」

 

会場中に響き渡りそうなヘリオスの絶叫。

 

私は反射的に、その口を両手でガッと塞いだ。

 

「んぐぐぐ!!??んぐ!!」

 

「しーっ!!マジしーっ!!静かにって言ったっしょ!?」

 

私は慌てて周囲を見渡す。

 

幸い、まだ開演前でざわついていたこともあり、全員からの注目を集めるまでには至らなかったが、近くの席の人たちがチラチラとこちらを見ている。

 

私は冷や汗を感じながらも周囲にペコペコと頭を下げた。

 

「す、すいません…!うちのが…ちょっと興奮してまして…」

 

「んぐーッ!ぷはっ!!」

 

その時、私の拘束からなんとか逃れたヘリオスが、ぜぇぜぇと息を切らしながら、ルビーに詰め寄る。

 

「ちょ、おじょ!?今のマジガチ!?こーぴょんがお嬢のアニキ!マ!?ガチマ!?!?」

 

「……ええ」

 

ヘリオスをじっと見つめたまま、頷くだけのルビー。

 

「し、知らんかったぁ!!ずっと雰囲気ガチ似とは思ってたケド!!」

 

ヘリオスは目を白黒させながら、ワタワタと手を動かす。

 

だが、その表情からは……さっきまでの曇った影が、嘘のように消え去っていた。

 

「………いやぁ…よ、よかったぁ……マジでよかったぁ……」

 

「あの…ヘリオス?」

 

私はそんな安堵の表情を浮かべるヘリオスの耳元に口を寄せて囁く。

 

「どしたパマちん?ウチ今テン爆中なんですけど」

 

「いや…あのさっきの「大どんでん返し」って何さ?」

 

うん、さっき開口一番そう叫んでいたはずだ。

 

一体何が大どんでん返しなのだろうか?

 

私のそんな疑問にヘリオスはキョトンとした表情で答える。

 

「そりゃパマちん…こーぴょんがまだ誰のモンでも無いってわかったし…きょーだいならこーぴょんともっとなかよぴになれば、おじょーまでセットで着いてくんだよ?これマジヤバどんでん返しっしょ?」

 

「……えぇ?」

 

真顔でそんなことを言い出すヘリオスに若干引きそうになったその時。

 

「…それはどうでしょう?ヘリオスさん」

 

「へ?」

 

隣からそんな声が飛んだ。小声で話していたはずなのに聞こえていたようだ。

 

だが、ヘリオスはそんなのお構いなしに、ルビーに向けて口を開く。

 

「いやいや、ルビたんっておにーさまガチラビュっしょ?」

 

「否定はしません」

 

(……あ、ガチラビュなんだ)

 

私の心の中のツッコミに構わず二人の会話は続く。

 

「んじゃ、こーぴょんがウチを好きになれば、こーぴょんを好きなルビたんも自動的にウチを好きになってくれるっしょ?んでウチもルビたんだいしゅきだから……ほら!ラビュラビュだいさんかっけー完成してね?」

 

「……いえ。ヘリオスさん、私が否定をしたいのは「私とお兄様がセットである」という点ではありません」

 

(…あ、じゃあセットなんだ)

 

あまりにも真剣な表情でサラッと変なことを言うルビーに脳内でツッコミが止まらない。

 

「え?じゃあ……」

 

だが、そんな私に構わず、首を傾げるヘリオスにルビーが続ける。

 

「ええ、私が否定をしたいのは貴方が先ほど言っていた……」

 

ルビーの無機質な瞳がヘリオスを捉える。

 

 

 

 

 

「『お兄様がまだ誰のものでもない』…という点です」

 

 

 

 

 

 

「へ?どゆこと?」

 

まだ首を傾げるヘリオスにルビーが再び口を開く。

 

「ですから…お兄様はわたくしの…」

 

…とその時。

 

ブーーーッ……

 

ルビーの発言を遮るように、開演を告げるブザーが、重々しく会場に響き渡った。

 

会場の照明がゆっくりと落ちていく。

 

「このお話はまた後で…」

 

ルビーはそう言うと、舞台の方に目を向けた。

 

「……え、あ、うん」

 

ルビーの視線に釣られるように私たちも舞台へと視線を移した。

 

すると…スポットライトが照らすステージの袖から、アナウンスと共に一人の青年が姿を現した。

 

燕尾服に身を包み、スッとした姿勢で歩いてくるその姿。

 

「……あ!いきなりこーぴょん!!」

 

ヘリオスが小声で嬉しそうに囁く。その顔はもう、ワクワクと安堵で完全に緩みきっていた。

 

その隣のルビーも、真剣な眼差しでステージ上の兄を見つめている。

 

私は、その青年の姿をじっと凝視した。

 

その立ち姿。

 

無駄のない洗練された所作。

 

(…てか、やっぱし、ルビーのアニキだったか……こーぴょん)

 

彼のピアノへ向かう表情に私の脳内で、バラバラだったピースがカチリと音を立てて嵌っていく。

 

(……まぁ、実は途中から、薄々勘づいてはいたんだけど…)

 

『こーぴょん』と呼ばれ、ヘリオスと仲良くしていた、少し抜けたところのある青年。

 

彼が、ステージ中央のピアノの前に立ち、優雅に一礼をする。

 

その姿は、紛れもなく『名家』の人間が持つ、気品のあるオーラを纏っていた。

 

静寂の中、彼がピアノの前に座り、鍵盤に手を置く。

 

スポットライトを浴びて、静かに呼吸を整える彼を見つめる。

 

(……懐かしいなぁ)

 

メジロの家で開かれる社交パーティーの片隅。

 

厳格で利己的な大人たちの喧騒から逃げるように、隅っこで退屈そうにジュースを飲んでいた男の子。

 

ドーベルや他の誰かがピアノを弾く時だけ、誰よりも爛々とした楽しげな瞳で、その指先を見つめていた男の子。

 

「……はぁ」

 

ため息を吐いて、ちらりと隣に座る親友に視線を向ける。

 

「うおお…」

 

ヘリオスがキラキラした視線を舞台上に送っているのが見えた。

 

(…なんかヘリオスに気まずいし…無意識に気付かない様にしてたんだなぁ…私)

 

『…あ、パマちんさんも今日はありがとうごさいました』

 

レース場で久しぶりに再会した時の彼の言葉。

 

(…まぁ…覚えてないよね、私のことなんて…)

 

彼が真剣な表情で鍵盤に優しく触れる。

 

そんな彼の姿を見て私は心の中で小さく呟く。

 

 

 

 

 

 

(でも…せっかくだし…()()()()に聴かせてもらおっかな…)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

流れるように動かした指を止め、最後にもう一度、10本の指で鍵盤を撫で上げる。

 

その最後のハ短調の和音が、ホールという巨大な空間を震わせ、やがて…

 

唐突な静寂が訪れた。

 

「……」

 

僕はそっと鍵盤から手を離し、膝の上で震える指先を見つめる。

 

(…やった)

 

ミスは無かった、テンポも乱れなかった、感情のコントロールも、指の動きも、全てが過去一番と言って良いほどに完璧に噛み合った。

 

いつの間にか、静寂は拍手へと変わっていて、僕を包む。

 

僕はゆっくりと椅子から立ち上がり、観客席へ……そして、ヘリオスたちがいるであろう関係者席の方へ向けて、深く一礼をした。

 

(……ちゃんと…届いただろうか)

 

そんなことを考えながら、僕は踵を返して舞台裏へと足を進めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…演奏、どうだったかな?凛子さん?」

 

控え室で僕はハンカチで手を拭いながら… けれど隠しきれない笑みをこぼして凛子さんに問いかけた。

 

「あ、ちなみに僕的には、結構…いや、かなり良い感じの演奏だったと思うんだけど…」

 

「……ふふ」

 

僕が追加でそう告げると、凛子さんは珍しく小さな笑みをこぼした。

 

何がおかしいと言うのだろうか?

 

僕が首を傾げていると、凛子さんは微笑みながら口を開く。

 

「……今日は随分と嬉しそうですね、ぼっちゃん」

 

「え?」

 

「いつもなら、終わった後は神妙な面持ちで『ルビーの様子はどうだった?』と真っ先に聞いてくるのに……今日はご自身の演奏の感想を先に求められるとは」

 

「…あ」

 

その凛子さんの言葉はあまりにも図星と言うか、言われるまで気が付かなかった事でなんだか恥ずかしい。

 

そんな気持ちを誤魔化す様に慌てて口を開く。

 

「い、いや、もちろんルビーのことも気になるよ?ちゃんと聴いててくれたかなとか、変な顔してなかったかなとかさ…!」

 

「ふふっ…存じておりますよ」

 

凛子さんは微笑ましそうに目を細めながら、新しい水を差し出してくれた。

 

僕はそれを受け取りながら、先程の演奏を思い返す。

 

(…手応えはあった)

 

いつも通り……いや、いつも以上に感情を殺し、完璧に課題曲を弾き上げることができた。

 

あれこそが今の僕にできる最大限の『華麗なる一族』としての演奏だったと思う。

 

(…ヘリオス)

 

僕の脳裏に浮かぶのは、関係者席に座ってくれていた、あの太陽のような笑顔。

 

(…ちょっとでも、楽しんで聴いていてくれていたら嬉しいな…)

 

もしかしたら、いつもの調子でメチャクチャなハイテンションで手放しで喜んでくれるかもしれない。

 

「ふふっ…」

 

自分の演奏で喜んでくれる彼女を想像すると思わず笑みが溢れてしまう。

 

(ああ…ヘリオスの反応が気になるなぁ)

 

彼女のことを考えると、どうにも胸が弾んで居ても立っても居られなくなった。

 

「……ごめん凛子さん、ちょっとだけ、外の空気を吸ってくるよ」

 

「かしこまりました、お時間はありますがお早めにお戻りください」

 

「わかったよ」

 

そう言い残し、僕は控え室を後にした。

 

重厚な絨毯が敷かれた廊下を早足で進む。

 

こうでもしないと、控え室でじっとはしてられない気分だった。

 

そして、僕は人目を避けるように裏口へと回り、関係者通路を通って会場の外へ出ようとした。

 

その時だった。

 

「……あ」

 

通路の向こうから、見覚えのある三人組が歩いてくるのが見えた。

 

ルビー、ヘリオス、そして…確かヘリオスの友達のパマちんさんだ。

 

まさか、こんなところで鉢合わせるとは思わなかった。

 

(ルビーが友人と一緒に…)

 

…たしか、ヘリオスはルビーのデビュー戦を見にきてくれるくらいだったから、2人は仲は良いんだろうと考えて、ヘリオスと付き添いの方の席はルビーの隣にしておいたのだ。

 

友人と仲良く?話す妹の姿に嬉しくなりつつも、僕が足を止めると、向こうもこちらに気づいたようで、ルビーが誰よりも早く口を開いた。

 

「お兄様」

 

ルビーは僕の目の前まで歩み寄ると、スッと姿勢を正し、丁寧に頭を下げた。

 

「お疲れ様でございました。先の演奏、お兄様らしい……完璧で、素晴らしい演奏でございました」

 

その真っ直ぐな褒め言葉に、僕は胸が温かくなるのを感じた。

 

「…ああ、ありがとうルビー」

 

僕はそう言って微笑み、可愛い妹の頭をポンと撫でる。

 

そして…

 

僕はそのまま、ルビーのすぐ隣にいる……ヘリオスの方へと視線を移した。

 

「……」

 

ヘリオスは、ルビーと話していた僕をじっと見つめていたようで、すぐに目が合った。

 

(……あれ?)

 

僕はすぐに異変に気がついた、いつもなら、目が合った瞬間に弾けるような笑顔を見せてくれるはずだ。

 

けれど、今の彼女はどこか……言葉を探すように、真剣な表情で僕を見ていた。

 

(…慣れない場所で落ち着かないのかな?)

 

そんなことを考えながら、僕は恐る恐ると一番気になっていた質問をヘリオスに投げかける。

 

「…あのさ、ヘリオス…どうだったかな?僕の演奏?」

 

自信はあった。

 

『華麗なる一族』として恥のない、完璧な演奏ができたという絶対的な自信が。

 

ルビーも、僕らしい完璧な演奏だったと言ってくれた。

 

だから、きっとヘリオスも喜んで、楽しんでくれたはずだ。

 

いつもの満面の笑みでやかましいくらいはしゃいで、僕を照らしてくれる。

 

そう、思っていた。

 

「……」

 

ヘリオスは少しの間、沈黙した後……困ったように眉を下げて、口を開いた。

 

「…うーんと…えっと……ちょい待ってね…頭ん中セーリすっから…」

 

「…いや、ヘリオス?全然思った事をそのまま言ってくれて良いよ?いつもみたいにさ」

 

「…んー…じゃあマジ…アレだけど…」

 

悩む彼女に僕がそう言うと、ヘリオスは視線を泳がせ、言い淀むように言葉を続けた。

 

「……なんてゆーかさ…こーぴょんの演奏がものすごくすげー!!やべー!!ってのはわかった…」

 

「……でも…」

 

彼女は笑っていなかった。

 

至って真剣に、真っ直ぐに僕に向けて口を開く。

 

「……なんか…さ、こーぴょんらしくなかったっつーか…」

 

(…僕らしく…ない?)

 

心臓が嫌な音を立てた。

 

「すげー…簡単にゆーと…」

 

でも、ヘリオスは僕の目を見て、静かに、けれどはっきりと告げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……思ってたんと、違った」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ガンッッッ!!!!

 

 

 

…と、突然背後から鈍器を振り抜かれた様な衝撃が僕を襲った。

 

その衝撃はこれまで僕がせっせと創り上げてきた、自称完璧な外骨格を壊すのには十分な威力。

 

…こんな僕だって、アーティストの端くれだ。

 

音楽が芸術である以上、演奏を批判、酷評されることには慣れているつもりだ、世界中の全員から受け入れられる音楽なんて無い。

 

そんなものは重々承知。

 

だが…

 

『音楽は己を映す鏡じゃ』

 

これは師匠の言葉、音楽にはその人の全てが出るはずなんだ。

 

そして、今回は僕史上、最高の演奏ができたはずだった。

 

なのにそれは…ヘリオスには届かなかった。

 

「僕らしくない」「思っていたのと違った」そう思わせてしまった。

 

自分の象徴とも言えるピアノが、ヘリオスには受け入れてもらえなかった。

 

その事実が僕へ想定以上のダメージを与えていた。

 

「……」

 

まずい、何か、言葉を返さないといけないのに…

 

ボロボロボロ…と己の中で、何かが崩れる音が聞こえる。

 

「…こーぴょん?…えっとあの…別に…その…これは悪口とかじゃなくて…」

 

ヘリオスが心配そうな顔で僕を見ている。

 

「ただ…なんてゆーか……いつものこーぴょんが…なんか遠くに行っちゃったみたいで…寂しくなったっつーか…」

 

僕はヘリオスにはそんな顔をさせたく無い。

 

彼女にはいつものように、無邪気に笑っていて欲しい。

 

だから…

 

「……はは…大丈夫、分かってるよヘリオス」

 

僕は創った。

 

「いや、ごめん。ちょっとヘリオスにとっては退屈だったよね」

 

「…あ、いや…ちがっ…」

 

…即席で、空っぽな、薄っぺらい笑顔を貼り付けたハリボテの仮面を完璧に創り上げて…

 

それをヘリオスの前で初めて被る。

 

「はは…なんか僕の方が浮かれちゃってたみたいだ」

 

「…こー…ぴょん?」

 

「…今日は来てくれてホントにありがとう、ヘリオスが演奏聴いてくれたってだけで僕は嬉しいからさ」

 

そして、逃げるように言葉を重ねた。

 

「じゃあ…僕はそろそろ控え室に戻らないといけないから…」

 

 

 

…一歩引いて、手を振る。

 

 

 

「…また今度ね、ヘリオス」

 

 

 

僕はそう言い残して、足早に控室へと足を進めた。

 

 

 

決して振り返りはせずに…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あっ…ちょまっ…こーぴょん!!」

 

紅の背を追って、反射的に駆け出そうとしたヘリオスの手首を、細く白い指がそっと掴んだ。

 

「…少し…お待ちください、ヘリオスさん」

 

ヘリオスが振り向くと、ルビーが静かな眼差しでこちらを見ている。

 

その表情は凛としていて、いつもの無表情、だがその瞳は真っ直ぐにヘリオスを捉える。

 

「……ヘリオスさんにお願いがございます」

 

「おねがい?」

 

ヘリオスは足を止める。

 

ルビーはそんなヘリオスに一歩、距離を詰めて続けた。

 

「お兄様は貴女に出会ってから、すごく笑顔が増えました……以前よりも、幾分か性格も柔らかくなられたとも思います」

 

その声音と瞳には、少しばかりの敬意が込められていた。

 

「私が子供のように甘えることを、以前よりも自然に受け入れてくださるようにもなりました……ヘリオスさん、貴女の存在が、お兄様に良い影響を与えたことは…認めます」

 

ヘリオスの喉がゴクリと小さく鳴った。

 

「ですが」

 

ルビーの瞳が、ほんのわずかに揺れる。

 

「…先ほどのようなお兄様のお顔を…私はもう二度と見たくございません」

 

静かな声でルビーは告げた。

 

「……あれほど無理に笑われるお兄様のお姿を、私は許容できません」

 

ルビーの綺麗な赤の瞳がヘリオスを映す。

 

少しだけその声は震えていた。

 

「…ですから、どうか」

 

一度、丁寧に息を吸い。

 

 

 

「今後はお兄様にお近づきになりませんよう、お願い申し上げます」

 

 

 

これは、命令ではなく、懇願でもない。

 

ただ、一族としての品位を崩さないための彼女なりの線引き。

 

「……それが、お兄様のためでございます」

 

そう言い切ると、ルビーは深く一礼した。

 

そして踵を返し、紅の去った方向へと躊躇いなく歩き出す。

 

「……」

 

「……」

 

残されたのは、呆然と立ち尽くすヘリオスとパーマーの二人。

 

しばらくして、ヘリオスが小さく呟いた。

 

「……ウチ…やらかしちゃったかな?」

 

隣でパーマーが腕を組む。

 

「…うーん、こりゃおおやらかしだね」

 

パーマーが優しい声色で話し出す。

 

「…にしてもさヘリオス、なんであんなこと言ったのさ? こーぴょんの演奏はとんでもなく上手かったし、すごかった。あんな否定的なこと言うの、ヘリオスらしくないよ?」

 

パーマーの言葉にヘリオスは視線を落とす。

 

「……いや、なんかさ」

 

そして、少し考えてから、ぽつりと呟いた。

 

「よくわかんないけど……思ったこと、ゼンブ言っちゃった」

 

「……」

 

「なんか…こーぴょんにはさ、思ってること、ちゃんとゼンブ伝えたかったんよ」

 

珍しく静かで、全く飾り気のない心からの本音。

 

パーマーはその横顔を見て、ふっと優しく微笑んだ。

 

「そっか…ならしゃーないね」

 

「うん………ぴえんだわ」

 

ヘリオスの小さな呟きが…会場の廊下に響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 








曲がれ…!!
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