十六夜の器  -銀と緑が混ざる時-   作:幻想郷まったり書庫

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第一部:鋼の揺り籠と『不完全な双星』 第三話:18番目の少女

 左腕のギプスが外れるのと同時に、呼び出しがかかった。

 指定されたのは、統括指令室。

 地下施設の中でも最上層、すなわち「選別する側」の人間がいる場所だ。

 エレベーターが重苦しい音を立てて上昇していく。階数表示のランプが切り替わるたび、気圧の変化で耳の奥がパチリと鳴った。

 ——廃棄か、再利用か。

 その二択しかないことは理解していた。

 先日の単独任務での失態。生存はしたが、負傷によるコスト増と、タイムロスの大きさ。

 協会(VHA)は慈善事業団体ではない。投資に見合わない不良在庫は、速やかに処分されるのがこの場所の理(ことわり)だ。

 扉が開く。

 指令室は、意外なほど静かだった。

 壁一面のモニターには、各都市の監視映像が映し出され、数人のオペレーターが音もなくキーを叩いている。

 中央の席に、背を向けた男がいた。

 この支部の責任者、グレイソン監査官。

「——ρ。傷の具合はどうだ」

 椅子が回転し、爬虫類を思わせる冷たい瞳が私を射抜く。

「完治しました。即時任務可能です」

 私は背筋を伸ばし、機械のように答える。

 少しでも弱みを見せれば、その瞬間に「解体室行き」のハンコが押される気がしたからだ。

 グレイソンは手元のファイルを指先で弾いた。

「結構。肉体的な回復速度は認める。だが、評価は変わらん。お前の能力『時間希釈』は強力だが、決定力に欠ける。はやり単独での捕獲任務には不向きだ」

 心臓が冷える。

 やはり、終わりなのか。

「しかし、お前の『速度』には利用価値がある。そこで、だ」

 彼はモニターの一つを指差した。

 そこに映し出されていたのは、地下最下層——「特別保管区画」と呼ばれるエリアの映像だった。

 鉄格子の向こう、薄暗い部屋の隅に、人影がある。

 体育座りで膝を抱え、ぼんやりと虚空を見つめている少女。14歳ぐらいだろうか。

「個体名『Σ(シグマ)』。こいつとツーマンセルを組め」

 Σ。

 その名は聞いたことがある。

 私と同じ「ギリシャ文字付き」の実験体。

 だが、噂の内容は芳しくない。

 『やる気がない』『命令違反の常習犯』『なぜか処分されない特異点』。

「彼女は……優秀なのですか?」

「優秀? ハッ、こいつが? とんでもない。あいつは協会の面汚しだ。吸血鬼を狩ることをいやがり、あまつさえ逃した過去もある。だが、能力の相性だけは非常に有用だ」

 グレイソンは口元を歪めた。

「まぁ劣化品同士、せいぜい補い合え。一週間後の実戦テストで成果が出なければ、二人まとめて処分とする」

 ——選択肢は、ない。

「……了解しました」

 私は踵を返し、再びエレベーターへと向かった。

 下降する箱の中で、私は拳を握りしめる。

 誰かと組む?

 私が?

 自分の命さえ管理できない私が、他人の命まで背負うというのか。

 しかも相手は、あの「掃き溜め」のような噂のある男。

 胃のあたりに、鉛を飲み込んだような重さが居座った。

 

 ◆◆◆

 

 最下層は、空気の味が違った。

 湿気とカビ、そして古い血の匂いが濃厚に漂っている。

 ここは「これから使われる道具」置き場ではなく、「使い道に困った危険物」の保管庫だ。

 看守にIDを見せ、鉄の扉を開けてもらう。

 重厚な金属音と共に、その部屋は口を開けた。

「——また監査かよ。飽きないねぇ」

 部屋の奥から、気だるげな声が降ってきた。

 ベッドの上。

 そこに——Σはいた。

 年齢は映像で見るよりは上に見えるが、私より一回り小さい。

 ボサボサの黒髪に、色素の薄い瞳。体全体は栄養が足りてないのか線が細く小さい。

 手元で何かを弄んでいるのが目に映る。

 よく見ると、それは知恵の輪のようだった。針金でできた安っぽい玩具。

 私には支給されてない…欲しくはないが、何故かそこにも劣等感を感じてしまう自分に、嫌悪する。

「監査じゃない。……今日からあなたのパートナーになる、ρです」

 感情を出してはならない。

 私は努めて冷静に、事務的に告げた。

 Σは手元の玩具から目を離さず、鼻で笑った。

「パートナー? またそのパターンか。前の奴は三日で死んだよ。僕の足を引っ張ってな」

「私は死ぬ気はない。あなたの足も引っ張らないわ」

「そう? 足手纏いには変わらないと思うけどね」

 ようやく、彼がこちらを見た。

 その瞳には、侮蔑でも敵意でもない、もっと質の悪い感情——「無関心」が浮かんでいた。

「ふーん、優等生ちゃんか。その制服の着こなし、吐き気がするほど『協会(あっち)側』だね」

 彼はベッドから降りると、気怠げに伸びをした。

 制服のシャツは着崩され、ボタンも掛け違えている。

 規律の欠片もない。

「言っておくが、僕は『狩り』なんざ協力しないぞ。上が勝手に決めたことだ。ここで寝てるから、君一人で頑張ってきな」

「……廃棄処分になると言われても?」

「またその話。別に、どうせいつかは死ぬんだ。他人の都合で殺したり殺されたりするより、マシだろ」

 その言葉に、押さえていた感情が膨らむ。

 マシ?

 死ぬのがマシだと?

 どんなに泥水を啜っても、這いつくばっても、この「生」を繋ぎたいと思っているのに。

 この子は、それを放棄している。それが自分を否定されたかのように感じてしまう。

「撤回しなさい」

「あ?」

「死ぬのがマシだなんて、撤回して! 私は生き残るためにここに来た。力ずくでも動いてもらう」

 私は一歩踏み出し、彼女を睨みつけた。

 Σは少し驚いたように目を瞬かせ、それから——ニヤリと笑った。

「いいね。その必死な顔。……じゃあ、試してみる?」

 空気が、変わった。

 彼の纏う気配が一変する。

 気怠げな少年の仮面が剥がれ、底知れない冷たさが滲み出る。

「この最下層にはルールがない。模擬戦(おあそび)くらいは許されるだろ」

「……望むところよ」

 私はスカートのスリットからナイフを抜いた。

 狭い独房。

 距離は二メートル。

 私の間合いだ。脳力を使わせる間もなく、無力化できる距離。

 ——展開。

 思考を加速させる。

 世界の色が褪せ、音が遠のく。

 時間鈍化。

 Σがナイフを構える動作が、スローモーションで見える。

 遅い。遅すぎる。そんなので私を足手纏い扱い? ふざけないで欲しい。

 身体能力だけで言えば、彼は一般の兵士レベル以外だ。

 私の速度には絶対についてこれない。

 私は床を蹴り、一瞬で彼の懐へと潜り込み、首元にナイフを寸止めする。

 それで終わりのはずだった。簡単な作業。

 だが。

 ——カチリ。

 脳内でスイッチの音ようなものが響いた気がした。

 ナイフを持つ右手も、蹴り出そうとする左足も、狙い澄ました視線さえも、まるで自分のものではないかのように固まる。

 時間鈍化が暴走したわけでもない、現に脳力はまだ継続している。

 なのに、肉体だけが石像のように固定され、そのまま地面に縫い付けられていた。

 

 しゃがんでΣがこちらを覗き込んでくる。

 至近距離。手さえ動けば届く。だが指一つ動かない。

 その瞳孔の奥に、奇妙な幾何学模様が浮かんでいるのが見えた。

「……ッ!?」

 声も出ない。

 呼吸さえ止められている?

 これは——何!?

 体の自由を奪う何か?

 いくつもの疑問が浮かび消えていく。

「人がやっていい動きじゃないね。どんな脳力なの?」

 Σの声が私の思考を停止させ、現実に引き戻す。

 彼は動けない私を見下ろし、つまらなそうに呟く。

「でもね、速く動こうが何だろうが、僕が見ている限り誰も動けないんだ」

 まさか——停止? 私が、どんなに足掻いても出来ない、渇望する脳力。

 

 単純だが、凶悪だ。何度も停止で出来ることをイメージしていた。

 相手の行動の全てを封じられる。最強の脳力。

 だが、弱点もあるはずだ。

 彼女の言い方から察するに視界から外れればあるいは。

 私は動かない指先に、ありったけの意思を込めるがまるで動かない。

 

 彼女は首を鳴らし、落ちていた知恵の輪を拾い上げた。

「ρ(ロー)だったか。……お前のその速さ、悪くない。僕が止めて、君が狩る。理屈の上じゃ最強だ。そりゃ教会も組ませようとするわけだ」

 視線だけこちらに外さず、手だけで知恵の輪を動かしてもう一度しゃがんで顔を近づけくる。

「ねぇ、僕に協力しないかい?」

 協力? パートナーではなく、なんだと…

「あー、そのままじゃ答えることもできないな。解除するけど襲いかからないでよ」

 たった解除の一言で、いままでの戦闘体制が崩れて右手のナイフが地面に転がる。

 動けるはずなのに、体が動き方を忘れたかのように、体にうまく力が入らない。

「ありゃ、解いたはずなんだけどなぁ。ちょっと強くかけすぎたね。君、強いから」

「……なんだ、っていうのよ。そんな、脳力」

「ま、僕の脳力なんてどうでもいいじゃん。それで、協力してくれるかな?」

 協力。

 いったい、なんだっていうの? 

 でも、今の私じゃこいつに敵わない。今は、敵対するのはダメだ。

「内容によるわ」

 ようやくまともに動く手足を確認しながら、無難とも取れる答えを言うしかない。

「ま、そこはおいおいね。聞いてくれる考えだけ持ってくれるなら良いよ」

 危険人物との協力、協会からの嫌われ者同士。

 私が目指す生き残りに不安が膨らむが、一人ではどうしようもないと理解するしかない。

 考えるのはよそう。

 今はただ、この「危険な相棒」と共に、次の任務を生き延びることだけを考えなければ。

「……行くわよ、Σ。訓練の時間だわ」

「そうだね。まずはゴミにならないよう、頑張りますか」

 彼女はニヤニヤしながら立ち上がり、私の後ろについた。

 廊下に出ると、二つの足音が響く。

 一つは規則正しく、もう一つは気まぐれに。

 リズムは合わない。

 けれど、一人きりの時のような、冷たい静寂はそこにはなかった。

 背後に気配があることの、奇妙な期待感。

 私はそれを認めまいと、わざと足を速めた。

 

 ◆

 

 一週間後の実戦テスト。

 結果は、協会の記録を塗り替えるものだった。

 ターゲットは下級吸血鬼(レッサー・ヴァンパイア)の群れ5体。

 廃墟と化した劇場での掃討戦、という設定の訓練場。

 開幕と同時に、Σがステージの中央に立った。

「——開放」

 彼が目を見開く。

 ただそれだけで、襲いかかろうとしていた五体の吸血鬼が、空中で静止画のように固まった。

「今だよ、ρ!」

 合図など不要。

 私はすでに加速していた。

 止まった相手の世界の中を、さらに引き伸ばされた時間で駆け抜ける。

 静止した吸血鬼たちの間を縫うように疾走し、その四肢の腱を正確に切断していく。

 抵抗も、回避もない。

 ただの作業(タスク)。

 初日に苦戦したとは思えないほどの圧勝。

 私の鈍化とΣの物理停止。これほどまでにすごいとは…

 全ての標的を無力化し、私はΣの隣に着地した。

 彼が瞬きをし、能力を解除する。

 

 ドサ、ドサ、ドサッ。

 

 五体の吸血鬼が、同時に床に崩れ落ちた。

 悲鳴を上げる暇さえ与えない。

 圧倒的な制圧。

「……ふぅ。疲れるな、これ」

 Σがこめかみを押さえてふらつく。

 複数の動く標的を同時に視界に捉え続けるのは、相当な精神負荷がかかるらしい。

 私は無意識に、彼女の方へ手を差し出していた。

 倒れそうになった体を支える。

「……大丈夫?」

「ああ、目が乾くんだよ。……君こそ、鼻血出てるぞ」

「え?」

 指で拭うと、確かに赤い血がついていた。

 お互いに、ボロボロだ。

 圧勝に見えて限界ギリギリの綱渡り。

 けれど、私たちは生きている。それだけ脳力は体への負担が強い。

 だが傷一つ負わず、かつてない速度で任務を完了させた。

 見上げると、観覧席のガラス越しに、グレイソン監査官が立ち上がっているのが見えた。

 その表情は驚きか、あるいは新しい玩具を見つけた歓喜か。

「……合格、みたいね」

「どうだか。これでまた、面倒な仕事が増えるだけだよ」

 Σは皮肉っぽく笑ったが、その声には以前ほどの棘はなかった。

 彼女は支えられていた私の手を、そっと離した。

 

「悪かったね、ρ。……君の背中、意外と頼りになったよ」

「……あなたの方こそ。盾としては優秀だったわ」

 憎まれ口を叩き合う。

 それが、私たちなりの契約の儀式だった。

 廃劇場の天井から、埃混じりの光が差し込んでいる。

 二人の影が、床に長く伸びて、やがて一つに重なった。

 

 『不完全な双星』。

 

 欠けた月と、光らない星。

 寄り添うことでしか輝けない私たちは、こうして共犯者となった。

 

 だが私はまだ知らない。

 この出会いが、やがて訪れる悲劇への序章であることも。

 そして、彼が抱える「本当の秘密」——なぜ彼が吸血鬼の利用をそこまで嫌悪するのか、その理由さえも。

 物語は加速する。

 止まることのない時間の中で、私たちだけが、束の間の「停止」を共有していた。

 

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