もしベアトリクスがクソ強かったら   作:菜麻沙

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二人、心通わせて

 

 時はブシン祭開催前に遡る。

 

 ミツゴシ商会本社、その屋上に設けられた一室。

 質素でありながら一目で高級と分かるテーブルを挟んで二人の女性が座っていた。

 薄紫色の髪をした女――559番が口を開く。

 

「ベータ様。ベアトリクスとは一体何者なのですか?」

 

 ベータと呼ばれた女は優雅な動作で紅茶を口に含む。

 

「報告書は渡したはずよ」

「はい。もちろん確認はしました。そのうえでお聞きしております」

 

 ベータはカップを置き、考える。

 どのように答えるべきかと。

 

 ベアトリクスについて、ベータの――いや、シャドウガーデンの持っている情報は多くはない。

 初代ブシン祭優勝者。エルフの剣聖。アルファの血縁。

 そして、ディアボロス教団について何らかの情報を握っている。

 それ以上の情報は掴めていない。

 

 金糸のような髪、宝石のような紫の瞳。誰もが羨む美貌は周囲の目を掴んで離さない。

 しかし、その実力はまったくの未知数。

 

「アルファ様の叔母……なんてことが聞きたいわけじゃないわよね。そうね。一言でいえば、分からない」

「分からない?」

 

 559番は不満をにじませながら問い返す。七陰ならば彼女の知らない情報を持っていると考えていたようだ。

 

「ええ。何を考えているのか。教団についてどこまで知っているのか。すべては謎に包まれている。あなたも知っているようにガーデンは彼女を探していた。それでも、得られた情報はごくわずか」

「……でしたら、なぜこれほど警戒なさるのですか? 未知数なのは理解いたします。しかし、これ程の体制を敷くほどなのでしょうか」

 

 どこか納得できない様子で559番が問いを重ねる。ベアトリクスの正体について聞いていながらも、本当に知りたかったのはそのことだったようだ。

 

 次期ラウンズと噂されるドエム・ケツハットとその傀儡と思われるオリアナ国王のブシン祭観覧。ローズ・オリアナの動向。多数のチルドレンファーストの動員。シャドウ自ら変装してまでのブシン祭参加。確かに大事だろう。それでもシャドウガーデンの敷いた体制は過剰だった。

 

(シャドウ様が動かれる以上、最大限の人員を集めるのは当然だ。……だが、冷静に考えるとおかしい。七陰の皆様はイータ様とゼータ様を除いた5人が揃っている。わざわざ、オリアナからイプシロン様を呼び戻してまで。他の構成員も100人以上が集まっている)

 

 559番はベータの答えを静かに待っていた。

 

「アルファ様の指示よ」

 

 ベータは言葉を重ねる。

 

「ベアトリクスがシャドウガーデンをどのように見ているのか分からない。様々な事態を想定して万全の体制を敷くように。とのことよ」

 

 アルファは多くを語らない。

 長年シャドウと共にいたためか、はたまた生来の気質ゆえかは分からない。

 そして、ベアトリクスのことに関しては、いつも以上に口を閉ざす。

 

 ベータはそう考えていた。

 

「アルファ様は最悪の場合、主様とベアトリクスが衝突すると考えておられる。それは私も同じよ。……ねえ、559番。」

 

 ベータが559番の目をじっと見つめる。

 二人の青い瞳がぶつかり合う。

 

「アルファ様は言っていたわ。万が一が起きたとしてもシャドウ様の勝利を()()()()()と。――どういう意味か分かる?」

「ッ!?」

 

 559番は動揺した。同時に強い憤りを感じた。

 信じる。一見強い信頼の言葉に感じられるだろう。だが、違う。

 ベータほどではなくとも559番もそれなりにアルファとは交流がある。

 

 過去、アルファがシャドウの勝敗について語ったことは一度もない。

 

(分かりきっているからだ。シャドウ様の勝利など)

 

 559番の知るアルファは常にシャドウの勝利を前提に物事を進めている。

 どんなに強大な敵であろうともシャドウならば当たり前のように勝利を収める。

 それは信じる信じないを語るまでもない。

 

 そのはずだった。

 

(信じる? それではまるでシャドウ様の勝利を……)

 

「559番。話は以上よ。作戦に移ります」

 

 ベータのいつも通りの態度が559番を現実に引き戻す。

 しかし、一度生まれた影は消えない。

 当たり前に存在すると思っていた地面が崩れ落ちる感覚。559番の心に懐かしい感覚が芽生える。

 

(――我が主よ)

 

 

 

 

 ローズが現れた瞬間、観覧室は騒然とした。

 婚約者たるドエムを斬って逃走した彼女に対する醜聞が飛び交っていたからだ。

 

 周囲のざわめきをよそにドエムは内心ほくそ笑む。

 

(来たか。愚かな女だ。オリアナはもう手遅れだというのに。それも分からず現れるとは。まだ逃げ回っていたほうが望みがあったというもの)

 

「おお! 愛しのローズ王女。ようやく戻られたのですね」

 

 ドエムはゆるりとした所作でローズへと手を伸ばす。

「粗相くらい許してやる」とでも言いたげな、寛大ぶった傲慢さ。

 

「父上。私は謝罪に来たのです。今までのことを、そしてこれからのことを。私はとんでもない間違いを犯し、愚か者と罵られるでしょう。しかし、私は私の信じる道を歩むと決めました。……そう望んでくれる者がいたのです」

 

 ローズの瞳に強い光が宿る。

 

「そなたの罪を許そう」

 

 オリアナ国王はそう言った。

 ローズはしばし目を伏せて、告げた。

 

「ありがとうございます。父上」

 

 流れるような動作でローズは腰の剣を抜き放つ。

 そのまま一切の迷いなくドエムに切りかかった。ドエムは突然のことに反応が遅れたが、なんとかオリアナ国王の背後に隠れる。

 オリアナ国王の背に隠れればローズは手出しできない。そう思っての行動だった。

 

「なにッ!?」

 

 しかし、ローズの剣は止まらず、ためらいなくオリアナ国王を貫き、その背後のドエムの腹部を切り裂いた。

 そのまま剣を捻り、引き抜く。

 迸る鮮血がローズに降りかかり、頬に深い赤色が刻まれる。

 

 ドエムは想定外の負傷に思わず膝をつく。

 

「馬鹿なのか!? き、貴様ァ! 自分が何をしているか分かっているのかァァァ!!!」

 

 ローズは父を貫いた感触に吐き気を催しながら、力なく倒れたオリアナ国王を見下ろす。

 蜂蜜色の瞳から、一筋、雫が流れ落ちた。

 

「父上。今までお世話になりました」

 

 ドエムの配下がローズに殺到する。

 ここまでの逃亡。悪魔付きから回復したばかりの身体。ローズの疲労は癒えていない。万全でも厳しい数、今の状態では到底敵わないだろう。

 それでもと覚悟を決めたローズが剣を構えるよりも早く。

 

――ガラスの割れる音がした。

 

「それが貴様の選択か」

 

 流麗かつ壮麗。まるで芸術そのもののような一閃がローズの背後、観覧席の巨大な窓ガラスを突き破り、放たれる。

 ローズの前に降り立ったのは先ほどアイリスを下したばかりの男。ジミナであった。

 足元には、ドエムの配下が沈んでいる。いつ斬られたのかは誰にも分からなかった。

 

「あなたは……」

 

 全てを薙ぎ払い現れた乱入者。突然の展開に場は混迷を極める。

 しかし、ローズの胸に去来した感情は全く別のものだった。

 

「偽りの時は終いだ」

 

 ジミナの顔が解けるように崩れていく。

 黒い波が螺旋を描き、彼を飲み込む。

 やがて波が落ち着き、現れたのは黒衣の男。シャドウだった。

 

「……スレイヤーさん」

 

 ローズの心に幼い記憶が蘇る。

 それはローズが何よりも憧れた剣によく似ていた。

 

 幼いころ、誘拐された彼女が死の恐怖に震える中、全てを切り開いてくれた光。

 ローズの剣の始まり。そして終着点。

 

 シャドウは答えない。

 しかし、ローズを守るように立っていた。

 

「行け。貴様にはまだやることがあるだろう」

 

 ローズはさらに泣きそうになる自分をぐっと抑え、振り向くことなく走り抜ける。

 

「何をしている! 追え!」

 

 様子をうかがっていたドエムの配下が一斉に動き出す。

 ドエムの選び抜いた精鋭にして、ディアボロス教団のチルドレンファースト。

 黒い外套に身を包んだそれはまるで影のようにシャドウに迫る。

 

 一閃。

 

「有象無象が群れても獅子は狩れぬ」

 

 ただの一太刀。それだけでドエムの精鋭が血の海に沈んだ。

 

「なん……だと……」

 

 これがシャドウ。シャドウガーデンの首領にしてディアボロス教団が現在、最も警戒する影の狩人。

 その実力はドエムの想定を完全に超えていた。

 ドエムは内心に滲む絶望を払うように叫ぶ。

 

「クソッ! 誰かいないのか! 奴を倒せる奴は! 誰かァ!」

 

 ドエムの絶叫が醜くこだまする中。

 

 ここまで一切動きのない女がいた。

 

 ローズが現れたときも。王を殺すときも。彼女が取り囲まれたときも。

 容易に制圧が可能だったはずなのに静観を続けていた人物。

 

 ――武神ベアトリクス。

 

 彼女はずっと見ていた。ジミナの剣を。ローズの選択を。シャドウの力を。

 

 この異常な空間でシャドウとベアトリクス二人の視線が交差する。

 今この瞬間、二人は同じ感覚を共有していた。

 

 ――雨脚が強まる。

 

 地面をパチパチと叩く雨粒は万雷の拍手に似ていた。

 雷鳴が轟くと同時に人々の視界を白く染める。

 

 刹那。

 

 ――その一撃は誰の目にも映らなかった。

 

 人々が認識したときにはすでに二つの刃が白光を散らしていた。

 観覧室に集まっていた者たちは衝突が生んだ暴風によって叩き伏せられ、膝をつく。

 誰もが理解した。

 今、見上げるものこそが人類の頂点なのだと。

 

「魅せて。君の全て」

 

 ここにブシン祭始まって以来の頂上決戦が開幕した。

 

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