観覧室での衝突。
白光と共に吹き飛んだ二つの影は闘技台に降り立った。
二人はまるで試合前のように距離を取りながら互いに見つめ合う。その顔には笑みが刻まれていた。
強まった雨が大粒の水滴を形作り、地面に轟々と叩きつける中、二人は互いだけを見据えている。
雨音が周囲の喧騒を掻き消し、一種の静寂ともいえる空間が出来上がった。
――合図は雷鳴だった。
シャドウとベアトリクスは同時に踏み込む。二人の剣がぶつかり合った瞬間、雨粒が消し飛び、周囲に空白が生まれた。
数十の剣戟が一瞬のうちに過ぎ去り、切り裂かれた雨は美しい軌跡を描き出す。
あまりの美しさに、避難中の人々は見惚れたまま足を止めた。
最初の一撃以降、二人は魔力を使っていなかった。
純粋な技の対決。それは通常の魔剣士の常識からはかけ離れた戦い。
人々は理解できない。なぜ魔力を使わずにこれほどの戦いが成立するのか。
二人は互いを測り合う。
技量と身体能力ではシャドウが上を行き、経験と柔軟性ではベアトリクスが上を行く。
――拮抗。
少なくとも周囲にはそう見えていた。
ベアトリクスが一気に間合いを詰めるとシャドウはあえて受け入れた。
鍔迫り合いすら起こさないまま彼女の接近を許したシャドウはそのまま腕を掴まれ、引き寄せられる。
雨に濡れた吐息が耳元で囁いた。
「優美な剣。でも、私が見たいのはそれじゃない」
わずかな間、見つめ合う二人。
「よかろう」
シャドウは蹴りを放つ。
威力はない。ただ距離を取るためだけの一撃。
「我が真の剣をお見せしよう」
一歩。シャドウの姿が掻き消える。
「ッ!?」
ベアトリクスは驚愕する。いとも容易く間合いを潰された、その事実に。
わずかに反応の遅れた彼女は背後に現れたシャドウの一撃を辛うじて受ける。
「――すごい」
殺気も淀みもない。わずかな予備動作すらなく、ただ自然のままに振るわれる剣。
雨粒が頬に触れてやっと気づけるように。
吹き付ける風が通り抜けてようやく気づけるように。
シャドウの剣は意識できない。――普通なら。
一閃。
ベアトリクスは剣を受け止めたまま、刃の上を滑らせるように斬り返す。
シャドウのフードにわずかな斬れ込みが走った。
「さあ、続けよう」
ベアトリクスは笑みを浮かべる。
シャドウも笑みを浮かべている。
ベアトリクスが踏み込む。
先ほどまでとは段違いの速度。その動きは、どこまでも自然だった。
――もう、雨は斬らない。
今までの攻防が児戯に思えるほどの剣の応酬。雨は軌跡を映し出さず、不可視の剣技だけが積み重なる。
一太刀。
空気が裂ける鋭い音が響き、遅れて暴風が吹き抜ける。膝をついた観客達が呻き、目尻に涙を浮かべる。
二太刀。
地面に深い亀裂が走り、衝撃波が石畳を震わせる。
三太刀。
ベアトリクスの剣が大きく跳ね返され、彼女の体勢が一瞬だけ乱れた。
ベアトリクスは確かに強い。異次元の技量は他の追随を許さないだろう。
それでもシャドウは崩れない。刃を合わせるほどに精度を増す身のこなしが、徐々にベアトリクスを突き放す。
ベアトリクスの眉がわずかに動いた。
「ッ!?」
――剣が空を斬る。
シャドウの神がかった身体操作がベアトリクスの感覚を超えたのだ。
ほんの一ミリ届かなかった剣の前でベアトリクスは無防備に胴を晒す。迫る剣を前に、彼女は瞬時に決断を下した。
――剣の戻しは間に合わない。
不可避のタイミング。必殺の間合い。
今この瞬間、シャドウの技がベアトリクスを上回る。
ベアトリクスは剣を離し、一気に脱力すると体勢を低く、低く、地面に沈むように落とす。
それと同時に迫りくるシャドウの剣を、彼女の指先がそっと撫でた。
わずかに剣の軌道が逸れる。頭上を通り抜ける剣の気配を感じながら、ベアトリクスは地を這うようにシャドウの懐へ飛び込んだ。
「……ほう」
そのまま彼の身体に組み付き、それを軸とするように体を捻り、シャドウを強かに蹴り上げる。
予想外の動きに、シャドウが初めて一撃を受ける。
シャドウは大きく後方に吹き飛ぶ。
両者の間に距離が生まれた。
ベアトリクスは手放した剣を拾いながら考える。
――シャドウ。技量においては私の上を行くか。
「面白い」
白光が瞬いた。
爆ぜる魔力と共に、降り注ぐ雨粒は消し飛び、暴風が吹き荒ぶ。
「行くよ」
ベアトリクスの姿が掻き消える。
次の瞬間、シャドウと鍔迫り合っていた。
その一撃には、魔力が込められている。
受けたシャドウは、跳ね上がった斬撃の重みに弾き飛ばされ、会場の外壁を突き破って街へ放り出された。
シャドウが大通りに着地すると同時に――音よりも早く何かが飛来する。
彼はほんの少し首を傾けるだけで避けた。直後、背後で轟音が響いた。建物が斜めに両断され、遅れて崩れ落ちる。
「……なるほど。魔力による飛ぶ斬撃か」
それは七陰、緻密のイプシロンが得意とする手段。通常、魔力は体から離れるほどに霧散し、制御が難しくなる。飛ぶ斬撃を成立させるには魔力を霧散させない制御力と、それを支える魔力量が必須。
しかし、ベアトリクスのそれはイプシロンのものとはレベルが違った。
建物の陰からベアトリクスが剣を振るう。
いつの間にか回り込んでいたようだ。
シャドウは受け止める。だが背後の人々は、その衝撃で膝をついた。漏れ出る悲鳴が彼の背を刺す。
人通りの多い路地での戦闘。しかし、彼女の太刀筋からは一切の躊躇が感じられない。
正確無比な剣筋からは自身の技に対する絶対の自信が見て取れる。
大通りでの戦闘では満足に剣を振るえない。しかし、それを嫌って距離を取れば即座に斬撃が飛来する。
シャドウは非常に繊細かつコンパクトな立ち回りを要求される。
――それがなんだという話だが。
「小賢しいな。武神よ」
ベアトリクスは微笑みを浮かべながら、周囲の建物を足場に立体的な挙動で距離を取る。
大きく振りかぶられた剣から放たれるのは、先ほどと同じ飛ぶ斬撃――その数三十。
路地を縫って走るシャドウに、斬撃は意思を持ったように追随する。旋回し、回り込み、逃げ道を塞ぐ。その隙間を潰すように、ベアトリクス自身が迫った。
剣戟の合間に斬撃を飛ばすベアトリクス。一見見当違いの方向に飛んだ斬撃は遅れて牙を剥く。
時間差で襲い来る斬撃の嵐を前にシャドウはなおも涼しい顔で捌ききる。
危なげのない身のこなしは、未来でも見えているかのような――まさに神業。
事態の膠着を悟ったベアトリクスが半歩、深く踏み込む。
同時に迸る鮮血。交差した刃が二人の肩口を斬り裂いた。
間合いをあえて狭めることによる負傷覚悟の相打ち。
文字通りの意味で肉を切らせて骨を断つ戦法は、初めてシャドウの流血を引き出した。
だが、次の一振りを繰り出す前に斬り開いたはずの傷口が消失していた。
両者の持つ類まれな魔力制御は瞬時に傷を治癒させたのだ。
息をもつかせぬ連撃、剣の嵐は互いに確かな傷を刻む。
破壊と再生を繰り返しながら、動きの最適化を繰り返すシャドウとベアトリクス。
その戦いは、もはや余人の理解が及ばぬ領域に足を踏み入れていた。
激化していく戦闘の中、ベアトリクスは考えを巡らせていた。
――強い。たぶん、今まで出会った誰よりも……いつぶりだろう。勝敗の見えない戦いに身を投じるのは……。
不意に二人は同時に距離を取った。
ミツゴシ商会の屋根に着地するベアトリクス。
路地を介して、対面の建物の上へシャドウも足をつける。
――戦いとは対話だ。足の運び、剣の震え、視線の揺れ。動き全てに意思がある。それらを読み取りより良い答えを重ね合う。それが戦い。
この戦いにおいて、シャドウとベアトリクスは同じ感覚を共有していた。
そして、おそらく。両者の思いは同じだった。
「嬉しいよ、シャドウ。私は今、君との戦いを楽しいと思っている」
ベアトリクスはシャドウを見る。
シャドウもベアトリクスを見ている。
「君は悪魔付きについてどれだけ知っている?」
シャドウはわずかな逡巡さえなく答えを返した。
「無論。全てを」
「そうか。知っているんだね。悪魔付き――英雄の血の何たるかを」
ベアトリクスは瞳を閉じ、考えるように俯く。
そして、口を開いた。
「君とは、全力で戦いたい。そう思った。そう望んだ。だから――」
武神ベアトリクスのボルテージが上がる。
シャドウガーデン盟主シャドウに歓喜の感情が沸き上がる。
「――見せてやる。悪魔付きの真の力を」
どこまでも深い
彼はその色を知っている。
「――回帰」
その日、世界は知った。
英雄の胎動を。
次回、独自設定?解釈?の嵐です
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