コードヴェイン2にハマってました!
崩れた石橋の前に、人だかりができていた。
川には橋の残骸が半分沈んだまま突き出していて、流れを堰き止められた水が白く泡立っている。岸辺では騎士たちが縄を張って野次馬を遠ざけ、その奥では何人もの兵士が瓦礫を一つずつ運び出していた。
「おい、そっちは触るな! まだ崩れるぞ!」
「怪我人はこれで最後か?」
「下流で一人見つかったそうです。命に別状はないと」
「なら次は大通りだ。商会の向かいの建物、二階から上が丸ごと崩れてる。住人を全員出せ」
怒鳴り声が飛び交い、松明の明かりが忙しなく行き来する。
少し離れた場所では、まだ若い騎士が石畳に刻まれた深い亀裂を覗きこんでいた。亀裂は通りを斜めに横切り、向かいの建物の壁にまで達している。
「先輩。すごいっすね」
「いいから手を動かせ」
先輩と呼ばれた騎士は、疲れた顔で夜空を見上げた。
昼間の雨が嘘のように、空には雲ひとつない。
「シャドウガーデン、ですよね」
「声が大きい。上がまだ何も言ってないんだ。滅多なことを口にするな」
若い騎士は口をつぐみ、もう一度亀裂に目を落とした。
「……でも、あの武神と互角だったって」
先輩騎士は答えず、深いため息をひとつついた。
その横を、学生服の少年がひとり、のんびりと通りかかる。
「おい、そこのお前。この先は通れないぞ。家に帰るなら向こうの路地から回れ」
「あ、はい」
少年は素直に頷き、言われたとおり路地へ歩いて行った。
騎士はすぐに彼のことを忘れ、作業に戻った。
■
シドが寮に戻ってきたのは、夜もだいぶ更けたころだ。
帰りが遅くなったのには理由がある。
王都のどこへ行っても、人々が同じ話をしていたのだ。
武神と黒衣の男。空を割った光。消し飛んだ雨雲。
酒場の軒先でも、崩れた建物の前でも、誰もが興奮した顔で自分の見たものを語っていた。話す人によって細部はまちまちで、黒衣の男の身長は二メートルになったり三メートルになったりしている。
悪くない。
正体不明の実力者が、人々の噂の中で勝手に大きくなっていく。
陰の実力者として、なかなかどうして悪くない。三メートルはさすがに盛りすぎだと思うが。
ある酒場では、赤ら顔の女がテーブルに片足を乗せて熱弁をふるっていた。
「アタシは見たんだ。すぐ目の前でな。あいつがこう、剣を抜いた瞬間、空が真っ二つよ」
「お前、あのとき屋台の裏で震えてたじゃねえか」
「うるせえ! 震えながら見てたんだよ!」
どっと笑いが起きる。
シドは隅の席で水を一杯だけ頼み、黙ってそれを聞いていた。
「顔は見たのか?」
「仮面してた。でもありゃ相当な男前だね。間違いない」
仮面なのに分かるらしい。
でもまあ、悪い気はしない。
あちこちの酒場を覗いては噂話に耳を傾けているうちに、気づけばすっかり夜も更けていた。
寮の廊下は、街の喧騒が嘘のように静かだった。
学生の大半は騒ぎを見物しに行ったまま戻っていないのだろう。等間隔に並んだ灯りが、誰もいない床をぼんやりと照らしている。
充実した一日だった。
ブシン祭に出て、アイリス王女と戦って、そのあとベアトリクスと戦った。
あれほど対話のできる戦いはずいぶん久しぶりだった。
戦いが終わったあと、シドは何食わぬ顔で避難していた観客の中に紛れこんだ。
人波の向こうで黒髪がひるがえるのが見えた。
まずい、と思ったときにはもう遅い。
「シド!」
次の瞬間には首を絞められていた。
人混みをどうやって抜けてきたのか、まるで分からない。今日見た誰よりも速かった気がする。
「あんた、私の試合中どこいたのよ!」
「ちょっとおなか痛くて」
「はぁ!? お姉ちゃんの試合よ!? 漏らしてでも見なさいよ! あり得ないわ!」
あり得ないらしい。
「トイレ行ったあと見に行こうと思ったんだけどね。迷ってたんだよ。会場広いし」
「迷った?」
「選手用の通路に入っちゃってさ。出口が分からなくて」
「……本当?」
「本当」
クレアは目を細め、しばらくシドの顔を覗きこんでいた。
首を絞める手に力がこもる。
「次はないからね」
「はい」
「次の大会は一番前の席。私の試合の間、一回も目を離さないこと」
「はい」
「瞬きも禁止」
「それは無理じゃないかな」
「口答えしない!」
「はい」
理不尽だ。
「だいたいね、今日は大変だったのよ。変な黒いのが出てきて、ベアトリクスと戦い始めて」
「へえ」
「あんたが怖い思いしてないかお姉ちゃん心配だったんだから!」
「嬉しいなあ」
「トイレなんか行ってるからよ」
理不尽だ。
そのあとはずっと説教だった。
途中で一度だけ説教が止まったかと思うと、今度は「怪我はないの」と腕や肩をあちこち触って確かめられた。左腕を念入りに揉まれたときは少しだけひやりとしたが、もちろん何も見つかるはずはない。一度斬り飛ばされた腕は、すっかり元どおりになっている。
姉さんがようやく満足して解放してくれたのは、日がだいぶ傾いてからのことだった。
「姉さん、元気だったな……」
まだ少しひりつく首元をさすりながら、シドは自室の扉に手をかけた。
今日はもう寝よう。
明日からはまた、平凡な学園生活が待っている。
扉を開ける。
ベッドの上に、ベアトリクスが座っていた。
昼間と同じローブ姿のまま、妙にくつろいでいる。フードだけは下ろされていて、長い金色の髪が肩から流れ落ちていた。膝の上には、見覚えのある紙袋がひとつ載っている。
開け放たれた窓から入る夜風が、その毛先を小さく揺らしていた。
「やあ」
シドが言う。
「やあ」
ベアトリクスも返した。
シドはそのまま部屋に入り、後ろ手に扉を閉める。
別に驚くほどのことでもない。窓が開いているのだから、そこから入ってきたのだろう。
「よくここが分かったね」
「匂いがした」
「匂い?」
「ああ」
犬みたいだね、と言いかけてやめた。
たぶん怒られる。
次からは香水も考えたほうがいいかもしれない。
それより、もっと気になることがあった。
「汚くない?」
「む。汚くない」
ベアトリクスがわずかに眉を寄せる。
「ローブのまま座ってるけど」
「汚くない」
「今日、雨降ってたよね」
「乾いてる」
ベアトリクスは自分の膝元に視線を落とした。
ローブの裾を指で摘まみ、裏返したり、また戻したりしながらしばらく眺める。
「汚くない」
「そうなんだ」
本人がそこまで言うなら仕方がない。
シドはベアトリクスの隣に腰を下ろした。
ベッドが二人分の重みを受けて、わずかに沈む。
ベアトリクスが膝の上の紙袋をがさがさと開け、中から包みをひとつ取り出してシドに差し出した。
「あげる」
「マグロバーガー?」
「買いすぎた」
受け取ってみると、すっかり冷めていた。
包み紙越しに伝わる感触は少し硬い。それでも、タダで食べられるものを断る理由はない。
「ありがとう」
かじってみる。
冷えたパンは少しぱさついていたが、マグロの塩気はちゃんと残っていた。
「冷めてもおいしいね」
「おいしい」
ベアトリクスも自分の分を取り出して、もそもそと食べはじめた。
窓の外では、カーテンがゆっくりと膨らんでは、また元に戻っている。
昼間あれほど降っていた雨はすっかり上がっていた。それどころか王都を覆っていた雲そのものが消え失せ、澄んだ夜空には無数の星が散らばっている。
その真ん中に、大きな月が浮かんでいた。
二人はしばらく黙って食べていた。
気まずいわけではなかった。話題に困っているわけでもない。
今日はもう、言葉にするよりずっと多くのものを剣で交わしたばかりだ。今さら改まって話すことは、そう多くなかった。
ベアトリクスはひとつ食べ終わると、また紙袋に手を入れた。
ふたつめ。それも食べ終わると、みっつめ。
買いすぎた、というのは本当らしい。
シドがひとつを食べ終わるころには、紙袋はすっかりしぼんでいた。
最後の一口を飲みこんで、ベアトリクスが包み紙を丁寧にたたむ。
「楽しかった」
ベアトリクスが言った。
「僕もだよ」
シドは答えた。
お世辞でもなんでもなく、素直な感想だった。
「強いね」
「光栄だね」
ベアトリクスはベッドの端に腰かけたまま、空になった紙袋を覗きこんでいた。
もう一度覗く。やっぱり何も入っていない。
「お腹すいた」
「さっき食べたでしょ」
「足りない」
「もう何もないよ」
「そう」
ベアトリクスは紙袋を逆さにして、軽く振った。
パンくずがひとつ、シーツの上に落ちた。
「またやろう」
「いいとも」
シドは迷わず答えた。
ベアトリクスが小さく頷く。
それだけで、約束は成立したらしかった。
再び沈黙が満ちる。
ベアトリクスは窓の外を眺めていた。
昼間の、剣を交えていたときの顔とは違う。マグロバーガーを頬張っていたときのぼんやりした顔とも、少し違った。
月を見ているようで、もっと遠くを見ている横顔だった。
「あの子は元気?」
「多分ね」
ベアトリクスがこちらを向いた。
「多分?」
「多分」
彼女は小首をかしげる。金色の髪が、さらりと肩を滑り落ちた。
「そうか」
ベアトリクスはそれだけ言って、また窓のほうに向き直った。
「会わないの?」
「今日はいい」
「そっか」
シドもそれ以上は聞かなかった。
「……大きくなった」
しばらくして、彼女がぽつりとそう言った。
「昔はこれくらいだった」
ベアトリクスが、親指と人差し指を少しだけ開いてみせた。
「小さいね」
「小さかった」
ほんの少しだけ、彼女の口元が緩んだ。
「泣かせたら許さない」
「泣かないでしょ」
「そう?」
「そうだよ」
シドの知っているアルファは、そう簡単に泣くような性格ではない。逆に泣かせるほうがよほど難しい気がする。
「守って」
「大丈夫でしょ。強いし」
「守って」
同じ言葉が返ってきた。
ベアトリクスがシドを見る。
いつものぼんやりとした顔をしている。
シドは少し考えた。
アルファは強い。大抵のことは自分でなんとかするだろうし、彼女を守らなければならない状況というのが、そもそもあまり想像できない。
それに、人を守るというのは案外大変だ。ずっとそばについているわけにもいかないし、場合によってはお金もかかる。シドの懐事情は、残念ながらいつも寂しい。
「僕にできることで、かつ、あんまりお金がかからない範囲で、気が向いたときなら」
「そうか」
ベアトリクスは頷いた。
あっさりしていた。
「そんなのでいいんだ」
「ああ」
「じゃあいいけど」
ベアトリクスは立ち上がった。
ローブの裾を軽く払い、空になった紙袋をたたんで懐にしまう。それから、そのままベランダのほうへ歩いて行った。
夜風が吹き抜けて、月明かりを受けた金色の髪が淡く光った。
ベアトリクスは手すりの前で立ち止まり、振り返った。
昼間、刃を交えていたときと同じ、少しだけ楽しそうな笑みが浮かんでいる。
「次は負けない」
シドも笑った。
「楽しみにしてるよ」
ベアトリクスは一度だけ頷いた。
そして、ベランダを蹴る。
音はしなかった。金色の髪が月明かりの中で一瞬だけ舞い、次の瞬間には、夜の向こうへと溶けるように見えなくなっていた。
月を背に、音もなく夜へ消える。
……いいな、あれ。
今度やろう。
シドは開け放たれた窓を、しばらく眺めていた。
遠くで人の声がする。
騎士たちはまだ、瓦礫を運んだり報告書に頭を抱えたりしているのだろう。けれど、その騒ぎもこの部屋まではほとんど届かない。
さて寝よう、とシドは立ち上がり、窓を閉めに向かう。
その途中で、ふとベッドに目をやった。
さっきまでベアトリクスが座っていた場所だ。
なんとなく気になって、顔を近づけてみる。
シーツの上に、ほんの少しだけ乾いた土がついていた。
「……やっぱり汚いじゃん」
誰もいなくなった部屋に、シドの声だけがぽつんと残った。
この後考えてない。というか思いつきません。
ベアトリクス対シャドウ描きたかっただけなので一旦完結です。
描きたくなったらまた書くかも