心の在処   作:ミィーシャル

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第二話 翌日

朝。

まだ外は薄暗く、空気が湿っている。

男は椅子の上でうたた寝していたことに気づき、はっと目を覚ます。

暖炉の火はとうに消えており、室内には灰の匂いが漂っている。

 

少女は、昨日と同じ姿勢のまま、暖炉の前にいた。

体を丸めもせず、眠っていたのかどうかもわからない。

包帯に滲んだ血は乾き、ところどころ赤黒く固まっている。

 

「生きてるか?」

 

「うん」

 

問い掛けには答えるものの、彼女が動く気配はない。

糸が引かれるまで踊らない人形の様に。

 

男はため息をつき、台所へ向かう。

冷えた空気の中で鍋を温め、簡単な食事を作る。

やけどしないように少し冷ましてから皿に盛りつけ、

少女の前に置くと、彼女は静かにそれを見つめた。

 

「食べられるか?」

 

差し出された皿を、少女は両手で受け取った。

黙って口に運び、淡々と咀嚼する。

味の感想を待っていた男が、ふと思い出したように尋ねる。

 

「……美味しいか?」

 

少女は止まった。

スプーンを口の途中で止めたまま、男を見た。

 

「なに、それ」

 

「え?」

 

「“おいしい”って、なに」

 

これくらいは知っていて当然だと、無意識に説明を省いてしまった彼は答えに詰まる。

どう説明すればいいのか分からない。

ただ、「良いもの」と言っても、彼女には通じない気がした。

 

「うまく言えないが、好きな味のことだ」

 

「すき……」

少女は呟き、少し考えるように視線を落とした。

「たべられる。だから、すき」

 

それが彼女の精一杯の返答だった。

男は笑うこともできず、ただ「そうか」と頷いた。

 

その後、特に会話が続くこともなく食事を終え、食器を片付けた後、彼は少女の包帯を替える準備をした。

 

「またいたいの、する?」

 

「ああ、張り付いてるから少し沁みるかもしれない」

 

濡らした布で丁寧に包帯の端を湿らせ、固まった血が皮膚から剝がれるのを待つ。

時間をかけてゆっくりと外していくと、乾いた包帯の裏に細かい皮膚の跡が張りついていた。

血のにじんだ線が何本も重なっている。

 

「なあ、どうして俺が何をしても、怖がらないんだ?」

 

少女は言葉どころか、身振り手振りもしなかった。

沈黙。

この対応が答えだと言わんばかりに、彼女は何もしない。

 

もう一度、少し優しく問い直す。

 

「……言葉にできないなら、首を振るか、頷くだけでもいい」

 

少女は一度だけ、小さく首を傾げ、考え込むような間を置いたあと、

“わからない”という仕草のようにゆっくりと首を振った。

 

「そうか……無理に答えなくていい」

 

包帯の交換を終えると、少女はまた暖炉の前に立った。

火はすでに消えている。

灰が残る炉の中へ視線を落とし、しばらく見つめた後、

彼女はぽつりと言った。

 

「……あつくない」

 

その声は、失われた何かを探すようだった。

 

男は言葉に詰まった。

その言葉の意味を理解するのに、少し時間がかかった。

 

「痛くないと……だめなのか?」

 

少女は頷き、そしてゆっくりと炉の中に手を伸ばそうとした。

燃え尽きた木の灰が舞い、皮膚に触れる前に男が腕を掴む。

 

「やめろ。もう燃えてない」

 

「でも、すこしあたたかい」

 

男は黙って少女を引き寄せる。

昨日の行動でも感じたが、別に保護されることを嫌っているわけではないはず。

せめて身体への負担が少ない方法で満足してくれるといいのだが、残念ながら試したものは全て反応が薄かった。

 

「これじゃ……ちがう」

 

そう彼女が呟いたとき、男はふと自分の記憶をたどった。

幼い頃、母に頬をつねられたこと。

悪戯をして、叱られ、でもそこには確かな愛情があった。

 

「こういうのは、どうだ」

 

彼は少女の頬をそっとつねった。

思ったよりも強く。

柔らかな頬に沈み込んでいく爪をみて、心が痛んだ。

 

反面、これまでよりも強い痛みに少女の口が緩む。

ほんの少し、表情が柔らかくなった気がした。

 

「いたい……」

その言葉を聞き、男は力を抜いた。

けれど少女は、頬に残る痛みを確かめるように、男の手を両手で包み、

自分の頬に導いた。

 

「もっと」

 

男が少しためらうと、彼女は再び彼の指を頬に押し当てた。

痛みをねだるように、けれどその表情に暖かさはなかった。

彼女にとって“痛み”は、まだ他者から与えられるもの。

それでも今は、その痛みを“選んで受け取っている”ように見えた。

 

「これ、いい。……これ、すき」

 

彼女は離れた手を名残惜しそうに見つめ、

頬に残る熱を小さく撫でる。

男性はその様子を見つめながら、ゆっくりと息をつき距離を置く。

 

灰の匂いの中で、彼はようやく悟る。

この少女を理解するということは、

“痛みを否定する”ことではなく、

“痛みを別のかたちに変えていく”ことなのだと。

 

そしてその夜、

少女は再び暖炉の前に座った。

けれど、もう火を求めなかった。

頬に残る微かな跡を指でなぞりながら、ただ、そこに座っていた。

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