心の在処   作:ミィーシャル

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第三話 歪な関係

少女との不思議な出会いから数日が過ぎた。

外の風はまだ冷たく、木々の葉は乾いた音を立てて散っていた。

冬の手前、秋の終わりの空気。

肌に触れるその冷たさは、人の温もりを確実に蝕んでいく。

 

暖炉の前。

少女はいつものように座っている。

そこは彼女が一番気に入っている場所だった。

火は静かに燃え、ゆらゆらと揺れる光が壁に影を作る。

彼が朝、外へ出る前に薪をくべていったのだ。

少女はただ、そこにある温かさを見つめていた。

 

手当も食事も終わり、男が町へ働きに出ていったあと。

少女は何もせず、穏やかな火の揺らめきを見ていた。

 

傷はほとんど塞がり、包帯の下から新しい肌がのぞく。

常に痛むような怪我は塞がり、動くことで響く程度のものへ変わっていた。

けれど彼女は、それを惜しいとは思わなかった。

男がくれる“新しい傷”があるからだ。

それはすぐに消えてしまうけれど、確かに彼の手の形を残していく。

一瞬だけ訪れる微かな痛みは、心の奥で静かに残り続ける。

だから彼女は待つ。

またそれを感じられる時を。

 

彼の仕草を思い出しながら、少女は自分の頬に手を当ててみる。

指先でつまむ。

けれど、何も感じない。

痛みは生まれず、ただ皮膚が動くだけ。

 

少女は痛みを与えるという行為が、心の温かさの理由だと信じていた。

けれど、自分でそれを試しても、同じものにはならなかった。

そこにあるのはただの感触で、心の中には何も灯らない。

 

「……ちがう」

 

その言葉は小さく、炉の音に溶けていった。

どうして同じことをしても、同じにならないのか。

その違いを、まだ彼女は知らなかった。

 

 

太陽が真上に浮かぶ頃、少女は隣に置かれたパンに目を移す。

それは男がお昼ご飯として置いていったものだ。

お腹がすくという言葉を知らない彼女に、男は町の鐘が鳴ったら食べていいとだけ伝えていた。

 

そして今、昼を報せる音が静かな空気を震わせる。

狂いのない、規則的な間隔で鳴る鐘の音を聞き、彼女はそれを“命令”として受け取る。

 

小さな手でパンを取り、ゆっくりと口に運ぶ。

味も美味しいも分からない。

けれど、彼が渡してくれたものはすべて食べられる物だった。

 

日が傾き、空が青から紺へと変わっていく。

暖炉の火が静かに弱まり、部屋の明かりが薄れていく。

暖められた空気は彼女の周りから少しずつ離れ、やがて肌を撫でて冷たくなる。

 

「さむい」

 

不意にこぼれた言葉。

その理由もまた、彼女は知らなかった。

 

扉が軋む音がして、男が帰ってきた。

暗闇の中、男は小さく息をつき、慎重に室内を探る。

手探りで暖炉の前まで進み、火を灯した。

橙の光が部屋を満たすと、その端に少女が座っていた。

いつもの場所。

その姿を確かめて、男の胸に安堵が広がる。

帰るたびに彼女がそこにいることに安心する度、心の奥で小さな恐れが芽生える。

“もし次に帰ったとき、そこにいなかったら”と考えてしまう自分が少しだけ怖い。

 

炎が揺れ、橙の光が少女の頬を照らす。

 

「……あたたかい」

 

不意に漏れたであろうその言葉に男は短く息を止め、そして微笑んだ。

言葉にはしなかったが、胸の奥が静かにほどけていくのを感じた。

 

晩の食事を終え、男は少女の前に座った。

しばらくの沈黙。

焚き木のはぜる音だけが、二人の間を埋めていた。

 

「お前の名前を、聞いてもいいか?」

 

いままで聞けなかった問いを少女へ送る。

少女は首を傾げた。

意味を測るように、ゆっくりと目を瞬かせる。

 

「ない」

 

問いへの返答は、男が予想していた答えだった。

だからこそ、彼はこの時まで言わなかった。

 

「そうか。じゃあ、俺がお前に名前をつけてもいいか?」

 

少女はまたゆっくりと瞬きをした。

拒むでもなく、受け入れるでもなく。

ただ、そこに居る。

「リオーモ。 これがお前の新しい名前だ。」

 

少女は静かにその音を真似る。

 

「リオーモ……」

 

初めての響き。

それが自分のものだということを、まだ彼女は理解していない。

けれど、その音がどこか柔らかく響いたことだけはわかった。

 

男はその様子を見つめながら、小さく息をついた。

そして、穏やかな声で言った。

 

「名前の意味は、まだ分からなくていい。いつか分かる日が来るだろうから」

 

言い終えると、彼は微笑み、手を伸ばした。

彼女の頬を両手で包み、軽くつまむ。

挟まれるような小さな痛み。

それはまるで、子を撫でてあやす仕草のようだった。

 

リオーモは目を細め、痛みを感じながらもそれを受け入れた。

 

男の手が離れたあと、リオーモは彼をじっと見つめる。

そして、彼の頬に小さな手を伸ばす。

指先が触れ、ゆっくりと力を込める。

力の弱い彼女の手では痛みを与えることは出来なかったが、手の温もりは届く。

 

「……いたい?」

 

彼女の声は不安ではなく、確認のように静かだった。

男はその目線に合わせ、微笑みながら小さく返す。

 

「……ああ、いたいよ」

 

痛みが他者から与えられるコミュニケーションなのであれば、

それを真似ることが彼女にとっての優しさで、

受け取ることが男にとっての赦しだった。

二人の行動は、他人から見たら不思議だろう。

けれど二人は、痛みの奥にある“本当の愛”を確かに感じていた。

 

夜は更け、静寂がより一層強くなる頃、リオーモは暖炉の前でゆっくりと瞳を閉じた。

この場所に気を許し、休んでも大丈夫だと思えた。

暖炉の炎の揺らめきの中で、彼女の意識は静かに沈んでいく。

それは、彼女に初めて訪れた休息の時間。

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