心の在処   作:ミィーシャル

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第四話 追憶

暗闇の中で、声がした。

静かで、それでいて確かに近づいてくる。

 

その音の正体を、彼女は知っていた。

 

数多の嘲笑が少女を囲み、数多の手が少女に伸びる。

喉元へ嵌め込まれた指が白い肌に食い込み、逃げようとするほどに赤い跡が深く刻まれていく。

 

「いーたい!やーだ!!やぁだぁ!!!」

 

泣き声。

それは確かに自分の声なのに、もう思い出せない響きだった。

誰かの影が、少女の前に立つ。

腕が振り下ろされ、空気が鳴った。

頬にぶつかる衝撃――痛みが視界を歪ませる。

続けざまに髪を掴まれ、床へ押しつけられる。

その手に優しさはなく、ただの暴力としてのみ作用する。

 

「やだ……いや……いたいの……」

 

小さな声が、ひび割れた床に吸い込まれていく。

視界が揺らぎ、光と闇が入れ替わる。

意識が戻った時、少女は壁の影で膝を抱えていた。

薄暗い部屋。

空気は重く、息が詰まる。

 

「……」

 

声にならない呟きは無駄に広い空間へと溶けてしまった。

ただ、衣擦れと乱雑な靴の音だけが近づいてくる。

再び掴まれ、体が持ち上げられる。

その手が首を握りつぶすように押し込み、

骨が喉を塞ぐ異物は絶えず存在を主張し続けている。

 

泣き声が途切れ、口を開いても音が出ない。

涙だけが、汚れた床にぽたりと落ちた。

 

リオーモは遠くからその光景を見ていた。

止めようとしても体は動かない。

忘れていたかった過去、“日常”が形を持って蘇っていた。

 

――何度も叩かれた

――「お前に自由は無い」と埋め込むように

――これが“普通“だと思わせるように

 

その瞬間、リオーモの胸に鋭い衝撃が走る。

あの声。あの言葉。あの痛み。

 

本当に全て……私のためだったの?

 

突如、幼い少女の目から光が消えた。

所有権を放棄した身体は重力にのみ従っている。

彼女は悟る。

これが“壊れる”ということなのだと。

 

光が一気に引き裂かれ、音が消えた。

静寂の中、リオーモは息を詰め、自分の心臓が荒く打つ音だけを聞いた。

世界が揺れる。

呼吸が乱れる。

胸の奥から何かが込み上げる。

それは言葉ではなく、熱だった。

久しく忘れていた感覚。

頬を伝い、床に落ちる前に乾いていく。

その熱が、肌に跡を残すように焼きついた。

それは“涙”だった。

悲劇を演じた舞台はゆっくりと崩れ、何もかも溶けていく。

幼い少女の姿が霧の中に沈み、最後に一度だけこちらを見た。

その瞳には恐怖も涙もなく、ただ静かな諦めがあった。

 

リオーモはその視線から逃げなかった。

それが自分の始まりであり、ずっと目を背けてきた真実だったから。

 

「痛い……」

 

声は震えていたが、もう怯えてはいなかった。

乾いた涙の跡が、頬に薄く残る。

これは過去からの贈り物であり、忘れてはいけない印。

リオーモは指先でそれを確かめ、静かに息を吐いた。

 

――もう、目を逸らさない。

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