朝の光が薄く差し込み、家の中に静けさがゆっくり満ちていく。
台所には湯の沸きはじめる柔らかい音が漂い、室内の空気は温かく呼吸を広げていた。
男が鍋の蓋を少し持ち上げた時、背後で床板が軽く鳴る。
遠慮がちな、けれど確かに向かってくる気配だった。
振り返ると、リオーモが扉の影から顔を半分だけのぞかせていた。
視線が合うと、小さく息を吸い、言葉を置く。
「これ、使う?」
リオーモは近くの皿に両手を添え、慎重に持ち上げる。
歩幅は短いが、その動きにはどこか落ち着いた調子があった。
「手伝ってくれるのか?」
男が声をかけると、リオーモはゆっくり頷いた。
皿をテーブルに置き、静かに男を見上げる。
「ありがとう。助かるよ。」
その言葉に、リオーモの肩が少しだけ緩んだ。
***
家の外に出ると、空気にはまだ朝の冷たさが残っていた。
男が薪を割る準備をしていると、家の戸がそっと揺れ、リオーモが姿を見せた。
彼女は足元に転がっていた細い薪をひとつ拾い、胸元でそっと抱えたまま立ち止まる。
何をすればいいのか判断がつかないらしく、視線だけが男の手元へ寄ってくる。
男は斧を地面に立てかけ、穏やかな声で言った。
「ここに積んでいくんだ。ほら、こうやって。」
積んだ薪を指し示し、男が一つを上へ乗せてみせる。
リオーモはじっとそれを見つめ、しばらくしてから自分の腕の中の薪をそっと置いた。
ぐらつかないよう角度を整えようと、身体の向きを少し変えて確かめる。
「出来た」
男は微笑み、薪をもうひとつ渡す。
リオーモは受け取り、慎重な動きで積み上げてみせた。
初めはぎこちなかったが、二度目は迷いが薄い。
その様子に男は声を荒げることも褒めすぎることもせず、静かに寄り添うだけだった。
日が傾く頃には、二人の前には小さな薪の山ができていた。
***
夕方の光が廊下を淡く染める頃。
家の奥にある小さな部屋の扉が、わずかに開いていた。
男がそっと覗くと、布団の上でリオーモが身体を丸め、目を閉じていた。
呼吸はゆっくりで、落ち着いた眠りのすぐ手前にいるようだった。
声をかけずに離れようとしたその時、彼女のまぶたが揺れ、ゆっくり開いた。
リオーモは姿勢を起こし、布団に触れながら言った。
「ここ、使っていい?」
男は扉の近くに腰を下ろし、静かに答える。
「もちろん、きみの部屋なんだから」
その言葉に、彼女は小さく目を細めた。
安堵にも似た、その微かな表情の揺れだけで十分だった。
布団に身を預け直すと、リオーモは小さく息を整えながら言葉を添える。
「……あったかい。」
やがて彼女は再び目を閉じ、身体を静かに丸めた。
部屋の空気が柔らかく沈み、眠りへ移ろうとしているのが伝わってくる。
男は音を立てないよう扉を閉め、廊下へ戻る。
“もう大丈夫だ”とは言えない。
“完全に戻った”とも言えない。
けれど――
今日のリオーモは、以前より確かに自分の意思で世界に触れていた。
その小さな一歩が、男の胸の奥を静かに温めていた。