高校を卒業し、その後に進学した美大も卒業した。
ある程度の技術を身につけた私は家族から離れて一人暮らしを初めた。
それなりに家族から愛されて育ち家族仲も良好だったが、意外と反対されなかった。
漫画家になる事は学生の頃から口を酸っぱくして言い続けていたからな。
最初は反対されたが、何年も言い続けて漸く説得できた。
その後に待っている事といえば、私自身が今まで描いた作品を出版社に持ち込む事だった。
最初の頃はトントン拍子に上手くいっていた。
持ち込んだ漫画が褒められて、読み切りとして掲載され、担当編集も付いた。
そして週刊誌で連載が決まり、私の漫画家としてスタートを切った。
ここまではいい。ここまでは
週刊連載というのははっきり言って苦行。まともやっていれば体を壊すのは自明の理。
私はやらかしてしまった。
キッカケはデビューして初めての連載した漫画だった。
この機を逃すまいと私は必死だった。
幸いデビュー作は読者にはそこそこ好評だった。
読者の感想をエゴサして一喜一憂してはこの先の展開を担当編集と考え、必死に漫画を描いて、描いて、描きまくった。
それはいい。
だが、描く事に熱中するあまり体調管理を怠ってしまった。
いつの間にか私の体はボロボロになり、長期休載をするしかなかった。
復帰しては無理をしてまた休載し復帰しては無理をしてまた休載というサイクルを繰り返し、最終的に人気は低迷し打ち切りとなった。
一時期はアニメ化の話も持ち上がったのだか、制作を予定していたアニメ制作会社が第一話を放送する前に、上層部の脱税や社員に強制労働を強いたりなどの不祥事の数々が発覚し最終的に頓挫した。
連載の方もアニメ化頓挫と合わせるように打ち切りが決まった。
連載期間は休載期間を合わせて4年。
アニメ化頓挫と打ち切りの決定のダブルパンチは流石にショックで寝込んだ。
そしてしばらく月日が経ち、少しずつ体調が回復しまた漫画を描けるくらいには元気になった私はふと司君の事を思い出した。
(司君…どうしてるだろう?)
今もスケートリンクで練習を続けているのだろうか?
それともその為の資金稼ぎの為に仕事を頑張ってるのだろうか?
そんな思考を巡らせていると思い出した事があった。
(そうだ。私ってメダリストの世界に転生してるんだった)
長い間、漫画に時間を割いていたからか自分が転生者である事すら忘れていた。
どうにも私自身いまいち転生者という自覚が薄い。
そもそも私が見たのはメダリストのアニメの第一話のみ。しかも内容が曖昧で全然思い出せていない。
今思い出せるのはネットで見たメダリストのOP映像と、主要キャラだった司君と結束いのりくらい。
(待てよ…たしかOP映像では…)
すると思い出した事がある。
OP映像の冒頭辺り、司君のパート。
その映像では司君が落ち込む描写があった。
(もしかして…これから司君は…)
メダリストという作品のあらすじを記憶の奥から捻り出して思い出す。
メダリストという作品は「挫折したスケート選手と出遅れで選手となった小学生の少女がメダリストになるまでの物語」であるという事を。
そこまで思い至って急いでスマホで検索する。
調べる内容はフィギィアスケート関連のニュース。
そこで真新しいニュース記事の写真には多くの選手が写っていた。
その中に司君らしい者の姿があった。
フィギィアスケートの種目の一つ、アイスダンスの全日本選手権だ。
部屋のテレビを点ける。番組を探し、フィギィアスケートの特集をやっている番組がちょうどあった。
どうやら最近の大会だったらしい。
テレビの特集には司君とその相方の女性の演技もあった。というか誰だその女?たしか…私の見たアニメ第一話にいた気がするが…。
だが、テレビの司君達の演技はすぐに終わり、他の選手の演技に移る。
そして最後に順位が発表される。
司君の順位は四位。
表彰台に司君の姿は無かった。
慌てて私はスマホで司君に電話をかける。
『もしもし?』
「司君か?私だ。木由礼音だ」
『礼音さんですか…どうしたの急に?」
電話越しだが司君の声には元気が無い。やはり落ち込んでいるな。
「気晴らしにテレビを点けてみたら偶然スケートの特集をやっていてね。そこで君の姿を見えたんだ」
『ああ…そうか。じゃあ俺の順位見たんだ礼音さん…』
おっと更に元気が無くなっだぞ、やっぱり順位を気にしてるのか?
「立派なスケート選手になったんだな。やっぱり君には才能があったんだ、全日本まで行くなんて大したもんじゃないか」
『才能なんて結果が出せなきゃ意味が無いよ』
私の言葉をハッキリと否定する司君の声には生気が無かった。
それに相当荒んでいるようだ。
「聞かせてくれ、何があった?」
『礼音さんは加護さん達を覚えてる?」
「ああ、覚えてる」
私も加護家と何度か話した事はある。
お金が無くてスケートリンクに入れなかった司君を芽衣子さんが耕一さんに頼んでアルバイトさせてくれた人だ。
私はというとなんだか司君を盗られた気がして司君のアルバイト先である加護家まで付いて行ってしまった。
そこで働いている司君の仕事ぶりと加護家の庭でジャンプの練習をしている所を何度か見に行ったものだ。
その時に多少ではあるが加護家とは交流はあった。
『そういえば礼音さんって俺がバイトしてた頃によく来て加護さん達と話してたっけな…』
「ああ、連絡はそんなに取り合ってはいないが私の数少ない友人達だ。加護さん達に何かあったのか?」
『…………芽衣子さんが亡くなったんだ』
「……なんだって?」
『経緯を説明すると、高校卒業した後就職したんだけどそれだけじゃやっぱりお金が足りなくてさ。色々あって加護さん達の所にまた厄介になってたんだ』
スケートって本当に金がかかるからな…。
それよりも芽衣子さんが亡くなっただと?
確かに娘さんを出産して体が弱くなっていたがまさか亡くなっているとは思いもしなかった。
『亡くなった後も大変でさ、旦那の加護さん…耕一さんの会社の経営がタイミングが悪い事に悪化しちゃったんだ』
「そんなに酷い状況なのか…娘さんの羊君は?まだ8歳くらいだろう?」
『そっちはもっと酷い。しばらくは大丈夫だったんだけどある日急に赤ちゃんみたいに泣き出したんだ。以来まともにトイレもできてないし言葉も拙い』
「幼児退行というやつか…可哀想に…」
おそらく芽衣子さんが死んだ時にはまだ羊君は芽衣子さんの死を受け入れていなかったんだろう。
そしてある日、芽衣子さんの死を自覚して幼児退行を引き起こしたんだと思う。
「加護さんの会社が経営が悪化してると言ったな?という事は耕一さんは忙しくて羊君の面倒を見れないんじゃないのか?赤ちゃん返りならばシッターとか雇っていないのか?」
『シッターを雇う余裕も無いみたい。親類の人に預けようって話もあったけど、耕一さんの親類の人達って礼儀とかに厳しい所だったみたいで今の羊さんを預けるのは無理そうなんだ。耕一さんが言うには最悪虐待されかねないって…』
耕一さんって礼儀の厳しい家系で育ったのか…あの人たまにいい加減な一面があるのはその反動だろうか?
「じゃあ羊君の面倒は誰が見ているんだ?」
『俺だよ』
司君か、それならば羊君は安心だ。
司君は面倒見がいい。それに恩人の娘である羊君の事を絶対に見捨てないしぞんざいには扱わない筈だ。
「色々あったんだな…司君…」
『ああ…本当に……色々…あった…』
電話越しでも分かるほど声が震えている。
『ごめん、ちょっと愚痴に付き合ってもらっていい?』
「構わんよ、私と君の仲だ」
どうか好きなだけ吐き出してくれ。悔しいが今の私にはそれくらいしか出来ない。
『四位じゃなくて優勝がしたかった』
『芽衣子さんに俺が一位になった所を見てほしかった。あの人が…加護さん達の応援が間違ってなかった事を証明したかった!』
『俺…加護さん達から貰ってばかりで何も返せてない!何か一つでも恩返ししたかった!」
『でも…俺が…演技中にミスをしたせいで…何もかも終わりだ…』
『選手として…俺のスケート人生も終わりだ』
おいちょっと待て、いま聞き捨てならない事を聞いたぞ?
「司君…まさか君は…」
『うん、俺はスケート選手を引退するつもりだよ。金銭的にももう限界だったんだ。あの大会に全てを賭けてた。でもその結果があの様じゃもうスケートは続けられない』
おい待て、それだけは駄目だ。それだけはやめてくれ。
「待ってくれ!まだ続けられるだろう⁉︎また支援してもらえば」
『加護さんに?もう無理だよ。これ以上は貰えない…これ以上…あの人達の負担になりたくないんだ…』
『俺は…スケートそのものを辞めるしかないんだ』
今の司君は絶望の淵にいる。スケートそのものを辞めようと思うほどに。
励ましてやりたい。なんとかスケートを辞めるのを食い止めてやりたい。
「司君、君はさっき羊君の面倒を見ていると言ったね?」
『……え』
「一度、耕一さんの立場になって考えてみてくれ。経営が悪化して忙しい中で家庭内では幼児退行した娘。それに仕事に疲れ切っているであろう耕一さんにとっては最悪の状況だ」
耕一さんが今どんな仕事をしているかは私の知る由もないが、羊さんの容体からしてまともに相手を出来るような余裕は無いだろう。
耕一さんに限ってそんな事はないだろうが、普通ならば妻に先立たれた挙句娘は赤ちゃん返り、そこに経営悪化とくれば多大なストレスで頭がどうにかなってしまうだろう。
今の加護家の状況は最悪な状況で下手をしたら家庭崩壊待ったなしだ。
「そんな最悪の状況の中で羊君の面倒を見てくれる君の存在がどれだけありがたいか…分かるだろう?」
『…………』
誰にも頼れず仕事で忙しい中で進んで娘の相手をしてもらう者がいる。それだけでどれだけ安心できるだろう。
おそらく今の耕一さんにとって司君の存在は救世主に見えただろう。
「それに芽衣子さんに君の一位になった姿を見せたかったと言っていたが、芽衣子さんは別にその為に君を応援していた訳じゃない」
そうとも、彼女は別に司君に結果なんて求めていない。
「芽衣子さんは君の頑張っている姿に救われたと言っていたぞ」
『……え?』
私が芽衣子さんと話した時、彼女はそう漏らしていた。
彼女は司君が頑張って努力している姿が好きだったから彼女は司君を応援していたんだ。
「体調が悪くなり元気そうな振りをするのが精一杯の容体の中で、君が努力している所を見るとなんだか元気が湧いてくるとな。君が真っ直ぐ夢を追っている姿が彼女を救い続けていたんだ」
『俺が…?』
「意外に思うか?だが事実だ。疑うなら暇を見つけて耕一さんに聞いてみるといい」
あくまでも私の予想だが、きっと耕一さんも同じ答えが返って来るだろう。
「司君、君は君の思う以上に耕一さん達を助けてる」
『……俺なんかが?』
俺なんかとは何だ?"なんか“とは?
「あまり自分を卑下し過ぎるな。君が思う以上に君のスケートは素晴らしいさ」
『本番でミスして表彰台に乗れなかったのに?』
もう表彰台まで行けなかったのが完全にトラウマになっているな…無理もない。
スポーツというのはそういうのが常だ。
「表彰台云々関係あるか。私が君に魅了されたように、君が思う以上に君のスケートは多くの人を魅了している」
『魅了って……』
お、照れてるな?
よし、あともう一押しだ
「例え表彰台に乗れなくても、君の良さを分かってる人はいるんだよ」
『…………』
「そしていつか…きっと君の眩しさに誰もが気づく時が来る」
「君の輝きを待っている人がいる」
「だからまだ…スケートを辞めないでくれ」
もう前世の記憶が朧げな私が確かに覚えてる知識がある。
それは結束いのりというもう1人の主人公。
きっと彼女が君という光を待っている。
『……礼音さん』
「なんだ?」
『ありがとう』
司君はそう言って電話が切れた。