アニメ見て書きました。躯倶留隊の人たちって実力的にはどんなもんなんでしょう?
テレビの音が、部屋の空気を薄く震わせていた。
深夜のワンルーム。机の上には飲みかけの水と、読みかけの漫画。カーテンの隙間は真っ黒で、外の世界はもう眠っている。
薄暗い空間の中、光源はテレビのみ。
そのテレビの画面の中で、禪院真希が暴れていた。
刃物でもない。呪力でもない。
ただの肉体。極限まで研ぎ澄まされた暴力。
向かってくる相手の腕が捻じ切れ、胴が裂け、床に落ちた血が赤く滲む。アニメのはずなのに、音が妙に生々しい。骨の軋み、肉が離れる瞬間の湿った破裂音。あれを音響で作ってる人間がいると思うと、別の意味で怖い。
俺は息を止めて見ていた。
興奮は確かにある。原作でも十分えげつないのに、動いて声が付くと、残虐さがさらに跳ね上がる。真希が強い。強すぎる。相手の理屈の外側で勝っている。
だけど──画面の端で、紙くずみたいに吹っ飛ばされる奴らに、ほんの少しだけ同情も湧いた。
俺は聖人じゃない。善人でもない。
ただ、敵として立った瞬間に「もう戻れない」って決められて、何もできないまま散っていくのは、見てて少し胃が冷える。
禪院家の雑兵。規律の鎧を着た捨て駒。
名も顔も、画面の中では「まとまり」として一緒くたに処理される側。
真希の一撃が、隊列を崩壊させる。
見ている俺の指先が、知らないうちに汗ばんでいた。まるで俺がその場にいるみたいに、呼吸が浅くなる。
──こんなの、少年誌って枠に収まる映像じゃない。
そう思いながらも、目が離せない。
エピソードが終わって、エンディングが流れる。
音楽がやけに優しくて、さっきまでの血の匂いを上書きしようとしてくる。
時計を見る。
完全に次の日に両足を突っ込んでいる時間だった。
俺はリモコンでテレビを消した。
部屋が一気に静かになる。耳鳴りみたいに、さっきの破裂音が頭の奥に残っている。
布団に潜り込むと、冷えたシーツが体温を奪って、現実へ引き戻された。
目を閉じる。
暗闇の中で、真希の動きが残像みたいに踊る。
(躯倶留隊になってみたいな…)
そんなことを、半分冗談で考えた。
正確に言うと、なりたいのは“躯倶留隊”そのものじゃない。
ああいう、物語の本筋の外側で使い捨てられる存在を、もう少し近くで見てみたい──そんな歪んだ好奇心から生まれた願望。
どうせアニメだ。
フィクションの中なら、痛みも怖さも、どこか他人事のままでいられる。
そのまま、瞼が重く落ちていった。
意識は、じわじわと沈んでいく。
最後に聞こえたのは、自分の呼吸の音だった。
§
温かい。
最初に感じたのは、それだけだった。
湯船に浸かっているような、体の輪郭が溶ける感覚。
浮いているのか沈んでいるのか、区別がつかない。
何か柔らかい膜に包まれて、外の刺激から隔離されている。安心。鈍い幸福。
──俺、風呂入ってたっけ。
そう思った瞬間、考えがそこで止まった。
思考を伸ばそうとすると、頭が重い。
脳みそに鉛が詰まっているみたいに、言葉が奥へ沈んでいく。
体も動かない。腕を上げようとしても、上げ方が分からない。動かすという概念が、曖昧だ。
それなのに、不思議と焦りはなかった。
動けなくてもいい。考えなくてもいい。
何もしなくても、生きていける。
その感覚が、とても甘い。
甘いというか、怠惰で、優しい。
俺が普段、意識して抑え込んでいる“曖昧な未来への恐怖”を、丸ごと溶かして消してくる。
起きているのか、寝ているのか。
境界がなくなる。
時間も、伸びたり縮んだりする。
どれくらい経った。
一週間か。
一カ月か。
それとも、もっとか。
一瞬みたいにも感じるし、永遠にも感じる。
ただ、温かさだけが続く。
──そして、世界が揺れた。
温かい空間が狭まる。
四方から圧がかかって、俺の居場所が押し潰される。
さっきまで“守られていた”はずの膜が、今度は“追い出す壁”に変わる。
嫌だ、と思った。
今さら外へ出るのは嫌だ。
何もしないで生きていける場所を奪うな。
でも、抵抗ができない。
体が言うことを聞かない以前に、抵抗という発想すら薄い。
ただ、圧に押され、流され、出口へ向けて運ばれる。
出口。
いつの間にか空いていた穴。
そこに、頭から突っ込む。
ひどく狭い。
壁が粘ついて、全身が擦りつぶされる。
息が──息というより、空気が必要だという感覚が、急に襲ってくる。
胸が苦しい。焦燥が熱に変わる。
俺は押し出される。
狭い道を、無理やりくぐり抜ける。
そして──光。
光が、目に刺さった。
容赦なく。
まぶしさが痛みになるほどの光が、目玉の奥を焼く。
刺激を感じた瞬間、俺は声を上げた。
泣き声。
叫びに近い、喚くような泣き声。
止めようとしても止まらない。
俺の意志とは無関係に喉が勝手に震えて、肺が勝手に空気を吐き出し、体が勝手に泣き喚く。
情けない。
もっと平然としていたいのに、肉体はそれを許さない。
しばらく泣いていると、何か大きな存在が俺を持ち上げた。
重力の向きが変わる。
揺れる。
抱え上げられて、宙に浮く。
大きな影が落ちて、光が遮られた。
まぶしさが和らぐ。
ようやく目を開けられる。
そして視界に飛び込んできたのは──巨大な男の顔だった。
目が近い。
鼻がでかい。
肌に刻まれた傷が、顔に何本も走っている。
その傷が、古いものと新しいものとで混ざっていて、こいつが“日常的に危険と隣り合わせの場所”で生きてきたことを無言で示している。
俺は内心で「巨人か!?」と思った。
だがすぐに気づく。
違う。
世界が大きいんじゃない。
俺が小さい。
視線を下げる。
自分の手が見えた。
短い。驚くほど短い指。ふにゃふにゃの掌。
爪も薄い。皮膚も柔らかい。握ろうとしても、うまく握る力がない。
──赤ん坊だ。
俺は、赤ん坊になっている。
巨大な男は俺の顔を覗き込みながら、さらに口を開いた。
声がでかい。空気が震える。
「男だ! 男だぞ!」
それがどうした。
俺は男だ。
内心でそう返したが、口から出たのはまた泣き声だった。
男は興奮している。
手が震えているのが分かる。
こっちは揺らされるだけで酔いそうだ。
(夢、だよな…?)
俺は状況を整理しようとする。
ここまでリアルな夢はそうそうない。
感触がある。温度がある。匂いまで薄く漂ってくる。血の匂いだけじゃない、乳と汗の匂い、湿った布の匂い。生活の匂い。
明晰夢ってやつかと当たりをつける。
夢だと自覚しながら見る夢。
そう考えれば筋は通る。俺はアニメ見た直後に寝たし、脳が勝手にそれに近いものを作ってるだけ──
そう思ったところで、巨大な男が爆弾を落とした。
「女だったら躯倶留隊の玩具にでもするしかなかったが…、──男なら家督を継げる!」
(……は?)
耳が一瞬、理解を拒否した。
言葉の意味は分かる。だが、分かりたくない。
男はさらに続ける。興奮したまま、俺を掲げるようにして。
「もし術式を持っていれば、"
躯倶留隊。
術式。
炳。
単語が、脳の奥の“呪術廻戦フォルダ”を正確に叩いてくる。
夢のはずなのに、言葉の重さが現実みたいに刺さる。
男は視線を俺から外して、別の方向へ顔を向けた。
そこにいる誰かに向けて、豪快に笑う。
「よくやった! よく産んだ!」
返事は聞こえない。
だが、すすり泣きの音がした。
女の気配。
嬉しそうに泣いている。喜びで涙が出るタイプの泣き方だ。
俺は泣くどころじゃなかった。
背筋が冷える。
男尊女卑?
まあ、今の発言だけで胸糞悪いが、そこは二の次だ。
問題は別。
躯倶留隊、術式、炳──
ここ、呪術廻戦の世界かよ。
しかも禪院家。
口に出せない。
赤ん坊の口から出るのは意味のない音だけだ。
だから心の中でだけ、淡々と呟く。
(……最悪だ)
俺はテレビの前で、冗談半分に「躯倶留隊になってみたい」なんて考えた。
考えたけど、あれは“画面越しの安全圏”で言ったことだ。
現地では違う。
禪院家は、あの世界の中でも一際ヤバい部類の地獄だ。
しかも、男として生まれたことが「良かった」扱いされている。
つまり、この家の価値観は俺が知ってる通り、腐ってる可能性が高い。
男はまだ女──おそらく俺の母親に褒め言葉を投げ続けている。
俺はその腕の中で、遠い目をした。
夢なら、早く覚めてくれ。
ただそれだけを、祈った。
だけど──
この腕の温度は、夢にしては妙に現実的だった。
傷だらけの頬が近づくたび、皮膚のざらつきまで見える。
泣いた喉の痛みも残っている。
嫌な予感だけが、静かに確信へ変わっていく。
俺は、赤ん坊の体で、心の中だけは冷静に言う。
(落ち着け。まず状況を見ろ)
夢でも現実でも、まずは情報だ。
この家がどこで、俺が誰で、いつの時代か。
禪院家の内部か、分家か。
女が躯倶留隊の“玩具”なんて言われる程の文化があるなら、相当根が深い。
巨大な男が、ふっと俺を抱え直した。
視界が揺れて、部屋の様子が少しだけ見える。
畳。
古い柱。
障子の紙の薄さ。
どこか広い屋敷の一室。湿った木の匂い。
金持ちの清潔さだけじゃない。歴史の埃っぽさがある。
笑えないほど、禪院家っぽい。
俺はもう一度、祈りを更新した。
夢なら覚めてくれ。
覚めないなら──せめて術式をくれ、俺を躯倶留隊にしないでくれ。
そんな願いごとをするくらいしか、今の俺には出来ることはなかった。
ネタバレ:主人公は躯倶留隊になります。