扇が出た途端感想がめちゃくちゃ増えました。
やはり、扇は五条や宿儺に並ぶ人気キャラですね。
中庭の空気が、一人の男の登場で一変する。
子供たちの絶望感が満ちていた空気から、隊士たちの緊張が満ちる空気へ。
「その小童とは、私が立ち合おう」
声が落ちた瞬間、空気が沈んだ。
言葉がたんなる音ではなく、"重さ"をもって響く。
そして男が、庭に降り立った。
禪院扇。
禪院宗家の一員にして、新当主の弟。
禪院家の支配者階級の一人。
──見た目が、俺の記憶と違う。
直毘人も若かった。けど、扇の若さはもっと顕著だった。
肌の張り、髪の艶、動きの無駄のなさ。
原作で見た、あの
まだ老いを肌の内側に隠せる時期の顔だ。
(……え、今コイツ「私が立ち合おう」って言った?)
俺は内心、耳を疑う。
そもそもこの場に扇が来る理由がない。
入隊試験なんて、新当主のお披露目式に比べれば塵みたいな行事だ。
炳でもない、雑兵候補の子供をいたぶる儀式に、何でコイツが出張ってくる。
信朗が慌てたように一歩前へ出た。
「お、扇さん……!? 何故ここに……」
声が上ずっている。
さっきまで俺たちを玩具みたいに扱っていた男が、目の前の扇に対しては露骨にへりくだる。
原作ではわりと舐めていたような描写だったが、今の時期はまだそうではないのだろうか。
扇は信朗の前で止まりもしない。
視線を横に滑らせ、短く言い捨てた。
「視察だ」
それだけ。
詳しい説明などする気はないという態度。
この屋敷でそんな態度をとれるのは、そしてそんな態度が通るのは、限られたごく一部の存在だけだ。
そのごく一部の存在はそのまま歩き、俺の前で止まる。
顔は無表情に近い。
目は一切笑っていない。瞳の奥に冷たい鉄がある。
「喜べ小童、この私が直々に稽古をつけてやる」
突然の展開に困惑しながら、俺はとりあえず頭を下げた。
「……ありがとうございます」
内心では別の言葉が渦巻いていた。
(稽古というより、憂さ晴らしだろ…)
遠くからでは分からなかったが、雰囲気がちょっとキレてる。
兄が当主になったのが気に食わないのだろう。
その証拠に新当主のお披露目式に、扇の姿は見えなかった。
自分が住む家で、兄の当主就任祝いが行われたのだ。扇が溜めているであろう鬱憤は想像に余りある。
──その鬱憤を俺にぶつける気なんだろう。
(十歳の子供相手に、か。終わってるな)
扇は何も言わず、落ちている木刀を拾った。
そして距離を取る。
構えはない。
片手で木刀をだらりと持ち、腕を下げたまま立っている。
一見、隙だらけ。
でもそれが一番怖い。
どこからでも打ち込んでこい、という意思表示だ。
そして打ち込んだ瞬間に、全部潰すと宣言している立ち方。
俺は息を吸って吐き、木刀を握り直す。
(……むしろ良かったのでは?)
脳が勝手に理屈を捏ね始める。現実逃避の一種だ。
前世で最後に見た映像──忘れもしない、呪術廻戦のアニメ三期第四話。
そこで扇は、覚醒した真希に反応すら出来ず一撃でやられていた。
一方で俺が戦うはずだった信朗は、覚醒真希を相手に数合打ち合っていた。
──つまり。
(実力的には、扇より信朗の方が上なんじゃないか?)
あくまでも原作時点での話であり、今の時期もそうかは分からない。
だがもしそうなら、今この状況は僥倖と言え――るわけがないが、そうでも思わないとやってられない。
俺が脳内で必死に希望を組み立てていると、信朗が溜息を吐いた。
そして俺を見て言う。
「あー、源之助……だったか? 死なねぇように頑張れよ」
そんなこと言われなくても当然だ。
(死んでたまるか…)
そう思った瞬間。
扇がピクリと反応した。
空気がほんの一瞬で張り詰める。
「……小童」
ただでさえ低い扇の声が、さらに低くなる。
「お前の父親の名はなんだ」
俺は困惑した。
なんで今それを聞く。
だが、黙るわけにもいかない。
「……禪院源一郎です」
端的に答えた、その瞬間。
扇の身体から呪力が迸った。
ただの濁流ではない。
刃のように研ぎ澄まされた呪力。
鋭い圧が、空間を切り裂いて広がる。
「そうか……
扇の口元が、わずかに歪んだ。
その歪みが笑みじゃないことだけは分かる。
恨みか、憎しみか。どちらにしろマイナスの形だ。
信朗が顔をしかめ、俺に向けて小さく言った。
「すまん、藪蛇だった」
声は軽く、本気で謝っていないことが分かる。
「安心しろ、骨は拾ってやるから……」
俺は天を仰ぎ、現実から逃避した。
(……何やってんの父さんマジで)
父さん聞いてますか? 父さんのせいで今俺は死にそうです。
心の中で文句を並べても、状況は何も変わらない。
ただ時間が経つだけだ。
俺が脳内で父を殴っている間に、準備が整ったらしい。
信朗が声を張り、手を上げた。
「始めっ!」
その瞬間、俺はヤケクソになって飛び込んだ。
足に呪力を集中し、間合いを一気に潰す。
ヤケクソになりつつも、思考は動いていた。
勝負を捨てるわけにはいかない。
扇にはさっきの立ち合いが見られている可能性がある。
同じ手は通用しないと考えたほうがいい。
ならば今度は
(間合いに入る寸前で止まって、相手の空振りを──「真面目にやれ」──ッッッ!?!?)
視界が白くなる。
次の瞬間。
俺は地面に倒れ伏していた。
土の感触が頬を撫でる。
冷たいはずなのに、そこだけ妙に温い。
──血だ。
額から、温かい血が流れて顔を汚す。
鼻の奥に鉄の匂いが刺さる。
(……何が……起きた?)
思考が追いつかない。
視界が揺れて、耳が鳴る。
扇が淡々と言った。
「あと五秒以内に立ち上がらなければ斬る」
辛うじて聞こえたその言葉には、本気だと思わせる"凄み"があった。
脅しじゃない。宣告だ。
“斬る”という動詞が、現実の刃として喉元に触れている。
俺は慌てて立ち上がろうとする。
だが視界が歪んで、手足が言うことを聞かない。
額から伝った血が顎に溜まり、ぽたぽたと落ちる。
おそらく立ち上がってもまともに戦えない。
それでも、今すぐ斬られるよりはマシだ。
俺は自分の足を殴りつけた。
痛みで強制的に神経を繋ぐ。
ふらつきながら、なんとか無理やり立ち上がる。
ようやく視界が定まって、正面を見る。
扇の手に握られている木刀が──
正確には、呪力で伸びた刀身を象っていた。
木刀の先から、薄く尖った呪力の輪郭が延びている。
刃の形。
木刀を“武器”から“呪具”に変える、最低限の術。
俺は理解する。
(……これで殴られたんだ)
さすがに刃物ではない。
もしそうだったら、俺はもう死んでいる。
扇の口が動いた。
「お前が先刻やっていた、瞬時の呪力操作だ」
俺の脳が揺れているせいか、言葉が少し遅れて入ってくる。
扇は続けた。
「小童。お前の力など、皆手抜かりなく持っているのだ」
(……すげぇ、まんまじゃん)
内心で、妙にぼんやりと考える。
原作の台詞だ。
あの男が、あの調子で真希に吐き捨てる言葉。
それを、俺は今、生で浴びている。
扇は俺を見下ろし、冷たく言った。
「やはり
その言葉を聞いた瞬間。
──今、蘭太のことも馬鹿にしたか?
扇は俺にだけ向けて言ったのだろう。
でも、父とその息子を揶揄する言葉が、ぼやける頭の中で勝手に蘭太と重なった。
(俺は出来そこないだ。それは認める。でも蘭太は、出来そこないじゃない)
蘭太には術式がある。
家の連中からしたら
──なのに、あいつは俺を見捨てなかった。
俺を兄として扱い続けた。
(蘭太は、誰よりも優しいやつなんだ)
その蘭太までまとめて侮辱された気がして、腹の底が熱くなった。
(思えば、今日は散々な一日だった…)
母には無視され。
直哉には踏まれ。
蘭太とは引き離され。
父からは捨てられた。
そして今。
禪院扇の“稽古”という名の八つ当たりを受けている。
積もり積もったストレス。
堪忍袋の緒は、既に限界だった。
そこに投じられたさっきの一言。
それが引き金になった。
──俺は、キレた。
扇が何やら言っている。
「小童、お前…!!」
自分でも驚くほど、呪力が溢れ出す。
熱い。
多すぎて制御ができない。
制御する気なんて端からないが。
大量の呪力が肌の外に漏れ、空気を震わせる。
冬の寒さが遠のく。
代わりに、体の奥が燃える。
「ははは…」
俺は笑顔を浮かべた。
久しぶりに、自分の顔が歪んでいるのが分かる。
冷淡な仮面が割れて、その下から本性が覗く。
「ブッ殺してやる」
──笑うという行為は本来攻撃的なものであり、獣が牙を剥く行為が原点である。
どうしよう。さすがに扇には負けるようにしようと思ってたのに、なんか負けられない展開にしちゃったぞ。
主人公のお父さんのモデルはSEKIROの芦名弦一郎です。プロレスラーではありません。