転生したら躯倶留隊だった件   作:トックー0322

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第十三話:本心

 

 

 

 

 

 医務室の空気が、一瞬で別物に変わった。

 

 さっきまで漂っていた、直哉が作り出した重い空気。それが一瞬で払われ、代わりにさらなる重圧が空間を満たす。

 

 直哉の背後に立つ男。

 呪力の気配は、ない。

 それなのに、いるだけで途轍もない圧が生まれる。

 喉が絞られるような感覚。肺が縮む。

 視界の端が薄く暗くなっていく。

 

「扇の顎を砕いたガキってのは、お前か?」

 

 その声は低い。

 荒くもない。丁寧でもない。

 ただ、刃物みたいに無駄がなく、鋭い。

 

 俺、芳樹、武彦、直哉。

 四人とも、反射で黙った。

 真後ろに立たれている直哉に至っては、目線まで下がり地面を向いている。

 

 魂を握られている──そんな表現が頭に浮かぶ。

 比喩じゃない。

 自分たちの命の根元が握られている、と身体が理解してしまう。

 

 何も言えない。

 言葉を選ぶ余裕がない。

 というより、選ぶ以前に、喉が開かない。

 

 甚爾は、少しだけ眉を寄せた。

 

「おい、答えろよ」

 

 ──"苛立ち"。

 

 その三文字が思い浮かぶだけで、全身の血が冷える。

 

 答えられるわけがない。

 目の前にいるのは、その気になれば瞬きの間に俺たちを殺せる存在だ。

 機嫌を損ねたら終わり。

 俺たちにとって「会話」じゃない。

 これは、生か死かの儀式だ。

 

 (──なら、俺が…)

 

 俺は思った。

 

 俺が言うしかない。

 俺しか出来ない。

 

 ここにいるのは()()ばかりだ。

 直哉だって、芳樹だって、武彦だって、まだ子供だ。

 俺だけが、前世を持っている。

 この中で一人だけ、俺だけが頭の中に()()()()()を残している。

 

 それに、扇のアゴを砕いた当人は俺だ。

 なら、俺が前に出るべきだ。

 震える手を握りしめ、息を吸った。

 

「俺……です」

 

 ハッキリと出したはずの声は、思ったより小さかった。

 蚊の泣くような声。自分でも情けなくなる。

 

 だが甚爾は聞き逃さなかった。

 天与呪縛で聴覚も強化されているのだろう。

 彼は俺をじっと見つめた。

 

「あ……? お前……どっかで見たな」

 

 その言葉に、背筋がぞわりとした。

 覚えられている。

 恐怖が増すと同時に、胸の奥が変なふうに熱くなる。

 

 ──優越感。

 

 こんな時に? と思う。

 でも確かに、俺は感じてしまった。

 ()()()()()()()()()()()()()()という事実の、危うい甘さを。

 

 俺が自分の感情に戸惑っていると、甚爾が顎をしゃくった。

 

「……まぁいい。おいガキ、お前どう思った?」

 

「どう、とは……?」

 

 口が勝手に動いた。

 聞き返した瞬間、しまったと思う。

 察しが悪いと思われたら不味い。

 

 甚爾の目つきが、ほんの少し鋭くなる。

 それに比例して、空気の重さも増した。

 

「だから──扇のアゴを砕いた時、()()()()()()()()()()って聞いてんだよ」

 

 俺への圧が増す。

 あまりの緊張に耳鳴りがする。

 手の震えが、止まらない。

 

 ──答えろ

 ──今すぐにだ

 ──でも、何を?

 

 思考が混濁する。

 どう思ったか?

 嬉しかった? 怖かった? 安心した?

 どれも嘘になる気がした。

 嘘をついたら、バレる。

 ()()()はそういう相手だ。何故か確信できる。

 

 焦りが脳内をぐちゃぐちゃにかき回す。

 視界の端に部屋の時計が映る。

 時間が伸びる。呼吸が浅くなる。

 

 俺は、ヤケクソになった。

 

「ハァ……もうい──」

 

 甚爾が溜息を吐き、会話を切り上げる気配を見せた。

 その瞬間、俺は口を被せた。

 

「──気持ちよかったです」

 

 言ってしまった。

 咄嗟に出た言葉が、あまりにも生々しくて、自分で驚く。

 でも、嘘じゃない。

 

 甚爾が目を丸くする。

 

「あ……?」

 

 本気で驚いた声。

 その"間"に、全員が息を止めたのが分かった。

 

 これは賭けだ。

 偽らないと決めた瞬間、腹が据わる。怖さが消えるわけじゃない。ただ、怖さを抱えたまま言える。

 俺は続けた。

 

「あの人を思いっきり殴った時……本当に──()()()()()()と思いました」

 

 自分の心音がうるさい。

 耳の奥でドクドクと鳴る。

 俺は祈るように甚爾の反応を待った。

 

 その時。

 甚爾の口元が、少しだけ歪んだ。

 

「フッ……ククク……!」

 

 笑いを噛み殺す音。

 それに釣られて、ずっと目線を落としていた直哉が、恐る恐る顔を上げる。

 

 次の瞬間。

 

「ブハッ!! ハハハハハハッ!!」

 

 甚爾の笑いが爆発した。

 腹の底からの笑い。

 医務室の空気が、一瞬だけ軽くなる。

 恐怖が消えたわけじゃない。

 でも、「殺されるかも」という緊張が、少し緩む。

 

 俺は内心で、拳を握った。

 

 (──よしッ)

 

 思った通りだ。

 

 (──禪院甚爾は、禪院家を否定したがっている…!)

 

 それは、原作での甚爾の今際の際の言葉。自分を否定した禪院家、ひいては呪術界を否定したくなったとの言。

 その歪みを、俺の言葉が刺した。

 

 術式のない出来そこないの子供が、宗家の人間──それも当主の弟をぶっ飛ばして、しかも「気持ちよかった」なんて言う。

 そりゃ笑うだろう。

 愉快極まりないだろう。

 自分を踏みにじってきた価値観が、ぶん殴られた瞬間なのだ。

 

 笑いが落ち着いた頃、甚爾は目の端の涙を指で拭い、俺を見た。

 笑っているのに、目は鋭い。

 

「お前……面白いな……」

 

 そして、ニヤリとする。

 

「気に入ったぜ……明日の昼、“西の離れ”に来い」

 

 ──は?

 

 内心で思わず固まる。

 全身がフリーズする感覚。

 心臓が一回、変な跳ね方をした。

 

 甚爾は続ける。俺の停止なんて、気にもしていない。

 

「まだ詳細は知らねぇんだ。本人の口から、当時の状況を聞かせてもらうぜ。事細かくな」

 

 冗談みたいな命令。

 だが、冗談じゃない。

 断れる空気じゃない。

 

 俺は頭の中で叫んだ。

 

 (……え? 俺、禪院甚爾と一対一で話すの? 明日の昼に? え、夢?)

 

 俺は太腿をつねる。

 残念ながら現実だ。

 この世界は、俺の都合なんて知らないらしい。

 

 甚爾は医務室の出口へ向かって歩き出した。

 足取りは軽い。

 さっきまでの圧を、まるで散歩みたいに引きずっていく。

 

「この家にも、面白い奴がいたもんだ……」

 

 そう呟きながら。

 

 その時だった。

 

「な、なぁ甚爾くん!」

 

 直哉が声を上げた。

 震えている。

 それでも必死に、当主の息子としての矜持を掻き集めて喋っている。

 

「甚爾くんは、こんな奴と仲良くせんほうがええで!!」

 

 直哉の目が、俺を刺す。

 さっきまでの恐怖と畏敬じゃない。

 嫉妬と怒りと、屈辱の濁り。

 

「ほ、ほら! 甚爾くんは強いんやし、こんなカスより僕みたいな“アタリ”と──」

 

「おい」

 

 甚爾の一言が、直哉の言葉を粉砕した。

 

 ただの一言。

 それだけなのに、医務室の温度が急激に落ちる。

 直哉の顔から血の気が引くのが見えた。

 

「今いい気分なんだよ……邪魔すんじゃねぇ」

 

 直哉の腰が、抜けた。

 膝が折れ、床にへたり込む。

 当主の息子が、稚児みたいに。

 

 甚爾は舌打ちする。

 

「チッ……せっかくの気分が台無しだ……」

 

 そして──掻き消えた。

 来る時と同じ、瞬間移動みたいに。

 だが本当は高速移動だろう。

 気配ごと、空間ごと、抜け落ちたようにいなくなる。

 

 医務室には、へたり込む直哉と、声も出せなかった芳樹と武彦、そして俺が残った。

 

 

 

 

 

 

   §

 

 

 

 

 

 

 静寂が痛い。

 

 さっきまで俺たちの周りを縛っていた圧が消えたせいで、逆に空気の軽さに違和感を感じる。

 少しづつゆっくりになっていく心臓の音が耳につく。

 布団のシーツが擦れる音すら大きい。

 

 芳樹も武彦も、顔色が悪い。

 声を出せない。

 直哉は床に座ったまま、呼吸を整えようとしているが、肩が小刻みに震えている。

 

 数秒。

 それが数分みたいに長い。

 

 その沈黙を破ったのは、直哉だった。

 

 直哉が、ゆっくり立ち上がる。

 まだ足元がおぼつかない。

 でも、ちゃんと自分の足で立った。

 

 そしてこっちを向く。

 

 その顔を見た瞬間、俺の背中に冷たい汗が浮いた。

 

 その顔には──怒り。

 

 怒りしかない顔。

 

 人の顔じゃない。

 鬼、それも悪鬼の類。

 目は充血し、唇は震え、瞳孔が限りなく収縮している。

 表情筋が怒りで引き攣って、どこか笑っているようにも見える。

 

 直哉が口を開く。

 

「──明日の昼、覚悟しとけや」

 

 それだけ。

 

 その顔からは想像もできないほど短い言葉。

 それが、逆に恐怖を煽る。

 

 芳樹が息を呑む音がした。

 武彦の喉が鳴る。

 二人とも言葉が出ない。

 直哉の怒りが、殺意が、こちらを呑み込もうとしている。

 

 直哉はそれ以上何も言わず、踵を返した。

 医務室の扉が、静かに開いて、閉じる。

 

 直哉が消えた後も、空気は戻らない。

 残った熱が、肌を刺す。

 

 俺は内心で、頭を抱えた。

 

 (俺、前世でそんな悪いことしたかな……)

 

 明日の昼。

 西の離れ。

 甚爾に呼ばれた。

 

 そして、直哉からは「覚悟しとけや」との言葉。

 

 どっちも、普通なら一つで十分死ねるイベントだ。

 それが同日に重なる。

 禪院家、イベント過密すぎるだろ。

 最悪のモテ期が来てしまった。

 

 芳樹が、ようやく震える声で言った。

 

「……げ、源之助……」

 

 俺は芳樹を見る。

 武彦も、包帯の隙間から汗を滲ませながら俺を見ている。

 

 二人の目に映っているのは、不安だった。

 今度こそ俺が殺されるのではないかという不安。

 

 俺はそれを理解して、静かに息を吐いた。

 

 冷淡な声を作る。

 いつもの仮面を被る。

 

「大丈夫だ」

 

 自分に言い聞かせるみたいに。

 

 だが、内心は全然大丈夫じゃない。

 

 (明日、この屋敷に隕石が降ってきますように…)

 

 俺はいつもの現実逃避を開始した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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