転生したら躯倶留隊だった件   作:トックー0322

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第二話:弟

 

 

 朝の空気は、冷たいくせに澄んでいた。

 肺の奥まで入ってくる感覚がある。鼻腔を抜ける木と土の匂い、昨夜の雨が残した湿り気。庭の砂利はまだ少し暗く、苔の緑だけがやけに鮮やかだった。

 

 俺は広い日本庭園の真ん中に立って、木刀を握る。

 握りの木肌が掌に馴染んで、余計な力が抜けていく。

 

 一歩、踏み込む。

 

 肩甲骨が動く。腰が回る。

 木刀が空を切る音が、静けさに細い線を引く。

 

 振って、戻して、呼吸。

 振って、戻して、呼吸。

 

 同じ動作を繰り返すだけなのに、毎回、微妙に違う。

 角度が一度ずれれば、刃筋に相当する線が狂う。

 肘の高さが指一本違うだけで、力の抜け方が変わる。

 

 俺はその“ズレ”を拾い上げて、潰す。

 うまくいったときは、体のどこにも引っ掛かりがない。

 逆に悪いときは、音が濁る。庭の空気が木刀にからまる。

 

 ──今のは、悪い。

 内心で舌打ちして、足の位置を数センチ直す。

 呼吸を整えて、もう一度。

 

 汗がこめかみを伝い、木刀を振るたびに飛び散る。

 たとえ冬の朝でも、1000回近くも振れば体は熱を持つ。

 庭の冷気と体温の差が、皮膚の上で薄い膜みたいに揺らぐ。

 

 数を数えるのは途中でやめた。

 代わりに、脈のリズムで刻む。

 自分の中の規則性に合わせて振る方が、余計なことを考えずに済む。

 

 そして、最後の一振り。

 木刀を止めた瞬間、庭の音が戻ってきた。

 遠くで水が落ちる音。

 風で木の葉が擦れる音。

 屋敷のどこかで、障子が静かに動く気配。

 

 俺は息を吐いて、肩の力を抜く。

 汗が背中に張りついて、少しだけ寒さが戻ってくる。

 

 俺はタオルを取ろうと振り返った。

 

 そこに、小さな少年が立っていた。

 

 まだ幼さの残る顔つき。

 けれど姿勢がいい。足の置き方も、視線の上げ方も、育ちの良さを隠せない。

 白いタオルを両手で丁寧に差し出して、少年は裏のない笑顔を浮かべた。

 

 「朝から精が出ますね! 兄さん!」

 

 声が明るい。

 庭の冷気まで少し温めるような響きだった。

 

 俺はタオルを受け取って、汗を拭う。

 首筋を拭くと、布が熱を吸ってぬるくなる。

 木刀とタオルを左手にまとめ、右手を伸ばした。

 

 少年の頭を撫でる。

 髪は柔らかいが、きちんと整えられている。触れるとほのかに香の匂いがした。

 

 「いつも助かる、蘭太」

 

 「いえ! 弟として当然のことですから! むしろ兄さんの鍛錬のお邪魔にならないように、気をつけています!」

 

 こいつは、本当に礼儀正しい。

 内心で思う。いや、礼儀正しいっていうか、真っ直ぐすぎる。まぶしいくらいだ。

 

 俺たちは並んで屋敷へ向かった。

 縁側に上がると、木の冷たさが足裏から伝わる。庭の景色がガラス越しに柔らかくなっていく。

 

 ──俺がこの世界に転生してから、十年が経っていた。

 

 

 

 

 

 

   §

 

 

 

 

 

 

 転生した当初のことは今でも鮮明すぎて、逆に思い出したくない。

 

 生まれた家は、禪院家の分家筋だった。

 宗家に連なる血ではなく、力はない。発言権もない。

 家の者がこのことを口に出すとき、必ず声が少し小さくなるのが印象的だった。

 

 「五代前の当主の兄弟筋」だとか、そんな言い方をされた。

 誇りたいのか、卑屈になりたいのか、よく分からない言葉だ。

 まぁ要するに、なんのコネもない“遠い血”ってことだ。

 

 一応、父親は術式持ちらしい。

 俺を初めて抱き上げた、顔に傷のある強面の男。

 あの傷は伊達じゃなくて、実際に呪いと戦ってつけたものらしい。

 

 ただ、相伝の術式ではない。

 しかも、宗家にとっては価値が薄い術式だったらしく、父親は"炳"になることはできなかった。

 だから我が家の扱いも良くない。宗家の人間が分家を見るときの目線って、ああいう感じなんだな、と子どもながらに理解した。

 

 そんな家で、生まれた最初の男子。

 それが俺だ。

 しかも母親は、先代当主の孫娘のうちの一人。

 

 ──期待されない方がおかしいだろう。

 

 俺は首がすわる前から持て囃されていた。

 

 俺が泣けば「元気だ」と喜ばれた。

 寝返りを打てば「将来有望だ」と騒がれた。

 誰かが「相伝かもしれんぞ」と言えば、周りの空気が妙に甘くなる。

 

 正直、居心地は悪かった。

 前世の俺はただの一般人だ。こういう“過剰な期待”に慣れていない。

 だから、最初からどこかで思っていた。

 

 いつか、この熱は冷める。

 そして冷め方は、たぶん残酷だ。

 

 その考えは当たった。

 

 俺には才能がなかった。

 正確に言えば、術式がなかった。

 

 呪力自体は扱える。

 それどころか呪力総量も、出力も、効率も──どれも高い方だった。

 体感としては、燃費が良くて馬力もあるエンジンを積んでいるのに、ギアが存在しない感じだ。

 力はあるのに、それを発揮する形がない。

 

 名門中の名門である禪院家の呪術師にとって、術式は“絶対条件”。

 呪力が上手く使える? だから何だ。

 肝心の術式がないなら、結局は“持ってない側”になる。

 

 俺が5歳の時、術式がないと分かった瞬間。

 空気が変わった。

 

 今まで宝物を見るみたいだった目が、一斉に裏返る。

 温度が落ちる。

 柔らかかった笑顔が、目に見えて硬くなる。

 言葉が短くなる。

 背中に向けられる視線が増える。

 

 あの感覚を、俺は今でも覚えている。

 期待の熱に包まれていたところから、一気に冷水に沈められる落差。

 

 (さすが禪院家って感じだ)

 

 内心ではそう思った。少し砕けた言葉で、傷ついてないフリをして悪態をつくしかなかった。

 

 もし前世がなかったら。

 もし“これは異世界だ”と俯瞰する視点がなかったら。

 俺は確実に歪んでいたと思う。

 

 唯一、救いがあるとすれば、弟の存在だった。

 

 禪院蘭太。

 原作で、禪院真希に殺された炳のうちの一人。

 その弟が、この家に生まれ、そして──俺を慕ってくれた。

 

 蘭太は俺とは違い、才能があった。

 術式を持っている。それも強力な。

 家の人間がまだ幼い蘭太に向ける目は、かつて俺に向けていたものに似ている。

 

 それが悔しいとかは、あまりない。むしろ安心する。

 この家が蘭太に賭けるなら、少なくとも俺は分不相応な期待を背負わずに済む。

 さらに蘭太が俺を慕ってくれているなら、俺は“完全な不要物”として処分されにくい。

 

 (……いや、処分って何だよ。怖いな)

 

 内心で自分にツッコミを入れながらも、禪院家なら冗談にならないのが嫌だった。

 

 今、蘭太は俺の隣を歩いている。

 

 縁側の廊下。

 外の庭がガラス越しに流れていく。

 磨かれた木床は光を反射して、俺たちの影が細く伸びる。

 

 途中、女中とすれ違った。

 女中は深く頭を下げる。

 蘭太はそれに、同じ角度で丁寧に頭を下げ返した。

 

 「おはようございます、菊さん。今日もいい日ですね」

 

 名前で呼ぶ。

 女中が驚いて、目尻を赤くする。

 

 「ら、蘭太様……はい、はい……!」

 

 蘭太は微笑んで、軽く会釈して通り過ぎる。

 それを見て、女中が思わず涙を浮かべるのも、珍しいことではなかった。

 

 ──出来すぎだろ。

 内心で思う。こいつ、人格が完成しすぎてる。まだ8歳だぞ?

 

 蘭太は俺の顔をちらっと見て、柔らかく笑った。

 

 「兄さん、今日もお疲れではありませんか? 素振り、すごい回数ですよね」

 

 「もう慣れた」

 

 俺はクールに返す。

 内心では「慣れたっていうか、他にやることないだけだわ」って感じだが、ボロを出さないために意識して言葉数は減らしている。

 術式がない以上、俺が伸ばせるのは基礎だけ。身体と呪力の扱い。そこを磨き続けるしかない。

 

 「でも、兄さんの素振り、見ていると落ち着きます」

 

 「見てたのか」

 

 「はい! ……邪魔しないように、こっそりですけど」

 

 “こっそり”と言いながら、悪びれない。

 俺は小さく息を吐いた。笑うほどじゃないが、悪い気もしない。

 

 他愛ない話をしながら、俺たちは父親の部屋へ向かった。

 

 

 

 

 

 

  §

 

 

 

 

 

 

 父親の私室は、そこまで広いわけじゃない。

 だが、無駄がなく、整っている。

 

 床の間に飾られた掛け軸。

 畳の縁は擦り切れていない。

 香の匂いが薄く漂い、一段と空気が重く感じるのはここが“家の中心”だからだろう。

 

 父は胡座をかいて、机に向かい、なんらかの書簡を書いていた。

 筆の先が紙を撫でる音が、部屋の静けさを支配している。

 

 俺と蘭太は、入口で揃って正座する。

 父が書き終わるのを待つ。

 蘭太は背筋がピンと伸びていて、呼吸まで静かだ。

 俺もそれに合わせる。ここで余計な音を立てると、父の機嫌が変わる。

 

 しばらくして、父が筆を置いた。

 墨の匂いが少し濃くなる。

 

 父がこちらに向き直る。

 あの傷だらけの顔は十年経っても迫力がある。目の奥が笑っていないタイプの威圧感。

 俺は慣れたつもりでも、背中が少し硬くなる。

 

 「先月言った通りだ」

 

 低い声。

 部屋の空気が締まる。

 

 「今日は禪院宗家で、新当主のお披露目がある」

 

 俺の心の奥が、ひやりとした。

 宗家。新当主。

 単語だけで嫌な予感が立ち上がる。

 

 父は続ける。

 

 「うちからは俺と、蘭太と──源之助が行くことになった」

 

 俺の今世の名。

 禪院源之助。

 

 父は当然のように言ったが、その“当然”が重い。

 宗家に行く。

 禪院家の中心に足を踏み入れる。

 

 (マジで行きたくねぇ…蘭太だけでいいじゃん…)

 

 俺の内心の訴えも虚しく、俺が行くことは既に決定してしまった。

 

 蘭太は明るく、元気よく返事をした。

 

 「はいっ! 承知いたしました!」

 

 俺は落ち着いて、短く返す。

 

 「承知いたしました」

 

 父は立ち上がり、衣擦れの音を立てた。

 背が高い。

 部屋の天井が少し低く見えるほど。

 

 「宗家の覚えが悪くなったらまずい。くれぐれも粗相のないように準備をしろ」

 

 父の目が一瞬、俺に刺さる。

 ──特にお前だ、と言われている気がした。

 術式無し。ハズレ。宗家で恥を晒す可能性がある存在。

 そういうラベルが、見えない札みたいに俺の額に貼られている。

 

 「一時間後に出る。遅れるなよ」

 

 父はそれだけ言って、部屋の奥へ歩いていった。

 俺と蘭太は頭を下げ、退室する。

 

 

 

 

 

 

   §

 

 

 

 

 

 

 縁側の通路に出ると、空気が少し軽くなった。

 それでも、胸の内側に重石が残っている。

 

 俺は歩きながら、淡々と考える。

 

 十年経っても、夢は覚めない。

 いや、十年も経ったら、もう答えは出ている。

 

 認めざるを得ない。

 これは夢じゃない。

 俺はこの世界に転生したのだ。

 

 禪院家。

 呪術廻戦。

 そして、原作で“死ぬ側”の人間が周りにいる。

 

 宗家の新当主のお披露目。

 タイミング次第では、禪院家が崩れる前兆かもしれない。

 

 情報が足りない。

 だが、ひとつだけ確かなのは。

 

 禪院宗家に行けば、俺は“禪院家の現実”を嫌でも直視することになるってことだ。

 

 蘭太が俺の隣で、小さく笑った。

 

 「兄さん、実は僕、宗家に行けるの少し楽しみです」

 

 (……楽しみとか言えるの、コイツ結構メンタル強いな)

 

 内心でそう思いつつ、俺は表情を変えずに返した。

 

 「そうか。…俺は胃が痛い」

 

 「えっ、胃……ですか? だ、大丈夫ですか兄さん!」

 

 蘭太が本気で心配そうに顔を覗き込む。

 俺は一瞬、言い方を間違えたと気づいた。

 内心で「そこまで真面目に受け取るなよ…」と思いながら、言葉を整える。

 

 「緊張してるってことだ…」

 

 「あ……! そういうことでしたか!」

 

 蘭太は安心したように笑って、それから少しだけ真剣な顔になった。

 

 「でも安心してください兄さん。宗家の方たちが何を言っても、僕は兄さんの味方です」

 

 ……やめて。

 そういうの、効く。

 

 俺は取り繕ったクールな顔のまま、視線だけ前に固定した。

 内心では「お前ほんと、いい弟すぎるだろ」と軽く天を仰いだ。

 

 「…ありがとう」

 

 それだけ言って、歩く速度を少しだけ上げた。

 涙が零れそうになるのを堪える。

 この屋敷の廊下が、いつもより長く感じた。

 

 ──俺は、禪院源之助。

 今世の名を、心の中で繰り返す。

 

 もう夢だなんだと現実逃避はできない。

 ここで生きるしかない。

 この家で。

 禪院の血の中で。

 

 俺は宗家に向かうまでの一時間が、妙に長く感じた。

 

 

 

 

 

 





主人公こと禪院源之助のモデルはシグルイの藤木源之助です(見た目とか、口数が少ないとことか)。ただし中身は全然別物。
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