転生したら躯倶留隊だった件   作:トックー0322

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 次は水曜日の7時くらいに投稿します。


第十七話:世話役

 

 

 

 

 

 

 

 甚爾の背中は、どこまでも無造作だった。

 助け舟を出した直後だというのに、肩の力ひとつ抜けない。まるで、さっきまでの修羅場が「雨が降った」程度の出来事だったみたいに、ただ歩く。

 

 俺はその後ろを追う。

 

 歩くたびに、身体の内側が軋む。扇に刻まれた痛みがまだ残っているところへ、直哉と甚壱の打撃が上書きされた。胸の奥で鈍い火がくすぶっている。息を吸うと、その火が広がる。

 

 (痛ぇ……呼吸するだけで痛いし、歩くだけでも痛い)

 

 折れた鼻から血が出続けていて、掌で押さえなきゃ床に落ちる。掌の熱がじっとりと湿る。

 血の匂いが鼻の奥でねばついて、吸う空気まで鉄臭い。鼻を押さえているせいで、息は口からになる。乾いた口腔に出来た切り傷で、痛みが増幅する。

 

 渡り廊下は長い。

 磨かれた黒檀の床板が、天井の格子が、庭の石灯籠が、どれも名家の誇示みたいに整っている。

 鼻血を手で押さえながら歩く俺の異物感が凄い。

 

 甚爾の背中は迷わない。

 庭を横切る風が葉を揺らす音も、池の水面が小さく鳴る音も、何もかもが彼の歩く音に吸い込まれていく。

 

 やがて渡り廊下を渡り切り、西の離れに着く。

 

 離れ、と言っても、俺の知っている離れとはスケールが違う。本館ほどではないが、十分に広い。障子と襖でいくつもの部屋が区切られ、奥へ奥へと廊下が伸びている。

 しかも、離れの中に小さな中庭まである。砂利が敷かれ、植え込みが整えられ、石が据えられている。

 

 (離れにまで中庭いるか……? 贅沢っていうか、無駄だろ)

 

 俺が中庭の必要性を疑問視していると、あることに気づく。

 

 ──人の気配がほとんどしない。

 

 足音、衣擦れ、咳払い、話し声。そういう生活の残響がほぼない。あるのは風と、木と、遠くの水の音ばかり。広いのに空っぽだ。

 

 甚爾はそんな離れの廊下を躊躇なく歩く。

 歩幅は大きい。俺の怪我なんか視界に入っていない。俺が遅れたら躊躇なく置いていくだろう。

 

 (子供相手にマジかよ……いや、相手が甚爾なら子供もクソもないか)

 

 奥へ行くほど、空気が薄く感じた。

 静けさが厚い。

 誰も近づかない、近づけない、という種類の静けさ。

 

 ようやく辿り着いたのは、離れのさらに奥。

 襖一枚を隔てただけなのに、そこだけ世界が切り離されているような場所。

 

 甚爾が襖を開ける。

 

 広い和室があった。

 低い木の座卓が一つ。座布団が一枚。

 それだけ。生活の匂いが薄い。余計なものがないというより、置くものがない部屋みたいだ。

 

 部屋の脇には読みかけの本が何冊も転がっている。

 背表紙が擦れている。何度も読んだ跡だ。

 

「好きに座れ」

 

 甚爾は軽い口調で言い、座布団に胡座をかいて座る。

 俺の血も痛みも、まるで見えていない。

 

 (ウッソだろコイツ……目の前で子供が傷だらけになってんのに……)

 

 俺は鼻を押さえたまま、座卓を挟んで正座した。正座すると身体がまた悲鳴を上げる。息が止まりかける。

 それを悟られたくなくて、何事もない顔を作る。

 

 甚爾は俺を見て、口の端だけで笑った。

 

「お前、あのガキとガチで戦ってただろ」

 

 あのガキ──直哉のことだろう。

 言い方が、近所の子供を指すみたいに雑だ。

 

 五感が化け物の甚爾に、俺と直哉の戦いがバレないはずがない。最初から全部感知していた可能性すらある。

 だからこそ、余計に腹が立つ。

 

 (だったら最初から助けてくれよ……って言っても無駄か)

 

 甚爾に博愛精神なんてものはない。

 伏黒恵の母親にもまだ会ってないのだから、尚更だろう。

 何となく分かる。彼は気分で動くタイプだ。気分じゃなければ何も動かない。

 

 甚爾は嗜虐的な笑みを浮かべる。目の奥が、面白い玩具を見つけた時の獣みたいに光る。

 

「なぁ、あのガキは強かったか?」

 

 急になんだ。

 質問に、どこか棘がある。

 

 俺は淡々と答えた。

 

「はい、とても強かったです」

 

 事実だ。

 落花の情が出来たから制圧出来たものの、もし出来なかったら、俺は今どうなってるか分からない。

 

 甚爾はくつくつと喉を鳴らして笑い、さらに追撃する。

 

「傷つけないように、気遣ってたのにか?」

 

 言葉の選び方が性格悪い。

 心の裏側を爪でこそぎ取って、わざと見せるような言い方。

 

 (それ聞くかね……)

 

 でも、俺は表情を崩さない。崩せないとも言う。

 俺は決まった文言を言うかのように答えた。

 

「自分にとって、直毘人様のご子息を傷つけることは敗北と同義です」

 

 これも事実だ。

 当主の息子に分かりやすい傷をつけた瞬間、俺の人生は終わる。勝った負けたの話じゃない。生きる死ぬの話になる。

 何度か試せばカウンターを合わせられたかもしれないが、それは俺にとって勝利たり得ない。

 

 甚爾は、口元を押さえた。

 肩が揺れる。目が細くなる。

 次の瞬間──抑えきれない笑いが爆発した。

 

「ん……ッ、ブフッ!! ハハハハッ!!」

 

 畳に拳を落とすように笑う。笑い声が部屋に満ちる。

 俺は鼻を押さえたまま、無言で見ていた。

 

 (笑いすぎだろ……)

 

 けど、分かる。

 禪院家の「当主の息子を傷つけたら終わり」という歪んだ秩序。その秩序の中で、俺みたいな"出来そこない"が、必死に矛盾を抱えて戦って、そして生き残っている。

 甚爾にとってそれは、最高の喜劇なんだろう。

 

 笑いが収まった頃、甚爾は目尻の涙を拭きながら言った。

 

「あー……やっぱお前は面白いぜ……!」

 

 ──面白い。

 

 それは単なる褒め言葉じゃない。玩具に向ける言葉だ。

 故にあまり嬉しさは感じない。

 

 甚爾が唐突に声を張る。

 

「笑ったら喉が渇いたな……おい!」

 

 襖が開き、女性が現れた。

 

 落ち着いた雰囲気の、妙齢の女性。背筋がまっすぐで、所作が静かだ。

 

「いかがなされましたか?」

 

 硬い声音。

 なのに、緊張による揺れはない。

 

「茶を持ってこい、二人分だ」

 

 甚爾は簡潔に言う。

 

「かしこまりました」

 

 女性は頭を下げ、襖を閉めた。

 

 (あの人は一体……)

 

 俺の疑問を察したのか、甚爾が鼻で笑った。

 

「ありゃ俺の世話をしてる女だ」

 

 世話役。

 この離れに人の気配がない理由が、腑に落ちる。ここは甚爾を隔離する場所で、その隔離の中で最低限の生活を回す役が必要なのだろう。禪院家がそんなものをわざわざ用意するとは考えにくいが。

 

 甚爾はさらに続ける。笑いながら、毒を吐く。

 

「くくく……哀れだろ? 名家の次女だかに生まれたのに、今はこうして猿の世話係やってんだぜ」

 

 自分を猿と言い、その世話をする女を哀れと言う。

 自身とその周りの全てを嘲っている。

 

 (根っこの深い被差別意識だな……無理もない)

 

 甚爾は、多分、救われたことがない。

 だから自分の救い方が分からない。救われない自分を正当化するために、全部を笑いに変えている。

 それが癖になって、もう外せないのだろう。

 

 俺はそんな甚爾を見て、初めて哀れに感じた。

 禪院家に呪力を一切持たずに生まれることは、地獄に生まれることと同義なのだ。

 

 その時、襖が開いた。

 

「失礼します……」

 

 女性が、お盆に茶を二つ乗せて入ってきた。

 湯気が立つ。香りがふわりと広がり、血の匂いを少しだけ薄める。

 

 女性は茶を座卓に置き、甚爾に向き直る。

 

「甚爾様、こちらの方の応急処置を行ってもよろしいでしょうか」

 

 淡々と、意見する。

 許可を得るという形式を守りつつ、必要だと判断したことを言い切っている。

 

 俺は内心驚いた。

 禪院家の女中が、こんなふうに男に意見するのを初めて見たからだ。

 

 甚爾はめんどくさそうに鼻を鳴らした。

 

「あぁ、普通はそんなすぐに治らねぇのか……。いいぜ、早く済ませろよ」

 

「ありがとうございます」

 

 女性は頭を下げ、俺に視線を向ける。

 

「こちらへ……」

 

 俺は話についていけないまま、とりあえずその誘いに従った。

 

 

 

 

 

 

   §

 

 

 

 

 

 

 その部屋は、甚爾の部屋よりいくらか狭い和室だった。

 それでも一般の家なら十分すぎる広さだ。畳の匂いが新しい。ここは人が使う部屋なのだろう。甚爾の部屋より、生活の温度がある。

 

 俺は座らされ、女性が手際よく消毒を始めた。

 痛い。痛いが、我慢する。

 前世の小学校の時を思い出した。ちなみに今世では学校に行ったことはない。

 

 消毒液の匂いが鼻の奥を刺す。折れた鼻に染みる。息を吸うと涙が出そうになる。

 女性は迷いなく包帯を巻き、ガーゼを当て、固定していく。動きに淀みがない。慣れている。嫌な慣れだ。

 

 俺は口を開いた。

 

「あの、あなたは……」

 

 女性は手を止めずに答えた。

 

「禪院楓と申します」

 

 ──楓。

 

 原作知識に引っかからない名前。つまり、この世界の俺の知らない部分だ。

 

「楓さんは、どうしてあの人の世話を……?」

 

 俺が問いを口にすると、楓の手がほんの少しだけ遅くなった。

 沈黙が一瞬挟まる。

 沈黙の重さが、言葉の内容を予告している。

 

「……あの()には、心を救われましたから」

 

 あの人。

 猿扱いではない。

 

 俺は思わず聞き返した。

 

「心を……?」

 

 楓は淡々と続ける。話しながら包帯を巻く手は、むしろ丁寧さを増していく。

 

「私は、禪院家の名のある分家の次女として生まれました。ですが、禪院では女は道具。そのうえ長女でもない私は、道具としても大した価値はありませんでした」

 

 言葉が、乾いている。

 自分のことを言っているのに、まるで他人の話みたいだった。

 

「父は私を、宗家に女中として送りました。できるだけ立場のある男性の妾となることを期待して……」

 

 (……終わってる)

 

 口に出すべきではないと判断した。

 だから内心でだけ呟く。

 

 楓は少しだけ目を伏せ、続けた。

 

「しかし、似たような由来の女中はこの屋敷に多く存在します。その中でも中途半端に家格のある私は孤立し、必然的に虐めの対象になりました」

 

 包帯が締まる。

 痛みが、話の痛みに重なる。

 

「そんな由来の女中たちの虐めは、やはり()()()()()()()になります」

 

 俺の呼吸が一瞬止まった。

 言葉にしないからこそ、想像が勝手に具体化する。

 胃の底が冷える。

 

「私は女中たちに無理やり躯倶留隊の宿舎まで連れていかれ、「お前なんて躯倶留隊の玩具がお似合いだ」と……」

 

 目眩がした。

 終わっていると思っていた。だが、終わりの底がまだある。

 

 (禪院家って、女中まで腐ってるのか…)

 

 楓は、ほんの少し笑った。

 懐かしむような笑み。

 

「そんな時、甚爾様に助けられたんです。本人はたまたまそうなっただけだって、認めませんが」

 

 たまたま。

 なんとも可愛らしい言い訳だ。

 感謝されることに慣れていないのだろうか。

 

「それから、私は甚爾様の世話役を買って出ました。ここなら他の女中もおらず、虐められることもないですから……」

 

 楓は最後に、俺の鼻にガーゼを貼った。

 折れた鼻の位置が固定される。痛みが、少しだけ形を変える。ズキズキが、鈍い圧に変わる。

 

 楓は立ち上がった。

 

「これで処置は終わりです。あくまでも応急処置なので、この後ちゃんと医務室に行ってください」

 

 淡々とした指示。

 だが、その中にこちらへの慈しみが見える。

 

 楓は、最後にまた少し笑った。

 

「それと、多分この会話も聞かれてるでしょうけど、あまり触れないであげてください。ああ見えてあの人、結構恥ずかしがりなんです」

 

 俺は返事ができなかった。

 喉の奥に、硬いものが詰まる。

 

 (恥ずかしがり……ね)

 

 甚爾の背中が浮かぶ。

 全部を笑いに変えて、痛みを誤魔化して、誰も近づけない背中。

 その背中の内側に、恥があるなら──多分、それは人間の証拠だ。

 

 楓は襖の方へ向かい、静かに言った。

 

「では、戻りましょう。甚爾様が待っています」

 

 俺はゆっくり立ち上がった。

 身体は痛い。鼻は折れている。息もしづらい。

 それでも、足は動いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 






ちょっと禪院家を鬼畜にしすぎたかな…。
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