転生したら躯倶留隊だった件   作:トックー0322

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第三話:禪院宗家

 

 

 

 仕立てのいい着物は、着るだけで背筋が伸びる。

 布の重みが肩に乗るたび、俺の体は「今から別の場所へ行く」と理解していく。普段の稽古着とは違う。動きやすさよりも、体裁と格式が優先されている。袖を通した瞬間から、息の仕方まで意識させられる感じがした。

 

 父は黒に近い濃色の着物で、帯の締め方も迷いがない。

 蘭太は明るい色味を選ばれていて、顔の幼さが逆に映える。家を継ぐ存在として“見せる”衣装だと一目で分かる。

 

 そして俺は、その二人から少し距離をあけて歩いていた。

 

 わざわざ離れてるわけじゃない。

 自然と、そうなる。

 家の中での立ち位置が、そのまま足運びに出る。

 

 廊下を進むにつれて、玄関のほうから人の気配が濃くなってきた。

 声、衣擦れ、足音。

 屋敷が、どこかざわめいている。いつもの朝とは違う、妙に張り詰めた活気がある。

 

 角を曲がった瞬間、視界が開けた。

 広い玄関。

 そこに、家中の女中や男衆が勢ぞろいしていた。

 

 まるで式典だ。

 並び方が整っていて、誰が中心で誰が脇か、配置だけで分かる。

 視線が集中しているのは父と蘭太で、俺のほうへは──時々、確認するような目が向くだけだった。

 

 俺はオマケ。

 言葉にしない合意が、空気の粒子みたいに漂っている。

 

 「いってらっしゃいませ、源一郎様」

 「蘭太様、きっと良い御縁がございますように」

 「大事な集まりですから、どうかお忘れ物なきよう」

 「粗相のないよう、お気をつけて……」

 

 声が次々と飛んでくる。

 父は短く答えるだけで歩みを止めない。

 蘭太はその横で、一人ひとりに丁寧に頭を下げて答えていく。

 

 「はい、ありがとうございます!」

 「お気遣い、痛み入ります」

 「皆さんもお留守番、よろしくお願いします」

 

 まるで小さな外交官だ。

 ほんとに8歳かよ、とツッコミが出そうになる。

 もし蘭太にも前世の記憶があったとしても、俺は驚かないだろう。

 

 俺には「粗相はするな」という言葉だけが、たまに刺さる。

 俺は会釈で返す。言葉を返したところで、空気は良くならない。むしろ余計な音になる。

 

 それにしても、見送りが過剰だ。

 宗家の新当主お披露目。行事としては大きいのは分かるが、ここまで気合いを入れるものなのか。

 

 ……いや、もしかして思ったより重要なのか。

 今さらながら胃のあたりが重くなる。

 この世界の禪院家って、行事の裏に政治がくっついてくるタイプだろ。

 そんな場に、本当に俺が行っていいのか?

 

 いや、俺が行くのは父の判断だ。

 判断の理由は、だいたい想像がつく。

 “男子を連れていくことで、家の見栄えを保つ”。それか、“蘭太の付き添い役”。俺の役割はその程度だ。

 

 敷居を跨いで庭に出る。

 冬の空気が、玄関の熱を一瞬で剥ぎ取った。

 庭の石は乾いていて、朝の光が角を立てている。

 木の枝先が揺れるたび、葉の影が地面に落ちる。

 

 そこに、母が立っていた。

 

 雅な着物。

 髪はきっちり結われていて、顔には化粧が薄く整えられている。

 姿だけ見れば、立派な“奥方”だ。

 けれど、目の奥には影がある。自分の居場所を必死に守る人間のそれだ。

 

 母は父に深く頭を下げた。

 

 「どうか……お気をつけて」

 

 「ああ…」

 

 父は軽く頷く。

 それだけで会話は終わる。夫婦のはずなのに、距離がある。形式だけが残っている。

 

 次に母は膝を曲げて、蘭太と視線を合わせた。

 蘭太の背に手を回し、ぎゅっと抱きしめる。母の袖が揺れ、香の匂いが一瞬だけ強くなる。

 

 「蘭太……寒くない? 無理はしないで。向こうで何かあったら、すぐにお父さんに頼るのよ?」

 

 「大丈夫です! 母さん、いってきます!」

 

 蘭太は元気よく返す。

 母の顔が、少しだけ緩んだ。愛おしいものを見る表情。

 

 そして──俺の番になるはずのところで、母は何もしなかった。

 俺のほうを見ない。

 視線はずっと、前を歩く父と蘭太だけを追っている。

 まるで、俺が存在しないかのように。

 

 (……無理もない、か)

 

 俺に術式がないと分かった瞬間から、母の扱いは地獄だった。

 禪院家では、女というだけで人間扱いされない。

 分家だろうと空気は同じ。宗家ほど露骨じゃないだけで、根は同じ色をしている。

 

 その中で、家長との間に“非才”の子を産んだ。

 母は罪人みたいに扱われた。

 視線が刺さる。言葉が刃になる。物理的にも害される。

 人と同じ食事は与えられない。家の外に出る許しが出ない。女中相手にも話しかけてはならない。

 

 俺は、必死に努力した。

 稽古を積んだ。呪力の練り方を覚えた。体術を磨いた。

 母の扱いが少しでも良くなるならと、自分を虐め続けた。

 

 だが、母を救ったのは俺じゃなかった。

 蘭太だ。

 皮肉なことに、自分が産んだ子に人生をめちゃくちゃにされ、自分が産んだ子に救われたのだ。

 

 蘭太に強力な術式があると分かった瞬間、母の扱いは変わった。

 手のひら返しなんてものじゃない。

 昨日まで"アレ"呼ばわりされていたのが、次の日には"奥方様"になっていた。

 

 以来、母は蘭太だけを“我が子”として扱うようになった。

 そして俺は、存在ごと無視されるようになった。

 

 俺は本当に、前世があってよかったと思う。

 もし俺がこの世界だけで作られた人格だったら、たぶん壊れてた。

 母に愛されたい、認められたい、その執着が骨に絡みついて、ひどく歪んでいっただろう。

 

 でも今の俺は、もう割り切っている。

 母の気持ちも分かる。

 自らを家畜へ貶めた息子なんて愛せない。俺を抱きしめる心の余裕なんてない。

 

 だから俺は何も言わず、母に向かって頭を下げた。

 たとえ子と思われていなくても、俺にとっては母なのだ。

 

 頭を下げたまま、内心で小さく呟く。

 

 (……いってらっしゃい、くらいは言ってほしかったけどな)

 

 

 

 

 

 

   §

 

 

 

 

 

 

 車は、いかにもな高級車だった。

 黒いボディに、窓は深いスモーク。

 ドアの閉まる音が鈍く重い。密閉されると外の匂いが消えて、革と香の混ざった車内の匂いに支配される。

 

 運転手が前を向いたまま、短く会釈する。

 父は助手席に座り、俺と蘭太は後部座席に座る。

 

 車が走り出すと、屋敷の庭が窓の外に流れていった。

 砂利、松、石灯籠。

 その景色が遠ざかるほど、俺の胸の奥の警戒心が濃くなる。

 

 隣の蘭太を見る。

 いつも落ち着いているのに、今日は珍しく手が震えていた。膝の上で握りしめた指先が、小刻みに揺れている。

 

 ……緊張してるのか。

 当たり前だ。8歳の子どもが宗家の重要な行事に行くのだ。

 しかも「才能あり」の側として、期待と視線を浴びる。

 

 俺は何も言わずに、蘭太の手を軽く握った。

 指が細い。骨がまだ柔らかい感じがする。

 その温度が、俺より少しだけ高かった。

 

 「大丈夫だ」

 

 声を落とす。父に聞こえない程度の小ささ。

 蘭太が驚いたように俺を見る。すぐに、同じくらい小さな声で返してきた。

 

 「……ありがとうございます、兄さん」

 

 蘭太は握り返してくる。

 震えが、少しだけ収まった。

 

 父は前を向いたまま、何も言わない。

 聞こえていないのか、聞こえていて無視しているのか。

 どっちでもいい。俺は蘭太のほうが大事だ。

 

 車は山道へ入った。

 カーブを曲がるたび、窓の外の景色が切り替わる。杉林、斜面、遠くの集落。

 青色の空に薄い雲がかかっていて、日差しは柔らかい。

 

 一時間ほど経ったころ、空気が変わった。

 遠くに、大きな日本家屋が見えた。

 

 山間にある屋敷。

 その規模が、まずおかしい。

 屋敷というより、集落だ。

 塀の切れ目が分からない。どこまでが敷地で、どこからが山なのか曖昧になる。

 木々の間に屋根が連なり、道が入り組み、門がいくつも見える。

 

 そして、その周囲に高級車が無数に集まっていた。

 黒、白、紺。

 ガラスが鈍く光り、タイヤが砂利を踏む音が連鎖する。

 俺たちの車も、その流れに紛れ込んでいく。

 

 屋敷の入口へ続く渋滞。

 まるで祭りの会場に向かうみたいだが、空気は祭りとは逆で冷たい。

 笑い声は少ない。代わりに、低い声の会話と、抑えた気配が濃い。

 

 俺は窓の外を見ながら、内心で思う。

 

 (……さすが禪院家、規模が狂ってるな)

 

 

 

 

 

 

   §

 

 

 

 

 

 

 車から降りると、空気が一段冷えた。

 山の匂いが鼻を刺す。杉の樹脂っぽい匂いと、土の湿り気。

 足元の砂利が、着物の裾の下で鳴った。

 

 玄関へ続く道は、すでに異様だった。

 

 人、人、人。

 全員が和装。着物、羽織、着流し。

 家ごとに纏まって進んでいく様子は、大名行列を思わせる。

 

 中には駕籠を担ぐ者もいる。

 棒付きの箱を担いで運ぶ者もいる。

 箱の角に家紋が入っていて、まるで貢物を見せびらかすみたいに歩いている。

 

 (……見せつけ合いか)

 

 内心で冷めた声が出る。

 力の誇示。序列の確認。誰が上で誰が下かを、言葉じゃなく物量で殴りあっている。

 

 俺たちは三人だけ。

 貢物もない。

 父は堂々としているが、周囲の視線は露骨だった。

 

 馬鹿にしたような目。

 好奇の目。

 値踏みする目。

 

 被害妄想じゃない。

 視線の質が、明らかに違う。

 

 蘭太はそれでも姿勢を崩さない。

 俺の隣で、呼吸を整えている。さっき握った手はもう震えていなかった。

 ……やっぱ強いな、こいつ。

 

 行列の流れに沿って進み、ついに玄関へ辿り着く。

 玄関前には、荷物を受け取る役割らしい女たちが並んでいた。

 手際よく箱を運び、駕籠を誘導し、客の動線を整えている。

 

 俺たちは大した荷物がないから、素通りするだけだ。

 その瞬間ですら、視線が背中に刺さる。

 でも蘭太は足を止めて、女たちにきちんと頭を下げた。

 

 「本日はよろしくお願いいたします」

 

 女の一人が驚いたように目を見開き、すぐに深く頭を下げ返した。

 こういうところだ。こいつの“育ちの良さ”っていうか、人の心をほどく感じ。

 

 敷居を跨ぐ。

 

 その瞬間、世界が切り替わった。

 

 玄関だけで、我が家の居間より広い。

 広いだけじゃない。

 床板の艶、柱の太さ、天井の高さ。

 どこを見ても「金」と「時間」が積み重なっている。

 飾りじゃなく、建物そのものが権威を誇っている。

 

 通路に入ると、ところどころに壺が置かれていた。

 壺の釉薬が、光を吸って深い色を作っている。

 どう見ても高い。

 

 (……壊したら、俺、ここで殺されるかもしれん)

 

 内心で笑えない冗談が浮かぶ。

 それくらい空気が重い。

 

 父の背中について行く。

 父は迷いなく歩く。何度か来ているのか、ここに慣れているようだ。

 俺と蘭太は、ガチガチだ。

 車の中での落ち着きはどこへ行った。宗家の空気が、それだけ強い。

 

 廊下を曲がるたび、別の家の人間が合流し、また別の通路へ消えていく。

 挨拶の声が短く交わされる。

 笑顔はあるが、目が笑っていない。

 礼の角度で序列を測るような厭らしさがある。

 

 俺は呼吸を浅くしないように気をつけた。

 胸を張る。視線を泳がせない。歩幅を乱さない。

 粗相をしない、ただそれだけを意識する。

 

 なのに、心の奥がざわつく。

 ここに来ると、俺は思い出してしまう。

 

 禪院家が、原作でどうなるか。

 真希が、何をするか。

 そして、蘭太がどんな最期を迎えるか。

 

 俺は父の背中を見ながら、内心でひとつ息を吐いた。

 落ち着け。まだだ。

 まずは、この“場”を乗り切れ。

 そして情報を拾え。今がどの時期で、誰が当主で、何が動いてるのか。

 

 宗家の廊下は、やけに長い。

 俺たちの足音が磨かれた床に吸い込まれていく。

 その静けさが、逆に怖かった。

 

 

 

 






じっくり書きすぎてテンポ悪いー!ホントは今回で当主まで行きたかった。
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