関西弁難しー。
父ちゃんの声は、広間の天井まで届くみたいに響いていた。
笑い声も拍手も、父ちゃんが手を上げるだけで揃う。
この屋敷の空気そのものが、父ちゃんの機嫌で伸び縮みしてる。
俺は上座の端に座らされて、無駄に柔らかい座布団の感触を確かめていた。
畳の匂い。香の匂い。料理の湯気。
豪勢なのは分かる。けど、そんなもん何回も嗅いだら飽きる。
(退屈や…)
新当主である父ちゃんのお披露目会。
つまり、主役は父ちゃん。
俺は“その息子”としてそこに置かれているだけやのに、分家の連中はわざわざ俺にも挨拶しに来る。
「直哉様、なんと凛々しい──!」
「次の当主は間違いなく直哉様です──!」
「直哉様の才能は、まさに天稟でございます──!」
最初は、悪くない気分やった。
褒められるのは当然や。
俺が凄いのは事実やし、そう言われるのも当然の権利みたいなもんや。
せやけど、何十人も何百人も同じ顔で同じ言葉を並べてくると、口の中が渋くなる。
天才、天稟、次期当主。
分かっとるわそんなもん。聞き飽きたわ。
愛想笑いも次第に重くなる。
頷くことすら面倒くさくなる。
相槌の「そうやな」「ありがとさん」が、ただの作業になる。
それでも、父ちゃんの前では崩せへん。
父ちゃんは“当主”になったばかりで、目が一段鋭くなっとる。
今の父ちゃんの機嫌を損ねるのは、得策やない。
俺は、上座の空気に合わせて笑って、拍手して、飲み物を口に運ぶフリをした。
でも腹の底ではずっと思ってる。
(早よ終われや、おもんないねん)
そんな時、分家の男たちが父ちゃんの横に膝をついて、声を潜めるのが見えた。
耳を澄ます。
父ちゃんの笑い声にかき消されかけた会話が、途切れ途切れに入ってくる。
「……男のくせに、一切の呪力を持たない猿……」
「……禪院家の落ちこぼれ…離れに……」
俺の口元が、勝手に上がった。
おるんや。そんなもんが。
禪院の血を引いてるのに、男なのに、呪力が一ミリもない。
そら落ちこぼれや。
人間やない、猿や。
どんなショボくれた人なんやろ。
どんな惨めな顔しとんのやろ。
そういうのを見るのは、退屈によく効く。
父ちゃんの視線が別の方向に向いた瞬間を狙って、俺は上座から滑るように立った。
誰にも気づかれへんように。
気づかれても「便所」って顔をして通り過ぎられるように。
広間を横切る。
男だらけのざわめきが、背中にべっとり張り付く。
料理の匂いが濃い。
宗家の屋敷は、歩くだけで人を小さく見せる。
俺は離れへ向かうつもりやった。
呪力ゼロの猿がいる、っていう噂の方へ。
せやのに。
視界の端に、変なもんが映った。
同い年くらいの男。
着物も普通。顔も普通。
ぱっと見、何の変哲もない分家のガキ。
なのに、呪力が──綺麗すぎる。
“強い”とか“多い”とか、そんな雑な話やない。
流れが整いすぎてる。
余計な澱みが一切ない。
水面が凪いでるみたいに、静かで、薄くて、それでいて芯がある。
俺の足が勝手に止まった。
胸の奥が、高鳴った。
気になる。
放っといたら損する気がした。
俺は思わず声をかけてしまう。
「なぁ、何の話しとるん?」
一応、近くにもう一人おった。
だがそいつは見どころのないカス。呪力が雑で、姿勢も中途半端で、目も泳いどる。
こういうのは視界に入れへんでええ。
俺の視線は、綺麗な呪力の方だけに向いた。
「名前、なんて言うん」
「禪院源之助です」
そいつは名を言った。源之助というらしい。
無表情で、言葉数が少ない。
けど、何故か嫌やない。
こっちが喋っても、へらへらせえへん。媚びもせえへん。
それが逆に、心地よかった。
源之助とは波長が合う気がする。
俺は内心、少しだけ機嫌が良くなった。
同年代で、対等に話せそうなやつ。
禪院家の中でも、そうそうおらん。
「君、えらい呪力の流れが綺麗やね。思わず声かけてもうたわ」
そいつは「恐縮です」って返した。
淡々としてる。
こっちの褒め言葉に浮かれへん。
(ええやん。話してて楽やわ)
その時、隣におったカスが話しかけてきた。
「でしょ!? 俺も思ってました! 源之助の呪力、全然ムダがなくて──「黙れや」」
俺はそのカスを睨みつけて黙らせる。
コイツ、ただカスなだけやなくて空気も読めへんカスなんか。今俺と源之助が話してるやろうが。
「カスが話しかけてくんなや。いま僕は源之助君と話してんねん」
「え、あ…」
そしたらそのカスは真っ青な顔になって黙りこくった。
身の程を弁えないカスは死んだらええ。カスはカスらしく静かに生きてろや。
俺は源之助の方へ向き直り、カスに構ってしまったことを詫びる。
「ごめんなぁ。ちょっとカスの声がうるさくてな」
そして俺はカスの座っていた座布団を奪って、そこに座った。
カスのお古の座布団なんて本当は使いたないが、今は源之助と話す方が大切や。
俺がいくつか質問したら、源之助は淡々と答えた。
鍛錬の仕方。呪力の練り方。木刀の振り方。
子供のくせに、口から出る言葉が妙に硬い。
でも、その硬さが嘘っぽくない。
──やっぱり、他のやつと違う。こいつはおもろい
そう思った瞬間、俺の中で“期待”が膨らんだ。
「源之助君は僕の父ちゃんと会わなくてええの?」
父ちゃんに会わんのか、と聞いたのは、ただの確認やった。
有望なやつなら、父ちゃんに紹介してやってもええ。
父ちゃんの機嫌も取れる。俺の手柄にもなる。
だが源之助は、何でもないかのように言った。
「自分は術式を持っていないので」
その瞬間、脳内が冷えた。
(……は?)
術式がない。
つまり、呪術師の“条件”を満たしてへん。
いくら呪力の流れが綺麗でも、結局はカス。
ただの飾り。
期待した俺が馬鹿みたいや。
胸の奥が、すっと冷たくなっていく。
さっきまでの興味が、嘘みたいに萎む。
対等?何言うてんねん。
全部幻想やった。期待してたのに、裏切られた。
俺は舌打ちして、吐き捨てた。
「なんやねん、お前もカスやったんかい」
「……申し訳ありません」
源之助は謝ってきた。
それが、余計に気に入らんかった。
なんやそれ。
謝るくらいなら、最初から期待させんなや。
俺は立ち上がって、わざと聞こえるように言った。
「カス相手に長々と喋って損したわ。口ゆすいでこよ」
吐き捨てて、歩き出した。
本来の目的に戻る。
呪力のない猿を見て、溜飲を下げる。
そうでもせんと、この苛立ちは収まらん。
俺は屋敷の中を、ドスドス音を立てて歩いた。
本来なら、こういう歩き方は品がないって父ちゃんに見られたら叱られる。
せやけど、今はそんなもんどうでもええ。
禪院源之助。
その名が頭の中で何度も繰り返される。
自分を騙し、期待を裏切った存在。
思い出すたび、苛立ちが増す。
(……あいつ、なんであんな呪力しとんねん。術式ないなら、最初からそう言え、俺の時間返せや……!)
足を進めるほど、怒りが燃える。
燃えるのに、どこか冷たい。
自分の中で何かが軋んでる感じがした。
だが離れに近づいた瞬間、空気が変わる。
とてつもない圧。
圧倒的な暴力の匂い。
父ちゃんを遥かに上回る、濃い死の気配。
俺の足が止まった。
息が詰まる。
背筋が勝手に硬くなる。
目の前に、黒い着物の男が現れた。
男からは、一切の呪力を感じひん。
全くのゼロ。空っぽ。
(こいつが、猿…?)
噂の“男のくせに呪力ゼロ”の落ちこぼれか?
せやけど、違和感がでかすぎる。
呪力がないのに、圧がある。
それも、尋常やない。
目の前の男は、空気を裂くみたいにそこに立っている。
どこが猿やねん。
まるで──鬼やないか。
恐怖が喉を締める。
でも同時に、胸の奥のもっと奥が高鳴っていた。
憧れ。
理解できひん強さへの、無意識の憧れ。
それが、恥ずかしいくらい沸々と湧いてくる。
男が立ち止まった。
そしてこちらを向いた。
「なんだ、お前」
声は淡々としてる。
怒ってもない。笑ってもない。
ただ、それだけで死を連想させられた。
圧が俺に向く。
視線の鋭さで膝が震えそうになる。
せやけど、俺は立ち向かった。
ここで怯えたら終わりや。
俺は父ちゃんの息子や。次の当主や。天才なんや。
俺は口を開いた。
「ぼ、僕は禪院直毘人の息子の禪院──「違ぇよ」」
言い切る前に、遮られた。
「お前じゃねぇ」
(……は?)
何が違う。
俺はここにおる。俺が話しかけられてる。そうやろ。
なのに、男の声は俺を切り捨てた。
男が続ける。
「お前に聞いてるんだ」
男の視線を辿って、俺は振り向いた。
そこにいたのは──源之助。
さっきまで、広間で喋ってたカス。
術式を持ってへん、分家の落ちこぼれ。
源之助は無表情で立ち尽くしている。
呪力のない男と、まっすぐ見つめ合っている。
次の瞬間、源之助が膝をついた。
頭を下げる。
そして名乗った。
「禪院源一郎の息子、禪院源之助です」
禪院源一郎。
聞いたこともない。
どーせクソみたいな木っ端分家やろ。
内心で悪態をついた。ついたのに、口が動かへん。
男──鬼のはずの男が、少し笑ったように見えた。
「呪力のねぇ猿に対して頭を下げるか……おかしなガキだ」
その声が、どこか嬉しそうに聞こえた。
そして、ほんの少しだけ。
ほんの少しだけ、源之助に向けて“何か”を渡したみたいに聞こえた。
男はそのまま歩き去っていった。
足音が遠ざかる。
圧が消える。
でも、俺の中に残ったものは消えへん。
その場に残ったのは、未だ頭を下げ続けるカスと、思わず放心する俺だけやった。
長くなってしまったので中途半端な所で切っちゃいました。
直哉が次にデレるのはいつになるだろうか…。そもそもそんな時はくるのか…。