今回ちょい短いです。
頭の奥が、ずっとじんじんしていた。
鼓動が耳の内側で鳴って、視界の端がわずかに揺れる。
俺は立ち尽くしていた。
さっきまであったはずの圧が消え、既に廊下の空気は元に戻っている。
なのに、戻ってこおへんものがあった。
──俺への視線。
──俺の存在感。
──俺の価値。
呪力のない黒い着物の男──あの“鬼”が去ったあとも、俺の中では何かが崩れ続けていた。
目の前には、まだ源之助がおる。
膝をついて、こちらを見ている。
その姿が、無性に腹立たしかった。憎しみすら湧く。
なんやその態度。
なんでお前が、そんな顔しとんねん。
なんでお前が、あの人と
俺は一歩、前に出た。
気づいたら足が動いていた。
禪院源之助。
数分前まで
術式も持たへん、分家のカス。
──そして、俺越しにあの人に話しかけられた存在。
腹の奥で、黒いもんがぐつぐつ煮えた。
「何しにきたんやカスゥ……!」
自分でも驚くくらい、低い声が出た。
震えてるのが分かる。
怒りが強すぎて、抑えが効かへん。
源之助は、すぐに平伏した。
片膝だった姿勢から両膝をつき、床に額をこすりつける。
反応が早い。
まるで、こうなるって分かっとったみたいに。
源之助は床に額をつけたまま、両手を差し出してきた。
その手に乗っていたのは──扇子。
俺が気に入っとった扇子や。
「こちらは、直哉様のものではないでしょうか」
(……あ"?)
その瞬間、頭の奥で何かが切れた。
呼び方だけは正しい。
でも、そこに込められたもんが気に入らん。
尊敬ではない。
恐怖でもない。
どこか、冷静すぎる。
まるで、俺が怒るのを織り込み済みみたいな態度。
俺はわざと足音を立てて源之助に近づいていく。
そして俺は、足を振り上げた。
──ドンッ!
源之助の頭を踏みつける。
感触が足裏に伝わる。
骨の硬さ。呪力の柔らかさ。
その全部が、不快やった。
「カスごときが俺に何か差し出すなんて──」
体重をかける。
わざと、ゆっくり。
痛みを噛み締めさせるために。
「──千年早いねんダボがッ……!!」
足の下で、源之助の体が微かに揺れる。
呻き声は出えへん。ひたすらに無言。
それが、余計に腹立つ。
泣けや。
叫べや。
抵抗しろや。
なんで、そんな
俺は未だ差し出されていた扇子を奪い取った。
誕生日に父ちゃんがくれた、俺のお気に入りの扇子。
それを、迷いなく──
へし折った。
音が気持ちよかった。
木が割れる、乾いた音。
装飾が砕ける音。
──自分の中の殻が割れる音。
そしてその残骸を、源之助の頭に叩きつけた。
これでええ。
これで、上下関係がはっきりした。
お前は下。
俺が上や。
対等なんかやあらへん。
俺は最後にもう一度、強く踏みつけてから足を離した。
源之助は動かへん。
床に額をつけたまま、ぴくりともせん。
それを一瞥して、俺は踵を返した。
「……カスが」
小さく吐き捨てる。聞こえたかは分からない。
そして、ドスドスと音を立てて歩き去った。
§
廊下は、やたら長く感じた。
柱の一本一本が、俺を見下ろしてる気がする。
歩きながら、歯を食いしばる。
奥歯がキリキリときしむ。
源之助。
禪院源之助。
その名前が、顔が、声が頭の中で何度も反芻される。
(──殺したろか)
父ちゃんに言うたら、一瞬で消えるやろ。
分家のガキ一人、どうとでもなる。
理由なんて後付けでええ。なんなら家ごと潰したろうか。
──けど。
それやと、足りひん。
あの屈辱は、そんなんで消えへん。
思い出すのは、あの男。
呪力のない猿。
禪院家の落ちこぼれと呼ばれていた。
せやのに、圧倒的な覇気を纏っとった男。
俺を見もせんと、
あの視線。
あの圧。
あの「お前じゃねぇよ」という言葉。
(……認めさせたい)
無意識に、そう思っとった。
あの男に。
あの鬼に。
父ちゃんよりも、誰よりも、何処か"本物"やと直感した存在に。
源之助なんかより、俺の方が上や。
圧倒的に。
才能も、血も、実力も。
それを、
俺の方がすごいって教えたい。
そこで、ひらめいた。
──あの人の前で、源之助を殺す。
それもただ殺すんやない。
正面から、叩き潰す。
力の差を徹底的に分からせてから、嬲り殺す。
そうしたらどうなる?
源之助の、あの鉄面皮が剥がれる。
あの冷たい無表情が、恐怖で歪む。
プライドが折れる。心が折れる。アイツの泣き顔が見れる。
その瞬間を、あの人に見せる。
そして──
どうや。
どっちが“本物”や。
術式もないカスと、俺と。
どっちが"上"や。
──そう聞いてやる。
一石二鳥や。
「うひっ、うひひひっ…!」
想像した瞬間、口元が勝手に歪んだ。
喉の奥から、ぬちゃりとした笑いが込み上げる。
源之助が崩れる瞬間。
あの人が、初めて俺を見る瞬間。
それを思うだけで、胸が熱くなる。
今度こそ、俺の名前を聞いてもらう。
(──待っとれや)
俺は廊下の影で立ち止まり、誰にともなく呟いた。
「ぶち殺したるわ、源之助ェ…!」
声は低く、静かやった。
誰の耳にも届いてへんやろう。
けど、その言葉は、はっきりと俺自身に刻まれた。
この屈辱は、忘れへん。
絶対に返したる。
禪院直哉は、そういう男や。
前後編に分けなくてよかったかも。