当然であるが、創作は創作であって、そして現実はどこまでいっても現実である。
故に、どれだけ私にとって不都合なことがあっても、世界は構わず歩みを進めるわけだ。世界が世界である限りはずっと。
私のような矮小な存在には目を向けずに、ずっと続く。
つくづく、私にとって現実はどうしようもなく不都合だと恨み言の1つや2つ漏れ出てしまうのは許してほしい。
……だから、創作のように入学初日に親睦を深めるためのカラオケ会なんてものは開催されないし、偶然にも下校中に気になる相手とばったり出会って仲良くしようと雑談しながら一緒に帰るなんてことも起きることはないのだ。
まぁ、もし、仮にそんなイベントがあったとしても私は参加していないだろうが。単純にそんな集まりに参加しようとする意思もなければ、第一彼女もたぶん参加しないだろう。
下校中に話しかけるなんてのも、そんなことが出来る勇気があるのであれば、うだうだとああでもないこうでもないと悩むことなんてない。
そう簡単に、人は物語の主人公などには成れないのだ。
あぁ、現実。されど現実。嘆かわしきは、まさに今。
……要は、つまり。
予定どおりに目的を達した学校側は私たちをこれ以上時間と規律によって束縛する理由がなくて、私たちはそこから解放させられるわけで。
楔がなくなった私や彼女は、自由になるわけで。
自由を得た私たちがすることは、1つなわけで。
私は――迷いなく教室から去っていった彼女の背を眺めた後に、こうして帰路に着いているわけだ。
■
知らなければならないと、息巻いたのはいいのだが。
単純に私は、人と接する方法を知らなかったのだ。
……知らなければならなかったのは自分自身だったというオチ。
「で?あたしに相談しようって?」
「……はい」
芽瑠と共に朝も通った道を辿り家路に着いた後。
……途中、地面に少し踏み荒らされ汚れた桜の花びらが見えて、改めて踏みにじられたこの現実を理解させられた気分になったりしたが、私はその足で今芽瑠の部屋に押し掛けていた。
私はカーペットの上に正座で、芽瑠は小さい机を挟んでベッドの上に足を組んで座っていた。
まるで上手と下手のような配置。私自身、他者の家では外様でもあって、更に情けない立場であるが故に余計に縮こまる。
「んー……私的に言いたいことはさぁ」
芽瑠の声がよく響く。
とんとんとん、と。小気味よく、あざとく唇を叩く人差し指が止まって。
「友だちってぇ……別にいらなくなぁい?」
「――なっ」
ニマニマと、いっそのこと甘さすら感じるぐらいに、随分とねちっこく言葉が投げかけられた。
何処かで聞いたセリフだった。具体的には、今日の朝辺りで。
……田井中麻音という少女が吐いたノイズだった。
「……と」
「と?」
「……友だちじゃなくて、観察対象、だから!」
「………………」
私の声が跳ね返って部屋に木霊して、自分が出したとは思えないぐらい大きな声が耳に届いて。
そうして少し、部屋の温度が上がった気がした。
そんな――あくまでも、環境の変化についていけない体がぶるぶると震える中で。
恐る恐る、芽瑠の顔を見やると……眉間に皺を寄せて、口をモゴモゴとさせて、なんとも言えない顔で私を見ていた。
……それは一体どういう表情なんだろうか。少なくとも生まれてから付き合いは長いが、私は芽瑠のそんな表情は見たことない。
でも、そんな顔もなんだかんだ様になっているなと、現実逃避気味に考えた。
「なんかさぁ……妬けるじゃん」
「?……なんか言った?」
「……まぁ相談にのってやらんこともないって言ったのー」
まるで拗ねた子供のような声で。
芽瑠がなにか言った気がしたが、機嫌を損ねないためにも取り敢えずありがたくぶんぶんと頷いておいた。
とにかく、芽瑠は相談にのってくれるらしいから私は黙って聞くだけだ。傾聴の姿勢に入ってみせる。
それを確認した芽瑠もやれやれしょうがないといった感じで組んでいた足を伸ばして、揶揄うの姿勢をやめる。
「麻音的に何か考えはあるの?」
「一応、あるけど……」
芽瑠の胸を借りるといっても、全ておんぶに抱っこで任せるわけにはいかない。私のあってないような、なけなしのプライドを死守するためにも。
私だって、分からないなりの考えはあった。
今直面している問題は私がなにも知らないということ。
分からないから、動きようがない。
つまり私が取れる手段は――
「……話しかけられるまで、待つ」
どっしりと寛容に、大きく腕を広げて受け入れる姿勢で。
待ちの姿勢、これ一択である。
ちなみにこの待ちの手段は、私から話しかけられるきっかけが降ってくるのを待つことと、彼女が話しかけてくれることを待つことという、ダブルで意味を持つとてもかしこい選択である。
だって、そうだろう?知らない人に着いていってはいけないし、知らない物に無闇に触るのはよくないことだ。
真に無能なのは何もしない無能ではなく働き者の無能だと偉い人も言っていた。素人は黙って言うことを聞いておけばよいのだ。
思考と行動の両点においてもこれが私の限界点。これ以上の策があるとは到底思えない。
「いや気になるなら自分が話しかければいいじゃん」
「……はぁ」
溜め息こそ漏れてはないが、芽瑠から呆れた声を向けられたから対抗するように私も呆れと溜め息をついてみる。
分かってない奴だ言外に言ってやるのだ。その幼馴染みの称号は飾りなのか?今まで過ごしてきた時間は偽物だったのか?だとしたら私はとても悲しいぞ、と。
芽瑠に自信をもって宣言してやる。
「初めから出来てるなら、苦労してないから」
「そんなドヤ顔で言うことじゃないよね」
ますます呆れられたが、そう言われても私にはどうしようもない。
だって私がなにも出来ないのは事実だから。
つまり芽瑠は観念してアイデアを捻出する他にこの会話を終わらせる術はないのだ。
「……そもそもさぁ、麻音がきっかけ1つで人と話せると思えないんだけど」
「うっ……」
図々しく催促の言葉を投げようとしたら、少しだけ、痛いところを突かれて、じわじわと嬲るような痛みに曝される。
確かに私は芽瑠ほどの社交性を備えているわけではないが、それにしてもきっかけさえ出来てしまえば、その勢いにのせて当たり障りのない雑談程度ならこなすことができる、はず。きっと。……そうであると、信じたい。
……そうだよね?
「んーどうすべきか……」
うんうんと唸り思考を働かせる芽瑠と、改めて自分の現実に打ちひしがれている私。
この人生を歩み続けておよそ16年、二人の立場はずっと変わっていなかった。
「……てかさ」
パンッと小気味のよい音が鳴って体が跳ねた。
何が起こったと芽瑠を見やれば目の前で両手を合わせた形。
何度も聞いた音。芽瑠がよくやる、仕切り直す時の癖。
つまりその瞬間は、芽瑠が主導権を握っているということに他ならない。
にっこりと、笑みを深めてこちらを見やる。
見たことある笑みだ。
「友だち、作りたいんでしょ?」
「い、いやその……」
「はいと言いなさい」
「はい……」
返事の強制。完全な暴君である。
だがそれでも、悲しいかな。間違っているのは私であることはよく分かっているので、この正当な言葉の暴力を甘んじて受け入れる他ないのだ。
私の返事に気をよくしたのか、芽瑠はよく分かってるという風に頷いて見せて楽しそうに言葉を紡ぐ。
「じゃあ簡単じゃん。よく考えてみ?あるでしょ、あんたが出来る唯一の人との接し方」
「え……?」
自信満々といった声色。……いや芽瑠に関してはいつもそうだが、それよりも自信2割増しぐらいの感じで。
何でこんなこと思い付かなかったんだろう、なんてあたかも今まで忘れていたかのような、そんな軽い態度で言葉が放り投げられたが私としては一切理解不能である。
あるのか、そんな都合のいい方法が私の頭の何処かに?
真っ当に会話できる人間はたぶんギリギリ両手に収まるぐらいだと自負している私に?
全くもって、見当がつかない。
「……え?本当にわかんない?マジで?じゃあヒントね。"灯台もと暗し"……はいどうだ!」
「と、灯台もと暗し……?」
いや私も流石に意味ぐらいは分かるけど。
ヒントとしてその言葉がここで出てくる意味が全く分からない。
立ち止まって振り返ってみても、たぶんそこには自分の足跡しかないと思うから。
「わかんない?ほら、見て!ここ!ここ!」
「……顔には何もついてないけど」
声量の増した芽瑠の声が思考に落ちようとする私を引き上げる。
芽瑠は自分の顔を指差してぴょんぴょんとベッドの上で跳ねていた。
目とか、鼻とか、口とかついてると屁理屈を言おうと思ったが、たぶん今そんなことを言えば冗談抜きでそのまま跳ねた勢いで蹴られる予感がしたので素直に降伏する。
「いや顔じゃなくて、あたしだよ。あたしという存在そのもの!」
「……?ごめん分かんない……」
「だーかーら!あたしに接するみたいにすればいいじゃんって話だよ!今みたいにさぁ!」
ばっ、と勢いよく座っていたベッドから芽瑠が立ち上がる。
顔を指す指が両手に増えて、ここだとより主張を増していた。
……芽瑠に、接するように?
言われて今の状況を考えてみる。
私たちは対面していて、会話をしている。
軽薄とか、フランクとか、舐めてるとか、馴れ馴れしいとか。……楽しいとか。
……色々なことが頭によぎって、改めてこう思った。
それってつまり
「……礼を、失する?」
「……あたしに失礼な態度とってるの?」
どう考えても失言だった。
「いや、あ、こ、言葉の綾で、その、今のこの状況は慣れてるからであって。それで……最初に、それは近すぎなんじゃ、ないかって……思ってる、次第な、わけで……」
慌てて言葉を畳み掛ける。決して誤魔化しのためではなくね。
……そもそもの話として、だ。
私と芽瑠の間には幼馴染みという関係性があって。その関係って結構特殊なものだと私は思うわけで。
私にとって、この状況はギャンブル的な奇跡と幸運が重なった結果の、薄いところを通しきった極めて例外的なものなのである。
英雄を象った立派な石膏もいつしか朽ちるし、国歌に出てくるさざれ石だっていつしか苔むしてしまうように。
葛藤も後悔も、等しく時間の波にさらわれた果てに今があるのだ。
……要は。
こんな態度は、芽瑠相手にしかとれないという話。
「んー……まぁ、確かにそうかも?じゃあ初対面でスキンシップは厳しいか?」
「え゛」
衝撃すぎて出したことのない声が出た。
私に一体何をさせるつもりだったんだ?
ハードルが高いとか低いとかそういう次元の話ではない。
初対面の人に話しかけるのにすら難儀しているという前提でスキンシップなんてとれるはずもない。
ましてや、芽瑠のようにと頭につくスキンシップであるのならば。いきなり抱き着くとかそういうのだ。
こういうことは確かに無知であるが、流石に私でも分かる。
……それはもう、スキンシップではなくただのセクハラだろう。
「慣れならしょうがない……え待って?じゃあ、こいつ……あたしのこと友だちだって思ってないの?嘘でしょ……?」
「……?」
あんなに元気よく振る舞っていた芽瑠が黙ってしまった。
私も似たようなことがよくあるので分かる。たぶん当てが外れてしまったのだろう。
つまり私たちは、また振り出しに戻ったわけだ。どうしようかと頭を抱えて――
コンコンと。
沈黙の間隙に、扉がノックされる音が響く。
「……ん?」
そういえば、私が芽瑠の家に来た時、確か家には誰もいなかった記憶がある。
いつもなら芽瑠のお母さんがまるで実の娘かのように出迎えてくれるのだが、今日は何かしらの所要で出掛けているらしい。
芽瑠の家族構成は両親とお姉さんで4人。お父さんはお仕事で、お母さんは所要で留守。
つまりこのタイミングでのノックが意味するのは――
「芽瑠?開けていい?」
「……ん?おねーちゃん帰ってきてたの?いいよー」
扉の向こうから芽瑠のお姉さんの声がした。どうやら私たちの作戦会議は芽瑠のお姉さんが帰ってきたことにも気づかないぐらい白熱していたらしい。
扉が開かれて、少しひんやりとした空気と共に芽瑠のお姉さんが入ってきた。
芽瑠のお姉さんは美人だ。
芽瑠同様に高身長でしゅっとしたシルエット。光そのものみたいな薄く金色をした長い髪をベージュのヘアバンドでかきあげて整った顔がよく見える。大変美人である。私が思い描くきらきらした大学生の擬人化みたいな存在だ。
芽瑠と見比べれば、背丈、顔立ちと血の繋がりというものをより一層理解させられる。
ちなみに芽瑠の両親も背が高い。顔面偏差値高めのスレンダー家族だ。
芽瑠とお姉さんは高身長サラブレッド。
この身長は間違いなく両親譲りなのだろう。
「あ、麻音ちゃんも来てたのね。ごめんねぇ芽瑠がお茶とか出さなくて……」
「あたしと麻音の関係だからいいんですぅー」
「こ、こんにちは。その、お茶とか、お構い無くて結構なので……」
芽瑠の家はもはや第二の実家といっても過言ではないくらいの回数出入りしているし、何回も会っている芽瑠のお姉さんであるとはいえ、私は未だにこうして目の前に晒されると緊張してしまう。
母性的なものというか、なんというか。私にとても優しくしてくれるいい人なのだが。だからこそというか。
我ながら実に情けない話だが、その対応が私に人間として勝ってる要素がないとわからせられるから、自然と萎縮してしまうのだ。
「おねーちゃん何してたの?」
「クリーニング帰り。芽瑠これ明日使うんでしょ?一緒にやっといたから」
「あぁジャージ……ありがと」
お姉さんの手から芽瑠に渡ったのは、学校指定のジャージだった。私の家ではビニールから出されてもいない新品ジャージである。
まだ使ってすらいないはずなのに何でクリーニングなのだろうと思ったが、ややあって思い出した。
そういえば少し前に芽瑠からこのジャージを着た写真が送られてきて似合ってるかどうか聞かれたのだ。
正直な話、私はファッションは一ミリも詳しくないし、それで芽瑠は美人だしで。
芽瑠がどんな服を着ても"似合う"とか"かわいい"とかいう小学生並み……どころかおそらく今時の小学生以下であろう言葉を覚えたての赤ちゃんみたいな語彙の感想しか出てこないのだ。
だから、返答に臆した私は取り敢えず変な顔をした犬のスタンプを送った。
そして既読無視された。解せない。
「じゃあ麻音ちゃんゆっくりしてってねー」
「は、はい」
ニコニコと私に手を振って、さっと扉を閉めてお姉さんが退場。
去り際に髪がふわっと舞って、なんか、凄く、いい匂いがした。
お姉さんの登場で肺に入る空気が入れ替わって、脳に行き渡る酸素と思考がリセットされたのでまた作戦会議に戻ろうとしたら――
「まって……これ使えるか?」
芽瑠が受け取ったジャージを見てぶつぶつと声を漏らしていた。
……その声色は私が聞いたことある声色で、少し、いやかなり嫌な予感がしたが、私は意を決して芽瑠に問いかけた。
「……なんか、思いついたの?」
「ふふ……思い付いた!」
天啓を得たりと。
ばっと芽瑠がベッドの上に立ち上がって仁王立ちになり、私のよりも大きいサイズのジャージをまるで打ち取った敵将の首かのように掲げてにやりと笑う。
それは笑うというより嗤うといった感じで。今まで私が何度も見たことある笑顔で――
「作戦思い付いたから!あたしにまかせな!」
――悪いこと思い付いた時の、最高に楽しそうな笑顔だった。