大半の人間は赤子に対して激情に駆られることはないだろう。
それは赤子が無知で、無邪気で――どこまでも純粋だと分かっているから。
「神宮寺さんって――なんで男子用のズボン履いてるの?」
そういう意味では、彼女の発言は聞いていた者に幼さすら抱かせるほどに純粋だった。
クラスメイトの話し声、笑い声、椅子を引く音、外へ向かう足音、もしくは窓の外からの雑踏による音。
授業終わりの混沌とした世界の中でも、それらを排して二人の声だけが鮮明に聞こえてくる。
(聞くんだ、それ……)
決して悪意があるわけではないのだと思う。それは彼女の表情を見ても明らかだ。
ただ単純に疑問に思ったことが口から出ただけ。答えが聞ければいいし、聞けなかったとしても特に残念にも思わないといったぐらい軽く。
確かに、彼女の疑問も理解できないわけではない。私だって同じことを思ったのだから。
初対面の人の大半が神宮寺さんに対して最初にその容貌に見惚れ、次に男子用のズボンを履いていることに驚愕するだろう。
神宮寺さんほど少女然とした少女はいないと言っても過言ではないだろうに、なぜだろうと誰しもが疑問に思う。
それでも神宮寺さんはそれが当然であるかのように存在して、そして周囲の人間はそのことに今まで触れてこなかった。
それが暗黙の了解的な配慮によるものか――あるいは、面倒を忌避するように縦のものを横にもしないだけなのか。
どちらにせよ均衡は保たれていたのだ――今この瞬間までは。
「……えっと」
「いやー前から気になってたんだよね。神宮寺さんって凄い美人さんだからさ、そんな人がわざわざ男子用のズボンを履いてるって余計に気になっちゃって」
戸惑い気味に言葉を詰まらせる神宮寺さんとは対照的に少女は快活に言葉を重ねる。
二人の話し声、というより話しかけている彼女の声が耳に届いたのか近くにいたクラスメイトの視線が無遠慮に二人に集まる。
私も、その内の一人だった。
その様子を見る限り、結局のところ結果的に彼女が先陣を切った形になっただけで、時間が彼らの好奇心を露出させるのはそう遠くない話だったのだろう。
好奇心は決して悪ではない。知りたいと思う気持ちを否定することはできない。
私たちが生きるために酸素を体に取り入れる必要があるように、好奇心こそが人が人であるための歴史を紡いできて今があるのだから。
だが当たり前のように享受しているその酸素は――遥か遠い昔に適応できただけで本質的に毒なのだ。
私たちは幸運にもその延長線上に存在しているが、好奇心や酸素が例え私たちにとって必要不可欠なものであっても――純度も過ぎれば毒となり体を蝕む。
「ズボンもいいけど……スカートとか似合いそうだなって思ったからさ」
「………………」
彼女の放る言葉も、周囲が向ける視線も、ただあまりにも純粋だった。
そしてその純粋さは――あまりにも鋭利だった。
刺した本人ですらその事実に気がつけない程に。
「………………」
対する神宮寺さんは――少しだけ、寂しそうに微笑んでいた。
(……あれ?)
少し、神宮寺さんが身動ぎして机の下で動きがあったのが見えた気がした。
位置関係的に私のいる方向からでしか見えていないのか反応している人は誰もいない。
じっと目を凝らすと、やはり幻覚などではないらしく彼女の手が小さく動いているのが見えた。
それは無意識によるものなのか、誰も気づけないほどに弱弱しく、縋るように彼女の小さな手が膝の辺りを握って――ズボンに少し皺が寄っているのが見えた。
「……あの!」
これは決して正義感みたいな感情ではないだろうし、もしくはそうであってほしいというネガティブな同情かもしれない。
だがそれでも、声を出したことも、席から立ち上がったことも、会話に割って入ったのだって。
全て無意識で、気づけば今この瞬間神宮寺さんの隣に私はあった。
「ん?田井中さん?どうかした?」
二人に集まっていた視線が私に向かってぐさりと刺さり、彼女の疑問が耳に入って来て。ようやく自分自身の現状について理解した。
(なんで……私立ってるんだ)
当然今までに私がそんな経験をしたことがないわけで。
経験したことのない緊張感からか、腹の底から言いようのない感情と今日の昼食が漏れ出そうになった気がした。
自分でも分からない感情に身を任せて、完全にノープラン。
視界が逃げ場を探すように揺れる。吸っても吐いても空気は抜けてるようで上手く呼吸が出来ている自信がない。
きっと無遠慮に刺さる周囲の視線が私を穿ち、体に穴までもを空けてしまったのだろう。
(………………)
……だが、そんな状況でも。
疑問とか、後悔とか頭に色々な感情がぐるぐると渦巻いて零れ落ちていって。
最後に残ったのは――直前までの神宮寺さんの寂しそうな笑顔だった。
言いたいことも、思ったこともたくさんあって、それが全部零れ落ちて――掬いきれなくて。
全て諦めて――その末に笑顔だけが残ってしまったのなら。
(……嫌、だな)
――単純に、そんな顔をしてほしくないと思ったから。
体から零れ落ちていった空気を取り戻すように、やけくそなまでに大袈裟に深呼吸をして――
「その!私たち!そろそろ!時間!なので!」
ゆっくりと一語一句強調するように。私は出来る限り大きな声で――他人に噓をついた。
数え切れないほどに自分を騙してきたが、人生で他人相手に噓をついたことは一度もない。
故に何も分からない私は、そんな自分を騙すためにも取り敢えず大きな声を出すことにした。
まるで威嚇するような態度だが――その実態は単に声が震えているのを悟られないようにするのに精一杯なだけ。
ただでさえ注目される中で人前に立って、ましてや即興で噓までついて。そうまでして堂々とできる度胸が私にあるはずがない。
だからこそ、付け入る隙のないように毅然とした態度で接する以外に道はなかった。
「時間?……あー!そういえば用事があるんだったっけ!ごめん私が声かけて時間とっちゃったわ!」
「すみません、こっちも会話に割り込むようなマネを……」
「いいよいいよ!私が長く話しちゃったからさ」
対面する彼女は私の登場に特に気を悪くした様子もなさそうで、むしろ時間を取って申し訳ないと謝罪までされてしまった。
その態度に、「初めての相手にしては思ったよりも恙なくコミュニケーションを取れたかも」だなんて場違いで若干浮ついたいた心はみるみるうちに萎んでいって、それに相反するように動悸は増していった。
(いや眩しい……!)
罪悪感に押しつぶされた勢いで目を逸らす。
神宮寺さんを見やれば、ぽかんと口と目を開いてまさに呆気に取られるといった感じだったが――それも少しの間。
その瞳の中でいつもより不安気な顔をした自分と目があったと思ったら彼女が口を動かすのが見えた。
「え?……えっと田井中さんは無関――」
「あ、あー!もう時間だから!行きましょう!」
彼女からしたら当然の疑問で、私にとっては不都合な事実だ。
だからと言って口を塞ぐなんてことが出来るはずもないので代わりに彼女の腕を離れることがないように、少しだけ強めに掴んで立ち上がらせた。
「え?」
その感触に驚いたのか、彼女が掴まれた腕を見て。
それを確認した私は――
「えっと、その……行きますっ!」
――そう高らかに宣言して彼女を連れて教室を飛び出した。
■
「………………」
「………………」
私が神宮寺さんを連れて学校を飛び出した後、私たちは知らない場所に立っていた。
いや神宮寺さんがどうかは分からないが、少なくとも私はこの場所を知らなかった。
当初の予定――なんてものはなく勢いだけで行動してしまったのだが。
あの後、学校の校門辺りで下校中の生徒が何人か見えた私はいつも自分が辿っている帰路とは別の道へと進んでいった。
単純に見られるのは避けたほうがいいという、まるで悪い事でもしてしまったかのような思考回路によるものだったが、冷静に思えば彼らが全員同級生のような私と関わる立場にあるわけではないのだし、そんな考えは杞憂に過ぎなかったかもしれない。
そして無我夢中で歩いて行って、視界が見慣れない景色で埋って――繋がれた先の温もりで今の現実を思い出した。
外に出てから私と彼女の間には沈黙が満ちていた。環境音を環境音であると認識してしまうぐらいに。
確かに、私も彼女も多く話すような人間ではないのだろうが、それにしても神宮寺さんはやけに静かだった。
今の現状を考えてみれば、彼女は訳も分からず無理やり連れだされているのだから文句の1つや2つ出てきてもおかしくないのだが、それでも二人の間には沈黙が満ちていた。
だから私は――そのことに、どこかほっとして。
この雨が降り出しそうかどうか分からない曇り空みたいな沈黙に甘えていた。
「……あの、田井中さん」
「っ!は、はい……」
だがいつしか沈黙は打ち破られるものであって。
声が響いて、引いていた温もりが重みを増して、彼女が立ち止まったのに気づいてつられるように私も立ち止まる。
恐る恐る、ゆっくりと振り向いた私の視界に――
「……助けていただいて、ありがとうございます」
――低い位置に彼女の頭頂部が映った。
「……え」
それは私がいつも後ろから眺めているある意味見慣れた光景でもあって、同時に対面する状況では見ることのできない場所。
つまり彼女は――深く、丁寧にお辞儀をしていた。
「私が困ってたから助けてくれたんですよね……?」
そう言って顔を上げた彼女と目が合った。
現状に対する疑問や罵詈雑言程度ならば軽く受け入れるつもりではあったが、まさか感謝が述べられるなんて露にも思わず。
助けてくれただなんて、彼女はそう言っているがそれは買い被りすぎだと思う。
私としては別に彼女が困っていると思ったわけではないし、助けてあげたいだなんて思ったわけでもない。
むしろ会話の邪魔をしてしまったと若干後悔し始めていたぐらいだ。
言うなれば、これは私の子供の癇癪じみた我儘みたいなもので。
それをこうも純粋な視線に晒されるのは――想像以上に、歯痒い。
「いや、その、ごめんなさいこっちもいきなり何も言わずに連れ出しちゃって……」
「確かに、少しだけ驚きましたけど、助かったのは事実なので」
「あー……よかったです、それなら本当に……あはは」
覚えのない称賛を簡単に受け入れられるほど、私は人間が上手くなかったが。
それでもこうして感謝を述べられると彼女に認められたような気がしてしまって。
我ながら単純な奴だと、自嘲の意味も込めて渇いた笑いが漏れた。
だからこんな自分は忘れてしまってほしいと、言い訳するように言葉を積み重ねた。
そんな煮え切らない態度をとる私に対して神宮寺さんは怪訝な表情をを浮かべていたが、ややあって、納得したような表情に変化した。
「だから、感謝の気持ちというか――」
そう言って、神宮寺さんの指がゆっくりとある一点を差した。
その動きに合わせて視線を動かすと公園の中にある自動販売機が目に入った。
「――飲み物ぐらいは、奢ります」
「え、いやーそこまでは……」
完全に想定外の言葉だった。私は決して何かしらの対価を求めて行動に移したわけではないと断言できる。
もしかして私のはっきりとしない態度が彼女には報酬待ちか何かだと解釈されてしまったのだろうか。
もしそうであるなら彼女に報酬目的の俗物的な人間であると思われるている可能性が嫌だった。
もちろんこれはネガティブな妄想でしかなく、可能性はどこまで行っても可能性でしかなくて、彼女がそんなことを思うような人間ではないと思ってはいるのだが。
あってないような私のプライドの為にもそう簡単に首を縦に振ることはできない問題なのだ。
「……私に、感謝させてくれませんか?」
「うっ」
その言い方は、少しずるい。まるで幼子を諭すような大人びた言い方だった。
私だって気づいてはいるのだ。彼女は純粋に恩に対して正当に報いようとしているだけで、そこに隔意も何もなく、私が素直になれていないだけの話。
何よりここで簡単に頷いてしまったら――この時間の価値が傷ついてしまうと思った。
でもこれを機に、彼女を少しだけでも知れるんじゃないかとも思ってしまっているのも事実で。
「……ありがたく、頂戴します」
――結局、私はどこまで行っても人間だった。
■
知らない住宅街を通って知らない公園に辿り着いた。
一応、この地域には幼い時から過ごしてはいるはずなのだが、大雑把に家があるぐらいの認識はあってもこんな場所に公園があるなんて私は知らなかった。
公園と言っても、広めの一軒家が建っていてもおかしく感じないぐらいの広さで雑草もあまり手入れがされていないのか伸びているものも多く見られる。
かと言って目立った遊具もなく、あるのは錆びた背の低い鉄棒と、今私が座っている所々ペンキが剝がれたベンチが隅にポツンと設置してあるだけ。少し離れたところには神宮寺さんと自動販売機も見えている。
実態としてはそこまで広くないはずなのに、不思議と実感としてはだだっ広く感じた。
「お待たせしました、どうぞ」
「あ、ありがとうございます」
両手に缶コーヒーを携えた神宮寺さんがこちらへと向かってくるのが見えたので慌てて立ち上がり受け取る。
私が頼んだのは缶コーヒーだ。正直な話をすると、本当はコーラとかの炭酸飲料を選ぶつもりだったが、神宮寺さんが先にコーヒーを選んでるのを見て、勝手な話だが少し気恥ずかしくなってしまったのでコーヒーに変えた。
私的にコーヒーは苦手よりな飲み物なのでせめてもの抵抗のようにミルクや砂糖がそれなりに入っている甘いコーヒーを選んだ。
それでも、一度も飲んだことのないやつなのだが。
「お隣いいですか?」
「も、もちろんどうぞ」
私の隣に神宮寺さんが座る。彼女の手には同じように缶コーヒー。
ただ私のとは違って、神宮寺さんの髪色のように深い黒の中で無糖の文字が輝くものだ。
「えっと……いただきます?」
「……どうぞ?」
畏まって、缶コーヒーの中身を口に含めば冷たくて想像以上に甘ったるいものが喉を通り過ぎていった。
一口だけで大分満足してしまった。これだけ甘く感じてしまうのは、自分自身が思っている以上に疲弊しているからかもしれないとぼんやりと思った。
「ん……」
隣を見やれば、神宮寺さんも缶コーヒーを開けて飲んでいた。
だが一口で口を離した私と違ってごくごくとそれなりの勢いで流し込んでいるらしく、その細い喉元がよく動いているのが見えた。
ブラックなのに勢いを殺さず、何も表情に出さず涼しい顔で。
その様子を見て、大人だなんて感想が思いついてしまうのは私が些か子供過ぎるのかもしれない。
「ん……」
その容姿に似合わず、大胆に缶を大きくほとんど垂直になるぐらい傾けて――勢い殺さずにそのまま一気に飲み切ってしまった。
「はぁ……」
そして彼女は――いっそ過剰とも言えるぐらいに長くため息をついた。
まるで内側にある全てを吐き出してしまうように、深く、深く息をついて――
「……本当は、分かってるんだ」
――絞り出すように、そう呟いた。
「だって、こんな見た目で……生まれて。違うって、らしくないって、そんなの似合うはずないって、分かってるのに」
「認められない訳じゃないんだ……私は……私だからさ」
「でも、譲れないものがあったのは本当で、必死だった。でも――」
「――それも、もう諦めようって」
「………………」
それは、独白だった。
隣にいる私なんて見えなくて、あるいは自分が立つこの世界すらも否定して。
誰に理解させるためでもなく、ただ乱暴に言葉と感情を散らかしただけ。
「……はぁ」
彼女は両手で顔を覆い、また深くため息が私の中に辿り着いて思考と胸中をかき乱す。
忘れてしまえと、風が吹く。
項垂れるように前かがみの姿勢になっている彼女は普段見る姿よりもずっと小さく、心もとない。
「……ごめんなさい、変なこと言って」
そう言って彼女は顔を上げて――寂しそうに笑った。
またその表情だ。何もかもを諦めて、笑顔だけが残る。
一説によれば、笑顔は人間の持つ防衛反応であるらしい。自分は問題ないと、内外に問わず示すのだ。
そうであるとしたら――彼女はどれだけ傷ついているのか。
「……本当に、ごめんなさい。私は、これで」
そう言って、申し訳なさそうに背を向けて彼女は歩き出す。
その背中は随分と小さく、ゆっくりと遠ざかっていく。
(あ……)
このまま彼女の背中を見送って、分かれて帰ってしまっても、今この瞬間を忘れてしまおうが忘れまいがまた明日はやってきて、そうして学校で神宮寺さんにだって会えるのだろう。
どういう感情を抱いたとしても、彼女と私の距離は変わらずに日々は続いていくのだろう。
けれども、今ここで何もせずに見逃してしまったら。
多分、私は――もう二度と神宮寺さんに会えない。
だから、私は――
「――あの!」
――彼女の腕を強く掴んで引き寄せた。
「田井中さん……?」
「私は!……似合うとか似合わないとか、そういうの、全然分かりませんけど」
疑問に思う彼女にはもう一本腕を追加して、彼女の手を力強く握りこむことで答えとした。
教室で割って入った時よりもずっと震えている気がする。冷静な自分が悲鳴をあげて、心臓だってこれ以上ないくらいに脈打っているのが分かる。
けれども、今だけはこの熱に浮かされて――
「神宮寺さんのこと……かっこいいって、思います」
――この燻りを、告白しようと思った。
「……え?」
真っ直ぐと彼女を正面から見据えれば、正しく呆気に取られたといった様子で。
場違いだが、小さいサプライズが成功した時のように、少し笑いがこぼれそうになってしまった。
――彼女の顔に、あの寂しそうな笑みは浮かんでいないから。
「……かっこいい?」
「はい」
「……今の、私が?」
「……はい」
冷静に問われれば、態度とか、容姿だとか、雰囲気とかと理屈をこねて理由を語ることはできるだろう。
だが例えそれで彼女が納得してくれようとも、私は言葉を着飾ったりしたくなかった。
そうして本当に伝えたいことが覆い隠されてしまうぐらいならば、いっそ粗削りで不親切なものでよかった。
その結果がどれだけ醜く、不格好だとしても――この熱に、噓をつきたくなかった。
「………………」
自信はなかった。理屈とかはなく、ただ心からそう感じただけだから。
だから私は自分自身と――私が選んだ彼女を信じるだけだ。
視線が交わる。彼女の瞳に映る私は――大きく、揺れていた。
「……ふふ」
それは突然、張り詰められた沈黙の中で。
――堪えきれないといったように。
「――あっははははは!」
――閑散とした公園の隅で彼女の笑い声が大きく響いた。
「……え?じ、神宮寺さん……?」
「かっこいい……ふふ、いやぁ……かっこいいかぁ」
今度は私が呆気に取られる番だった。だがそれも当然の反応だろう。
誰だっていきなり目の前で大笑いされたら思考も停止する。ましてや、直前まで泣きそうな表情で、間に気まずい空気もあったのだから尚更である。
それでも、神宮寺さんは本当に笑いが止まらないといった感じで目尻には涙までもが溜まっている。
むしろ、こうして慌てふためく私の姿がより深く彼女の笑いのツボを抉っているらしく、涙が頬を伝って地面に落ちて、それを認識した彼女は私の手を振りほどき背を向けた。
(私……相当変なこと言ってた?)
冷静になってみれば、それほど親しい関係でもない人物同士の会話に割り込んだ連れ去った時点で相当に変だった。
挙句の果てに、神宮寺さんのような誰もが認めるであろう美少女に対してかっこいいだなんて形容したのだ。
普段の自分ならばするはずもない行動の数々。相当どころではなく、ちゃんと変だった。
(や、やばい引かれてたらどうしよ……)
そうして反省ならぬ自己嫌悪に陥っていた私だが、どうやらようやく笑いの波が過ぎたらしい彼女がこちらを振り向いた。
はあはあと、笑い疲れたのか息が少し浅くなって目元と顔が赤くなっているが――それは多分私も似たようなものだろう。
「もー……田井中さんって――」
「――ちょっと、変かも」
私はさぞかし微妙な表情をしているだろう。
だって少なくとも、それは神宮寺さんが言えたことではないと思うから。
「……かっこいいって、ふふ」
けれども、またさっきまでのことを思い出したのか楽しそうに笑う彼女の姿を見て。
(まあ、いいか……)
その評価に甘んじるのも悪くはないと思った。
■
「帰りましょうか……」
「そうだね」
振り返ってみれば、随分とこの公園で話していたような気がしてスマホで時間を確認してみたらまだ1時間経ったかぐらいの時間だった。
素直に驚いた。これが今までに経験してこなかった、噂に聞く楽しい時間はあっという間に過ぎてしまうというやつなのだろうか。
気づけば神宮寺さんの口調も少し砕けた感じになっているというか、少し、いやかなりフランクな感じだがこれが彼女の素なのだろうか。少し意外にも感じたが、それだけ距離が近くなったということなら、素直に嬉しい。
私はまだ緊張しているから畏まったままだが。そう簡単に話せたら苦労はしていない。
「ごみ捨ててくるよ」
「あ、ありがとうございます」
そう言って神宮寺さんがこちらに手を伸ばす。
私も合わせて手を伸ばそうとして、腕を伸ばした影響か神宮寺さんの袖口が少しずれて――その淡い肌に似合わない赤色が見えた。
「あれ、その腕のところ……」
「ん?腕?」
彼女が空いている方の腕で袖口を捲れば、中からはやはり見間違えではなくその淡い肌に似合わない赤色。
よく見てみれば、その赤色は――所謂血色というやつで。
手首の辺りをぐるっと一周するように存在するそれは、まるでブレスレットのようで。
(え゛)
――その形は十中八九私が握りしめたからできた痕だった。
「あ、ちょっと痕になってる……」
「ごごごごごごめんなさい!!!本当に、あの、弁償?慰謝料?とにかく何でも払うので!!!」
「いやそんなに気にしなくても……痛いのは慣れてるし」
「え?」
聞き逃せないワードが聞こえた気がして思わず聞き返してしまった。
神宮寺さんはしまったと少しバツが悪そうに頬を搔いて――
「あー……田井中さんは面白いなって」
「……さ、先に行きますから!」
「あ、待ってよー」
そう白々しくごまかされ、そして理解した。
距離が近くなったとか、仲良くなれただなんて柄にもなく浮かれていたが。
これは多分、舐められているのだ。だから彼女もこんなにも堂々と接することができるのだ。
だから私は反抗の意味も込めて彼女を置いて出発することにしたのだ。私たちはお互いに対等であると主張するために。
……少しだけ、にやけてしまう私の顔を隠すために逃走しているわけでは断じてない。
(………………)
まぁ、だからと言って。
本当にここで置いて行くことができるわけもなく。
結局私は――浮かれているのだろう。
「……神宮寺さ――」
ついてきてくれているか少し不安になって後ろを振り返って声をかけようとしたら。
「……あーあ」
神宮寺さんは立ち止まって、私がつけてしまった痕をゆっくりと、実感するように何度も手を往復させ撫で続けて――
「私……思ってるよりも弱かったんだなぁ」
――そう少し寂しそうに笑って、溜息と共に呟きが空に溶けた。