ゴールデンウィーク。GW。あるいは春の大型連休とも。
4月末から5月前半にかけて休日が続く期間。
元を辿れば、とある映画がこの期間で大きく売り上げを伸ばしたことに目を付けた制作会社が生み出した宣伝用語らしい。
そうした事を踏まえて今目の前の人だかりを見てしまえば――なるほど確かに彼らからすればこの光景は黄金という他ないのだろう。
(ひ、人が多すぎる……)
耳に入るのは人々の足音。子供の笑い声。遠く微かに聞こえてくるアナウンス。
視線に入るのは人。右を見れば人。左を見れば人。前後にも人。
学校等で感じられる人の多さとはまた異なり、知覚する遍く全てに人は偏在していて、まるで地球上の人間が全員ここに集合したかのように錯覚すらしてしまいそうな光景。
諸々の要因がかみ合った結果ではあるのだが、やはり休日であることを加味しても本当に人が多すぎる。
(……ふう)
今、私が居るのは家の最寄りから2駅で辿り着く場所にある大型ショッピングモール――の入口正面に鎮座する噴水前である。
このショッピングモールはそれなりに最近出来た場所――とは言えそれも私が幼稚園に通っていた時ぐらいの話なのだが――であり現代らしく衣服や家具、日常品に至る需要のあるほとんど全てが揃えられ、食事をする場所だってある。
ボウリング場やカラオケ施設、果てにゲームセンターまでもが合体したおもちゃ箱のような施設で娯楽に耽ることだって出来るし、そんなドーパミンがざわめく喧騒から解き放たれて陽光を浴びつつ花を愛でることだって出来る。
大抵の事が出来る、そんな夢と合理をふんだんに詰め込んだ場所である。
無事に神宮寺さんと連絡先を交換できた後、芽瑠が遊びに行こうと提案したのがこの場所だった。
ならば他の二人はどうしたのかという事になるが――
(何で現地集合なんだろう……)
――何故か現地集合になっていたのである。
百歩譲って神宮寺さんと現地集合になるのならまだ分かる。神宮寺さんの家も恐らく私たちとは違う方向にあるのだろうから駅集合とかになるのかもしれないが。
それでも芽瑠までもが現地集合になるのは違うだろう。家が隣同士なのに何故わざわざ違うタイミングで出て同じ場所へと向かわねばならないのか。
当然問いただしてみれば、理由は芽瑠曰く、その方がそれっぽいからとのこと。それっぽいとは一体何なのか。
そう疑念を抱いたところで、一人で出掛ける機会自体がそこまでなく、ましてや芽瑠以外の人と出掛けたことなんて学校行事なんかを除けばあるはずもない様な私にはその”それっぽい”という理由の中身に思い至らず。
神宮寺さんも特に異論がなさそうなのも相まって、流される様に頷いていたらこの様である。
(はあ……)
そうして下手に遅刻してしまってはいけないと早めに家を出たのは良かったものの、ここに辿り着いたのは約束の三十分前。
結果として、一人陽の下に晒される哀れな少女が生まれてしまったわけだった。
もちろん神宮寺さんと出かけるのが嫌なわけではない。むしろ楽しみにしている方だ。
ただ、やはりこうした人混みは慣れないし疲れてしまうという話。
人が多く集合して感じられる見えない圧は今も昔も変わらず私の心を摩耗させるものなのだ。
言ってしまえば、私にとって外に出かけるというのは億劫以上憂鬱未満といったところか。とても今から遊びに出かける女子高生の心構えではないと自嘲する。
同い年ぐらいに見える少女達が和気藹々と歩んで行く姿が水飛沫越しにてらてらと輝いているのが見えた。
どうしてか、それがやけに眩しくて思わず目を細めた。
「おーい」
眩い光景から目を逸らすようにスマホで時間を確認してみると、約束の時間までは後十分ほどといったところ。
陽のない場所にでも移動しようかと悩んでいたら聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「遅い」
その声の主は当然芽瑠である。芽瑠は小さく手を振りながら駆け足気味にこちらへと向かっていた。
脇目も振らずにこちらへと駆け寄ってくる姿にぶんぶんと激しく揺れる毛深い尻尾が見えたのは恐らく私の脳が見せた錯覚である。
私が呆れと今この現状に対する抗議の意味も込めて視線の圧を意識的に強めて投げやりに言葉を放ってみても、むしろ何が楽しいのかより笑みを深める始末。
「いや時間前にちゃんと着てるし。神宮寺さんも少ししたら来るらしいよ」
「え、何で分かるの?」
「聞いたからだけど」
ほらという言葉と共に面前に押し付けられた画面を見てみると、そこには神宮寺さんと芽瑠によるメッセージのやり取りが映し出されていた。どうやらそれはグループでの会話ではなく個人同士のチャットであるらしく道理で私がその内容を知らなかったわけだ。
私自身も神宮寺さんにグループに入ってもらった同じ日に個人の連絡先も交換はしてある。
だが機械を介した交流であるとはいえ私にとって一対一の状況というのはやはり緊張してしまうもので、結局未だに最初の挨拶を送ったところで終わってしまっているのだ。
よく見れば、芽瑠の画面ではこれ以外にも幾つかやり取りしているのが見受けられた。
「てかさ、見てよ」
「何が?」
「服!どう?」
ナチュラルに差というものをまざまざと見せつけられ胸の内で勝手に打ちひしがれていると、芽瑠がスマホをしまい込み腰に手を当てて胸を張るような姿勢をとった。
今日の芽瑠の服装はベージュのレースアップブラウスに所々ダメージ加工のされた淡い青色のジーンズ。
じろじろと遠慮なく上へ下へと視線を巡らせて、顔元へと目を向ければ芽瑠が出かける時にいつも被っている黒色のハンチング帽といつも通りの楽しそうに輝く眼が目に入った。
(しかしまあ)
こうして芽瑠によって外へと拉致される、もとい出掛ける行為はこれまで何度もあったが、今回の服装は中々に気合の入ったものだと感じる。恐らく今日が楽しみだったのだろう。
上といい下といい随所で肌色が眩しくちらついていてで眩しい。周りの視線も時折芽瑠へと注がれているようにも感じる。
色んな意味で着こなすには中々にハードルが高いものだと素人目にも思うのだが、それでも卒なく着こなせているのは流石のプロポーションと言わざるを得ない。
対する私の格好は少しだけくたびれている灰色のパーカーにチェック柄のミニ丈スカートというこれと言って書くところのない服装。強いていうならスカートの下には同じくミニ丈のスパッツを履いているから下着が見えることはないという事ぐらいだろうか。
実のところこのパーカーは若干ではあるがダボついているのだが、それはそういうファッション――ではなく、先行投資に失敗しただけの話である。
三年前に買ったこれが未だに着こなせるのは物持ちがいいというべきか何というか。
より背丈が伸びると信じ切っていた中学一年生の私が今の私を見たらどう反応するか気になるところではある。
「感想は?」
「寒そう」
「そういうのは我慢するんだよ……」
感じた事を正直に言えば呆れたように、かつ残念なものを見るような視線を向けられてしまった。
仕方のない話でもある。私だったらおしゃれがどうとか、似合う似合わない以前に寒く感じるからこういった系統の服は端から選択肢にない。そんな私は芽瑠からの視線を粛々と受け入れる他なかった。
「……あの」
猥雑な雑踏の中、芽瑠と共に下らないやり取りをしていたそう過ぎてはいない時間の間――その声は雫が滴り落ちて水面に波紋を作るように私の心に広がった。
弾かれるようにその声の出所へと視線を向けた。
「神宮寺さん、おは――」
そう呼びかけて、だが言葉は彼女の姿が視界に映るその瞬間に喉元でつっかえて意味をなさない擦れた息として外へと漏れ出た。
その声が私の一番よく聞きなれているものであり――そして同時にその神宮寺さんの姿は私が一番よく見慣れているものだった。
(……制服だ)
――詰まる所、制服である。
「………………」
「………………?」
周囲の喧騒など意に介さず私と彼女の間には沈黙が満ちていた。
今この瞬間はまさに黄金の休日。周囲の光景が示すように学生であろうとこの日まで制服を身に纏う人間は居るはずもなく。
あどけなさすら感じさせるような、そんな不思議そうな表情を浮かべて立つ彼女の姿が周囲から余計に浮き彫りになっていた。
「……どうかしましたか?」
続く沈黙に疑問を思ったのか、神宮寺さんが不思議そうに尋ねるが私はそれに対してどう答えるべきかと頭を回転させながら口をもごもごとさせ続けていた。
「……神宮寺さんおはよー。麻音はねぇ、神宮寺さんがどんな格好してくるのかワクワクして三十分前からここに来てたんだよ!」
「うわっ……え?」
いきなり背中に重みと衝撃が襲いかかり少しよろめいて倒れそうになるのを力を入れて支えてみれば、肩越しにふわりと清涼的な柑橘系の香りとさらさらとした感触が。
そして私の腹の前で腕がクロスされているのを見て、ようやく自分が芽瑠に後ろから抱き着かれていたことを理解した。
それよりも何と言った?私が神宮寺さんの服装を楽しみにしていただって?
後半の三十分前から来たのはまごうことなき事実だが前半部分に関しては特にそんな会話をした記憶がないので私としてはただ混乱するだけだ。
(……あれ?)
……そもそも私が三十分前からここに居るって芽瑠に言ったっけ?
「芽瑠?あの――」
「ねぇ?」
私が尋ねようとしても帰ってくるのは言葉ではなくより強く込められた力による圧迫感だけだった。
背中越しに伝わる柔らかい感触と生来の体温由来の温もりがざわつく私の心を少し落ち着かせ、まあいいかと、開きかけた口も閉じた。今は神宮寺さんに集中するべきだろうから、この程度の疑問など些末な問題だろう。
神宮寺さんはいきなり現れた目の前の光景に少しだけ体を硬直させた後、今の今まで向けられていた私の視線から逃れるように若干目を逸らして答えた。
「その、誰かと出掛けるという経験をしたことがなくて……それで、失礼のない格好をすべきだと思いまして」
「あー……なるほど?お葬式的――ごめん今のやっぱなし!」
多分それは芽瑠の頭には無かった発想で、うんうんともっともらしく頷いた後縋るように視線をこちらへと向けてきた。
私に失言をカバーしろと言うのか。そうは言っても世の中には制服デートなんて言葉もあるし大丈夫だよみたいなギリギリ擁護にならなそうな言葉しか思いつかないのだが?
「ごめんなさい……やっぱり、変ですよね。こんな日に制服なんて着てるの」
私たちの反応を見て神宮寺さんは渇いた笑いを漏らして見るからに落ち込んでしまい、芽瑠からの視線の圧がより強まった気がした。
元々芽瑠が何も言わなければこうはならなかったはずなのだからそんな視線を受ける謂れはないのだが。
とは言え、彼女が見過ごせないのもまた事実なわけで。
「その、それは神宮寺さんが今日のことをそれだけ真剣に考えたってことで。だから、その……」
どうか届いてほしいと、伝わってほしいと、綺麗な言葉を綺麗に纏めてみようとしても喉元で言葉がつっかえてしまう。
だが彼女の揺れ動く視線を受けて、そんなまごついた口からするりと、拍子抜けなほどに言葉がこぼれた。
「私は……嬉しいかなって」
「……ありがとう、ございます」
よく考えてみれば結構変なことを言ってしまった気がすると、言って後悔――というほどではないが、少しだけ気恥ずかしくなってしまいどんな表情をすればいいのかと思わず目を逸らしてしまったが。
そんな私の様子を知ってか知らずか、彼女はそう言って頭を下げた。
ざわざわと、煩わしい周囲の喧騒が大きく聞こえてきて。
垂れる髪の間から覗く彼女の耳は――ほんの少しだけ赤くなっているような気がした。
「……そういう事なら!」
パチンと渇いた音が響いて、その音の出所では――芽瑠が両手を合わせていて。
何事だと、私と神宮寺さんの2つの視線が向けられた芽瑠は――
「最初に服、見に行こっか?」
――そう言って実に楽しそうな笑顔を浮かべた。
■
前述したように、この施設は今後の人生において必要なものがほとんど全て揃うと言っても過言ではないほどの広さなのだが、その中でもとりわけ多く揃えられるものが――衣料品の類である。
このショッピングモールはそれなりの大きさの別館とそれに比較して三倍ぐらいの大きさの本館が繋がった形で構成されているのだが、今私たちが訪れている別館は一階から三階まで含めて全てのフロアが衣料品の店だけで埋め尽くされているのだ。
「服が凄い沢山……」
隣を歩く神宮寺さんは、歩く姿は落ち着いていても巡らされる視線は傍目で見ても忙しなく動いていた。
それが初めての場所に興味津々な幼子のようにも見えるし、あるいは初対面の人間に出会った警戒心の高い子猫にも見える。
どちらにせよどこか微笑ましさを感じさせる光景である。
「そういや、神宮寺さんはここ来るの初めて?」
「本などを買いに来たことはあるんですけど……こっちの方は初めて来ました」
私たちの一歩先を芽瑠が顔だけをこちらへと振り返りつつ先導するように歩く。
しばらくの間、私も神宮寺さんと同じように周囲の光景を眺めつつその後を辿って行けば、芽瑠はとある店の前で立ち止まりぐるりと体を回転させて私たちの方へと振り返った。
「ここです!」
芽瑠の指す指先にある店は置かれている商品を見るにレディース専門店なのはわかるのだが(私たち三人共に女性なのだから当然である)、外側から見てもひらひらしたガーリー系統の服からシックなカジュアル系統のブラウス、果てにはゴシックロリータのようなコスプレ紛いのものまで見える。
とにかく言えるのは、私一人ならば恐らく訪れないような系統の店であるということだ。
「まずはここで、神宮寺さんの服を選びたいと思います!」
「わ、私のですか?」
「元々ここには来る予定だったからついでに神宮寺さんをコーディネートしようと思ってね」
「という事で!各々神宮寺さんの着る服を持ってきて試着室の前で集合で!」
「あ、ちょっと――」
そう言って芽瑠は元気よく色とりどりな服の内へと消えて行ってしまった。
残されたのはその勢いについて行けなかった戸惑う私たち二人。
「その……行きますか」
「……そうですね」
惚けていても仕方がないので神宮寺さんと並んで店内の服を見てまわることに。
だがそうなったところで、未だに現状に対して気持ちが追い付いていないこともあるが、やはり二人の間には沈黙が満ちてしまう。
周囲には他のお客さんがそれなりに見えるが、その大抵は誰かを連れてきて巡っているらしくあーでもないこーでもないと楽しそうな声がよく聞こえてきた。
そんな中で二人だけが何かを発することもなく静かに服を見ているという状況は些か気まずく感じてしまうものがある。
「………………」
手持ち無沙汰を誤魔化すように、並べられた商品を手に取ってみる。
手に取ったのは白いキャミソールワンピース。すらりとしたシルエットを形作るそれはニットなどと合わせておしゃれな大学生とかが着ていそうなものだ。
服自体は似合いそうなのだが、如何せん丈が長く私や神宮寺さんぐらいの身長だと中々に着こなすのが難しそうだ。
ちらりと、神宮寺さんの方へと視線を向ければ彼女もまた私と同じように陳列された服を手に取って見ている。
彼女が手にしていたのは飾り気のないシンプルな暗めの色をしたジーンズ。
正直な話、神宮寺さんの容姿的には意外性という評価が先に来るだろうなといった印象なのだが。
その様子と、手に持ったワンピースを見比べて、1つの思考が頭をよぎり流れるように言葉が出た。
「神宮寺さんは……その、スカートとかよりもパンツとかの方がいいみたいな感じですかね……?」
思い起こすのは、公園でのあの日。揺れる彼女が漏らした本音。
その全てを理解できたわけではないが、少し理解できたのが彼女はスカートを履くことを避けているということ。
それが執着か、何かしらのこだわりか、もしくは別の感情か。
それらを私が全て推し量れるわけではないが、それでもその意を汲んで考えるべきだろう。
だからここで服を選ぶ際の参考にでもしようと質問したのだ。
自分でも、普段では踏み込まないような所へ一歩踏み出して慣れないことをしたものだと言って思ったが不思議と後悔はなかった。
寧ろ胸の内を占めるのは生温い感情であった。
それは――決して根拠のない高揚感。
普段訪れないような場所で、神宮寺さんと二人きりの状況。私と彼女の間にだけ通じる話題。
視界の端に映る色とりどりの服が綾なすグラデーションはまるで私の心模様を写し取ったように。
私は――存外に、今この状況に浮ついた気持ちがあるらしい。
「それは、その……」
「………………」
「……恥ずかしくて」
絞り出すように出てきたその言葉は、単に言葉自身が持つ重さよりもずっと重く。
時間と感情を目一杯濃縮したような、そんな思いが込められていた。
「………………なるほど」
少し、現実の持つ熱の冷たさを思い出して、その胸の内を悟られないようにわざとらしく言葉を溜めた。
嫌だと、そう言葉にしたわけではないがそれは確かに拒絶に近いものだった。
まあ、神宮寺さんの気持ちも分からないわけではない。
誰しも初めにはそういった感情を抱くものだろう。私だって最初にスカートを履いた時は随分と心許ないものだと感じた。
で、あるのならば。
神宮寺さんにはやはりパンツスタイルでなるべく肌を見せないような方針で選ぶべきなのだろう。
心なしか手に持っていたワンピースは羽のように軽くなっていた。
「……あの」
それならば仕方がないと。そう思い、別のものを探すために服を元に戻そうとしたところに神宮寺さんの声と金属同士が擦れあうような音が届いた。
彼女の方を見やれば、先程まで手にしていたジーンズは元に戻され視線は真っ直ぐこちらへと向かっていた。
普段とて、彼女はそれ程大きい声を出すわけではないが、それを加味しても今私の耳に届いた音は私が知っているものからは随分と小さく、微かに震え――それでいて太く芯の入ったものだった。
「田井中さんは、その……」
「……見たいですか、スカート?」
彼女の声が予想よりもずっと私の耳の中で響き渡るのを数度聞いて、また再び沈黙が満ちたことに気づかされる。今まで聞こえていた喧騒はどこか遠くへと響いてより深く。
私は言われた言葉を一語一句、正しく、愚直に頭の中で繰り返して。
2回3回と心の内で反芻させて――そしてようやくその意味を理解して、思わず神宮寺さんの方へと顔を向けたが、視線の先には明後日の方向を見やる彼女の赤い横顔だけが映っている。
それがこの友好的状況下への配慮による世間話のようなものの一環としてか――あるいは覚悟の表明であるか。
そこに至るまでの彼女の論理について考察したりないものがあれど。
見たいかどうかだなんて言われてしまったら――
「………………見たい、です」
――私は、自分に対して正直になる術しか知らなかった。
私の返事を聞いた神宮寺さんは、その言葉を予測していたのかゆっくりとこちらへと視線を合わせるように顔を向け視線が交わる。
眉は困ったように垂れ、瞳は少し艶を増し、頬は数瞬前よりもずっと赤く熟れていた。
「それなら」
「履いてみようと思います」
■
「あ、二人とも選んできたね」
神宮寺さんを連れて約束通り更衣室の前まで訪れてみれば、選んだ商品を片手にスマホを操作している芽瑠の姿がそこにはあった。どうやら私たちよりも先に選び終わっていたらしい。
芽瑠は私たちに気づくとスマホを持っている方の手をひらひらと揺らしてにこやかに語りかけてきた。
「……ってあれ?それ一着だけ?」
芽瑠の言う通り、神宮寺さんの手元にあるのは一番初めに手に取った白いキャミソールワンピース一着のみである。
あの後、私は改めて神宮寺さんに着てもらう服を選ぼうとしたのだが、神宮寺さんはこれでいいと譲らなかったのだ。
それならば神宮寺さんは選ばなくていいのか聞いてみたが――
「田井中さんに選んでもらったのでいいです」
――の一点張りで押し通されてしまったのだ。
お陰でその隣を一緒に歩いてきた私はここまでずっと手ぶらだった。
道中で何度か自分が持つと提案してもみたのだが、その度に神宮寺さんは手に持つワンピースを両の手で抱きかかえるようにして私から遠ざけて答えてきた。
まさかそんないじらしい反応を返されるとは露にも思わず。二の句が継げぬまま今に至るわけだった。
「その……二人で選んだやつだから」
そうした背景もあってか馬鹿正直に全てを伝えるのもどこか気が引けるのでそれらしい台詞を口にしてみた。
口から出た想像以上に俗っぽい言葉が自身の幼稚さを自覚させて頬に熱が集まるのがよく分かった。
「なるほど?まあいいけど……なら、見せてもらおうじゃないか二人の初めての共同作業の結果!」
「わ、わかりました……」
私の様子を見て察したのか、あるいは空気を読んだのかそれ以上の芽瑠は何かを言葉を重ねることはなく、たださっきよりも笑みを深めて神宮寺さんの背中を押して更衣室へと向かわせた。
ガラガラと音を立ててカーテンが閉まる。
カーテンは閉じた勢いでその軽さを誇示するようにひらひらと揺れる。
そのともすれば頼りないとさえ言える見てくれは私の胸を少しだけざわつかせた。
「二人が選んだのさ」
何をするわけでもなく、ただぼんやりとカーテンを――その先にある微かな気配を感じていると横から芽瑠の声が耳に入る。
「何?」
「ワンピースだっけ?わりとガーリッシュな感じの」
「……まあ、そうだけど」
「……なるほどねぇ」
そう言って更に何かを追及するでもなく芽瑠は少し目を細めた後に、頷きながら視線をカーテンの方へと戻した。
そのあまり見慣れない態度には疑問が残るが、本人が納得している雰囲気を出している辺り次に返ってくるのは沈黙だろうと私もまた芽瑠から視線を戻した。
「……あの、着替え終わりました」
短いようで長く感じた沈黙の中でそれを裂くように神宮寺さんの声が響いて、目の前のカーテンが少し揺れる。
「お、出来たみたい……麻音開けてきなよ」
「え、私が?」
「そりゃねぇ?……神宮寺さーん今開けるから!」
「わ、わかりました!」
ニヤニヤといつも見ている笑顔で私の背を押されてカーテンの前まで押しやられる。
てっきり神宮寺さんが自分で開けるものだと思っていた私は動揺していたが、後ろとカーテンの奥から細かい部分は違えど期待のような圧を感じて、待たせるわけにも行いかないと覚悟を決めてカーテンに手をかけた。
カーテンは、私が思うよりもずっと軽かった。
「ど、どうですか……?」
(………………)
見えない衝撃が私を襲った。
言うなればそれは、暗闇から急に明るいところへ出てその差にくらっとしてしまうようなあの感覚。
慣れない服装をしているからか、ちらちらとこちらの様子を伺うように上目遣いで。
その不安と羞恥が混ざり合った表情に私は言葉が出なかった。
その服装は当然私が最初に取ったキャミソールワンピース。姿はまるで童話の花畑に出てくるような童女。
だが今は合わせるインナーを用意していなかったので制服を着ていた時には隠れていた肌が陽の下に晒されていた。
その穢れを知らない新雪のように白い肌は周知によるものかほんのりと赤く染まっており、それが彼女の持つ幼さに潜む艶やかな側面を思い起こさせるようで。
(………………)
ごくりと、意識的に唾を飲み込む。
称賛も動揺も多く心の内にあるはずなのに、口にしてこの得も言われぬ感情を吐き出してしまいたいのに。
それでも私の口からは思い出したかのように漏れ出る浅い呼吸だけだった。
「おー!凄い似合ってるじゃん!」
「は、初めてこういうの着たので……おかしいところとか、大丈夫ですか?」
「もう全然!このワンピ神宮寺さんが着る為に生まれてきたみたい!」
横にいた芽瑠も神宮寺さんを一目見たその瞬間からテンションはうなぎのぼりで。
そのはしゃぎ様を見て、神宮寺さんはより顔元に熱を登らせて困ったように笑っていた。
そんな神宮寺さんの視線が私へと向けられる。
「…………どう、ですか」
「私は……変われましたか?」
「あ……」
辛うじて口に出たのはそんな意味を持たない音。
そんな音が自身の耳へと響いた瞬間、ようやく自分が抱いていた感情の正体に察しがついた。
必要以上に他人に干渉することはなく、毅然と自分自身があり続ける。
似ていると。私はそんな彼女にどこか親近感のようなものを抱いていた。
だが彼女は今、私のあずかり知らない覚悟を持って一歩進んで、袖を通した。
葛藤があったはずだろうに、それでも彼女はこうして着飾って私の前に立った。
それは紛れもない変化。当然服を着替えたのだからそれは明確な変化であるのだが。
だがそれとは別に――今この瞬間、より深い部分で彼女は変化したように感じたのだ。
その姿は全くの別人のようで。私の思い描く彼女の姿と一致しなくて。
まるで蛹が蝶へと羽化するように――
(――おかしい話だ)
思って、そう心の中で自嘲する。
知り合って精々1か月といったところ、顔を合わせるのだって学校の内だけの限られた時間。
そんな状況で彼女が変わってしまっただなんて。
何よりも、私と彼女は全くの別人であることはとうに理解しているはずなのに。
「………………」
改めて彼女の姿を見る。
すらりとしたシルエットと若干オーバーなサイズがあどけなさを醸し出していて、それでいて露出する肌からは相応の艶やかさが感じ取れる。
だから口に出すべきなのだ。素敵だと。似合っていると。見違えたようだと。
そう感じているのも紛れもなく本心であるのだから。
彼女の視線が私と交わる。
その瞳は不安か、羞恥か、あるいは期待に揺れて――
「――ちょ、ちょっと待っていてください!」
「……え?」
言葉よりも先に足が飛び出て――神宮寺さんに背を向けて駆け出した。
背後では困惑の声と呆れたような溜息を吐く音が聞こえた気がしたが努めて無視。
そうして辿り着いたのは、ここに来る前に神宮寺さんと共に商品を見ていたエリア。
「……あった」
並んでいる多様な種類の洋服群をかき分けて目当てのものを見つけ出して引っ張り出す。
手にしたのは――来る直前に彼女が視線を向けていたジーンズ。
そのシンプルな暗色を見て逸る鼓動を――冷静になってしまわないぐらいに落ち着かせて、皺をつけないよう丁寧に折りたたみ両手で抱えてまた元の場所へと駆け出した。
「――お、噂をすれば帰ってきた」
更衣室まで戻ってくれば、そこではさっきと変わらない場所にいる神宮寺さんと芽瑠の姿があった。
何かを話していたのか私が去る前から少しだけ二人の間にある空気感のようなものが変わっていた気がした。
私はそれを努めて無視するようにして、手に持ったジーンズを神宮寺さんの前へと両の手で差し出した。
「えっと、田井中さ――」
「神宮寺さんは!凄く、綺麗で絶対似合うと思ってたんですけど、思ってるそれ以上で、妖精さんみたいで、その、本当に綺麗で――」
「え?あ、えっと?……え?」
「でも!その……似合ってるんですけど、私が!これを履いている神宮寺さんが見たくなったのでだから、その――」
「だから、これを履いて欲しいんです……」
「………………」
懇願するように、というよりも駄々をこねる子供のように。
正直に言って自分でも何を言っているんだろうと途中からはその思考で満たされていた。
私の言っていることは間違いなく私自身のエゴイズムによるものでしかなく、それは彼女が絞り出した覚悟に対する侮辱であるようなものなのに。
だがそう思う思考とは裏腹に口からは湯水の如くとめどなく言葉が溢れ出てきた。
言い切って、ようやく言葉が枯れて浅く呼吸をしつつも、せめて視線だけはと真っ直ぐに向けた。
「………………」
神宮寺さんは少しだけ艶めいたその瞳を大きく開いて私を見ていた。
その瞳の揺れる私と視線が交わった。
彼女が私の言葉に何を思ったのかは分からない。
だが瞳に映る私が少し揺れて――
「――分かりました」
――その黄金のように輝く笑顔は。
私にはあまりにも眩しすぎて、目を逸らしてしまった。
■
帰り道。
すっかりと太陽は沈んで見下ろす月の光と明滅する街灯が照らす住宅街の中で、私は芽瑠と共に自宅への帰路を歩んでいた。
先程までいたショッピングモールに比べてしまうとこの道は余りにも静けさが過ぎるのだが、昼間に比べて少しだけ下がった気温とここが慣れ親しんだ道であることも相まってそれが今は心地よかった。
「いやー充実充実!」
あの後、神宮寺さんは私の提案を快く受け入れてジーンズと、いつの間にか芽瑠が持ってきていた胸元と肩周りにフリルのついた可愛らしい白シャツに着替えて変身していた。
そして私が初めに手に取ったワンピースと芽瑠が持ってきた黒のオーバーオールとそれらに併せる為の諸々を全て購入した。
その後着替えた神宮寺さんを連れてショッピングモールを練り歩いていたらあっという間に時間が流れてしまい帰る流れになった。
そうして最寄りの駅についてからは家の方向が反対であるためそこでお別れをしてそれぞれ家路についたわけだった。
「いやー……やっぱかわいい娘がおしゃれするのはいいねぇ!麻音もそう思うでしょ?」
「……まあ、それなりには」
普段であれば芽瑠に連れまわされてあーでもないこーでもないと言われるのが常であるのだが。
改めてそう尋ねられると着飾るという行為は存外に悪くないものだと思った。
最も、今日に限っては着飾っていたのは私自身ではなく神宮寺さんなのだが。
そういう意味では、おしゃれを楽しむというよりかは神宮寺さんが着飾るのが楽しかったということになるのかもしれない。
「あ、もう着いちゃったか」
そう取り留めのないことを巡らせながら歩いていればいつの間にか飽きるほどに見てきた我が家と芽瑠の家が見えてきた。
何故だか今日という日は、今までのどんな日よりも時間の進みが早く感じる気がした。
「じゃ、また明日ー」
「……おやすみ」
不思議なこともあるものだと玄関の取ってに手をかけたところで――
「あ、そうだ」
そう声を掛けられ何か用かと入口の塀越しから芽瑠の方へと顔を向けてみれば、同じように芽瑠も塀越しに顔の上半分を出してこちらを見ていた。
「何か用?」
「いやね?今日麻音が追加で着てほしいってジーンズ持ってきたでしょ?」
「……それが?」
あの行動に関しては、行動を起こしたこと自体は自分の中で間違ってはいないと思ってはいるのだが如何せん恥ずかしいことに変わりはないので余り触れてほしい話題ではないのだが。
私の控えめな返事を聞いて、芽瑠はスッと目を細めて私を見据えた。
塀越しで全てが映っているわけではないが、あの感じは多分にやついている顔である。
その雰囲気に漠然とした嫌な予感を感じていると――
「いやねぇ……」
「――結構重めな彼氏になりそうだなって」
「………………はあ?」
「じゃ、今度こそおやすみー」
私が投げられた言葉をどうにか解釈しようとしていると、そんな姿により一層目を細めた後実に楽しそうに声をかけてひらひらと手を振りながら芽瑠の姿が視界から消えていった。
残されたのは、未だに理解しきれていない私だけ。
「……重い?……彼氏?」
どうにか理解しようと改めて言われた言葉を口にしてみても謎は深まるばかりで。
何もかもがおかしいしどこから突っ込むべきかも分からないので――
「……うん、忘れよう」
そうして思考を放棄して玄関ドアを開けた。
その後ろで、月明かりに伸びた影が私の考えを肯定するかのように揺れ動いた気がした。