どちらか選んでください──この物語の続きを   作:ペンタス

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植物園の温室
第1話Aパート 名前のない温度


 

 

 植物園の温室は、夕方になると静けさに包まれる。

 

 昼間は人の声や足音で満ちているはずの場所なのに、この時間になるとまるで別の空間みたいに感じられる。

 

 ガラス越しの光が床に落ち、葉の影をゆっくりと伸ばしていた。

 

「今日、風強いね」

 

 紗季(さき)が、なんとなく思いついたように呟く。

 外の様子を直接見ているわけでもないのに、温室のガラスがわずかに鳴る音で伝わってくる。

 

「外はね。でも、ここはちょうどいいよ」

 

 美月(みつき)は霧吹きを棚に戻しながら、小さく頷いた。

 

 二人は並んでベンチに腰を下ろす。

 仕事終わりの、いつもの時間。

 誰かに言われたわけでもないのに、自然と2人は肩を寄せる。

 

 植物園でアルバイトを始めてから、こうして一緒に過ごすのが当たり前になった。

 

 特別な約束をした覚えはないし、理由があるわけでもない。

 気づいたら、隣にいるようになっていたんだ。

 

 話す内容も、取り立てて面白いものじゃない。

 今日咲いた花のこと。

 学校であった、どうでもいい出来事。

 帰り道に寄る店や、新しくできたカフェの話。

 

 それでも、沈黙が気まずくならない相手はそう多くない。

 会話が途切れても、不安にならない。

 そのこと自体が、紗季にとっては少し不思議だった。

 

「ねえ……」

 

 美月が、不意に紗季の方を見る。

 その視線に、特別な意味があるのかどうかは、分からない。

 

「もしさ、ここで出会わなきゃ……私たち、こんなに仲良くなってたと思う?」

 

 問いかけは、軽い一言だった。

 けれど、紗季はすぐに答えられない。

 

「どうだろ」

 

 少し考えてから、肩をすくめる。

 

 

「運が良かっただけかも」

 

「運、かぁ〜〜」

 

 美月は笑った。

 けれど──その声にはほんの少しだけ、引っかかりが残っていた。

 

 

 

 温室の奥で、送風機が低く唸る。

 一定のリズムで鳴るその音に、花の匂いが重なって、空気が甘く満ちていく。

 甘さと青さが混ざった匂いは、ここに来るといつも同じだった。

 

「私はさ……」

 

 美月が、言葉を選ぶように、ゆっくりと続ける。

 

「ここに来ると、時間が止まってるように感じる」

 

「……うん」

 

 紗季は短く相槌を打つ。

 

「外のこと、あんまり考えなくていいしさ。このまま、ずっと同じ日が続けばいいのになぁって思う時がある」

 

 美月の声は穏やかだった。

 冗談にも、本気にも聞こえる。

 

 紗季は返事をしなかった。

 代わりに、隣に置かれた美月の手をちらりと見る。

 

 

 触れられそうな距離。

 

 ほんの少し動けば、指先が触れてしまいそうなのに、自然とその距離は保たれている。

 

 触れない距離。

 

「変わるのが、怖い?」

 

 紗季が、確かめるように聞いた。

 

 美月は少しだけ首を傾げる。

 

「怖いっていうか──選びたくないのかな」

 

 自分でも、何を言いたいのか分からない。

 その答えは、はっきりしているようで、どこか曖昧だった。

 紗季の胸に、静かに引っかかる。

 

 

 夕日が沈み始め、温室の影が長く伸びる。

 さっきまで明るかった床が、ゆっくりと暗くなっていく。

 

 

「そろそろ帰ろっか」

 

 美月が立ち上がり、その動きにつられて紗季もベンチを離れた。

 出口に向かう途中、ふいに美月が立ち止まる。

 

「ねぇ、紗季」

 

「なに?」

 

「……また明日も、ここに来るよね」

 

 

 念を押すようで、美月の声には少しだけ不安が混じっているようにも聞こえる。

 

 

「うん。来るよ」

 

 

 紗季がそう答えると、美月は安心したように微笑んだ。

 

 その笑顔が、何を意味しているのかは分からない。

 ただ、今ここにいることを確かめ合っているだけなのかもしれない。

 

 ガラス扉を抜けると、外の風が一気に肌に触れる。

 温室の中よりも、少し冷たい。

 

 二人の距離は、さっきより少しだけ開いていた。

 

 振り返らずに歩き出す美月の背中を見ながら、紗季は思う。

 

 この関係に名前をつけてしまったら……何かが壊れるのか、それとも、何かが始まるのか。

 

 まだ、分からない。

 だから今は、この曖昧な温度のままでいいと、そう思っていた。

 




※締め切り日は、2月1日0時00分です。
※人気が全然なく、人が来なければ期間は伸びると思います……お許しください。
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