植物園には、来園者用の地図とは別に、職員用の配置図がある。
来園者が見ることのない通路。
施錠された扉。
立ち入り制限区域。
そして、その一番奥にある温室には──職員の間で『夜側』と呼ばれる場所が存在する
理由なんてものは特にない。
夕方以降にしか使われないから、というだけだ。
理由を説明しろと言われると困る程度の、曖昧な感覚である。
「今日も二人?」
受付の職員が、事務的に確認する。
夜側温室の担当表は三か月先まで決まっているためか、職員も半ば適当にチェックを行う。
少し前、疑問を思い……柚葉は一度だけ、担当表を見返したことがあった。
自分の名前の横には、いつも同じ名前が並んでいる。
偶然にしては、少し続きすぎている気もしていた。
「はい。私と……」
名前を言いかけて、言い直す。
「私と、
受付はそれ以上興味を示さず、チェック欄に丸をつけた。
夜側温室の仕事は単純である。
植物の状態確認、温度と湿度の記録、異常の有無。
観賞用ではないため配置も無骨で、特に説明板もない。
それでも、ここには『生きているもの』が確かに集められている。
温室に入ると、すでに真琴が中にいた。
記録用のタブレットを片手に、鉢植えの列を眺めている。
「お疲れ」
「お疲れさま」
それだけで、会話は一度途切れる。
二人は同期だが、特別に仲が良いわけでもない。
ただこの温室の担当が、なぜかいつも二人になるからだ。
柚葉は温度計を確認し、数値を入力する。
真琴は葉の裏を覗き込み、チェックを進めている。
作業は静かだ。
送風機の音と、機械が一定間隔で鳴らす電子音だけが響く。
「ねえ……」
真琴が、視線を植物から外さずに言う。
「この温室、来たときと帰るときでさ、匂い違わない?」
それは、唐突な質問だった。
「……そう、かな?」
「私は違う気がする」
柚葉は、少しだけ鼻から息を吸う。
確かに、湿った匂いの奥に、何か別のものが混じっているような気もした。
「まぁ、気のせいじゃない?」
「かもね」
真琴はそれ以上追及してこなかった。
その態度が、柚葉は少し引っかかる。
夜側温室では、個人的な感想は推奨されていない。
記録に残すのは、数値と事実だけだ。
それでも、真琴は時々こういうことを言う。
作業が一段落し、二人は中央の通路で一度立ち止まる。
ガラス天井の向こうは、すでに暗くなり始めていた。
「ここってさ」
今度は、柚葉が口を開く。
「ずっと同じ植物置いてあるよね」
「そうだね。入れ替えとかはほとんどないかも」
「処分もしないし」
真琴が、ようやく柚葉の方を見る。
「そんなに、気になるの?」
「気になるっていうか……理由が分からない」
真琴は少し考えてから答える。
「観察対象だから──とかじゃない?」
「何の?」
「……」
真琴は肩をすくめる。
「私たちかもしれないし」
冗談とも本気とも取れない言い方だ。
柚葉は、それ以上聞かなかった。
聞いてはいけない気がしたからだ。
作業終了の時刻が近づき、照明が自動で少し暗くなる。
出口へ向かいながら、柚葉はふと思う。
この温室は、植物のための場所なのか。
それとも、ここで働く人間のためなのか。
扉の前で、真琴が立ち止まる。
「明日も、ここだよね」
予定表を確認する前に、真琴はそう聞いた。
「……うん」
柚葉は頷く。
その返事が、仕事の確認以上の意味を持っていることを──二人とも口にしなかった。
扉を閉めると、温室は完全に外界から切り離された。
中で何が起きているのか、もう外からは分からない。
柚葉は鍵を戻しながら思う。
ここで過ごす時間が、何かを育てているのか、
それとも、何かを遅らせているだけなのか。
それを知る時が、いつか訪れるのだろうか……
※締め切り日は、2月1日0時00分です。
※人気が全然なく、人が来なければ期間は伸びると思います……お許しください。