魔法少女アギア・ケルベロス~俺は地獄の番犬ではない 作:dwwyakata@2024
人間世界から見放されたか弱い女の子がいました。
名前は燐火。
あらゆる意味で尊厳を奪われ、死に追い込まれた彼女は。
あの世で人情家の冥界の番犬に出会うのです。
序、よもつひらさか
ここはどこだろう。
ランドセルを背負ったまま、斑鳩燐火は黙々と歩いていた。
さっきまで手も足も痛かった。
突き落とされたからだ。
突き落としたのが誰かは、わかっている。
ずっと燐火に目をつけていたクラスの女子グループである。
学校なんて大嫌いだ。
いじめられる方が悪い。
そういう理屈で学校が動いているのは、まだ十歳になったばかりの燐火でも知っていた。
それに対して、いじめる方は何をしても許される。
授業中にいじめられている子が殴られているのを見ても、教師は薄ら笑いを浮かべるばかり。
燐火は孤児院から来ていることもあって。
大人に相談することもできない。
それに、大人に相談することは卑怯だという理屈もはやっている。
結局、弱い者を好きなようにいじめるための理屈が学校のルール。だから、燐火はあそこがきらいだ。
クラスの女子グループのリーダーは親が金持ちだとかで、学校は何も言えない。
だからそのリーダーは好き放題授業中に暴れていて、それでもなぜかテストでは良い点数をつけてもらっている。
特に道徳とか音楽とかでは明らかなずるがされているのを燐火は知っている。
そのリーダーが気分次第でいじめる相手を変えて。
その取り巻き達と一緒にいじめて。
何ヶ月で転校するかを、賭けているのまで燐火は知っていた。
暗い道を歩く。
どこだかわからないけれど、さっき落とされて、手足がいたくて。上からげらげら笑う声がしていて。
それから多分眠ってしまって。
いつの間にか、暗い道を歩いていた。
どうせ誰も助けに来ない。
帰り道を襲われたのはわかってる。
燐火が何を言われても悔しそうにも悲しそうにもしないのに、あのリーダー格は相当頭にきていたらしい。
前にもこうやって誰かを大けがさせても、「子供のやったことだから」とかいう理由で全くあのリーダー格は何もされなかった。
それどころか、大けがをさせられた子が学校を出て行くことになった。
だからあの子はやることがどんどん過激になっている。
最近は気にくわない先生に花瓶を投げつけたりして、それで笑っていることもあるくらいだ。
面白いから。
それだけで崖から突き落とされた。
そういう人間が好き勝手をしている。
それを幼い頃から、燐火は思い知らされていた。
不意に周りが明るくなった。
道だったんだ。
それに、手足もきれいだ。
結構高いところから、何度もぶつかりながら落ちた。
ガードレールから放り投げられるようにして落とされたのだ。だから、骨だって折れたかもしれない。
最後に見えた、ニヤニヤしている数人の顔を覚えている。
あいつらの言うことを、大人は完全に鵜呑みにする。
今までもずっとそうだった。
いじめられている子が親に全て言っても、何にもならなかった。
でも、今は擦り傷もない。
手で顔を遮るように光を防ぐ。いきなり明るくなって、ちょっとつらいと思ったからだ。
燐火は明るいのが苦手だ。
これはただ、そういう体質である。
周囲にあわせなさいといって、無理矢理部屋を明るくされるのもいやだった。
周りもそうなのだからと言って、無理を言われる。
そういうのは、とてもつらかった。
「また随分と小さいのが来たな」
おじさんの声だ。
周囲をゆっくり確認するけれど。
道らしい場所だったのが、いつの間にか建物みたいになっていた。なんだろう、これは。
どこだろう。
孤児院に戻りたいとは思わない。
ただ、ぼんやりと、何がおきているのだろうと燐火は思った。
「どれどれ……これはまた随分とひどいな。 親は薬物中毒で両方とも死んで、それで孤児院に。 孤児院でも学校でも居場所なしと。 学校では……これはいじめというよりも犯罪だな。 そのあげくに突き落とされて致命傷か」
致命傷。
多分しぬような傷だということは燐火にもわかる。
上から降ってくる声は、見たこともないくらい大きなおじさんが話しているようだった。
「致命傷ではあるが、今なら間に合いそうだな。 ただ、本人の意思次第だが」
「このような幼い子供に決断など無理だろう。 どのみち体が必要だったのだ」
「そういうわけにもいかん。 人間の尊厳というのは馬鹿にしてはならぬものなのだぞ、ギリシャの冥界の番犬」
「そうだな、それはあまたの死者を見てきた俺も知っているさ」
ふと燐火は気づく。
となりにものすごく大きな犬がいた。
いや、犬なのか、それは。
頭が三つもあって、たくさんの蛇の尾を持っている。
それが寝そべるようにして、燐火を見ていた。
怖い、とすら思わなかった。
存在が違いすぎて、そう思うことすらあり得なかったのだ。
食べられて終わりかな。
そう考えている燐火に、大きな犬がしゃべりかけてくる。
「俺はケルベロス」
「……」
「ちと野暮用があって、この異国の地に来ている。 この地の神々と冥界に許可を得て、体を探していた」
体。
餌のことだろうか。
どうでもいい。
これから、何か良いことがあるとも思えない。
食べるならひと思いに、と思う燐火だが。
ケルベロスと名乗ったおっきな犬みたいな怪物は、淡々と言う。
「思念はわかっている。 その年で随分とひどいことになっているものだ。 この地でできることは限られているが、多少の運勢操作くらいならできる。 お前の生活を少しはましにしてやろう」
「……」
「まずはあのろくでもないクソガキとその取り巻きからだな。 あれらはどう処理しても構わぬな」
「こちらでも所業は確認している。 好きにするが良い」
おじさんとケルベロスという大きな犬が話している。
返事をどうしてもいいかもわからない。
というかだが。
ここしばらく、燐火はしゃべれなくなっていた。
何を言われても答えない燐火に対して、クラスの人間はあらゆる罵声を顔をゆがめながら浴びせてきた。
孤児院でもそれは同じだ。
よくわからないけれど、それは悲しいことなのかもしれない。
ただ、心が麻痺していて、よくわからない。
「用が済んだら体からは出ていく。 生きるかどうかは、その時決めると良いだろう」
「……」
何もしゃべれないまま。
光が全てを包んでいた。
目が覚めると、病院だった。
燐火は手を見る。包帯でぐるぐる巻きだ。
夢でも見たのだろうか。
不愉快そうな顔をしている孤児院の先生。お医者さんが来てにらむと、舌打ちして出て行った。
お医者さんが、何があったのか聞いてくる。
崖から数人の子供が燐火を落とすのを、崖の近くから通りがかった旅行者が見ていて、通報してくれたらしい。
それで救急車が来て、すぐに助けてくれたそうだ。
警察も来たとか。
それで警察には、クラスのリーダー格が、燐火が下をのぞき込んでいて危ないから助けようとしたとか言ったとか。
それを聞いて、燐火は違うと思ったけれど。
代わりに、声が出ていた。
「違います。 あの人たちに襲われて、崖の下に突き落とされたんです。 ガードレールから放り出すようにして」
「何だって。 警察が受けた証言とはまるで違うな。 それに撮影された映像や証言ともそれで一致する」
「あの子の親はお金持ちで、学校では何をやっても許される状態です。 先生もみんな親の言いなり。 あの学校のクラスから、たくさん不自然に転校している生徒達がいます。 調べてみればわかります」
「……わかった。 いずれにしても、目撃者も笑いながら落としているように見えたと言っていた。 警察に相談してみるよ」
医者が行く。
孤児院の先生が、それから戻ってきた。
高圧的なものいい。
良い孤児院はあるらしいけれど。燐火は見たこともない。
「おい斑鳩。 余計なことは言っていないだろうな」
「余計なこととは?」
「……お前、随分はきはきとしゃべるじゃねえか。 いっつも愚図みてえに黙り込んでいるくせによ」
「私が数人に襲われて突き落とされたことなら先生に言いました。 目撃者も他にいるそうですね」
それを聞いて、孤児院の先生の顔色が変わる。
見る間に怒りに顔が歪んでいった。
燐火は既に確認したが、手足は折れていない。
落ちたときに折れた感覚があったのだけれども、全部直っていた。
覚えている。
大きなおじさんや、ケルベロスのこと。
意思が、心の奥底からわいてくるようだ。
「余計なことを言いやがって! 金木さんはうちにもよくしてくれているんだぞ! その娘さんに迷惑がかかるようなことを言ったら」
「言ったら何です」
「……っ」
警官が医師と一緒に部屋に入ってきていた。
ナースコールを押していたのだ。
知っていた。
孤児院の先生が、この辺りの顔役だとかいって、クラスのリーダー格の親に、下卑た笑顔で手もみしているのを。
その親は孤児院の子らを舌なめずりするように見ていて、人間を見る目で見てはいなかったことも。
警官が手帳を見せて、孤児院の先生の周囲を囲む。
「県警です。 貴方の孤児院での性的虐待の容疑が出ていましてね。 ご同行願います。 それと、金木家から付け届けを受け取っていたこともわかっています。 納税もせず、私的に着服していたようですね」
「そ、そんなこと、誰が……!」
「確保」
悲鳴を上げた孤児院の先生を、警官がそのまま取り押さえる。
孤児院の先生がこっちを見る。
燐火は、多分冷たい目で見ていたと思う。
裸で写真を撮られたり、触られたことは昔はよく理解していなかった。今だとなんとなく何をされていたかわかる。
それを売って金にしていただろうこともだ。
女性警官が一人残った。
まだ若い警官だった。
椅子を医師が用意すると、どういうことがあったのかを丁寧に聞いてくる。
どうしてだろう。
不思議なくらい活力がわいてきて、今まであったことを全てすらすらと話すことができた。
あのクラスのリーダー格がいじめていた子の名前も全て覚えている。
燐火の前に突き落とされた子のことも。
取り巻きの名前も、全て言うことができた。
すらすらと言葉が出るので、女性警官は驚いていた。
「ここまで正確な証言ができるなんて。 子供の証言能力は裁判では有効にならないのだけれど、これだと話は違うかもね」
「三日前の伊月屋の監視カメラを確認してください。 その時、取り巻き達と一緒に私を襲って暴力を振るっていたのが映っていると思います」
「……わかったわ。 調べてみる」
女性警官が、どこかに連絡を入れていた。
なんだかよくわからないけれど。
燐火の周りにあったよくないものが、全て追い払われていくように思えた。
金木産業はこの街の王だった。金木一族は金にものを言わせて、人口五千人ほどの小さな街を事実上支配していた。
警官すら、駐在は実質上買収されていた。
それらが、全て明るみになったのは。
時代が変わったから、だろうか。
この街はおかしい。
そういう情報が、ネットで拡散されていったのだ。それで、旅行者が面白がってくるようになった。
その一人が、録画したのである。
数人の子供が、崖から子供を投げ下ろす光景を。
この光景はSNSに投稿され、またたくまに大炎上した。
更にもう一つ問題が起きた。
この出来事と前後して、金木産業が地方議員に対して膨大な賄賂を渡していたことが、警察の内偵で発覚したのである。
様々なことで便宜を図らせるだけではない。
その中には、犯罪を黙認するように警察に圧力をかけるものまであった。
どちらかだけでは、もみ消されていたかもしれない。
だが、これが同時に起きたことが、金木産業にとって致命傷になった。
株価は一夜で紙くずになった。
更に従業員からの同族経営特有のえげつない労働が暴露されたことも、炎上を更に加速させた。
一瞬にして資産全てを失った金木一家は、まとめて逮捕。
学校で暴虐の限りを尽くしていた金木家の子供三人は、全員がそれぞれ少年院に送られることになった。
さらには、児童に性的虐待までしていた孤児院は摘発され。院長は逮捕。
20世紀末におきた事件の再来とまで騒がれた。
孤児院は摘発され、潰されて。其処でおきていたことが明らかになると、街そのものが悪魔の住む場所みたいに言われるようになった。
実際金木一族の暴虐は凄まじく、街そのものが陸の孤島に近いこともあって、誰も逆らえなかった。
様々な国の独裁者がそうであったように。
無能であっても独裁の才能だけはあったからである。
だが、そういった国家は度々一瞬で瓦解してしまうように。
金木産業もまた、一瞬で瓦解したのだった。
しばらくは、この一族の暴虐ぶりが世間を騒がせたが。
やがて、実刑判決が関係者ほぼ全員に出ると。
それで騒ぎは静かになっていった。
養子縁組手続きを経て、名前も変わって、新しい家に移ることになった。
相手はあの女性警官だ。
住んでいる県も代わった。
何回か警察で話をするように言われたので。孤児院で何があったのか、学校で何がおきていたのか、全て話した。
それらの話が裁判であのクラスのリーダー格が少年院送りになるのに随分役立ったらしいし。
孤児院の先生が実刑を受けるのにも随分貢献したらしい。
あたらしい家はそこそこ大きな家だ。
なんでも女性警官の旦那さんがそれなりに稼いでいるらしい。ただあまり忙しい仕事ではないらしくて。女性警官の方が家を留守にしているそうだが。
養子縁組を終えて、平坂という名字になり。
以降は斑鳩燐火から平坂燐火となった。
それでわかってきたことがある。
少しずつ自分でしゃべれるようになってきた。
今までは、きっと代わりにケルベロスがしゃべってくれていたのだ。
感謝している。
これでやっと、燐火は一人の人間として生きていくことができる。
たまに、ケルベロスが話しかけてくる。
頭の中に、だけれども。
「少しばかり運を操作した」
「運?」
「そうだ。 あのままだと、燐火はどのみち孤児院に連れ戻されたあげく、最悪殺されていただろう。 お前がまだ生きたいかどうかはこれから考えれば良い。 いずれにしても、あれらにはちょっとよくないものがついていたからな。 それを祓ったのだ」
よくないものというのはよくわからないけれど。
ただ、相応の報いがあったのはよかった。
あのリーダー格、金木麗美は、一体何人の子を不幸にしたかわからない。
女子の方が、いじめでは残虐だ。
燐火はよくそれを知っていた。
そしていじめで少年院に入ってくるような奴は、もっともいじめられるらしい。今度はあいつがいじめられる番。
もはやお金も後ろ盾もない。
それにあいつは、反省なんて何があってもしないだろう。だからそのまま、野垂れ死んでしまえば良いと燐火は思っていた。
「とりあえず、少しずつしゃべるようにしていこう。 俺を頼るなよ。 お前が実生活では自分で歩くんだ。 いずれ俺はいなくなるのだからな」
「うん……」
「栄養状態などは改善するはずだから、それでいずれはましになるだろう。 後は勉学だな。 俺はこの世界の学問については大して知らんから、自分で頑張るようにな」
勉強か。
あいつらが騒いで暴れていて、授業にならなかったのを思い出す。
何をやっていたかなんて誰も覚えていないだろう。
真面目にテストを受けているという理由でいじめられ、めがねをつけたまま顔面を石にたたきつけられて、視力を落とした子だっていたのだ。それについても話をした。少しはあの子が報われていると良いのだが。
ともかく、これからはまっとうな生活をしなければならない。
頷くと、燐火は新しい家で、やっていく覚悟をするのだった。
※ケルベロスについて
勘違いされているのですが、ケルベロスは地獄の番犬ではありません。これとても大事。
ギリシャ神話にはあの世に「冥界」と「地獄」(タルタロス)が存在していて、普通は冥界に行きます。タルタロスに落ちるのは、ゼウスに敗れたタイタン神族などや、ごく一部の超極悪人くらいです。
ケルベロスはこのうち冥界の番犬です。地獄の方はヘカトンケイレスという三兄弟の巨人達が守っています。
地獄の番犬イメージは、後の時代に一神教によって作られたもので、いわば悪魔化の結果です。
ダンテの神曲などで出てくるケルベロスは、この悪魔化されたものですね。
本来のケルベロスは蜂蜜菓子が好きで(本当に死者の墓にケルベロスを怒らせないための蜂蜜菓子を入れる習慣があった)、人情家の冥界の立派な番犬です。