魔法少女アギア・ケルベロス~俺は地獄の番犬ではない   作:dwwyakata@2024

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たまたま通った剣道道場で、燐火は体験入学の間に随分と色々と学びました。

充子といういい友達も出来ました。

幸運のなせる業ですね。

剣道道場もろくでもないところは本当にろくでもないので。





3、それは貪欲であってもいい

剣道の最後の道場通いの日。

 

なんと師範が直に稽古をつけてくれるということだった。

 

それにしても、これはすごい。

 

向かい合ってみると、圧倒的な力の差がよくわかる。

 

この人は、年齢的にはお父さんより上だ。

 

それでありながら、肉体は下手な二十代のアスリートなんかよりも磨き抜いている。

 

その上、武道に関しても徹底的に己に厳しく当たり。

 

頂点に近いところにまでたどり着いていると見ていい。

 

ケルベロスがぼやく。

 

「これはすごいな。 ギリシャにいたなら、星座にしてやりたいところだ」

 

「星座?」

 

「ギリシャにおいては星座は永遠不変と考えられていた。 つまりそれは、最大限に名誉なことだ」

 

「そうなんだね」

 

星は超新星爆発でなくなる。

 

実際有名なオリオン座は、いつ形が壊れてもおかしくないと言われている。構成する星の一つが、いつ超新星爆発してもおかしくないから、である。

 

向かい合って、礼。

 

今日はカトリイヌさんも来ているのだが。

 

カトリイヌさんを守護しているドミニオンが、一切何も言わない。

 

それくらい。すごい相手だということだ。

 

礼をして、立ち上がると。

 

その瞬間、勝てないことがわかった。

 

充子の比ではない。

 

即座に三度面をとられて終わり。

 

だが、道場主、師範の圧倒的な強さを見て、誰もが固唾を飲んでいた。

 

「これは負けてもまったく悔しくないね」

 

「ああ。 だが、いずれこの領域にたどり着くことを考えても良いのだぞ」

 

「そうだね」

 

燐火がこの後、どういう人生を送るかはわからない。

 

魔祓いは国から補助金が出るという話だ。

 

それで生活していくのも良いかもしれない。

 

ただ、今の武芸を身で受けたのは。

 

いずれ大きな財産となる。

 

立ち上がったのは、カトリイヌさんだ。

 

「い、一手、お手合わせ願いますわ!」

 

「良いだろう」

 

燐火に対抗意識を燃やしたのか、カトリイヌさんが前に出る。

 

ポンなこの人だが、上達は早くて、同年代の男子と互角に渡り合えるように既になっている。

 

フェンシングをしていたのも要因なのだろう。

 

ただ、礼をして向かいあった瞬間、わかる。

 

燐火の時以上の差がある。

 

完全に動けなくなった。

 

「虎ににらまれたネズミだな」

 

「残念ですが、同意見ですね」

 

ドミニオンが、ケルベロスとそんな会話をしている。

 

そのまま、一歩も動けないまま。カトリイヌさんは一本を決められていた。

 

漫画なんかにある気なんてものは存在しない。

 

気を飛ばして何か破壊するようなことなんて出来ることはない。

 

だけれども、今のは。

 

人間の根源的な恐怖を刺激して、それで相手の動きを完全に封じた。いや、ちょっと違う。

 

技術的にそれをやったんじゃない。

 

あの人ほどの達人だと、自然とそうなるんだ。

 

操気なんてのは、所詮は夢物語に過ぎない。中華武道における発勁なんてものは、実際に使えるとも思えない。

 

だけれども、こういう気迫で相手を圧倒するというのは実在するのか。

 

今までも剣道をしていて、見た瞬間勝てないと悟ることはあったけれど。

 

なるほど、ここまで自分を磨けば。

 

こういった、無駄な戦い、労力を避けることも出来るわけだ。

 

最後に、師範が話してくれた。

 

「短期で通ってくれた者も、またいつでも来てほしい。 我が道場はいつでも門戸を開いている」

 

「ありがとうございました!」

 

その後は、解散する。

 

ちなみに充子は、ちょっと遠い学校にいるので、学校で顔を合わせることはない。

 

まあそれはそれだ。

 

メールではやりとりするし、個人としては遊びに来るつもりだ。

 

充子は充子で、メールで話していると、色々とわかってくることもある。

 

意外と味覚は子供っぽかったり。

 

幽霊の類が苦手だったり。

 

色々と普通のところもある。

 

今後はもっと会う機会を増やしていきたいものだ。

 

カトリイヌさんが声を掛けてくる。

 

厳しい表情だが。

 

前とはちょっと雰囲気が違っていた。

 

「貴方のこと、少し見直しましてよ」

 

「どうしたんですか、急に」

 

「言葉通りですわよ。 あの師範、まるで虎のような気迫でしたわ。 私は動くことすら出来なかった。 それに対して、一瞬で負けたとはいえ、貴方は勝利しようと動くことは出来た。 だいぶまだ差がありますわね」

 

「……ありがとうございます」

 

礼は素直に言っておく。

 

相手が異教は全て悪魔扱いする一神教の魔祓いであっても。

 

それでも魔祓いとしては侮れないというのは、ケルベロスの話だ。

 

それで、別れる。

 

この道場では、多くのことを得た。

 

もう少し余裕が出てきたら。

 

また足を運びたい。そう思った。

 

 

 

翌日。

 

日女さんと一緒に、お寺に行く。

 

自転車があればもう少し楽だと言われたが。燐火は自転車に乗るつもりはない。走ればいいし。

 

ただ、自転車でも極めると八十㎞くらいは出せるらしい。

 

そうなると、下手な車より速いから、確かに便利ではあるのだけれども。そこまでいくのに、かなり鍛えなければならないだろう。

 

燐火にはそれをやっている時間が、残念ながらない。

 

いずれにしても二時間ほど歩いて。

 

途中でダイモーンの気配。

 

寄り道して、退治していく。

 

これに関しては、日女さんがやっているところをみたいというので、ついでに付き添ってもらった。

 

ダイモーンは正直たいした相手ではなかった。ケルベロスが呼び集めている過程で、ここに来る途中だったようだが。

 

いずれにしてもほぼ人間に悪運を授けてはいなかったようで。

 

カコダイモーンよりも、ただのダイモーンに近かったようだ。

 

虚空に文字一発で消し飛んだ。

 

それをケルベロスが回収して終わりである。

 

ただ、その辺りにいた不良に悪運を送ろうとしていたようだったので。事前に阻止できたのはよかった。

 

あの手の輩は、成功体験を積むといくらでも犯罪を重ねる。

 

だから、事前にひどい目にあっておけば、ある程度自制は出来るだろう。

 

事実ダイモーンがいなくなった瞬間、たばこを吸っていた一人が、手にたばこの灰を落としたらしい。

 

悲鳴を上げて転げ回っていた。

 

もう一人が、笑いながら何か言おうとした瞬間、警察が側に車を止めていた。

 

まあ、見た感じ中学生だし、補導対象だろう。

 

県によっては警官がまともに仕事をしないなんて話を聞くが。

 

少なくともここではまともに仕事をしている、ということだ。

 

連れて行かれる不良中学生二人。

 

着替えをそそくさと始める燐火を見て、日女さんが呆れ気味に言った。

 

「俺も仕事の時には仕事着に替えるが、何というか独特な格好だな」

 

「顔を隠すためだそうだ」

 

「そうか。 まあそれで力を高められるのなら良いんじゃないのか」

 

「ああ、そうだな」

 

ケルベロスがどうしてか諦め気味である。

 

燐火としてはよくわからない。

 

ともかく着替えも終わったので、そのまま寺に行く。

 

今日紹介してくれるのは、仏教系の魔祓いで、この辺りでは屈指の実力者だそうである。

 

あまり祖母とは仲がよくないらしいのだが。

 

日女さんとは仲が良いらしい。

 

現在では僧職は結婚してはいけないみたいなルールもないので。

 

それで普通に結婚もしているそうだ。

 

夫婦そろって魔祓いらしいが。

 

今回紹介してくれるのは夫のほう。

 

いずれにしても、とりあえず寺に。そこそこ立派な寺で、綺麗に掃除されているのがわかった。

 

静謐な空間だ。

 

道場と空気が似ている。

 

寺の奥に住居があり、其処で生活をしているらしい。

 

チャイムを鳴らすと、高校生くらいの女の子が出てきた。まあ随分と綺麗な人である。大人っぽいというか。

 

ただ、おっとり系ではあるが。

 

あまり縁がなさそうなタイプの人ではあった。

 

「あら、日女ちゃん。 お久しぶり」

 

「久しぶりだ菖蒲姉。 そっちが話をしておいた」

 

「平坂燐火です。 よろしくお願いいたします」

 

「菖蒲です。 よろしくね」

 

燐火の目を見ても別にひるむ様子もないか。

 

とにかく家に上げてもらう。

 

家については、日女さんの家と同じで、普通に裕福そうだった。魔祓いはそれほど数がいるわけでもないので。

 

補助金でそれなりに手厚く保護されているらしい。

 

結構悪神は日本各地で出るし。

 

仏教系で退治できる悪霊の類もたくさんいるので。

 

それらが害を為す前に退治できるのなら、裕福な生活くらいは別にさせても良いと政府が考えているらしい。

 

そういう話をされて、そうなのかとだけ燐火は思った。

 

客間に通してもらう。

 

しばらくして、お茶と菓子をいただく。

 

割とおいしいが、おとうさんの奴の方が上だな。そう思った。それにこれ、恐らくは手作りだ。

 

「日女ちゃんは彼氏とか出来そう?」

 

「いや別に。 俺よりも出来る奴じゃないと興味ないし」

 

「あら。 学校にはいないの?」

 

「学校は論外だ。 同業者でも現時点ではどいつもたいしたことがないな。 この間、五人がかりで対処できなかった悪神を俺が魔祓いしてから、周りが腫れ物扱いだ。 俺もまだまだなのに。 女の方だと多少は出来る奴が二人いるんだが」

 

相変わらずねと、菖蒲さんが言う。

 

この人は、ちょっと考えがわからないな。

 

ケルベロスが言うには、魔祓いではあるっぽいが。何が憑いているかはよくわからないらしい。

 

「菖蒲姉が男だったら結婚したいくらいなんだが」

 

「まあ。 嬉しいわ。 でもちょっと年が離れすぎかしらね」

 

「たった四歳だろ。 俺はそれくらい構わねえよ。 相手が年下でも同じだ」

 

「うふふ、うまくいかないものね」

 

とりあえず、和やかに話をしていると、どうやら来たらしい。

 

僧衣に身を包んだ厳格そうな男性だ。

 

頭を剃っているが、それはそれとして目つきが尋常ではなく鋭い。

 

怖いもの知らずに見える日女さんですら居住まいを正す。菖蒲さんも、すっと背筋を伸ばしていた。

 

「林西だ。 今日はよく来てくれたな」

 

「燐火です。 よろしくお願いいたします」

 

「うむ」

 

じっと見られる。

 

観察されたようだが。一瞬で見透かされたような気がした。

 

「ほう、冥界の番犬か」

 

「お前は冥界の関係者か」

 

「似たようなものだ。 十王と同一視されることもある。 我が名は不動明王」

 

「ケルベロスだ。 その名はとどろいているぞ」

 

ケルベロスと、林西さんに憑いている神格が話し始めた。

 

咳払いをすると、林西さんは言う。

 

「精神修養について学びたいそうだな」

 

「はい。 今まで教わったことについて、まとめてきました」

 

「ほう、聞かせよ」

 

頷くと、順番に説明する。

 

実行もしている事についてもだ。

 

それを聞き終えると、林西さんは腕組みして、ため息をついた。

 

「その年で即身仏になるつもりか」

 

「即身仏?」

 

「生きたままミイラになる究極の修行だよ」

 

日女さんが教えてくれる。

 

即身仏か。

 

それはまた、怖い話だ。

 

「君の話は既に日女くんから聞いている。 地獄そのもののその目、確かにこの世界に希望など一切もてまい。 更に混沌を深める現在の世界情勢からも、その心があまりよい方向に動かないのはようわかる」

 

「はい」

 

「とりあえずもう少し楽しんでもいいだろう。 仏教は悟りに至る教えではあるが、全ての楽しみを排除せよと教えるわけではない。 正しく生きることを重視する思想だ。 そもそもインドでは苛烈な修行で身を持ち崩す行者が多数いた。 それらの体を壊すような修行をすることが本当に正しいのか、という思想から始まったのが仏教なのだ」

 

なるほど。

 

仏陀という仏教の創始者について教わる。

 

苛烈な修行で苦しんでいたとき、かゆをもらい。それで生の美しさを知ったのだそうである。

 

そういうものだ。

 

「見たところ、君は何一つ楽しいものがないのではあるまいか」

 

「そうですね。 正直何か面白いと思ったことはほとんどありません。 興味を持つことはありますが」

 

「それでそこまで心身を練り上げたのは立派だが、自身の好きなものをしっかり把握しておかないと、とんでもない方向に一瞬で堕落する事がある」

 

「覚えがある話だ」

 

ケルベロスがぼやいた。

 

ギリシャ時代にも高名な哲学者はたくさんいたらしい。

 

だけれども、ギリシャ哲学はやがて屁理屈をこね回す言葉遊びに堕落していったのだそうだ。

 

高潔な男が、たちが悪い女に引っかかって、一瞬で堕落してしまったりするのは。ケルベロスも何度も見たという。

 

「恋を知れとかそういうことをいうつもりはない。 ただ、知識は広範囲に持っておく必要があるだろう。 それと自身の快楽についてもある程度は把握するべきだ。 自身の弱さを自覚できていない人間は、落ちるのも一瞬だ」

 

「わかりました」

 

それから、具体的な話に移る。

 

精神修養についてのやり方についてだが。

 

堕落とはなぜおきるかを、自分で把握した方が良い、というのだ。

 

修行だけやって高度な精神的な領域にたどり着いたと思い込んだような輩は、実際にはただ魔道に落ちているだけの事が多いらしい。

 

それもあって、高僧が般若湯とか言って酒を飲み。子供相手に性欲を発散し。蓄財に励む事は珍しくもない。

 

これは洋の東西、信仰の種類、関係ない真理なのだとか。

 

お題目などどうでもいい。

 

どんな淫祠邪教でも理論武装だけはしているのだそうだ。

 

だから、実際に人を救うことを実践する。

 

それだけが信仰の大義であると。

 

そうとまで林西さんは言い切った。

 

坊主の筈なのに、ものすごいなとぼやくケルベロス。がはははと、面白そうに不動明王が応じている。

 

いずれにしても、参考になった。

 

細かい精神修養についての技術は教わったし、今の話については参考になった。ただ燐火は、はっきりいって男性に興味は持てない。

 

まだガキだというのも理由の一つだが。

 

それ以上にやっぱり、あの孤児院での出来事がトラウマになっているのだと思う。

 

ああいう輩だけではないとはわかってはいるが。

 

それでもどうにかして、いつかは克服しなければならないことなのかもしれなかった。

 

 

 

帰路。

 

今度は日女さんが、仕事だと言った。

 

日女さんの場合は、大艸だけあればどうにか出来るらしい。正装であれば更に力を出せるらしいが。

 

それはそれ、これはこれだそうだ。

 

今度は燐火が見せてもらうことにする。

 

燐火には見えない。

 

とにかく、悪霊がいるらしい。悪神ではないだけまだマシだと、日女さんが言った。

 

ただ、この国では悪霊が悪神なみの力を持つことは珍しくもないらしいので。

 

それでも、油断は絶対に厳禁だそうだが。

 

ともかく祝詞を唱え、そして喝を入れる。

 

それだけで、空気が変わるのがわかった。

 

なるほど、まだ技量は桁外れなんだなとわかる。燐火には見えなかったが、この様子からして。

 

悪霊は消し飛んでしまったのだろう。

 

「あれは死者の霊という扱いなのか」

 

「ん? ああ、この国では基本的にそうだな」

 

「霊と言っても色々だな。 俺の国では、ダイモーンはあくまで超自然的な霊的存在という扱いであったからな」

 

「そういえばギリシャ圏では基本的に死者は問答無用で冥界行きだったか」

 

ケルベロスと日女さんが話している。

 

ほとんど消耗はしていない。

 

まあ実力もある。この程度の相手なんて、問題にもならないのだろう。

 

燐火はダイモーンを祓った後、その土地の浄化までは出来ない事も多いので、確かに日女さんがいると助かる。

 

現時点では、ダイモーンと悪霊および悪神という対応できる存在の違いはあれど。

 

魔祓いとしての実力は、日女さんが完全に上位互換だ。

 

まだまだ実力をつけなければならない。

 

それは強く燐火は感じる。

 

歩いて、家の近くまで来た。

 

日女さんは、とりあえず何かあったら連絡しろと言ってくれたので。ありがたく言葉に甘えさせていただく。

 

燐火としても、まだまだ色々と足りないのだ。

 

それに、である。

 

「林西さんの言葉、参考になったね」

 

「ああ。 信仰には簡単なものと屁理屈をこね回すものがあってな。 仏教はその傾向が強いのだが。 ああいう風に、本来の思想に立ってものをいえる僧侶はなかなかに珍しい。 政治的に権力を得るタイプではないかもしれないが、紛れもなくあれは高僧であるよ」

 

「ケルベロスの信仰されていた時代もあまり変わらなかったんだね」

 

「ああ。 堕落神職はいくらでもいた。 今後も、人間が信仰とともにある限り、信仰を言い訳にして堕落し蓄財する外道はいくらでも出続けるであろうな」

 

いずれにしても、ろくでもない話だ。そう燐火は思った。

 

家に戻ると、とりあえず教わったことをまとめていく。

 

それぞれに相互で矛盾している内容はない。燐火でも充分に実践が可能だ。

 

今の年齢では、まだまだ何かを極めるなんてのは、とても無理。

 

特に武道やら武術やらなんかは、それこそ老境に入っても極められない人は極められないだろう。

 

それを考えると、丁寧に土台を作るのは大事だ。

 

それに、である。

 

転ぶなら、今のうちに転び方を学んだ方が良いかもしれない。

 

今回林西さんの話を聞いていて、それはわかった。

 

わかったが。

 

どうしたらいいだろう。

 

悩んでいると、ケルベロスが呆れた。

 

「そう悩むことでもあるまい。 燐火が好きなものを探して、それで一度大いに失敗してみればいい。 まだ色恋で悩む年でもない。 そうすれば、転び方を学ぶことが出来るだろう」

 

「そうだね。 林西さんの話は正しいと思う。 委員長タイプの真面目な人が、カスに引っかかって不良になるなんて話よくあるみたいだし」

 

「それがわかっていればいい。 堕落を受け入れるのは論外だが。 堕落を知って、それをはねのければいいだけだ。 今の燐火ならそれが出来るだろう。 出来るように、今から備えるには、まあ好きなものを作ることからだな」

 

頷くが。

 

別に味覚とかでも、「比べれば好き」といえるものはあっても、別にそれで失敗するような事はない。

 

今の両親は好きだが。

 

関係を壊すのはまずい。

 

わがままでも言ってみるか。同年代の子供がやるように。

 

それで失敗してみるか。

 

お金が絡む失敗はやめた方が良さそうだ。だとすると、大事なものを何かしらの形で失うのがいいか。

 

座って考える。

 

アラームが鳴った。休憩時間を過ぎた。

 

外で、鍛錬を始める。

 

雑念の払い方を覚えたからだろう。とにかく、上達が明確に早くなっている。単純動作を順番にこなしていく。

 

正拳突きを何度か練習した後、拳を実際にたたき込んでみる。

 

練習用のベニアに、手応え充分にあり。

 

これは人間にたたき込んだら、普通に骨まで行くな。同年代の子供だったら、内臓が破裂するかもしれない。

 

抑止力としては申し分ないが。

 

ただ、まだまだ全然足りないな。

 

更に拳をたたき込む。

 

これは、楽しいか。いや、楽しくはない。興味は持てるが、それだけだ。ふっと心が静かになる。

 

そのまま、淡々と拳をたたき込む。

 

やがて、ばきりと音がした。

 

かなりしっかり作ってある打撃用の的だったのに、割れてしまった。

 

それで、すっと心がまた冷えた。

 

おかあさんが作ってくれたのに。

 

そう思うと、どっと後悔が来る。

 

ダメージが入っているのはわかっていたのに。そう思うと、とても申し訳ないことをしたと。

 

燐火は思った。

 

 

 

何かを壊したことに対して、それほど罪悪感は感じない。

 

本物の悪人を見てきた燐火だ。

 

悪人相手だったら、身を守るためだったら何をする覚悟でもある。

 

だが、やっと出来たと今ならわかるまともな家族が用意してくれたものを、なんとなしに破損させてしまった。

 

意味があってやったことではなかった。

 

それが、とても神経に来た。

 

おかあさんに事情を告げて謝る。

 

おかあさんは現物を見て、それでため息をついていた。

 

「もう少し長持ちすると思ったのだけれどね」

 

「ごめんなさい、おかあさん。 無心で正拳突きを入れていたら、興味がどうしても出てしまって」

 

「ああ、いいのいいの。 これは壊れる事を前提で作っているから。 ただ、小五で壊されるとは思っていなかったのよ」

 

「そうなんですか。 それでも調子に乗ってしまっていたと思います」

 

自省の念が強い。

 

そして、やっと少しだけ理解する。

 

これが林西さんの言っていた感覚だ。

 

人生全部うまくいっていた人は、おそらくこういう感覚すらも味わったことがないのだと思う。

 

本当に邪悪な人間が持っている闇を見たこともなければ。

 

失敗したとしても、顧みることすらない。

 

だから、いざ闇と相対したとき。

 

簡単に落ちてしまうのだろう。

 

おかあさんが物置から、色々出してくる。

 

そのまま燐火も手伝って、前よりも更に頑丈な的を作る。そして、おかあさんが手本を見せてくれる。

 

ずんと、すごい音がした。

 

「相手がゴリラでもない限りは、これくらいの打撃を入れれば、悶絶して動けなくなるものよ。 人間の体というのはもろくてね。 筋肉なんてどれだけ鍛えたって、質量弾の前には無力なの。 どうしてもおかあさんも腕力では体格に勝る男には勝てないけれど、それでもやりようによっては勝つ手段がある。 それを理解するために、これはあるの。 壊れてしまった分は、燐火に色々教えてくれたのだと思う。 だから、感謝してあげて」

 

「はい」

 

壊れてしまった分は、そのまま分解する。

 

そして、どうにもならないベニヤの部分はゴミとして出す。

 

使える部分は、とっておいて。

 

そのまま、次の的に再利用した。

 

今度は漠然とした的ではなくて、人体の形状にする。

 

「出来れば動く的が良いのだけれど、燐火の年だったら、まだ動かない的の方がいいかな。 ただ、今度のは見て」

 

的の支えに柔軟性が持たされている。

 

つまり実際の人間と同じように、棒立ちではないということだ。

 

棒立ちの相手だったら、今の燐火でも内臓にまで痛打を入れられるとおかあさんは説明してくれる。

 

だが、相手が棒立ちではない場合は。

 

そう簡単にはいかないそうだ。

 

「格闘技の知識がある人間なんかは、どうしても攻撃を受け流してくる。 そうすると、筋肉の壁がちゃんと意味をなしてくる。 銃弾とかが相手になってくるともうどうしようもないけれど、人間の拳なんて、ボクシングのヘビー級のチャンプでもせいぜい六十㎞程度しか出ない。 そんなものだったら、人間の動きでいくらでも緩和できるのよ」

 

「そうなんですね」

 

「だから、緩和した上でも通るように打撃は練習する。 まあ、言うよりも実際にやる方が早いわ。 見本を見せておくから、自分で練習しなさい」

 

「基礎から応用に移行だな。 ミスを発展につなげることが出来た。 それだけでよしとしよう」

 

ケルベロスも言ってくれるが。

 

これはひょっとして。

 

燐火の運勢を操作して、燐火がへこむような、実際にはたいしたことでもないミスをするように仕込んでくれたのか。

 

だが、それが仕込みであったとしても。

 

燐火は感謝するしかない。

 

おかあさんが手本を見せてくれる。

 

今までとは別次元に動きが速くて、打ち込んだときの音も、ドスンとすごかった。

 

これは暴漢を黙らせるのも難しくないわけだ。

 

ただ、これでもナイフ持ち相手だと厳しいという話である。

 

鍛えることには限界があるな。

 

それは燐火も、よく理解できた。

 

とにかく、失敗をすること。

 

それの意味は少しだけだがわかった。

 

今後、更に大きな失敗をするときに備えて、今回のことはしっかり覚えておかなければならなだろう。

 

まだまだ世界には悪意が満ちている。

 

そもそもカコダイモーンは、あれは人間を堕落させるのではない。

 

堕落している人間を、更に加速させるものだ。

 

これに関しては、日女さんが相対している悪神や悪霊などもほとんど同じであるらしい。

 

基本的に堕落した人間か。

 

それとも弱っている人間を狙う。

 

堕落している者を更に堕落させ。

 

悪人を更に悪に走らせ。

 

弱っている人間を更に弱らせる。

 

そういうものだそうだ。

 

おかあさんの指導を受けながら、的に正拳をたたき込む。

 

今までの武道の練習で得た動きを、全て活用するが。まだ燐火の練度では、おかあさんみたいな強烈な音は出ない。

 

本当に人を殺せる音だ、あれは。

 

燐火のは、まだよくて同年代、少し年上の男子を悶絶させて、白目むかせる程度である。

 

「よし、基礎はかなりよくなってる。 このまま、おかあさんがいない間も、基礎を積み重ねて、少しずつ応用をやっていこうね」

 

「はい」

 

「まあ、この程度のミスでこれだけ反省できるなら、それはよかった。 何やっても間違いを認めないような最低の人間にならないことがおかあさんの願いだ。 だから、燐火はきちんと育っているよ」

 

それについては、ちょっと寂しい。

 

まだケルベロス以外の相手には、敬語を崩してしゃべることが出来ないし。

 

ろくに笑顔だって浮かべることは出来ない。

 

何度も鏡の前で練習しているのだけれども。

 

どうにも上手に表情筋を作れないのだ。

 

何よりも、相手に笑顔というのをどう浮かべて良いのかよくわからない。それが一番問題なのかもしれない。

 

欠落している燐火だが。

 

今日、一つ学びを得た。

 

ただ、もっとまずい深淵を、見るのではなく体で早いうちに味わった方が良いのかもしれない。

 

それについては、なんとなくわかったのだった。







初めての、精神を能動的にコントロールできずにするミス。

それがこの程度の結果で終わり。

この程度の事でしっかり反省できる。

それでよかったのです。最良の結果と言えるでしょう。


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