魔法少女アギア・ケルベロス~俺は地獄の番犬ではない 作:dwwyakata@2024
極めて厄介な複合魔と化した金木の馬鹿息子その2
燐火を殺すために人為的に作り上げられたそれは、今解き放たれて迫り来ます。
……殺しあいの始まりです。
土曜朝。
おきて食事を終えて、鍛錬をしようと外に出た瞬間だった。
ケルベロスが言うまでもなく、びりびりと何か感じた。最近は精神修養をしているからか、わかるようになってきたのだ。
「燐火、すぐに準備を」
「わかった」
「これはダイモーンだけではないな。 日女とあのポン女にも声を掛けておいた方が良いだろう」
「うん」
ダイモーンだけではない。
それもなんとなくわかる。
ダイモーンだけではなくて、何か混じっている。それも、とてつもなくよくないものが、だ。
着替えて、それで鉄パイプを取り出す。
そしてスマホで、即座に二人に連絡。
日女さんがすぐに出てくれるらしい。カトリイヌさんは寝ぼけていたようだが。どうも悪魔の気配もあるっぽいと追加すると、眠気がぶっ飛んでしまったようだった。
よし、では行く。
ケルベロスは言う。
「ダイモーンとしてははっきりいってたいしたことはない。 だが、なんだこの異様な殺気は。 悪運をばらまくダイモーンと違い、これは明確に殺意を持っている。 気をつけろ」
「わかってる」
さっと飛び出す。
白仮面だ。そういう声が聞こえた。すぐに脇道にそれて、森の中に。相手も接近してきている。
できるだけ人がいない場所でやり合うべきだ。
そう燐火は判断。
走りながら、おそらく会敵地点となる場所を二人に連絡。出来れば菖蒲さんにも来てほしいところだけれど。
菖蒲さんは、あまり連絡しても出ない。
腐葉土を蹴散らして走る。
そろそろ五年生が終わる時期だ。
冬の山だが、だからこそ腐葉土はたんまり蓄えられている。
この辺りは熊は出ないが、鹿が出ることはたまにある。まあ鹿に出くわしても、あまり大きな事故にはならないだろう。
日本の鹿はそこまで獰猛ではない。
アメリカには体重一トン近くまで成長するヘラジカという種類がいるが。日本のはそこまで大きくならないのだ。
ざっと、腐葉土を蹴散らしながら、足を止める。
鉄パイプをふるって、それを見た。
迫ってくるのは、人間が無茶苦茶になったような、おぞましい姿の化け物だ。あれはなんだ。
ケルベロスが呻く。
「一神教の悪魔の気配が強い。 それも人を何人も殺したような力の持ち主だ。 ダイモーンも混じっているようだが」
「り、りんか、だな! クソガキ、クソガキが……! 俺の、家を、潰した、あばずれ……!」
「ほう、言葉からして金木のものか」
「確か金木の三兄弟の一人だね。 顔に面影がある」
その顔も。
ひねられた上に、胴体の真ん中下くらいについている。
完全に人間としては死んでいるとみて良いだろう。
「こ、ころして、おかして、食ってやる! お、おれの、おれのしょうら、いを、めちゃくちゃに、しやがって! おれは、なにもわるいことをしていない! おれは、ただしい!」
「だそうだが?」
「此奴はクラスの同級生の耳を切り落とすのを趣味にしていた。 自殺に追い込んだ人数も四人。 更生の見込みなしだね」
「う、うるせえええっ!」
どうもケルベロスと燐火の声が聞こえているらしい。
喚き散らした金木……確か高野だったか。
そいつが、飛びかかってくる。
即座にすっと青眼に鉄パイプを構える燐火だが。横合いから、凄まじい浴びせ蹴りを、元金木のカス息子にたたき込んだ人がいる。
日女さんだった。
ふっとんだ悪魔憑きが、腐葉土を蹴散らしながら、木にたたきつけられる。腕も足もなく、それでも起き上がってくる。
おのれえとか叫ぶ。
日女さんが、歩きながらこっちに来る。
千早というのだったか。
巫女さんの正装をしているが。雰囲気は、まるで研ぎ澄まされた日本刀だ。
「遅れたな。 あれはなんだ」
「金木の屑息子のなれの果てのようですね」
「そいつらの所業は聞いている。 まあ似合いの末路だな。 ただ、あれから身を守らなければならないが」
「同感です」
鉄パイプを構える。
日女さんは大艸を構えると、指先で挑発。視線を送ってくる。
燐火は魔祓いに集中しろ。
そういう意味だ。
頷くと、跳び下がる。
凄まじいうめき声を上げながら、元金木の息子が飛びかかってくるが、
木を蹴って三角蹴りした日女さんが、中空で迎撃。それどころか二段蹴りをたたき込んで、地面にたたき落としていた。
すごい。
だけれど、人間の動きじゃない。
多分八幡様の力を借りているんだ。
「神おろしだな」
「頼りになるね」
ケルベロスに答えながら、文字を書く。ばちんと、ダメージが入ったのがわかった。だが、あいつは混ざりものだ。
多分カトリイヌさんなどの、一神教系の魔祓いの力がいる。
立て続けに文字を書く。
金木の馬鹿息子だったものは、また飛びかかってくるが、日女さんがあっさり受け止めると、地面にたたきつける。
地面が吹っ飛ぶ。
凄まじい剛力。
ヘラクレスには流石に及ばないが、この程度の相手を物理的に制圧するのは、難しくないわけだ。
ただ、それも万能ではない。
「再生していやがる……!」
「お、おれは正しい! 俺は間違っていない! おれはそいつを殺して、おかして、家族のかたきをとる! おれの一家は、何一つ間違っていない! おれは正義だ!」
日女さんが舌打ち。
確かに滅茶苦茶に潰れた金木のカス息子の体が、再生している。それも、非常に不自然に、だ。
元が人間だとは思えない。
折れ曲がった手足が、ばきばきと音を立てて、いびつにつながっていく。
その間も文字を虚空に書き続けるが、効いているのかこれは。
不安になるが、やめてはまずい。
そのまま続ける。
「あのポン女は!」
「まだしばらくかかると思います」
「仕方がない!」
日女さんが前に出ると、もはや虫か何かにしか見えない動きで襲いかかってくる金木のカス息子の顔面を蹴り砕き、さらには振り返りながらの回し蹴りで吹っ飛ばす。とにかくその間にも文字を書いてダメージを与え続けるが、ダメージが薄い。
西洋の悪魔の力が混ざっているとなると、効き目が薄いのも仕方がないだろう。
日女さんがぼやく。
「この手の奴を軍事利用する事は誰もが考えるんだがな。 こうやって制御できなくなるから誰もやらねえんだよ。 俺が知っているだけでも、数件街が滅びるレベルの事故が起きてる。 それでもやる馬鹿はいるんだな」
「やはり効き目が薄いです。 燐火も一旦前線に加わります」
「いや、燐火は聖印切っていてくれ。 これでもダメージは入っている。 少しずつ再生が遅れている。 後は俺がどうにか此奴を押さえ込む」
すっと態勢を低くする日女さん。
それに対して、喚きながら金木のが近くの木の枝をばきばきと引きちぎった。鋭くとがった木の枝を振り回しながら、喚く。
その猛攻をかいくぐると、日女さんが立て続けにラッシュをたたき込んでいた。
吹き飛ぶ手足。
鮮血が飛び散る。
更にまた顔面を蹴り砕かれ、金木のが吹っ飛ぶ。
それでも再生してくる。
あれはもう。
悪魔の意思が、金木のを完全に乗っ取っている。それに暴走状態の精神が上乗せされているということか。
とにかく悪魔がベースである以上、一神教系の魔祓いが必須だ。
取り落とした木の枝をつかもうとした金木のカス。その木の枝を逆に日女さんが奪い取り、串刺しにする。悲鳴を上げる金木のだが、そこを回し蹴りで蹴り飛ばす。
近くの岩にたたきつけられてぐしゃりと潰れる金木のだが。
それも再生する。
ただ、日女さんの息が上がり始めている。
神おろし。
話には聞いているが、長く続く訳がない。
神は媒体となる人間がいなければ力を発揮できない。しかしながら、媒体となる人間は神をおろすことで体力を猛烈に消耗する。
昔は、薬物などで酩酊状態になり、それを神おろしと言っていたこともあったらしい。
今の時代の魔祓いは、実際に神おろしをすることで、色々活用する。
燐火も出来るのだろうか。
いや、ケルベロスが燐火には戦わせないと言っていた。それもあって、きっとそれはやらせないのだろう。
もはや人間の言葉ではないわめき声を上げて、飛びかかってくる金木の。
しつこいと、日女さんが抉りこむような拳をたたき込み。
動きが止まった瞬間に、蹴り上げていた。
数秒して、地面に落ちる。
腐葉土だらけの地面とはいえ、それでもかなりのダメージになるはずだ。それでも肉が再生していく。
元々拘束衣みたいなのを着ていたが、その服までも既に肉体に取り込まれ始めている。それに、だ。
全身が崩れて、金木のの体のあちこちに眼球が浮かび上がり始めている。
もはや完全に怪物だ。
文字を書く。何度目か。やはり悪魔の力にはじかれて、効果が薄い。
日女さんが、汗を拭う。
金木のが、もう完全に人間をやめた動きで、かさかさと迫る。顔も左右に裂けていて、裂けた部分が牙の並ぶ口になっていた。
何か日女さんが詠唱を開始する。祝詞か。
ぱんと手を合わせると、金木のだったのが動きを一瞬止める。そして、日女さんが、残像を作りながら、凄まじいラッシュをたたき込み始める。
全身が破裂し崩れていく金木の。
更にとどめの一撃を蹴り込んだことで、吹っ飛んだ化け物は何度もバウンドして、岩にたたきつけられ。
べしゃりと潰れる。
完全に肉体構造は崩壊しているのに。
それでも立ち上がってくる。
日女さんが、まずいとぼやく。燐火にもわかる。そろそろ限界が近い。
「ふ、ふく、復讐、ふくしゅう、こ、殺す、こるして、犯す、お、おかす」
「まあお下品なことですわね凶悪犯」
割って入った言葉。
同時に、裂帛の気合いとともに。
魔祓いの言葉が放たれていた。
「Amen!」
爆ぜる。
今までどれだけ痛めつけても再生を重ねていた元金木の肉体が、爆ぜ割れる。それでも再生を開始する。
だが。
歩きにくそうに山を歩いてきたカトリイヌさん。貫頭衣を急いできてきたらしく、髪の毛が一部はみ出しているが、まあそれは仕方がない。
それに、二人。
護衛の人たちもいる。
その人たちの背後には、なんだか異形の。巨大な目玉に、たくさん翼が生えている天使が浮かび上がっていた。
「ほう。 上級三位ソロネか」
「あれが上級天使なの?」
「前にも説明したとおり、天使は元々ゾロアスター教の産物。 それを一神教が取り入れたものだ。 本来はあのように怪物然とした姿をしているものなのだ」
「既にダイモーンの部分はかなり弱っていますわね。 総力で魔祓いですわ!」
カトリイヌさんが先陣を切っているが。
明らかに護衛の二人の方が格上である。
ちょっと苦笑いしたくなるが。
いずれにしても、金木だったものは暴れ狂いながら、全身が溶けていく。これは、好機とみた。
そのまま、燐火も文字を書く。
一度。
激しく爆ぜる。悪魔対策の魔祓いと、一緒になったからだろう。ダイモーンとデーモンが混ざり合ったものだ。
本来だったら一神教徒の魔祓いが、他の信仰の魔祓いと連携することは滅多にないという話だから。
これは奇跡的な瞬間である。
だが、まだ金木だったものは諦めていない。
全身から骨をばきばきと伸ばす。
それを槍のようにして、明らかに力が一段落ちるカトリイヌさんに躍りかかる。必死に浄化の言葉をたたき込む三人だが、あれは到達が確実に早い。
カトリイヌさんが、ひっと悲鳴を上げて顔をかばった瞬間。
どすんと、鈍い音とともに。
金木だったものを横から、日女さんが殴り、動きを止めていた。
「いまだ! 総力でぶっ潰せ!」
「癪ですけれど、しかたがありませんわ!」
「とどめ、行きます」
燐火も文字を書く。
更に強烈な光の中、金木だったものが溶け崩れていく。暴れ、もがくが。
それに宿った悪魔とダイモーンもろとも。
その姿は地面に溶け、しみこんでいく。
凄まじい悲鳴。
明らかに苦しんでいる。
そして、金木だったものから飛び出してきたのは、得体が知れない黒い影。翼が生えているが、ねじくれていて。とてもではないが、美しいとはいえない存在だ。
だがそれも、地面に吸い込まれるようにして消えていく。
悲鳴も小さくなっていき。
やがて、何も聞こえなくなる。
最後に、地面から無数の黒い手が生えてきた。それが、金木の馬鹿息子らしい霊をつかむのを、燐火は確かに見た。
恐怖の顔でもがく金木の馬鹿息子らしい霊が、地面に引きずり込まれていく。
それが消える。
あれは、地獄に落ちたんだな。
そう思って、燐火はちょっとだけすっきりした。
完全に参っている日女さんが、スポーツドリンクをがぶ飲みしている。座っている様子を見て、カトリイヌさんが呆れていた。
「もう少し淑女らしく座れませんの?」
「淑女はどうでもいい。 燐火から連絡があったんだろ。 おせーんだよ」
「これでも全力で駆けつけてきたのですわ! ああ、髪の毛がはみ出してしまっていましてよ!」
「どうでもいいわ!」
日女さんが激高するが。
座り込んでいる岩……何度も金木だったものがたたきつけられて、形が変わってしまったものから動けないでいる。
なるほど、この二人が犬猿の仲だというのはよくわかった。
これは性格があわない。
年上の方のカトリイヌさんのボディガードの人が。どこかへ連絡をしていたようである。そして、ふうと嘆息していた。
「燐火様」
「はい」
「金木高野ですが、少し前に非公式に処理された、と連絡を受けました」
「非公式に処理」
この国では死刑を滅多にやらないが。
更生の余地もなく、死刑にするのも当面先になるような人間は、たまに何かしらの実験に消費するそうである。
今回はそのケース。
この国の暗部に噛んでいる人間が、あれを処理したと言うことだ。
「誰がやったかまではわかりませんが、いずれにしても燐火様にけしかけるつもりだったのは確定でしょう」
「金木家の人間ではないですね。 この間の神父の誰かではないですか」
別に燐火でも誰でもわかる。
燐火に憎悪を抱いている人間は何人か思いつくが、学校の男子なんかにこんなことが出来るわけがない。
だとすると金木の人間。いや、それも違う。
だったら金木家の人間をこんな風に使い捨てにはしないだろう。
金木のカス息子が死んだことはどうでもいいが。
そう思わない人間が使い捨てにした。そう判断していいと燐火も思う。
だとすると、残るは。
カトリイヌさんが、敢えて見せておこうと思ったらしい、腐敗している一神教の魔祓い達。
燐火が完全に袖にしたこと。
たかが小学五年生が、あれくらい強烈な拒否の意思を示したこと。
それで恥を掻かされたこと。
それが許せなかったのだろう。
カトリイヌさんがそれを軽く説明すると、ふむと鼻を鳴らしていた。
「セバスティアン、本家に連絡を。 これはちょっとばかり面倒なことになるかもしれませんわ」
「わかりました」
「燐火さん。 身内の腐敗は早いうちに見せておこうと思いました。 でも、貴方を勧誘したい気持ちは本当ですわ。 ああいう腐敗した魔祓いの中に、新しい精鋭を入れたい。 そういう願いでしてよ」
「また勝手な話を。 昔から一神教の内部ですら争っている状態を続けておいて」
ケルベロスが嫌悪感を示す。
ただ、前のように。
カトリイヌさんを、燐火は嫌えなくなってきていた。
まあ今も色々ポンではあるけれども。
それでも真面目にやろうと頑張ってはくれているし。それに、今回も身だしなみよりもたどり着くことを優先してくれた。
「そっちの内ゲバはそっちで解決しろよ。 俺たちはしらねえからな」
「ま、つれないこと」
「今回は貸しておくぞ。 燐火を守るために、切り札を二枚も使ったからな。 神おろしすると、翌日全身筋肉痛なんだよ。 今だって結構動くのしんどいくらいでな」
「カトリイヌさん、燐火は日女さんを送っていきます。 後はお任せしても良いですか?」
まずは、日女さんを休ませるべきだろう。
日女さんは、山道を歩くのもつらそうだ。
それを見て、カトリイヌさんは嘆息すると。人払いなどを、護衛の二人に指示していた。
とりあえず、日女さんを神社に連れて行く。
八幡様は何も言わない。
神おろしすると、一日くらいは何も声が聞こえなくなるらしい。
そういうものかと、燐火は思った。
ともかく神社で休む。
日女さんは八幡神の巫女だ。
休んでいれば少しは回復するだろう。
冬の神社は少し寂しいが、それでも空気が涼しくて、激しく動いた後の日女さんには心地よいようだった。
「あれだけの激しい戦闘の中、冷静に聖印を切り続けられたのは立派だ。 それに、ポンが来るまでにダメージがあったから、迅速にあいつは倒せたんだ」
「あのダイモーンと融合していた悪魔、強かったんですか」
「いや、本来よりだいぶ弱体化していたはずだ。 ダイモーンと融合させたのは、燐火、おまえを狙わせるためだ。 それでも、ダイモーンと悪魔のミックスで十分だと考えたんだろうな」
なるほど。
それにしても、実質上の暗殺だ。
そこまでするものなのか。
燐火はちょっと心配になった。燐火自身よりも、おとうさんやおかあさんが危ないかもしれないと思った。
だが、日女さんは笑う。
「これはおそらくちょっとした嫌がらせくらいの感覚だろうな。 やった奴は成功したらそれでいい、くらいだった筈だ」
「そんなに簡単に人を殺すんですか」
「殺すんだよ。 金をうなるほど持ってる奴は、倫理観が狂ってる。 金木の一家のことを思い出してみろ」
「ああ、なるほど。 理解できました」
同類は。世界中どこにでもいる。
そういうわけだ。
とりあえず、ため息が出る。
燐火に対して、日女さんはいう。
「今回の件、俺からも報告は入れておく。 式神を使う陰陽師系の魔祓いがいるから、一応念のために回してもらうわ」
「陰陽師か。 話だけは聞いたことがあるが、まだいるのだな」
「いる。 ただ、数はだいぶ少ないがな」
休んで、力も戻ってきたようだ。
それで、一応家まではつきそう。
日女さんを家まで送って、それから帰る。激戦だった。もう気がつくと、昼の少し手前だ。
殺そうとして襲ってきた相手がいた。
それについては、別にどうとも思わない。
今まで散々そういう目には遭ってきた。巨大なダイモーンを近くで祓ったときだって、命は危なかったはずだ。
それよりも、大事なものが出来ると。
こんなに選択肢が狭まるのか。
それの方が、燐火としては、衝撃が大きい。
今まで、大事なものなんてなかった。それが少しずつ増えてきた。それが明らかに重荷になる。
今のおとうさんとおかあさんは大事だ。
それについては、いつの間にか当たり前になっていた。
甘えたいとは思わない。
ただ、いなくなってほしくない。それだけなのに。それがこうも重荷になるのか。
守るために強くなるなんて大嘘だ。
守る者が出来れば、こうも足かせが増える。
それを燐火は今日、初めて知ったかもしれない。
それに価値がある。
家に戻りながら、ケルベロスと話す。
ケルベロスは、それをよいことだと言ってくれた。
「知識を得ることは大事だ。 林西が言っていたことは、そういうことだろう」
「うん。 身にしみてわかった。 本当に大事なものができない限り、人間は変わらないんだね」
「そういうことだ。 この国でも、子供に変な名前をつけてアクセサリー代わりにする馬鹿親や、一人暮らしをすれば精神的に成長するなんて寝言がはやっているようだが、そういうことだ。 子供のことを大事になんて思っていないから、馬鹿みたいな名前をつける。 一人暮らししたって、別に大事なものが増えたわけでもないから何も変わらない。 人間は所詮その程度の存在だ。 だが、それに早々に気づくことが出来たのは良いことだと思う。 ただ、林西が言うとおり、まだ知るべき事は多い」
「……」
そうだな。
金木の一家みたいなカスは世界中で当たり前にいることがわかった。
あれが死んだことについてはどうでもいい。
ただ、あの同類がどうやって生じて。
どうやって安易に相手を殺す思想に至るかは、理解しておいた方が良いのかもしれない。
探偵ものの登場人物でもあるまいし、人間は他人が考えていることなんてわからない。どうしてそう考えるのかを理解すれば。
そう考えないようにする事は、燐火にも出来るはずだ。
家に戻ると、軽く体を動かす。
多少は疲れているが、無心になるにはこれがちょうど良い。
思考を無意味にぐるぐる回すくらいだったら、こうやって思考を整理するのが一番である。
そして燐火は大きく息を吐くと。
ひたすら、竹刀を振るい。
正拳を的にたたき込んだ。
燐火にとって武道は身を守るためのもの。
感覚を研ぐためのもの。
精神修養のためのもの。
何かの大会だとかに出るためのものじゃない。そういう事に武道を使う人は、それはそれでまるで構わない。
燐火とは違う。
ただそれだけだ。
ケルベロスが細かくアドバイスをしてくれる。それにそって、丁寧に細かい部分を直していく。
まだ若いので、調整が早くできていいとケルベロスは褒めてくれる。
燐火としては嬉しいかはともかくとして、早々に修正が出来るのは喜ばしい。
体を動かして、それで心を研ぎ直した後は、勉強に移る。
集中して勉強をしていると、おとうさんが防音室から出てきた。疲れているようなので、様子だけ見ておく。
ソファで寝始めたので、何もしないでいいだろう。
今の家はエアコンも効いていて、風邪を引くようなこともない。
かなりの長時間配信の後のようだし、疲れているのであれば、燐火は声を掛けるべきではない。
黙々と問題をこなす。
これで苦手科目も、六年の分が終わる。
内容を理解しているか、独学だと不安な部分もあるけれど。短時間でケルベロスが学習して、細かいところのミスを教えてくれるし。
時間があるときにはおとうさんに聞く。
時間がないときには、学校で先生に聞く。
それだけだ。
そろそろ五年生が終わる。
燐火にとっての五年生は、色々と濃い年だった。
背丈も少しずつ確実に伸びている。そろそろ体も大人になり始める頃だろう。まだ少し早いか。
いずれにしても、今までとは少しずつ何もかも違ってくる。
ただ、図体がでかくなっても思考回路は変わらない。
それについては、色々な大人の醜態を見ていればよくわかる。
特に金木の一族なんかは、あれは幼稚園児の頃から脳みその中身が変わっていないだろう。性欲が増えたくらいか。
反吐が出る話だ。
勉強を終わらせて、軽く教養に触れる。
ショート動画なんか見ない。
基本的にいくつかの資料を見ておく。
今後役に立つかもしれないので、ギリシャ神話について今調べている。とにかくただれた人間関係が強烈だが。
ケルベロスが細かい部分を、時々苦笑いしながら教えてくれる。
またこの頃は全裸が一番美しいと考えられていたらしく。
立像はほとんどが全裸で、陰部ももろに作られていたり描かれているので、燐火としても顔をしかめてしまう。
燐火としては特に男性のには良い思い出がない。
実際に見せられた云々ではなく、あの孤児院のあいつが、これを喜ばせるために何をしていたか。
今ならよくわかるからだ。
このまま男嫌いになるのも問題だろうが。
それはそれとして、苦手意識はどうしてもあるのだ。
「流石に少し刺激が強いか」
「時にアトラスってこの人」
「ああ、ティターン神族の一人だな。 空を支えている」
「地球を抱えているように見えるんだけれど」
ああ、それはなとケルベロスが教えてくれる。アトラスが抱えているのは天球、つまり星座らしい。
前にもケルベロスが言っていたが、ギリシャ神話が信じられていた時代は、星座は永遠不変と考えられていたそうだ。
だからそれを担ぐことが、天、つまり空を支えることに相当したらしい。
そう言われると、なるほどと理解できる。
きちんと知識がある人に話を聞くのは良いことだ。ケルベロスは人ではないけれど、それはまあいい。
黙々と勉強を進める。
そろそろ性教育にも触れる時期だろうなとケルベロスが言うので、更に燐火はうんざりした。
今は情報が入ってくるからそれがどういうものかはわかっているが。
それでも、どうしても今は嫌悪感が消えないのだ。
死闘を制した結果、前から仲が良かった日女さんはともかく、カトリイヌさんと少しだけ距離が縮まった燐火。
根は真面目な人なのですカトリイヌさん。
二人は少しずつ、少し年が離れた友になっていく事になります。