魔法少女アギア・ケルベロス~俺は地獄の番犬ではない 作:dwwyakata@2024
本作の魔祓いの相手、それがダイモーンです。
ギリシャ神話における「霊」くらいの意味ですが、日本で言う幽霊とは違って、死者の霊魂ではなくて、「超自然的な存在」くらいに考えると良いかと思います。
よい霊は「アガトダイモーン」、悪い霊は「カコダイモーン」といいます。
名前からわかるかもしれませんが、後にこれが一神教に取り入れられて。
「デーモン」となります。
五年生になった。
クラスは涼子と同じ。
涼子と同じクラスなのは安心できる。
何人かの男子は、冷凍イカの目とか燐火の陰口をたたいているのを知っていたけれども。別にどうでもいい。
関わることはないし。
仲良くなろうとも思わないからだ。
人間の大半とわかり合うことは不可能だ。
それについては、ケルベロスに言われた。
友達がたくさんいるなんて言っている奴は、大半の相手を友達だと思っているだけ。
実際には、数人だけでいいから、本物の友達を作ればそれでいい。
だから、今は涼子と友達になっておけ。
友達は対等の存在であるから、敬語をできるだけ使わないようにしゃべれるところからだ。
そうも言われた。
五年からは道徳とかも授業が増えたけれど。これについては、他の生徒も同じなので、今までと違ってハンデはない。
それはそれとして、できることは一つずつやっていく。
歩き方とかも矯正される。
これも無駄が多い歩き方とかがあって、燐火はそれをやっていたらしい。
少しずつ運動神経もよくなってきていて、クラスの一番足が速い男子にこの間ほとんど同着した。
今後は力の差が出てきて、いずれは勝てなくなるらしいけれど。
体育の先生がとても褒めてくれた。
燐火が真面目に練習をしているのを見ていたらしい。
運動については、現時点では満足できる水準まで行っている。
後は体格だと言われて、食べる量を増やすようにケルベロスに指示された。
男だろうと女だろうと、体格がしっかりしている方が有利だ。
そういう話であるらしい。
確かに、少しずつ柔道と合気道、それに空手をやっている今。体格がどうしても足を引っ張っているとは感じる。
中学になると柔道を授業でやるらしい。
それもあって、今のうちからある程度できることはやっておけと言われている。
だから、やっておく。
遅れは取り戻しておく方が良いからだ。
遊ぶ暇は一切ないが。
それも仕方がないことだ。
周りの子供が遊んでいられるのは、それだけ今までの蓄積があるから。燐火にはそれがない。
黙々淡々と、やるべきことをやる。
それを見て、燐火を真面目ちゃんとか馬鹿にしている男子もいたが。
放っておけと涼子にもケルベロスに言われた。
ああいうのは、自分より下の存在を作って、それで満足したいだけの輩だという。相手にするだけ時間の無駄だと。
二人そろって同じことをいうので、ちょっと驚いたけれども。
或いはそれが真実だから、同じ言葉で一致するのかもしれない。
ともかく、五年生になってから、色々更にできることが増えた。
おとうさんとおかあさんと一緒に遊園地にもいった。
ただ、まだうれしいとか楽しいとかはわからない。
だから、二人に礼は言うけれど。
二人が意図していたような楽しさは味わうこともできなかった。
周りの全ては覚える。
とにかく、全て覚えていく。
無駄なことなど一つもない。
そうして、五月になった頃。
最初の、「仕事」がやってきた。
土曜日。
近くの公園があるので、そこで体を動かす。ケルベロスに言われて、体作りをしているのだけれども。
その最中だった。
ケルベロスが、不意に言う。
「手がかりだ。 匂ってきた」
「探している人の連れているダイモーン?」
「そうだ。 この国ではダイモーンはそれほど知られている存在ではなく、明らかに周囲の神霊と比べて浮いている。 概念としては霊だから、雑多な神霊と変わりはしないのだがな。 それでもギリシャ由来となると異質だ」
「どうすればいいの?」
ケルベロスは、戦う必要はないこと。
まずは、相手を見つけること。
この二つを教えてくれる。
おかあさんには、最低限の機能だけ持たせた子供向けスマホを渡されている。通話と居場所の確認だけできるものだ。
そもそも学校で見せることがないので、これを持っていることさえ周囲は知らないかもしれない。
同年代でも、暇さえあればスマホをいじっている子はいる。
それを思うと、色々と複雑な気分にはなる。
「走れるか」
「問題ないよ」
「よし。 片付けをしてしまってくれ」
「うん」
リュックに鍛錬用の道具を詰め込む。
それで担ぐと、走り始めた。
結構重いのだけれども、ずっと鍛えているうちに何も苦にはならなくなった。確実に筋肉がついていると言われて、そうかとだけ思う。
燐火に身を飾る発想はない。
周りには身を飾ることに執着する子もいるけれど。
燐火は、化粧は侮られないためにするものだと言われていて。
ましてや今はまだ必要ないとも言われている。
だから親が買ってくる服だけ着て、それで充分だった。
髪の毛も少しずつ伸ばしているが、これもいずれはもっと伸ばしてもいいと言う話だ。髪の毛がハンデにならない程度に動けるようになってきているから、らしい。
無言で走る。
この辺りはケルベロスに言われて散々歩き回っているから、土地勘はある。
走っていると、クラスの男子とすれ違ったが、無視。
相手は全力で走り抜ける燐火を見て、驚愕していたようだが。
ひょいとフェンスに飛びつくと、乗り越えて先に。
ケルベロスはこの先だという。
都会ではあるが、都心ほどではない。
だから里山だってあるし、子供が運動できる公園だってある。
一時期は子供は公園で遊ぶの禁止とか言う訳がわからない看板がたくさん立てられていたらしいけれど。
今はそういう馬鹿げた代物は撤去されたそうだ。
ケルベロスには世話になっているし、その手伝いをしようとは普通に思っている。というか、ケルベロスがいなければ最悪孤児院に連れ戻されて、あの変態に死ぬまでもてあそばれていただろう。
それどころか、崖から落ちた時点で死んでいた可能性だって高い。
金木の屑一家は未だにあの街で王様を続けていただろうし。
もっと多くの人間が不幸になっていたはずだ。
それを思うと、ケルベロスの手伝いをしない理由なんてないのだ。
そのまま、茂みを走る。
草の匂いが強いけれど、別に気にはならない。
走ることが多いから、体力はついてきた。今が一番元気に走り回れる年頃だそうだけれど。
それは体の軽さと筋肉のバランスの問題だそうだ。
燐火にはよくわからないけれど。
燐火はまだ周囲に比べて小柄だし、それで筋肉がついているから余計に動きやすいのかもしれない。
近づきすぎると危険かと思ったけれど。
ケルベロスの指示通り走れば問題ないという信頼の方が勝る。
そのまま走る。
やがて、止まるように言われたので、即座に足を止めて。そばにあった木に身を伏せた。息も切れていない。
できるだけ音も立てないように走ってきたつもりだ。
「近いな。 におう」
「……草の匂いがすごいね」
「人間の鼻だとそんなものだろう。 一応俺も犬の神格だからな。 匂いは情報の塊で、全てが役に立つ」
そういうものであることは聞いている。
動物にとって排泄物は情報の集まりらしく、それで犬はおしっこをあちこちにして回るらしい。
おしっこの匂いで犬のあらゆる情報がわかるらしくて、それでああいう行動をとるのだとか。
他の動物も似たようなことはするらしい。
いずれにしても、人間とはルールが違うのだと燐火にもわかる。
「そのダイモーンって、モンスターみたいなの?」
「いや、普通の人間には見えない存在だ。 物理的に干渉することはできない」
「危ないものじゃないの?」
「いや、危ないものだ。 ダイモーンには善悪それぞれいると言ったが、今探しているのはそのうち悪辣な方。 カコダイモーンと言われるものだ」
なるほど、そういうものか。
言われたことは覚えるようにしている。
とにかく伺っていると、やがて何かもやもやしたものが見えてきた。
それは人間に輪郭だけは似ていたけれど、ゆらりゆらりと森の中を歩いている。存在そのものが確かに人間とは似ていない。
でも、形が人間だ。
あれが、ダイモーンというものなんだ。
ただ、形状が不安定で、不意に崩れて、犬みたいになる。そうすると、四足で歩き始めたりする。
ふらふらしているけれど、あれはなにをしているのだろう。
「燐火はどうすればいいの」
「合図をするまで待て。 今はまだ機ではない」
「わかった」
「素直でよろしい」
ケルベロスは燐火の中にいる。
それはわかっているから、別に疑問は感じない。
最近は少しずつ壊れていた心が戻り始めているようだから、今後はずっと見られていることが色々と恥ずかしくなったりするかもしれないが。
今はそういうこともない。
そういうものなのかもしれないとは思っているが。
やがてもやみたいなものが、動きを止める。
山道の近くを、なんだか柄が悪いのが歩いている。ゲラゲラ笑っている、多分学校なんてまともにいっていなさそうなのだ。
高校生だろうか。
この近くにあんまり評判がよろしくない高校があると聞く。
そこの奴かもしれない。
誰々を殴ったとか、金をぶんどったとか、何人かでそんな話をしている。ただ、聞いていてわかる。
嘘だ。
一線を越えた奴の匂いは、なんとなくわかるようになってきている。
あれらは他人を図体で脅かして。自分が知らないことを言っている奴を馬鹿にして。それで自分が偉いと思い込んでいる連中だ。
ケーキが切れないとかいうのだったっけ。
勉強しないで育っていたら、燐火もああなっていたのだろう。
そう思うと、嫌いだと思う。
金木の連中ほどひどくはないけれど、あれの同類に機会がありさえすればなるような者だ。
それを、明らかにもやが伺っているのがわかった。
「手元に集中。 何でも良いから、棒状のものをイメージして……」
「ええと、これでいい?」
「……イメージすればよかったのだが、まあいいだろう」
燐火が木の棒を拾ったのをみて、ケルベロスはなんだかちょっと呆れたようにいう。何の変哲もない普通の枯れ枝だ。ちょっと枯れた枝の先に葉っぱがついていて、腐葉土で汚れている。
虫もついているけれど、別にどうでも良い。
虫は孤児院で散々見たし、怖いと感じたことは一度もない。かむ奴に触りたいとは思わないけれど。
「私が指示するとおりに動かせ」
「わかった」
頭の中にイメージが浮かぶので、その図形を描く。
それと同時に、空中に光が浮かんでいく。
戦う必要はない。
ケルベロスはそう言っていた。
燐火はそれを信じる。
戦うのはあんまり向いていないと思う。体を動かせることや、柔道とかやって身を守れるようにしておくことと。実際に戦って、相手をやっつけるのは全然別の話になるからである。
これは教えてくれたおかあさんにも言われた。
燐火がブドウ、武道を学ぶのは身を守るため。
相手を傷つけるためじゃない。
そう言われて、そうすることを決めた。
だから、この体は戦うために使わない。
複雑な文字が虚空に浮かぶ。それをいくつも連ねていく。
途端に、ばつんとすごい音がしていた。
思わず顔をあいている左手でかばったけれど、それで終わりだった。
ダイモーンが消える。
騒いでいた不良高校生達は、すごい音に全く気づかず、ゲラゲラ笑いながら悪行自慢をしつつ道路を行くが。
トラックにはねられそうになって。
悲鳴を上げてすっころび。
トラックから顔を出した禿頭のおじさんに、気をつけろと凄まじい声で怒鳴られて。それで逃げ散っていた。
「これで終わり?」
「ああ、終わった。 今、ダイモーンを一体捕獲した」
「そう、よかった」
「基本的にあの手のカコダイモーンは人間にとりついて、悪行を増幅させようとする。 これはどこの国の霊でも同じだが、この国の霊はこの国の神が対応する。 ギリシャやローマを中心に活動していたダイモーンがこの国に現れたことは滅多にないからな。 俺が対応をこの国の神に任された、ということだ」
悪行を増幅か。
それで、ケルベロスは先手を打ってくる。
「あの金木という腐った一家にも、かなりたちが悪いのがとりついていてな。 目に余ると判断したこの国の神々が対処した」
「そうだったんだね」
「金木の一族にとりついていたのを処理したことで、そこから派生していた悪運が全て解除された。 基本的に悪しき因縁というのは、中心を断てばそれで片付く。 カコダイモーンはそれ自体は非力極まりなく、あくまで人間の邪悪を増幅するだけのものにすぎないのだ」
だとしても。
悪人の行動は許されるものではないと、ケルベロスは言う。
まあ、それは同意だ。
今、あの街から離れて。一年以上たって。
それであの街が如何に狂っていたのか、よくわかる。
ここだって、別に天国でもなんでもない。
たまたまおとうさんとおかあさんがやさしくて。学校でも先生がちゃんとしているけれども。
すぐ近くには、あんな与太者達が通うような学校があるし。
街でも普通に犯罪がおきることがあって、おまわりさんがサイレンを鳴らしてパトカーで走っている。
だけれども、危ないことをしなくてよくて。
これ以上の悪がはびこらないで済むのだったら。
燐火はそれをどうにかしたいと思う。
「先に空中に書いた文字については覚えたか」
「こう?」
「おお、いいぞ。 やはり興味を持ったことに関する覚えは早いな」
ケルベロスが褒めてくれる。
特に疲れるようなこともなかった。
基本的に戦うことはさせないと、ケルベロスは言う。ダイモーンについても、浄化した結果、カコダイモーンからアガトダイモーンに代わったらしい。
つまり、もう害はないということだ。
「使う棒はなんでもいいの?」
「別になんでも構わん」
「わかった。 とにかく棒で、あの文字を書けば良いんだね」
「俺が憑いている今だからできるというだけの話ではあるがな。 ただ、仮に未来に俺がいなくなっても、ダイモーンは見える。 ただ他の霊が見えるかどうかは話が別だ。 それは日本神話系の神々がやることだし、或いはそれの力を受けている……この国でいう巫女だとか神職だとか、或いは専門の坊主とかがやることだ。 お前には関係がない話になるな」
そうか、いずれにしても危険がないのなら何よりだ。
後は、森の中を帰る。
特にけがもしていない。
森の中を走ったりすると、慣れていなかったら足をくじいたりするのだけれども。ここ一年くらいで徹底的に鍛えた。
それもあって、大丈夫だ。
今ではクラスで足の速さでも一番を争える。
このまま頑丈になれば、中学の頃には男子に勝てなくなるとしても、それなりに走れるだろう。
森を出て、それですっきり。
森の中で動物の糞を踏むようなこともなかった。
後は黙々と家に帰るだけだ。
あの不良達が、残虐でどうしようもない連中に化けなくて、それはよかったのだと思う。
むしろトラックにひかれかけて、粋がっていたところを冷や水をぶっかけられて。互いにたいした存在ではないと思ってくれればいいのだけれど。
まあ、人はそんなに簡単に代わらないか。
ただ、邪悪な方向には簡単に転ぶとケルベロスは言う。
その後押しをするのが、カコダイモーンを代表するような悪しき霊なのだとも。
「どうしてギリシャのダイモーンが日本に来ているの?」
「それについてはそのうち話す。 今はとにかく、こっちよりも自分のことを優先しろ。 俺以外にも行動しているギリシャの神霊はいる。 危険度が大きい相手は、そっちが対応しているから心配するな」
「わかった」
ともかく、今は自分のことか。
毎日目標をつけて動くようになった。今は少しずつ、ケルベロス以外にも敬語ではない言葉でしゃべるようにすること。
これが、燐火の最大の目標だ。
燐火が眠った後、ケルベロスは意識だけ飛ばしてアクセスする。
ダイモーン対策に来てはいるものの。
そもそもとして、それの発生源になっている奴が極めて危険なのだ。
日本神話の神々に対してけんかを売るような真似はしないだろうが。いずれにしてもギリシャの者が対応しなければならない。
アクセスしたのは、ケルベロスと同じ。
後の時代に有名になった存在だった。
その方が、違う文化圏で動きやすいのである。
今の時代は、信仰している人間はともかくとして、神々は基本的に相争わない。面倒くさいし。
何よりも、そんなことをしている場合ではないというのが共通認識だからだ。
悪魔扱いされている神格ですらそう。
だからケルベロスも、わざわざ日本まで出向いてきているのである。
とりあえず、そいつに会う。
日本でも名前が大変知られている存在。
極めて筋骨隆々とした大男。
ケルベロスにはいやな思い出しかない相手。
ヘラクレスである。
ゼウスの妻であり姉でもあるヘラ(神々で近親交配は当たり前である)の栄光という意味で、ヘラクレスという名前を持つこの存在は。
世界でももっとも有名な英雄の一人だろう。
ギリシャ神話での活躍も、動物的な野性味あふれるもので。
決して紳士的ではない。
ヘラクレスにあやかろうと、その子孫を名乗るものは大勢いた。
それも、名前を知られるゆえんだったのかもしれない。
ともかく、ケルベロスから見ても見上げるほどの大男であるヘラクレスと、相対する。
間近で会うのはいやだから、意識だけ経由して、だが。
「最初の仕事、うまくいったようだな」
「おかげさまでな。 分霊体でもこの程度は軽いわ。 一神教のせいで地獄の番犬とか勘違いされているのは極めて不愉快だが、おかげでこの国でも知られ、動きやすいのも確かではある」
「私も近年では随分と行儀がいい英雄として考えられているようで、基本的に乱暴者よりも理性的な存在を好むこの国では動きやすい」
「ふん……」
ヘラクレスのどこが理性的なのだか。
いずれにしても、お互いイメージ違いのものをたたき込まれて困っている存在同士ではある。
軽く打ち合わせをしておく。
「基本的にカコダイモーンにとりつかれて凶暴化しているのは私が倒す方針に変わりはないな」
「ああ。 まだ人にとりついていないのはこちらで処分する」
「お前は昔から優しいな」
「……そうだな」
冥界に死んでしまった恋人を救うために降りてきたオルフェウスの竪琴に感動して、黙って通したのはケルベロスだ。
オルフェウスはあと一歩で禁を破り、恋人はまた冥界に落ちてしまったが。
二度目のオルフェウスも、黙って通してやった。
甘い菓子が好きで、人情家。
それがケルベロスの物語。
ギリシャ神話ではケルベロスは邪悪な存在とは描かれていない。邪悪の権化扱いしたのは一神教である。ダンテの神曲などに登場する邪悪な怪物のイメージは、一神教によって醸成されたのであって。
本来はごく真面目に冥界の番犬をしている、情もある存在なのだ。
そんなケルベロスを締め上げて無理矢理地上に連れ出したのがヘラクレスである。好きになれるはずがない。
ヘラクレスが神々から課された試練の一つだったらしいのだが。
何が試練か。
ケルベロスからしてみれば知ったことではない。
「ともかく目立たぬようにな。 この国の神々も支援はしてくれているが、この国でも悪しき霊は害を為しているようだ。 世界中が全てそう。 こんな時に、奴が脱走しなくてもいいものを」
「こんな時だったから、なのだろう。 ましてやこの国は奴にとって都合が良い場所でもある」
「……まだかなりのカコダイモーンがいる。 「奴」は力を蓄えている最中だが、あまり長い間放置もできまい」
「わかっている。 雑魚はこちらで始末する」
霊と言っても死者とは違う。
この国ではそういった解釈をする場合もあるようだが、本来は肉持たぬ存在、くらいの意味だ。
だからケルベロスも容赦するつもりはない。
よき霊アガトダイモーンだったらまだしも。
カコダイモーンはとっとと浄化するだけである。
ともかく、ヘラクレスとさっさと打ち合わせを終えたので、燐火のほうに意識を戻す。燐火を外から見ると、相変わらずだ。
笑顔一つ浮かべられない。
運動は多分素質があったのだろう。一年程度で周りに追いついた。いや、一年分くらいは追い越した。
学問も全てとは言わないが、重要なものから順番に周りに追いついている。
ケルベロスからいってちょっと問題なのは芸術関連だが、これは別に絵描きで食べていく訳ではないので、どうでもいい。
両親も良い。
これはケルベロスが現時点では運を操作しているのだから当然だ。
ケルベロスがいなくなって。
運が平常に戻ってからが、この子の人生の本当の始まり。
幸運に愛されるようにならなくなってから。
この子が地力で歩いていけるように、ケルベロスは準備を整えておかなければならない。
それに幸運と言っても限度がある。
現在警察は極めて過酷な仕事である。
最近できたばかりの仕事であるVtuberもしかり。
アスリート並みの体力があっても体を壊すような仕事なのだ。
この国の労働環境が過酷すぎる、というのもあるのだが。
特に日夜逆転の生活をしなければならないのが、どうしてもつらい。
ただそれでも、夫婦どちらもうまくやろうと工夫しているし。
「すれ違い」で分かれるようなことにならないとは今の時点では思う。
子供のことよりも自分を優先して、すれ違いだのを理由に分かれる夫婦なんてものは、ケルベロスには理解できない。
ギリシャ神話の貞操観念なんて皆無に等しい神々を見てきているが。
それと同じだ。
全部自分優先。
子供のことを少しは考えてやれと、ケルベロスは時々思う。
いずれにしても、燐火は今日も悪夢を見ているようだ。ただ、幸いなことに燐火は夢をほとんど覚えていない体質らしい。
それもあって、ケルベロスも安心して寝顔を見守れる。
偶然から、この子を救った。
本来だったら死んでいたところを、奇跡によって体を修復した。
そして本人の同意も得て、この国での活動拠点とさせてもらった。
だから、せめて目的を果たすまでに。
この子が生きたいと願うようにしたい。
ケルベロスが離れるとき、せめて笑えるようにしてあげたい。
今持っている確かな正義感を、平均的な人間がどれだけ邪悪だと気づいても、保てる強い心を持っている子にしてあげたい。
それがケルベロスの願いだ。
親としての考えではない。
ただ当たり前のことである。
情が移った訳でもない。
これくらいは、本来考えていて当然のことであって。正論をロジハラだの正論厨だの言って嘲笑し遠ざけようとする現在の観念がおかしい。
正しいことを守るから社会が円滑に回るのであって。
それを守れなくなったら、人間なんて猿以下だ。
しばらく、燐火を見守る。
レム睡眠が終わったらしく、うなされていた燐火が静かになる。
ケルベロスは悪夢の内容を見ているが、まだまだ燐火の心についている心の傷が疼いている。
それだけのことだった。
燐火が両親にもらった服を引っ張り出して、色々と調べている。色のセンスとか、そういうのを。
身を飾るのに興味がない燐火がこんなことをしているのには理由がある。
「また妙なことを考えたな」
「今のままだと格好がつかないと思って」
「うーむ、そんなものか?」
「それとも、ケルベロスさんが変身でもさせてくれる?」
ケルベロスが黙り込んだので。
燐火は黙々と服を選ぶ。
スカートがいいかなあ。
そう思いながら、順番に服を選んでいく。
燐火は青系が好きなのだけれど。今は赤系を中心に選んでいる。後は、着替えやすいのがいい。
それとおなかを出すのはいやだ。
というのも、最近鍛えているからか、腹筋が割れ始めたのである。
そういうのはあんまり他人には見せたくない。
羞恥心とかではなくて、知っているのだ。
違うことを人間は極端に嫌い、迫害したがると。
だから腹筋がこの年で割れているというのは、見せることではない。
そう燐火は考えていた。
「後棒もなにかかっこいいのないかなあ」
「なんでもいいんだぞ」
「うん。 でも不自然ではない範囲で、かっこいいのがほしい」
「……まあ燐火が自分で考えてやっていることだ。 好きにするといい。 俺は関与するつもりはない」
ケルベロスが呆れ気味だ。
燐火は頷くと、時間を見ながらコーデを考える。
最近は写真で移すと、それがどんな風になるのか。自動で完成図を作ってくれるソフトがあって。
最低限の機能しかない燐火のスマホでもそれが可能だ。
これでいいや。
そう思って。一式そろえた服をしまう。
服をたたんでしまうのは、この間できるようになった。
とにかく一つずつできるようになりたい。
次は料理だ。
背も伸び始めてきたので、キッチンに立てる。
おとうさんもおかあさんも忙しいので。燐火が少しでも役に立てるようになりたいのである。
おとうさんも料理上手ではあるけれど。
それもずっと頼りっぱなしではいけないだろう。
幸い今、おとうさんが防音室から出てきたところだ。
お料理を覚えたいというと、おとうさんは不思議そうな顔をした。
「まだいいんだよ。 ましてや今の時代、自分で料理する人なんてそう多くはないんだから」
「おとうさんの負担が少しでも小さくなるとうれしいと思います」
「その気持ちは嬉しいけれど、まだ燐火はそこまで考えなくていい。 今は、勉強でまだ追いついていない分野を頑張りなさい」
通信簿をもらうと、できるようになった分野は5をもらえているが。できない分野はとことん駄目だ。
それを考えると、おとうさんのいうことは正論である。
それに、親しい人には敬語以外でしゃべりたい。
それは、ずっとまだできていないことだった。
※本作の魔祓いについて
面倒な話ですが、本作では設定的に魔祓いは文化圏ごとに必要になります。
ギリシャ系の魔であるダイモーンにはギリシャ系の魔祓いでないと対応できません。
日本の魔には仏教や神道でないと対応できません。
このため、各国では魔祓いを国で支援して、それぞれ活動してもらっています。
ちなみにトップ層の魔祓いは、どの国でも普通に豪邸が買えるくらい稼いでいます。
ただそれは、魔を祓わないと、割としゃれにならない実害が出るからですね。