魔法少女アギア・ケルベロス~俺は地獄の番犬ではない   作:dwwyakata@2024

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ガルムダイモーンを皮切りに、獣系の魔が次々に出ます。

獣といっても侮るなかれ。

ラグナロクでオーディンを食い殺してしまうフェンリルのように、獣の魔で強大な存在はなんぼでもいるのです。





3、走る獣

何か出たな。

 

帰路で悟る。

 

小川先輩と別れたあと、即座に着替える。連絡が来たのは、直後だった。今日は菖蒲さんである。

 

「燐火ちゃん、良いかしら」

 

「今気配に気づきました。 何が出ました」

 

「うーん、恐らくは前に出たスレイプニルと、あと何か一柱ね。 この間ヴィーザルが倒されたのもある。 オーディンが焦っているのかしら」

 

「すぐに向かいます。 エヴァンジェリンさんも必要ですね」

 

着替えを終える。

 

この服、随分と丈が伸びたな。

 

白仮面は既に都市伝説として定着していて。白仮面が各地で反社や犯罪組織を倒すヒーローになっているという噂まであるそうだ。

 

都市伝説として名前が知られるようになってきているので、格好を変えた方が良いかもしれないとケルベロスは言うが。

 

まあ、そのうち考える。

 

顔は隠しているし、まずばれないだろう。

 

山の中を疾走。

 

どうにも嫌な予感がする。

 

現地まで六㎞ほどを、全力で駆け抜ける。

 

それほど消耗していないのは、ずっと鍛えているからである。折りたたみの自転車でもあればもっと早いかもしれないが。

 

ともかく現地に到着すると、雷がドカンと落ちていた。

 

あれは、なんだ。

 

トールではないだろう。

 

少なくとも、スレイプニルと何かが交戦しているようだ。スレイプニルは八本もある足を動かして、それと距離を取ろうとしているようだが。

 

それはスレイプニルを逃がそうとしない。

 

そのモヤモヤの何かは、やがてスレイプニルの首筋に食いつくと、がっと地面に押し倒していた。

 

巨体が地面にたたきつけられる。

 

周囲にいる何人かの魔祓いが、壁を展開する中。

 

燐火は、日女さんとエヴァンジェリンさん、菖蒲さんに混じる。

 

「あれは、神々同士の抗争ですか」

 

「そのはずなんだがな」

 

日女さんが不可解だとぼやく。

 

あのダメージからして、恐らくどちらも北欧系だというのだ。

 

ガルムの出現といい、ヴィーザルの死といい。

 

何かおかしな事が起きているのではないか。

 

そう日女さんが感じているのは、決して杞憂などではないだろう。燐火もおかしいと感じた。

 

やがて、首を引きちぎったもやもやの何かは、スレイプニルをズタズタにしてしまった。消えていくスレイプニル。

 

こちらを向くモヤモヤ。

 

「ふん、情けない叔父だ。 で、この国の魔祓いども、おまえ等は少しは手応えがあるのだろうな」

 

「スレイプニルの親族?」

 

「……貴様、天才たる私が見抜いてやろう。 さてはロキの係累だな」

 

「ご名答。 まあスレイプニルを叔父と呼んだ時点で明らかではあるがな」

 

けらけらと笑うモヤモヤが、少しずつオオカミの姿に変わっていく。それでも、だいぶモヤモヤだが。

 

菖蒲さんが指示して、即座に散開。

 

日女さんと菖蒲さん、それに燐火が押さえ込む。

 

他の魔祓いは雑多にいるが、壁を展開して機動力を封じる。

 

例のごとくダイモーンの気配がある。

 

それを祓う必要がある。

 

後はエヴァンジェリンさんの仕事だ。

 

間違いなく、此奴は北欧系の魔である。

 

「なるほど、オオカミの姿となると、貴様スコルかハティだな」

 

「くくくっ、その通り。 俺こそが日食の権化であるスコル。 この国の神々や魔は生き生きとしているな。 このような土地に降臨し、支配しようとオーディンのもうろく爺がもくろむのも納得できる。 魔祓いも粒がそろっているな。 北欧とは偉い違いよ」

 

スコル。

 

フェンリルの子で、日食の権化たる大魔獣である。

 

同じく月食の権化であるハティという存在もいるが、此奴はスコルという存在なのだろう。

 

実は中華での天狗も、同じように本来は彗星の権化であると同時に月食も司る大妖怪であったらしく。

 

日本に来て、鼻の長いものや、カラス天狗などの、元とはまるで似ても似つかない存在に変化したそうである。

 

ただ、スコルは少しだけ寂しそうな口調だった。

 

それに、目的は何だ。

 

菖蒲さんが前に出る。

 

スコルも実力を察したようで、少し下がった。

 

菖蒲さんと愛染明王の戦力は生半可なものじゃない。最近分かるようになってきたが、素の武術でも菖蒲さんは燐火より上だ。

 

恐らく何かしらの武術一本で鍛えているタイプだとみるが。

 

鍛え方が達人のそれである。

 

あらあらうふふと笑っていそうな雰囲気なのに。

 

一皮むけば超武闘派というわけだ。

 

「それでこれだけ剣呑な悪運をばらまいて、どのようなつもりですか偉大なる日食の獣。 用事次第では叩き潰しますが」

 

「……今日は顔見せだ。 ガルムの奴が分霊体だとしてもあっさりやられたと聞いてな。 俺も少しこの国の魔祓いの実力が見たくなった。 それと、オーディンのもうろく爺が出てくる前に、奴の戦力を少しでも削っておく必要があったのでな。 ついでだ」

 

「逃がすとでも?」

 

「逃げられるさ。 もっとも、その辺で人間を食い荒らすつもりはない。 俺はこの国の、八百万の神々という考えには好感を持てる。 この環境が壊されるのは困るのでな。 人を食い散らかしたりはせんよ」

 

ふつりと、いきなり気配が消えた。

 

どうやら光になってその場から消えたらしい、

 

エヴァンジェリンさんがルーンを展開して調べる。

 

「これは……」

 

「どうなったんですか」

 

「スレイプニルを倒したときに、既にこの場から去っていたのだ。 後のモヤモヤは立体映像のような遠隔通信用のルーンだった。 あの者、獣のように見せかけて、やりおる」

 

「厄介ですね」

 

エヴァンジェリンさんが咳払い。

 

次はどうにかする、という。

 

「今回は逃がしてしまったが、天才たる私に同じ手は二度通じない! あんな立派な手札を見せたことを公開させてくれるわ! わーっはっはっはっはっは!」

 

「楽しそうですね」

 

菖蒲さんがエヴァンジェリンさんの肩をつかむと、笑いがぴたっと止まる。

 

そして、連れて行かれた。

 

多分これはレポート係はエヴァンジェリンさんだな。

 

日女さんが、嘆息した。

 

「すまないな。 走らせるだけになったか」

 

「今のスコルというオオカミ、あまり邪悪には感じませんでした。 悪運をばらまく存在ではありましたが」

 

「うん? そうだったか」

 

「フルーレティと同じような気配でした。 ……恐らくあの者は、嘘をついていないと思います」

 

日女さんはしばし考え込むと、そうかとだけ言った。

 

とりあえず、その場で解散となる。

 

勿論その場にばらまかれた悪運は、皆で祓った。

 

それだけでも、ちょっとした小遣い稼ぎくらいには充分過ぎるくらいなのである。

 

それが終わってから、淡々と着替えて、走って帰る。

 

まあ六㎞程度だ。

 

今の燐火には、たいした距離ではない。

 

家に着くと、後は鍛錬をするが。

 

ケルベロスが補足してくれる。

 

「先のスコルというオオカミ、それにガルム。 恐らく次の相手は、フルーレティの言葉と状況証拠から見て……」

 

「フェンリル?」

 

「そうだな。 その可能性が高い」

 

フェンリル。

 

ラグナロクで、オーディンを食い殺す獣という分類の魔では最強の存在の一角である。

 

しかも問題がある。ラグナロクでフェンリルはオーディンを食い殺したその後、ヴィーザルに殺されるのだが。

 

そのヴィーザルが既に倒されている。

 

復活するにしてもかなり時間が掛かるだろうとエヴァンジェリンさんは言っていた。

 

もしもオーディン戦を見越して先にヴィーザルを倒したのであれば。

 

フェンリルは思ったよりも、ずっと頭が回るのかもしれない。

 

現時点で、北欧系の神に、フェンリルを倒せる存在はいない。

 

しかし、だ。

 

フェンリル自体は、どれくらいの実力を現在持っているのか。

 

フルーレティはフリッグなどとは比べものにならないと言っていたが、それについては燐火もそうだろうなとしか言えない。

 

それはそうである。

 

フリッグにはこれと言った戦いの逸話がない。

 

最高神を食い殺すという、魔の中では最強レベルの戦果を上げたフェンリルが相手だった場合。

 

それは比較にもならないというのは、妥当だろう。

 

もう一体の邪神が何者かは気になる。

 

だが、その前に連絡を入れるべきだ。

 

鍛錬を終えて、勉強をしつつエヴァンジェリンさんに連絡を入れる。エヴァンジェリンさんはちょっと連絡が遅れがちだが、これはスマホをまだうまく使いこなせないから、らしい。

 

天才と自任しているエヴァンジェリンさんだが。

 

今は日本製のスマホを使っているらしく。

 

設定だのなんだのを細かく設定するのに苦労しているそうで、それもあって連絡が遅れることがあるそうだ。

 

ともかく返事は来る。

 

「フェンリルの可能性があるのは本当か」

 

「はい。 フルーレティの発言、最近の一連の出来事。 最悪の相手を想定するならフェンリルがいると思います」

 

「……フェンリルは北欧でも最強の魔の一角として認識されていて、魔祓いを何度かされている」

 

まあ、そうだろうな。

 

北欧神話が物語になってしまった今でも、その戦闘力はある程度健在な筈だ。魔として辺りを荒らし回るようになったら、それこそしゃれにならない被害が出る。

 

北欧神話におけるフェンリルは、朝飯前に国の三つや四つを蹂躙し尽くすほどの魔である。

 

最近ではファンタジー作品で雑にオオカミの魔物か何かとして扱われることがあるようだが。

 

著名なルシファーなんかより魔としての実績は圧倒的なのだ。何しろ最高神を食い殺してしまうのだから。

 

勿論今ではそんな力はないだろうが。

 

それでも侮れる訳がない。

 

魔祓いをするのは当然だろう。

 

「毎回大きな被害を出したようだが、それでも力を確実にそいでいる。 今では全盛期の半分以下も力を出せないはずだ。 それも物語化した後の全盛期から見て、だ」

 

「うーん、それは具体的にはどのくらいの実力なんでしょうか」

 

「この天才たる私だけでは絶対に勝てない。 燐火と日女と菖蒲と、それと一線級の魔祓い数人が助力に来てほしい」

 

やはりそのレベルになるか。

 

ただ、秘密兵器もあるようだ。

 

「仮にフェンリルだった場合は、対抗策はあるにはある」

 

「詳しくお願いします」

 

「グレイプニルだ」

 

聞いたことがある。

 

確か神々が総力で作り上げた、ラグナロクの時までフェンリルを押さえ込むことに成功する鎖だ。

 

フェンリルをこれに縛り付けるために、テュールは片腕を失っている。

 

それでもラグナロクの時には、グレイプニルはフェンリルに打ち破られてしまうのだが。

 

「グレイプニルの現物があるんですか」

 

「ルーンで再現する。 ただ、再現する場合数ヶ月かかる」

 

「……数ヶ月」

 

「とにかく時間を稼いでほしい。 その間、私は天才といえど最低限の動きしか出来ないだろう。 それにしてもフェンリルとは……」

 

エヴァンジェリンさんの自信満々な言動とは裏腹に。

 

明らかにメールの文面に不安がにじんでいる。

 

しかも、燐火が見たところ、フェンリルがスコルらを動かしている場合。

 

見た目よりずっと頭が良い可能性が高い。

 

そもそもオオカミはほとんど犬と変わらない。

 

それどころかつがいは一生変えないし、子育ては手伝うし、欧州でのイメージと違って極めて優れた社会性を持つ生物だ。

 

人間は確か乱交型のチンパンジーとハーレム型のゴリラの中間くらいの生態らしいから、生態としてはオオカミの方がよっぽど紳士的と言うことになる。

 

フェンリルがそうかはなんとも言えないが。

 

メールは知り合いの魔祓い全員に展開しておく。

 

とりあえず最悪の場合、日女さんと燐火で連携して足止めし、菖蒲さんで動きを止めるくらいはしないと行けないだろうが。

 

はっきり言ってフルーレティより弱いとはとても思えない。

 

あのスコルの狡猾な行動といい。

 

行き当たりばったりで動いていたフリッグや。

 

とにかく乾いて自己目的に忠実だったフルーレティよりも。

 

数段上の相手だ。

 

仮にフェンリルではなかったとしても、である。

 

嘆息すると、頭を切り替えて勉強に戻る。

 

いくつか間違えたので、ケルベロスが指摘してくれる。間違えた分は、分かるまでなんどでもやる。

 

ずっとやってきた精神修養が、集中力を手助けしてくれる。

 

たまに杏美が泣いていることを、ケルベロスが指摘して気づくくらいだ。ケルベロスの方が、杏美を見てくれている。頭が三つあるので、三方面を同時に見られるのは強い。いや、尾の蛇も含めるとそれ以上か。

 

時々杏美の面倒を見ながら、勉強を進めていく。

 

やがておとうさんが防音室から出てきた。疲れ切っているので、甘いものを出す。おとうさんもかなりぐったりしていたが。

 

それでも杏美の泣き声に不快感を示すようなことはなかった。

 

「ありがとう燐火」

 

「どういたしまして」

 

「勉強は進んでいるかい」

 

「今高二の英語をやっています。 難しくて苦労していますけれど」

 

既に涼子は大学の分野の勉強をしているようだから、まだまだである。

 

おとうさんは苦笑いすると、やっている問題をチェックして、どこがまずいか丁寧に指導してくれた。

 

ケルベロスも感心する。

 

それから、燐火が杏美のミルクを用意する。

 

おかあさんは母乳がそれほど出るタイプではなく、どうしても粉ミルクに頼らざるをえない。

 

それもあって、粉ミルクの温め方などは嫌でも覚えた。

 

おとうさんも練習して、出来るようになっている。

 

人肌に温めるとか、色々難しいが。

 

今ではすっとこなせる。

 

ミルクを飲むだけ飲むと、寝てしまう。

 

それでいい。

 

寝る分成長する。

 

今のところ、燐火を嫌っている様子もない。おとうさんも、別に嫌がられてはいないようだった。

 

「とりあえず、今の時点ではおとうさんには頑張りなさいとしかいえない。 今日はちょっと限界だから休むよ」

 

「お疲れ様、……。 おやすみなさい」

 

「うん」

 

おとうさんが寝室に消える。

 

お疲れ様の後に「です」を言わずに踏みとどまったことは分かってくれたのだろう。

 

嘆息すると、燐火は無言で勉強の追い込みに入る。

 

スマホでショート動画見ている暇を、全部先送りで勉強しておく。

 

鍛える分も、他が遊んでいる時間にやっておく。

 

勿論娯楽は娯楽でこなしているつもりだ。

 

ただ時間が掛かりすぎるゲームをやるつもりはない。たまに涼子と通信対戦するパーティーゲームをするくらいだ。

 

だが、その技量も上がっている。

 

最近では、涼子に勝つことも増えてきていた。

 

さて、そろそろかな。

 

伸びをして、休むことにする。

 

ダイモーンの気配なし。

 

悪神もいない。

 

今日は、ゆっくり休めると思いたかった。

 

 

 

空手部に出ると、熱量が上がっていた。

 

基本的にこの学校では、部活の時間制限が厳しい。一時期馬鹿みたいに部活をやらせ、学業より優先するような本末転倒な学校もあったが。この学校ではそれは許されない。

 

特にコンクールだのでの入賞を絶対視するような風潮は根絶する方針で動いているようであり。

 

そういう方針を掲げてスパルタという名の虐待をしていた吹奏楽部は、四年前に解体され。顧問は放逐されたそうだ。

 

教師の負担が大きすぎる。

 

それにやっとこの国は気づいて。

 

部活は正常化を始めている。

 

それで、熱量を上げているのは鈴山さんと小川先輩だ。

 

覚えた正拳を、とにかく無心にたたき込み続けている。

 

燐火も遅れて部活に来たが、それに習う。

 

三年も流石に触発されたらしく、筋肉を温め始めていた。というか、小川先輩。少し雰囲気が変わったか。

 

「おっす、燐火っち。 どう、少しは向上した?」

 

「良いと思います。 まだまだ伸びると思いますよ」

 

「よっしゃ!」

 

相変わらず距離感が独特だ。

 

ともかく、並んで正拳を放つ。

 

重りをつけたままやっているが、それについては内緒だ。というか、学内の不良生徒程度だったら重りつけたままで余裕で対処できるようになってきた。

 

小川先輩が、ズドンといい音を立てて正拳をたたき込む。

 

なかなかの破壊力だ。

 

腕だけで打つのではなく、全身で打つのが正拳だ。

 

的がいい音を立てる。

 

燐火も無心でルーチンをこなしておく。どこでやろうとルーチンはルーチンである。

 

部長が来る。

 

空気のように今まで存在感がなかった部長だが、熱量が上がったからか。冬眠から起き出した熊のように、もそもそと動いていた。

 

「皆、良いだろうか」

 

「オス!」

 

「どうしましたか」

 

「あー、みんな小川のおかげでやる気が出てきたようだからな。 今までこの部活、担当はいても空手の専任指導講師がいなかっただろ。 だから職員室で掛け合ってきて、外部の講師を招くことにした」

 

小川先輩がすっと表情を変える。

 

それはそうだろうな。

 

何個も探してやっとまともに接してくれる道場に出会えたけれど。

 

そこでは先生が決定的な力量不足だったという事態に直面したのだ。それは、色々空手の講師には思うところもあるだろう。

 

「基本的に大会とかに出ることは考えず、皆楽しくやるのがうちの部活のモットーだ。 というか、うちの学校のだな。 熱量が高いボクシング部でさえ、大会とかに出ることは考えていないしな。 空手も格闘技ではあるが、あくまで楽しいものとして俺は考えている。 だから、先生もそういうエンジョイ勢を呼ぶことにした。 とりあえず、あんまり構えなくても大丈夫だ。 基礎をとかを教えてくれるだけだからな」

 

そうか。

 

とりあえず小川先輩のおかげで熱量が上がった、扱いな訳だ。

 

まだ中学の部活だし、それでいいのだろう。

 

この学校だと、高校受験とかやるような事はあっても、大学受験レベルでの追い込みはしないだろうし。

 

この部長としても、最後の仕事はしたし、それでいいという考えなのだと燐火は察した。

 

とりあえず、数日後に講師は来るそうだ。

 

エンジョイ勢という言い方がちょっと気になるが、まあそんなに変な人は来ないだろうと思う。

 

心配そうにしている小川先輩が、露骨に手元が狂っているので、指摘する。

 

すぐに頷いて、態勢を直す。

 

とにかく全身の体重、力を全て乗せきって、拳としてたたき込む。

 

それが正拳だ。

 

これは合気なんかでも同じ。

 

燐火の場合は合気も使うのだが。

 

これは拳を作るよりも、平手の方が打撃力が上がるからだ。

 

勿論、正拳に持ち込める場合はそっちを使う。

 

合気はかなりこつがいる上に、燐火の技量だとその場で最大火力を出しづらいというのが要因だ。

 

まだ立ち回りの経験が足りていない。

 

ただ、教わった歩法を利用して、経験不足を補っている。

 

そのうち、数十人くらいの相手だったら倒せるようになりたいが。まあ、まだまだ先の話になるだろう。

 

そして、数日後。

 

その先生が来た。

 

何というか、いかにもな人だ。一時期ウェイ系とかいったらしいが。よく分からない。サングラスなんか掛けていて。肌を焼いていて。

 

それでいて、体のラインを隠してもいない女性である。

 

髪もなんというか、ものすごく個性的なまとめ方をしていて、見てさすがの燐火も驚かされていた。

 

だが。

 

もっと驚いたのは。

 

この人、出来ると言うことだ。

 

歩くのを見ただけで分かったが、今の燐火より空手では確実に上。

 

全盛期のおかあさんほどではないだろうが、現状の産後で弱体化したおかあさんと比べると、ちょっと分からないと言うところである。

 

「ウェーイ! というとちょっと古いかな。 この部活の外部講師として、バイトで来ました。 英腹八子です。 よろしくぅ!」

 

「……」

 

「よろしくお願いします」

 

燐火がばしりと頭を下げると、一番唖然としていた小川先輩も頭を下げる。

 

それから、全員の演舞を見る。

 

先輩方はお察しだ。

 

元々エンジョイで部活をしているのだから、趣味の範囲。

 

ふむふむと言いながら、八子さんはそれに意外にも滅茶苦茶わかりやすいアドバイスをしていた。

 

先輩から順番にやっていくので、小川先輩の番が来る。

 

見た目は小川先輩の同類に見えるかもしれない。

 

それもあって、小川先輩はかなり警戒していたようだったが。

 

動きを見て、即座に八子さんは特定していた。

 

「おー、これは変な癖があるのを、必死に直しに行ってるところだね。 基礎が結構しっかりしてるから、その癖を直して基礎練を続ければ、すぐに強くなれるよ。 筋力は申し分ないから、変な癖を直せば、一気に伸びるね!」

 

「え、あ、ハイ。 ウス……」

 

正確に指摘されて困惑気味。

 

鈴山さんは、丁寧にどうすればいいかを細かく指導していて、燐火はこの人凄いなと思った。

 

エンジョイ勢らしいが。

 

楽しむことが強さのこつと言うところか。

 

侮れないな、エンジョイ勢。

 

部長はなんだかものすごく誇らしげである。

 

燐火の番が来たが、一目で言われる。

 

「おー、凄い完成度だ。 いつもこれ正拳150はやってるでしょ。 ついでに今、重りつけてる?」

 

「はい。 その通りです」

 

「いいね。 そのままの訓練でヨシ!」

 

ぱぱっと全員を見た後、組み手をするかと言われた。

 

とりあえず、男子からだが。

 

ここでの組み手は、いわゆるフルコンタクト型ではなくて、あたるかどうかを判断する型だ。

 

いわゆるフルコンタクト型は相手を打ち倒すタイプの対戦型格闘技に近い空手で、一部の流派などで取り入れられている激しいものだ。中には百人組み手などをやるものもあるという。

 

これに対して試合形式の空手は、相手にあたったかどうかを判断するもので。

 

基本的に寸止めで終わらせる。

 

それでもあたるときはあたるが。

 

ともかく空手としてもかなり極端である。

 

まずはそれぞれ適当に組むかと思ったが、燐火は部長と組むようにと言われた。今の瞬間で、実力を見抜いたらしい。

 

そうか。

 

ともかく、部長と向き合う。

 

これは、力量は相手の方が若干上かな。

 

空手限定だが。

 

それでも、競技空手だったら勝つ自信はある。

 

また、空手だけではないのであれば、もっと勝率は上がるが

 

ただ、油断は禁物だろう。

 

黙々と間合いを詰める。

 

部長も普段ののほほんとした様子から打って変わって、完全に気配が変わっていた。しばし間合いを取り合うが。

 

やがて、部長から仕掛けてきた。

 

ひゅんと、抉りこむような蹴り。

 

競技空手と言ってもいくつかあるが、蹴り許可か。

 

とにかく背が高いから、当然足も長い。凄まじい伸びを見せた蹴りが、音と裏腹に文字通り空気を切り裂く。

 

だが、軽い。

 

それはそうだ。競技なのだから。

 

燐火はそれをミリで見切る。

 

踏み込むと同時に、燐火の反応を見る部長だが。

 

その時には、燐火は既に歩法を駆使して部長の左側に回っていた。

 

守りに入ろうとする部長だが、今の歩法は見たことはなかったのかもしれない。一瞬遅れる。

 

すっと間合いを侵略した燐火が、脇腹に手をつく。

 

それで終わり、と八子さんが声を掛けてきていた。

 

「面白い歩法だね。 格闘技ってのは洗練すると基本的にどれも動きが似てくるものなのだけれども。 それはひょっとして、ガチンコで鍛えたのかな?」

 

「いえ、合気や柔道、剣道もやっていますので」

 

「おお、かなり高度なことやってるね。 部長くん、本気出しなさい。 この子、舐めてて勝てる相手じゃないよ」

 

「了解……」

 

更に気配が変わる。

 

これは、今まで完全に手を抜いていたんだなと分かる。

 

ただの怠惰な人に見えていたが。

 

それも演技だったと言うことだ。

 

少し年上でも、これだけの使い手がいる。

 

それに年下の充子には、剣道で勝てるビジョンが見えない。

 

同世代でさえ、燐火は無敵でもなんでもないということだ。それを思うと、驕る暇などない。

 

本気になった部長は、おおぶりの蹴り技を一切使わず、とにかく細かい動きを丁寧に駆使して、非常に攻めづらくなった。

 

まるで要塞だな。

 

そう思いながら、あらゆるフェイントを入れつつ何度も仕掛けるが。これはちょっと攻略できないか。

 

勿論愛用の神器魔法のステッキがあれば話は別だが。

 

これはあくまで無手での試合だ。

 

死合いではない。

 

苛烈な駆け引きで、汗が流れる。

 

部長も相当に消耗しているようだが。

 

其処まで、と声が掛かっていた。

 

「よーし、今日は終わり。 じゃ、帰るわ。 部長くん、これで色々出来ることが増えたかな」

 

「はい、ありがとうございます八子姉さん」

 

「叔母なんだから姉さんはやめな。 とりあえずみんな、今日指導したことを忘れずにね。 たまに様子見に来るから。 ウェーイ、なんつて」

 

けらけら笑うと、八子さんは戻っていった。

 

やはり、人間は見かけで判断するべきではないな。

 

それにだ。

 

「燐火、おまえ部長の実力を手合わせするまで見誤っていたな」

 

「うん」

 

ケルベロスの指摘は厳しい。

 

この様子だと、ケルベロスは見抜いていたのかもしれない。

 

反省点だ。

 

反省しているなら良いが、とケルベロスは少し不満げである。

 

「実戦では相手の実力を見誤ると、瞬きの間に死ぬ。 おまえはそれを逆に駆使して、今まで何度もジャイアントキリングを成し遂げた。 それを忘れるな」

 

「分かってる」

 

「うむ……」

 

ケルベロスの言葉は痛いほど分かる。

 

それで、時間も来たので切り上げる。

 

結構終わりの時間には厳しいのだ。さっさと着替えて帰るが。小川先輩は、ずっと狐につままれたような顔をしていた。

 

「人は見た目じゃないって分かっていたつもりだったのに。 なんだか、自分も分かっていなかったみたいでちょっと癪……」

 

「仕方がないですよ。 燐火も部長があんなに強かったなんて知りませんでしたし」

 

「うん……」

 

しゅんとしている小川先輩。

 

ともかく、今は反省点を見つけることが出来たのだ。

 

それと、である。

 

格下に擬態している相手を見抜くすべを今のうちに身につけた方が良いだろう。

 

燐火は今まで、格下と相手が侮って、それで勝てたことが何度もあった。

 

子供だからだ。

 

だが、背がどんどん伸びてきて、体もしっかりしてきている今。それは過去の話になりつつある。

 

家に着いてから、日女さんに今日のことをメールで話す。

 

そうすると、日女さんは八子さんの事を知っていた。

 

「ああ、あの名物空手マスターの」

 

「有名な人だったんですね」

 

「俺の世代だと有名人だよ。 若い頃はしっかりした格好をしていてな。 あちこちで道場破りをして回っていたどころか、海外の柔術道場とかにまで殴り込みに行っていたらしい。 それでゴリラみたいな大男をフルコンタクトで倒して回っていたって言うんだから、相当な使い手だよ」

 

道理で。

 

あの実力、ただものではないと思ったが。

 

ただ、競技空手の世界ではあまり有名ではなかったこともあって、化け物みたいに強いのがいると一部で知られているだけだそうだ。

 

世界は広いな。

 

そう燐火は、静かに思った。







八子さんについて

知る人ぞ知る空手マスターです。陽キャっぽく振る舞っていますが、ガチの空手の達人であり、普通にあちこちでフルコンタクトの大会や野良試合で成果を出している人物です。それも世界レベルや、男性の一線級の選手相手に。

空手部部長の親族なんですが、部長がやる気を出したと聞いて学外からの顧問としてきてくれました。

基本的に褒めて伸ばすタイプで、力量については本物です。空手を本気で楽しんでいる求道者でもあります。


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