魔法少女アギア・ケルベロス~俺は地獄の番犬ではない 作:dwwyakata@2024
日根見さんの生物学知識は同世代のマニアのかなり上澄みの水準に入ります。
このくらいの年の子だと、かなりマニアックなことを知っていたりするので侮れません。
日根見さんの場合元の両親がアレだった事もあって、余計にその傾向が強くなったと言えますね。
燐火は日根見ちゃんに聞かされる。
食肉目は現在もっとも成功している哺乳類の一種である。犬猫熊などが含まれるこの種族は、高い戦闘力を持ち、武装した人間相手以外では文字通り無敵を誇っていると言える。陸生肉食獣限定では、だが。
なんといっても巨大な熊の恐ろしさが目立つが。
単体で最強なのはやはりシベリア虎。
体格差三倍くらいまでなら勝つ。
古くはサーカスなどで、虎とライオンを殺し合わせるような悪趣味なショーが行われていたことがある。
虎とライオンだと多くの場合互いに決着はつかなかったようだが。
それも虎と雄ライオンだったら、の話であるそうだ。
ライオンは雄雌の個体差戦闘力が大きく、オスの戦力はメスの三倍とさえ言われている。
虎は単独行動するハンターであるから。その戦闘力はどうしてもオスでもメスでも高くなければならないのである。
これに対して熊は、パワーに関しては確かに圧倒的だ。
一トン近くまで成長する熊にはコディアックベアと言われる羆の一種や、あるいはホッキョクグマがいるが。
これらですら、シベリア虎には及ばない。
パワーでは圧倒的だ。
だがそれ以上に凄まじい機動力を持つシベリア虎は、あまりも完成された猛獣なのである。
恐竜が生きていた時代には話にもならなかっただろうが。
現在では武装した人間相手以外には陸生肉食獣に敵なし。まあ陸生草食獣にはアフリカ象やサイ、カバといった虎ですらどうにもできない相手がいるようだが。
そういうものであるらしい。
ちなみにサーカスなどで殺し合わせた場合、閉所で戦えば熊が勝つことがあるようだ。一撃さえあたれば殺せる。
残念ながら、その一撃が現実にはまずあたらないし。
虎は熊の殺し方を本能的に知っているので、無駄な仮定に過ぎないのだが。
これらの事を、復習する。
そして、三学期が終わった今。
燐火は、動き出していた。
罠というのは、簡単だ。
菖蒲さんが護摩壇を炊いて、何柱かの明王を呼び出す。
明王はたくさんいる。
そもそも明王というのは、仏教で初期に生じた神々だ。他の信仰と戦うために必要とされた存在達。
不動明王がもっとも有名だが。
実は神格としては比較的新しい存在であり。
それだけ仏教やヒンドゥー教が生じたばかりの頃のインドでは、様々な信仰が苛烈にやりあっていたのである。
いずれにしても中央アジアや東南アジアを通って仏教が中華に渡った頃には、元のインド神話の神々である天部達と並んで明王は重要な仏教系神格となっており、すっかり定着していた。
救いを与える仏様よりも。
戦に勝利を与える軍神の方が人気があった。
それは、人間世界の業の深さを現しているのかもしれない。
ともかく、である。
かくして明王は信仰されるようになり。
今では多数が存在している。
それを更に下ろすことで、暗躍する邪神と魔獣への備えとする。この護摩壇での祈祷は、単騎でやらなければならない。
狙ってくれと言っているようなものである。
そして菖蒲さんは、次世代のこの国の魔祓いで、長になり得る実力者。
若手の中では最強と名高い。
しかももうすぐ高校を卒業する。
高校を出た後は即座に魔祓いに、という話もあるそうだが。
国の方で大学を斡旋されていて。
其処でいくつかの免許を取った後、後進の育成をする道も提示されているそうだ。
それくらいの重要人物なのである。
日女さんもかなり好待遇を受けているようだが。菖蒲さんにはとても待遇的な注目度でも及ばないのだとか。
まあ、それはそうだろう。
まだ高三で、あの不動明王の加護を得ている林西さんと肩を並べて戦うほどの超武闘派魔祓いだ。
燐火も力がついてきたから、菖蒲さんが素でどれくらい強いかは分かる。
それが更に明王を下ろすのだ。
文字通り鬼に金棒である。
今、その護摩壇がある山には、凄まじい霊気が集中しつつある。それに対して、燐火は見上げるだけ。
距離はとってある。
これは、菖蒲さんがあの魔狼の攻撃をどれだけ耐えられるか。
耐えている間に、皆がどれだけ間を詰められるか。
そういう勝負だ。
当たり前だが、魔狼は罠だと気づいているとみていいだろう。だが、あの魔狼は乗ってくると燐火は判断している。
理由は簡単である。
挑戦として判断するからだ。
狼王ロボの逸話でも、ロボはシートンの挑戦を受けて立った。精神を乱すまでは、圧倒的な知略で、シートンの仕掛けた罠をことごとく打ち破っていった。
それは恐らくだが、あの魔狼も同じ事をする。
好奇心云々もあるだろうが。
あれは王として自認している。
だとすれば、挑発をむしろ受けて立つはず。それも喜んで、である。
それら全てを計算の上で、陣を張る。
勿論、かなり菖蒲さんにとって危険な賭だ。せめて林西さんだけでも直衛にという意見もあったが。
これくらいでないと、あの魔狼をおびき寄せられない。
そう菖蒲さんは静かに笑っていた。
凄い人だと燐火も思う。
だから、死なせてはならないのだ。
精神集中のために、勉強を終わらせておく。
既に燐火も大学受験の範囲の勉強をやっている。英語などはそれでも苦手だが、現時点で六大学は射程に入れていた。
出来れば東大に入りたいが。
それはちょっと出来るかどうか分からない。
涼子にもきいているが。
「知っているか」を問われる試験が多数出る。
やはり学習塾での知識の詰め込みが主体になってくるのだ。
そうなってくると、どうしても独力では限界が出てくる。涼子がこういうのがあると展開してくれるが。
それでも厳しいのが実情だ。
その少し下であればどうにかする自信はあるのだが。
ともかく、集中していると、スマホが振動する。
嘆息して切り上げる。
狩りの時間だ。
ただし、狩られるのはこちらになる可能性も高い。おかあさんに声を掛ける。
少し、ジョギングしてくると。
おかあさんは、危ない子とはしないようにねと、杏美を背負って料理しながらいう。この様子だと、燐火がまだまだ色々暴れている事に、気づいているのかもしれなかった。
着替えて、外に出る。
今回は全力での戦いだ。
できるだけ最大限の力を発揮できるようにした方が良い。
白仮面の格好は、燐火にとって戦闘服である。
更に調整して、少しずつ見栄えを凝るようにしている。
マスクに関しても、顔が半分隠れればいいだけではない。視界を塞がないように、それで人相が分からないようにも工夫が必要になる。
それだけじゃない。
服についても、動きやすいようにする。
このため、ためておいたお給金で反物を買って、それでわざわざ自分で仕上げた。
裁縫の腕も上がるし。
何よりケルベロスに言われたのだ。
やはり魔祓いは精神が大きく影響するのだと。
だから、自分が最強だと思う格好を、常に意識するように、とも。
故にこの格好を、更にデコレーションしていく。
マントを翻して走る。
現地に向かう。
既に戦闘は始まっている筈だ。
日女さんが合流してくる。
並んで走りながら、軽く戦況を話す。どうやら各地で案の定大物ダイモーンが出ており、ヘラクレスさんを明らかに封じ込めに来ている。
それだけじゃない。
各地の一流どころの魔祓いのところに、かなり強力な魔が同時出現。
激戦が繰り広げられているようだ。
「罠には掛かってやるが、それもただでは掛かってやらないと言う訳だな。 時間稼ぎにも手を抜かないと言う訳だ」
「……どうやら、こっちにも来たみたいですね」
「ワイルドハントだな……」
ケルベロスが呻く。
ワイルドハント。
英国などで伝承に残る、極めて不吉な狩人の集団だ。死をもたらすものとさえ言われることもある。
いずれにしても、こちらに向かってくるそれらは、多数の獣と、骸骨の戦士で構成されていた。
悪いが、突っ切らせて貰う。
日女さんも、最初から神おろしを全力で行くようだ。
どんどん力がついているとはいえ、それでも最初から飛ばすのか。少し不安になったが。
幸い公安が手を回してくれているので、人払いは出来ている。
そのまま、戦闘開始。
襲いかかってくる獣の群れを、片っ端から蹴散らす。
エヴァンジェリンさんもカトリイヌさんも、別方面から戦地に向かっているはずだ。林西さんも、である。
更には、他にも何名かの魔祓いが、危険な戦いに志願してくれた。支援をしてくれる筈だ。
それを無駄にしないためにも。
奴を。
あの魔の獣を、トラバサミで捕らえる。
激烈な死闘の末に、護摩壇がある山の麓まで来た。
多少息が上がっているが、すぐにスポーツドリンクを飲んで、それで回復を入れておく。多少でもないよりまし。
トイレに行っておけ。
そう日女さんがいうので、用意されている仮設トイレを使わせて貰う。
勿論こうしている間にも菖蒲さんが激闘を繰り広げているのだが。
それでも、ベストコンディションで戦闘をするのが必須だ。
それほどに危険な相手なのである。
トイレを済ませてから、山を駆け上がる。既に他の場所では、時間稼ぎの魔がたたき伏せられているようだが。
時間稼ぎとしては有効に機能し。
一線級の魔祓い達は、皆足止めされたようである。
だがそれは計算通り。
山を駆け上がりながら、皆の様子を聞く。
「エヴァンジェリンさん、来られていますか」
「問題ない! カトリイヌが貸してくれたボディーガードの力もある!」
「カトリイヌさんは!」
「問題ありませんわ!」
問題はない、か。
魔の襲撃が確定であるから、いつものリムジンを使えないというのが最大の問題だ。カトリイヌさんは体力に問題があるので(エヴァンジェリンさんもだが)、どうしても現地ではフルスペックを発揮するのは厳しい。
そして山に入り込むと、おぞましい物量のダイモーンがあふれ出てきた。
祓う。
片っ端から。
それでいい。
あの魔の狼の中にいて力になっていたダイモーンである。片っ端から倒せば、それだけ弱体化させられるのだ。
だったら倒して進む。
次々に打ち倒しながら、先に先に。
聖印を何百でも何千でも切る。
短時間だが、それでも備えてきた。それに、これをやってきている相手と、今菖蒲さんが死闘を繰り広げている。
山頂付近ではまだ激しい稲妻が飛び交っている様子からして、戦闘が続いているのは確定だ。
急ぐ。
巨大なダイモーンが、ムカデのような奴だが、山崩れのような勢いで襲いかかってくる。
燐火は聖印を連続でたたき込み。
汗を飛ばしながら、日女さんがその巨体をつかんで振り回し、地面にたたきつける。ぐしゃり、ではない。
もう重機を動かしているような凄まじい音が響き渡る。
既にそういう規模の戦闘だ。
聖印を切り、かなり巨大なそのダイモーンを消し飛ばす。まだまだ来るが、今日の燐火は幾らでも相手になってやる。
体力は徹底的につけた。
去年に比べて、倍は増えているだろう。
それだけ、体力の重要性を実感したのだ。どうしても基礎体力が幼い頃に培えなかったから。
徹底的に鍛錬で補ったのだ。
まだまだ押し寄せるダイモーンは、燐火を消耗させるために来ているとみていい。罠なんぞ、力尽くで食い破ってやる。
そういう意思が透けて見える。
同時に、徹底的に罠を逆利用して、こちらを消耗させようとする狡猾さも感じる。やはり相手はフェンリルじゃない。
それは既に指摘されているが。
それもこの戦術を見ていると、納得がいく。
雄叫びとともに、人間大のダイモーンの頭をたたき割る。そして聖印を直にたたき込んで、消し飛ばした。
呼吸を整えつつ、山を行く。
そして、見えてきた。
片膝をついている菖蒲さん。傷だらけだ。
明王達を多数呼び出していたようだが、既に半分近くが消えている。実体化を維持できなくなったのだろう。
愛染明王もかなり疲弊しているようである。
問題は、菖蒲さんの前にいるそれの姿だった。
それは多数の狼の頭を持ち、極めて巨大な体と、蛇の尻尾。それに翼まで持っている存在だった。
まさに怪物。
少なくとも、それはフェンリルではなかった。
「それが貴方の正体……ではなさそうですね」
「む、もう来たのか。 計算より三分ほど速いな。 もう少しで餌を食い破り、万全の態勢で迎撃できたのだが。 それに餌の予想外の抵抗で、スコルとハティを倒されてしまったが……まあ良いだろう。 想定の範囲内だ」
「菖蒲姉!」
「大丈夫! 目の前の相手に集中して!」
菖蒲さんは、これはもうふらふらだ。
この人がここまでやられているのは初めて見た。
だが、相手はまだ第二形態を現したばかり。この様子だと、まだまだ余裕であるし。更に形態や奥の手を隠しているとみていいだろう。
それにだ。
この姿、恐らくは。
悪魔化したケルベロスだ。
「よりにもよって俺の姿を出すか……」
「おまえだけではないぞケルベロス。 これはキマイラの姿も出している」
「ケルベロスの兄弟で、キメラの語源となった魔物だね」
「ああ。 悪魔化されたキマイラまでも取り込んでいるとはな……」
ケルベロスが激高しているのが分かる。
燐火は汗を拭うと、日女さんと目配せ。
恐らくだが、林西さんもそろそろ来る。できるだけ、菖蒲さんを守りながら、戦力の合流を待つ。
それが当面の方針だ。
そもそも菖蒲さんほどの魔祓いであっても、複数の明王をおろし展開するのは相当に負担だった筈。
まずは守らなければならないが。
それをさせてくれるほど、相手は甘くもない。
即座に周囲に気配が生じる。
のそりと歩いてきたのは、巨大な猫である。
この国の怪異だというのは分かったが、感じる力が強すぎる。
「化け猫、戦力を削れ」
「承知」
「これが化け猫……!?」
「化け猫と言ってもそもそもかなり古い妖怪だ。 正確には山猫の妖怪が中華から伝わったのだがな」
日女さんが説明してくれる。
狸の妖怪が日本では有名だが。
あれは元は、実は山猫の妖怪が中華から伝わってきたものが、色々と変化の末狸に入れ替わったのだという。
狸の漢字と中華での山猫の漢字が似ている事も原因の一つ。
日本にはあまり大型の猫がいなかったというのも原因の一つだ。
だから狸と狐、たまに猫くらいの感覚で人間を化かす怪異として捉えられがちなのだが。実態はそう単純ではない。
古くには山猫の怪異が存在していて。
だから、山猫の怪異は高いポテンシャルを持っているという。
八百万の信仰がある日本だからこそ。
その全力を、やりようによっては発揮できると言う訳だ。
それだけじゃない。
周囲から、わらわらと犬が現れる。どれもかなり大きい。
「山犬達よ。 その娘を足止めしろ」
「了解。 足止めだけではなく、殺してしまっても問題はないのだな主よ」
「ふっ。 それは恐らく無理だろうが、精々励め」
数はざっと三十程度か。
これは日女さんと燐火だけで捌くのは少しばかり手強いか。それに、である。更に増援の気配。
いや、違うな。
これは恐らくだが、あの銀白の狼が、体内から分離させた存在達だ。
どれも食肉目の魔ばかりである。
犬猫、それに熊。
犬科の怪異が多いが、どちらかと言えば聖獣ではないのかと思えるような気配のものもいる。
じりじりと間合いを計る。
「俺をおびき寄せるための罠だったが、食い破るついでに俺も罠を準備させて貰ったと言う訳だ。 さて、どうするかな。 増援が来られるほどの余裕はないぞ。 増援が仮にたどり着けたとしても、俺を倒す余力はあるかな?」
「燐火。 その犬ども、一人で片付けられるか」
「やってみます」
「分かった。 俺も少しばかり、無理をする」
日女さんが更にギアを一つあげるようだ。
菖蒲さんが、肩を押さえながら立ち上がる。
愛染明王が、見る間に無傷の状態に戻っていく。
回復させたわけだ。
ただし、もう余力はほとんど残っていないとみて良いだろう。
頷かれる。
分かる。菖蒲さんが、あの銀白の狼を、一秒でも足止めすると言う訳だ。その間に、燐火と日女さんで、少しでも雑魚を削らなければならない。
相手はダイモーンとの混合魔ばかりだが。
それにしても数と質がやばすぎる。
いくら弱体化していたとはいえ、北欧神話の神々を一方的に蹂躙したほどの魔達であるのだから。
ある意味当然であるとは言えるか。
だが、やる。やらなければ、即座に全員殺される。それに林西さんや、カトリイヌさん達、エヴァンジェリンさんもこっちに向かっている。
絶対に、それぞれの仕事を果たす。
三者が、一斉にそれぞれ別方向に跳ぶ。
同時に、多数の魔の獣が。それを迎え撃つべく、躍りかかってきていた。
罠に堂々と踏み込んできた「狼王」。
決戦が開始されます。