現代怪異社会の博麗霊夢(偽)   作:拓拓

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第13話

 翌朝。

 チュンチュン、という小鳥のさえずりが、鼓膜を優しく撫でる。

 佐伯邸から略奪してきた高級羽毛布団は、まるで雲の上にいるかのような寝心地だった。

 適度な弾力、滑らかな肌触り、そしてほのかな柔軟剤の香り*1

 ああ、幸せだ。これが文明だ。これが人権だ。

 私はまどろみの中で、二度寝の誘惑に身を委ねようとした。

 

「……んぅ……重い……」

 

 だが、何かがおかしい。

 胸が苦しい。息がしにくい。

 金縛りか? いや、金縛りにしては温かいし、何より「物理的な質量」を感じる。

 新手の怪異かと思って恐る恐る目を開けると、そこにはドクロのようなハイライトを宿した大きな瞳が、至近距離で私を見下ろしていた。

 

「……おはよ」

「うわぁぁぁぁ!! ギャァァァァァ!!」

 

 私は魂が口から飛び出るごとき悲鳴を上げて飛び起きた。

 心拍数が一瞬でレッドゾーンに突入する。

 寶月夜宵だ。この最恐小学生、あろうことか私の聖域の中に潜り込んで寝てやがった。

 しかも、その手にはあのボロボロで不気味なぬいぐるみが抱かれている。朝から見るもんじゃない!

 

(心臓止まるかと思った! これ寝起きドッキリなら放送コード引っかかってるよ!)

(ていうか、ここ押し入れの中*2なんだけど! いつ入ってきたの!? セキュリティ*3は何してたのよ!)

 

 私がゼェゼェと息を切らしてパニックに陥っていると、襖がスッと上品に開いた。

 そこには、割烹着姿のみこが、湯気の立つお盆を持って立っていた。

 後光が差して見える。

 

「あ、霊夢さん、夜宵ちゃん、おはようございます。朝ごはん、できましたよ」

 

 みこちゃん、順応早すぎない?

 まだ出会ってまだそんなに経ってないよね? 完全にこのシェアハウスの「オカン」ポジションに収まっている。

 彼女の背後では、俊雄が配膳を手伝い*4、伽椰子が四つん這いで廊下の雑巾がけをしている。

 ……平和だ。

 絵面は完全に地獄絵図だけど、漂う空気感だけは日曜夕方の『サザエさん』の磯野家みたいだ。

 

 私たちはちゃぶ台を囲み、朝食を食べ始めた。

 メニューは、みこが買ってきてくれたコンビニおにぎりと、インスタントの味噌汁。

 質素だが、今の私には三ツ星レストランのフルコースよりも輝いて見える。

 

 夜宵は無表情でもぐもぐと鮭おにぎりを頬張り、リスのように頬を膨らませている。

 可愛い。食べている時だけは、ただの小学生に見える。

 しかし、食べ終わると同時にお茶をズズッと啜り、その空気が一変した。

 彼女は湯呑みを置き、まるで今日の天気を話すような軽さで言った。

 

「霊夢。……食後の運動、しよう」

「は? ラジオ体操? それとも伽椰子とヨガ?」

「ううん。……『実験』」

 

 夜宵がランドセルから取り出したのは、縄で雁字搦めにされた、赤黒いシミだらけの小さな木箱だった。

 見た瞬間に分かる。これはヤバいやつだ。

 箱の隙間から、どす黒い瘴気がゆらゆらと漏れ出し、周囲の空間を歪ませている。

 味噌汁の湯気が、不自然な形にねじ曲がった。

 

(ヒッ……! 出た、特級危険物!)

(それ絶対開けちゃダメなやつでしょ! パンドラの箱よりタチが悪いって! 封印の札、半分剥がれかけてない!?)

 

 私のオタクセンサーが「死」を感知して最大音量で警報を鳴らす。

 だが、夜宵は楽しそうに箱を撫でた。愛おしそうに、まるでペットを撫でるように。

 

「この子の強さは確認済み。……でも、霊夢の強さはまだ測りきれてない」

 

 彼女の瞳孔が開き、ドクロのハイライトが妖しく揺らめく。

 

「見せて。あなたの『本気』」

「はぁ? 嫌よ。断固拒否するわ」

 

 私は即答で拒否した。

 当たり前だ。

 せっかく綺麗に掃除したばかりの神社を、怪獣大決戦のリングにされてたまるか。

 壁が壊れたら? 床が抜けたら? 修繕費は誰が出すんだ。保険なんて効かないぞ。

 しかし、夜宵は懐から「茶封筒」を取り出し、テーブルの上にドンと置いた。

 

 分厚い。

 その口から、福沢諭吉の肖像画がチラリと覗いている。

 

「……勝ったら、これあげる。追加報酬」

 

 チラリと見えた諭吉の束。

 

(……ごくり)

 

 私の喉が、下品な音を立てて鳴った。

 あれがあれば、エアコンが買える。冷蔵庫が買える。最新のゲーミングPCとVRヘッドセットだって夢じゃない。

 課金も天井まで回せる。

 私の脳内で、天使の私と悪魔の私が会議を始め──0.5秒で悪魔が全会一致で勝利した。

 資本主義の犬である私は、プライドとリスクを天秤にかけ、現金(ゲンナマ)を選んだのだ。

 

「いいわ。やってやろうじゃないの」

 

 夜宵がニヤリと笑う。

 その笑顔は、純粋な好奇心と、底知れぬ狂気に満ちていた。

 みこが「ちょ、ちょっと二人とも!? 本気ですか!? ここ神社ですよ!?」と真っ青になって止めに入るが、もう遅い。

 私の目には、諭吉の肖像画しか映っていなかった。

 

「でもね、管理職が現場に出るなんてナンセンスよ。伽椰子! 美々子! 休憩終わり! お客様の相手をしてあげなさい!」

 

 指名された二大怨霊が、嫌々ながらも私の前に整列する。

 対する夜宵は、少し不満そうに唇を尖らせたが、すぐに不敵な笑みを浮かべた。

 

「……ふーん。じゃあ、まずは『前座』から壊すね」

 

 夜宵が箱の封印を解き放つ。

 箱が開いた瞬間、爆発的な瘴気が境内に溢れ出した。

 現れたのは、首のない武者鎧の霊。

 錆びついた日本刀を引きずり、その身体からは血のような黒い霧が噴き出している。

 

(うわ、ガチだ。これガチのやつだ)

(Jホラーvsダークギャザリング……! 夢のドリームマッチ開幕ってか!? 私の神社が聖地になっちゃう!)

 

 私の興奮と恐怖がないまぜになる中、戦いの火蓋が切られた。

 

「──殺れ」

 

 夜宵が短く、そして無機質に命じる。

 それは少女の声とは思えないほど冷たく、まるで実験動物の処分を決める研究者の響きだった。

 

 瞬間、空気が爆ぜた。

 武者霊が獣のような咆哮を上げ、重戦車のごとき質量で突っ込んでくる。

 

 ドォォォンッ!

 

 踏み込み一発で境内の石畳がクモの巣状にひび割れる。

 速いなんてもんじゃない。鎧の重さを微塵も感じさせない、砲弾のような突進だ。

 

「ッ……! ア゛ア゛ア゛ア゛ッ!!」

 

 迎え撃つ伽椰子が、喉の奥から威嚇音を鳴らし、無数の黒髪を槍のように変形させて突き出す。

 物理法則を無視した全方位攻撃。普通の悪霊ならこれで串刺しになって終わりだ。

 だが──。

 

 ズバンッ!!

 

 武者霊は止まらない。

 錆びついた刀を一閃させただけで、伽椰子の髪の毛が紙屑のように斬り裂かれ、宙を舞う。

 怨念そのものを断ち切る一撃。

 その余波だけで衝撃波が発生し、美々子が悲鳴を上げて吹き飛ばされた。

 

「なっ……!?」

 

 嘘でしょ? うちのツートップだぞ?

 美々子が慌てて懐から包丁を取り出し、特有の甲高い着信音と共に呪いを飛ばそうとするが、武者霊は意にも介さない。

 呪いが届くより速く、間合いを詰められている。

 

 ガギィィィン!!

 

 美々子の包丁が、武者霊の籠手に弾かれた。

 刃こぼれどころか、包丁そのものがひしゃげ、火花が散る。

 純粋な「暴力」の格が違うのだ。

 

『ゴォォォォォ……!』

 

 武者霊が空っぽの兜の奥から唸り声を上げ、二の太刀を振り上げる。

 伽椰子が咄嗟に空間を歪めて回避しようとするが、遅い。

 武者霊の膂力は、異空間への逃げ道すらねじ伏せるほど圧倒的だった。

 

 ドゴォォッ!!

 

 鈍い音が響き、伽椰子の体がサッカーボールのように蹴り飛ばされた。

 賽銭箱に激突し、木っ端微塵に粉砕する。

 美々子に至っては、腰を抜かしてガタガタと震え、涙目で私の方を見ている。

 

(えっ、強すぎない!? なにこれバグ!?)

 

 うちのスタッフも、そこら辺の除霊師なら裸足で逃げ出すクラスの怨霊のはずだ。

 それが、赤子の手を捻るようにあしらわれている。

 単純な霊力の総量が桁違いだ。あれは「怨念」の塊というより、数百年分の戦場で練り上げられた「殺意」の結晶。災害そのものだ。

 

 伽椰子がピクピクと痙攣し、再生しようとしているが、斬られた箇所から黒い霧が侵食し、回復を阻害している。

 完敗だ。ぐうの音も出ないほどに。

 

「……弱い」

 

 夜宵がつまらなそうに呟いた。

 その声には、嘲笑も侮蔑もない。ただ事実を述べるだけの、残酷なまでの淡白さがあった。

 

 彼女は冷めた目で、まず敗北した伽椰子たちを一瞥し、そしてゆっくりと視線を私に移した。

 ドクロの瞳孔が、値踏みするように私を射抜く。

 

「手持ちがこの程度なら、主人もたかが知れてる。……期待外れ」

 

 彼女は興味を失ったように、ランドセルに手をかけた。

 もう用はない、と言わんばかりに。

 

 ──ピキッ。

 

 私のこめかみで、何かが切れる音がした。

 血管ではない。もっと大事な、私の精神的支柱を支える何かが。

 

 期待外れ?

 たかが知れてる?

 この私が? 

 ……いや、違う。「私」じゃない。

 彼女は、この姿「博麗霊夢」を見て、「たいしたことない」と言ったのだ。

 中身の私が馬鹿にされるのは慣れっこだ。社畜時代に散々味わった。

 

 だが、私の最推し「博麗霊夢」が、私の不甲斐なさのせいで「弱い」と断じられることだけは──オタクの魂にかけて、絶対に許容できない。

 たとえ紛い物だろうと、最強の巫女のガワを被っている以上、ナメられることは許されないのだ。

 

(……上等じゃないの)

 

 体温が一気に下がるのを感じた。怒りで頭が熱くなるどころか、逆に冷え切っていく。

 私は飲み干した湯呑みを、カツンと音を立ててちゃぶ台に置いた。

 深いため息が漏れる。ああ、面倒くさい。本当に面倒くさい。

 こんな朝っぱらから、汗をかくのも、服を汚すのも嫌だ。

 

 でも──ナメられたまま終わるほど、私は落ちぶれちゃいないし、枯れてもいない。

 私のプライドは、賽銭箱よりも安くはないのだ。

 

「……みこ。そこ退いてなさい」

「えっ!? あ、はいっ!」

 

 私の声のトーンが、極めて静かなものへと変わったのを察したのだろうか。

 みこが弾かれたように後退り、柱の陰に隠れる。顔が青ざめている。

 賢明な判断だ。彼女の「見える目」には映ってしまったのかもしれない。これから私が振るう力が、巻き込まれたら塵も残らない種類の理不尽さであることが。

 

 私はゆっくりと立ち上がり、埃を払うように巫女装束の袖をまくり上げた。

 シュッ、と布が擦れる音が、静寂の中に響く。

 お札は取り出さない。道具に頼るまでもない。

 私は丹田に力を込め、体内の霊力を循環させ──そして、それを皮膚の表面に「膜」として纏わせた。

 

 その瞬間、境内の空気がビリビリと振動した。

 

 視界がクリアになる。聴覚が研ぎ澄まされる。

 物理的な身体能力が、霊力によるブーストで限界突破する感覚。

 私の身体から立ち上る、不可視の、しかし強烈なプレッシャーが、空間を支配していく。

 

 あれほど暴れ回っていた武者霊が、ピタリと動きを止めた。

 空っぽの兜が、小刻みに震えているのが分かる。錆びついた鎧が、カチカチと恐怖を奏でている。

 怨念に支配された亡者であろうと、生物としての根源的な本能が告げているのだ。

 

 ──逃げろ。逃げなければ、砕かれる、と。

 

「……調子に乗るんじゃないわよ、三流悪霊」

 

 私が吐き捨てた言葉は、重い質量を持って武者霊を打ち据えた。

 それだけで、巨大な霊体が一歩、後ずさる。

 

「『夢想封印』? そんな高級な技、あんたにはもったいないわ」

 

 私は右の拳を軽く握りしめた。

 パチッ、と霊力のスパークが指の間で弾ける。

 

「私のストレス解消に付き合いなさい」

 

 ドンッ!!

 

 踏み込み一発。

 それだけで、私が立っていた場所の石畳が爆ぜた。

 残像すら残さない加速。音速を超えた突進。

 

 武者霊が反応する暇などない。

 錆びついた刀を振り上げるよりも速く、私は奴の懐に潜り込んでいた。

 

「せいっ!!」

 

 ドォォォォォンッ!!!!

 

 私の掌底が、武者霊の土手っ腹に突き刺さる。

 衝撃が背中へと突き抜け、背後の空間がドーナツ状に歪んだ。

 

 鎧が、飴細工のように砕け散る。

 数百年の怨念で強化されたはずの霊体が、くの字に折れ曲がり、砲弾のように吹き飛んだ。

 

 ズザザザザザッ!!

 

 武者霊は地面を削りながら数メートル滑り、鳥居の柱に激突してようやく止まった。

 鎧はボロボロに砕け、手放した刀は遠くへ弾き飛ばされている。

 黒い霧のような体液を撒き散らし、ピクピクと痙攣しているが──消滅はしていない。

 

「……あー、すっきりした」

 

 私はパンパンと手を払い、袖を元に戻しながら、虫の息になっている武者霊を見下ろした。

 霊力を精密にコントロールし、あえて「核」を避けて衝撃だけを叩き込んだのだ。

 消すのは簡単だが、それでは夜宵の「コレクション」が減ってしまう。

 あくまで、躾の範囲内だ。

 私は固まっている夜宵に向かって、営業用ではない、捕食者の笑みをニッコリと向ける。

 

「手加減してあげたわよ」 

 

 私はドヤ顔で言い放ち、テーブルの上の封筒を光の速さで回収した。

 私がホクホク顔で懐に封筒をねじ込む一方、夜宵は微動だにしていなかった。

 彼女は目を限界まで見開き、ボロ雑巾のように地面に転がり痙攣している武者霊と、涼しい顔で立っている私を、まるでバグった機械のように交互に見ていた。

 

「……ありえない」

 

 夜宵がうわごとのように漏らす。

 

「霊媒体質でもない。憑依でもない。……純粋なエネルギーの奔流。私の『卒業生』たちですら、物理干渉でここまで一方的に蹂躙することはできない……」

 

 ブツブツと早口で何かを呟きながら、彼女の瞳がキラキラと、狂気的な輝きを帯びていく。

 それは恐怖ではない。純粋で、無垢で、そして底なしの沼のような「渇望」。

 

「……すごい」

 

 彼女は弾丸のように駆け寄ってくると、私の手を両手でギュッと握りしめた。

 その手は熱く、震えていた。

 

「霊夢、欲しい。……あなた、私の『最高傑作』になる。最強の神殺しの武器になる。絶対になる」

「ならないわよ! 人を素材扱いするな!」

 

 私の渾身のツッコミが、朝の澄んだ神社に響き渡る。

 だが、夜宵は聞く耳持たずといった様子で、うっとりと私を見つめ続けている。まるでショーケースの中の非売品を見つけたコレクターのように。

 

 まったく、とんでもない子供に懐かれてしまったものだ。

 私はやれやれと深い溜息を吐き、これ以上の「実験」を阻止するため、散らかった境内の掃除を早急に指示するのだった*5

*1
みこが洗濯してくれた

*2
私の個室

*3
伽椰子

*4
といっても皿を運んでいるだけだが

*5
もちろん掃除は従業員の仕事だ

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