あれ以来、夜宵は頻繁に博麗神社に入り浸るようになった。
お菓子という名の「家賃」を持って。
おかげで私の血糖値は常に高止まりだが、生活水準は劇的に向上した。
今日は、その夜宵とみこを連れて、駅前の地下街へ買い出しに来ていた。
「重い……。なんで私が米10キロを持たなきゃいけないのよ」
私はブツブツ文句を言いながら、地下通路を歩いていた。
両手にはスーパーの袋。背中にはリュック。完全に荷運び要員だ。
夜宵はランドセル*1を背負っているし、みこはトイレットペーパーや洗剤を持っているから、消去法で一番力持ち*2な私が米担当になったのだ。
「ご、ごめんなさい霊夢さん。でも、特売だったから……」
「霊夢、頑張れ。帰ったら『ハーゲンダッツ』あげる」
「……期間限定の抹茶味なら許す」
チョロい。自分でも思うが、私は餌に弱い。
そんな軽口を叩きながら、私たちは長く伸びる白いタイル張りの地下通路を歩いていた。
カツン、カツン、カツン。
足音が、やけに高く反響する。
ふと、違和感を覚えた。
さっきから、同じ景色が続いていないか?
無機質な黄色い点字ブロック。どこまでも続く白い正方形のタイル。等間隔に並んだ天井の蛍光灯。
そして、壁に貼られた「アルバイト募集」の色褪せたポスター。
既視感が凄い。というか、さっき通り過ぎた場所と全く同じシミが壁にある。
「……ねえ。このポスター、さっきも見なかった? まるでコピペしたみたいに」
私が足を止めると、みこが不安そうに頷いた。
「わ、私も思ってました。……それに、なんか人がいないというか……。駅の近くなのに、誰ともすれ違わないなんて変ですよね?」
「……異界化してる」
夜宵が冷徹に告げた。
彼女のドクロの瞳が、通路の奥を油断なく見据えている。
「ここ、閉じ込められた。……終わりのない回廊」
(はぁ!? また!?)
(今週何回目よ! 私の人生、イベント発生率が高すぎてクソゲーなんだけど! オートセーブ機能ついてないの!?)
私は盛大に舌打ちをした。米袋を持つ手が震える*3。
そして、前方からコツコツと歩いてくる人影が見えた。
白シャツに黒のスラックス、片手にスマホを持ち、鞄を提げた、何の特徴もない中年男性。
通称「おじさん」。
彼は私たちを無視して、機械的な歩調で通り過ぎていく。
(……待って。この強烈な既視感)
(白いタイル、無限に続く通路、無表情で歩いてくるおじさん……)
私の脳内ライブラリが、瞬時に検索結果を弾き出した。
これ、Steamで流行ったウォーキングシミュレーター『8番出口』じゃん!
異変を見つけたら引き返す、なければ進む。シンプルだが精神を削られるあのゲームだ!
(うわー! 聖地巡礼! 今度はインディーズゲームかよ! 誰得コラボだよ!)
(ってことは、異変を見つけたら引き返せばいいのね? ルールは把握したわ。私はこの手のゲーム、配信で予習済みよ!)
私はニヤリと笑い、みこと夜宵に向き直った。
勝算はある。攻略法を知っている強みだ。
「大丈夫よ。これは『間違い探し』みたいなもの。異変があったら引き返す、なければ進む。それだけで出られるわ。簡単よ」
私たちは慎重に進み始めた。
目を皿のようにして、ポスターの顔、防犯カメラの向き、タイルの枚数、そしておじさんの顔色をチェックする。
……しかし。
十分後。
私たちはまだ通路にいた。
二十分後。
景色は変わらない。
三十分後。
おじさんが五回目の通過をする。
「異変がない! 異変がないのよ!!」
私は叫んだ。
ポスターの顔が大きくなるとか、蛍光灯が消えるとか、天井に顔が浮かぶとか、そういう分かりやすいイベントが起きない。
ただひたすらに、同じ景色がループしている。
おじさんも相変わらず無表情で、微妙に避けるのが面倒な絶妙なコース取りで通り過ぎていくだけだ。
「霊夢さん、疲れました……。もう歩けません……。足が棒のようです……」
みこがへたり込む。精神的な摩耗が激しい。
夜宵も少し飽きてきたのか、ランドセルからスルメを取り出して齧り始めた。
そして何より、私の肩に食い込む米袋の重みが限界に達しつつあった。
重い。痛い。そして腹が減った。
(イライラする……!)
(なんなのこのクソゲー! 難易度調整ミスってんじゃないの!? バグ? 進行不能バグなの!?)
(こっちは早く帰って、風呂入ってアイス食べて寝たいのよ! 同じとこグルグル回らせて、私の貴重な可処分時間を奪う気!? タイムイズマネーよ!)
ブチッ。
私の脳内で、何かが切れる音がした。
忍耐の糸だ。
私はドサッと荷物を床に置いた。米袋が鈍い音を立てる。
「……やめた」
「えっ? 霊夢さん?」
「付き合ってらんないわよ、こんなチマチマしたルール!」
私はお祓い棒(枝)を構え、壁に向かって仁王立ちになった。
ゲームのルールに従う? 開発者の掌で踊らされる?
冗談じゃない。私は博麗霊夢だ。ルールは私が作る。
「出口がないなら、作ればいいじゃない!」
マリー・アントワネットもびっくりの暴論。
だが、今の私*4には、それが唯一絶対の正解に思えた。
「みこ、夜宵! 耳塞いでなさい! 衝撃に備えて!」
私は懐から、とっておきのスペルカード*5を取り出した。
霊力を全開まで高める。
通路の蛍光灯がバチバチと激しく明滅し、通りすがりのおじさんが初めて「ヒッ」と顔を引きつらせて逃げ出した。
遅い。もう遅い。
「この無限回廊ごと、ねじ伏せてやるわ! 空間の歪みごと吹き飛びなさい!」
私は叫び、スペルカードを壁に叩きつけた。
「霊符『夢想封印・
ドォォォォォォンッ!!
鼓膜をつんざく爆音が轟き、地下通路が激しく揺れた。
白いタイルが粉々に砕け散り、鉄筋コンクリートの壁が粉砕される。
空間維持のための結界ごともっていかれたのだろう、視界が歪み、ノイズが走る。
もう「間違い探し」どころではない。「地形が変わる」レベルの異変だ。
土煙が晴れると、壁には人が三人並んで通れるほどの大穴が空いていた。
その向こうに見えるのは──夕焼けに染まる、見慣れた神社の裏山。
そして、新鮮な外の空気。
「……開通」
私はパンパンと手を払った。
最短ルートの完成だ。
正攻法? 知るか。結果が全てだ。
「さ、帰るわよ。アイスが溶けちゃう」
私は米袋を担ぎ直し、瓦礫の山を踏み越えて穴の向こうへと歩き出した。
みこと夜宵が、呆然とした顔で口を開けている。
「……霊夢さん、これ、器物損壊じゃ……」
「異界だからセーフよ。……たぶん。それに、閉じ込めた方が悪いのよ」
背後で、崩れかけた地下通路が、まるで幻のように揺らぎ、ノイズ混じりに消えていくのが見えた。
どうやら、私の暴力的な解決策に、空間そのものが「参りました」と降参したらしい。
ゲームオーバーではなく、強制クリアだ。
(ふん、ルールなんて弱者の戯言よ)
(力こそパワー。……さあ、帰って抹茶アイス食べるわよ! 大盛りで!)
こうして私たちは、難攻不落のループ迷宮を、実力行使によりクリアしたのだった。
8番出口のおじさんも、きっと草葉の陰で泣いているに違いない。
いや、そもそも最初から泣いていたのかもしれないけれど。