――その夜。
七海建人という名の「動くパン屋」からカスクートを強奪し、至福の時を過ごした私は、上機嫌で夜の社務所にいた。
みこは「親が心配するから」と帰宅し、今は私と夜宵、そしてJホラーオールスターズだけが残っている。
「……霊夢」
「んー? なによ?」
テレビ*1を見ながらくつろいでいると、夜宵がランドセルからまた何かを取り出した。
それは、複雑な寄木細工が施された、古びた木箱だった。
サイズは手のひら大。だが、そこから漏れ出す気配は、そこらの心霊スポットの比ではない。
濃厚な、煮詰めたコールタールのような「死」の気配。
「……デザート」
「は?」
「『コトリバコ』。……これ、使えるかも」
夜宵は箱を興味深そうに撫でながら、ドクロの瞳を妖しく光らせる。
「この凝縮された悪意……うまく抽出できれば、新しい『卒業生』の核になるかもしれない。あるいは、今の卒業生の強化パーツとして組み込めば、神すら殺せる火力が出るかも……」
ブツブツと物騒な独り言を漏らしている。完全にマッドサイエンティストの目だ。
私の脳内データベースが、「絶対に関わるな」とアラートを鳴らす。
(ヒッ……! ちょ、おま、それ持ち歩いてんの!? 素材扱い!?)
(デザートってそういう意味!? 呪いのフルコースかよ! さっきパン食べたばっかなんだけど!)
私の顔色がサッと青ざめる。
せっかくのカスクートの余韻が台無しだ。胃液が逆流しそうだ。
「開けていい?」
夜宵がドクロの瞳を輝かせて、箱に手をかける。
まるでクリスマスプレゼントを開ける子供のような無邪気さだ。
だが、その箱を開けたら最後、この神社は汚染区域になる。
「ダメに決まってるでしょ! 手を離しなさい!」
私は反射的に、その手をひっぱたいた。
パチンッ!
夜宵が「うぅ……」と涙目になるが、ここで情けをかけてはいけない。
「生ゴミの日は明日よ! そんなもん開けたら、血液とか出てくるんでしょ!?」
「……えー。でも、中身……。霊夢も気になるでしょ?」
「えー、じゃないわよ! 異臭騒ぎで通報されるわ! リフォームしたての畳にシミがついたらどうすんの!」
「でも、中身知りたい。霊夢も気になるでしょ?」
「気にならないわよ! ……いや、ちょっと……めっちゃ! 気になるけど!!」
私もオタクの端くれ。都市伝説の真相を知りたいという欲求はある。
だが、命あっての物種だ。
「とにかくダメ! 没収!」
私は箱をひったくった。
ずしりと重い。中から、コロコロと乾いた何かが転がる音がする。
絶対に開けてはいけない。
だが、このまま置いておくのも危険だ。夜宵が目を離した隙に開けるかもしれないし、俊雄がおもちゃにするかもしれない。
私は立ち上がり、裏庭へと走った。
そこには、昼間に俊雄が集めた落ち葉や枯れ木が山積みになっている。
簡易的な焼却炉だ。
「……燃やすわ」
「えっ、霊夢、もったいない。貴重なサンプル……。実験させて」
「もったいなくない! こんな不吉なもん、物理的に焼却処分するのが一番よ!」
私は懐からお札を取り出し、ペタペタと箱の全面に貼り付けた。
即席の結界だ。これで中の呪いが暴発するのを少しは抑えられるはず。というか、抑え込んで焼き尽くす!
「悪霊退散、家内安全、火の用心! 封印完了! はい!」
私はお札だらけになったコトリバコを枯れ木の山に放り込んだ。
躊躇はない。呪いは燃やせば消えるはずだ。
そして、マッチで火をつける。
パチパチと火が燃え移り、やがて箱を包み込む。
――ギャアアアア……オギャアアアア……!!
箱から、赤ん坊の泣き声のような、女の悲鳴のような、おぞましい断末魔が響いた。
煙がドクロの形になって立ち昇り、周囲の空間が歪む。
やばい。呪いが実体化しようとしている。
「あ、出た。特級クラスの呪い。……強い」
夜宵が冷静に解説する。
炎の中から、黒い触手のようなものが伸び、私に襲いかかろうとする。
本気で殺しに来ている。
「しつこい! 往生際が悪いわよ!」
私はお祓い棒で触手を叩き落とし、さらに薪を追加した。
ここで火力を弱めたら負けだ。
「伽椰子! 台所からサラダ油持ってきて! 貞子、念動力で風を送って酸素供給! 火力を上げなさい!」
「……あ、あ、あ*2」
「……*3」
私の号令で、怨霊たちがテキパキと動く。
伽椰子がボトルごと油を注ぎ、貞子が「フンッ!」と気合を入れて風を送る。俊雄が落ち葉を追加する。
チームワークが完璧すぎる。
ゴォォォォォ!!
業火が燃え上がり、コトリバコの怨念を焼き尽くしていく。
黒い煙が空高く昇り、悲鳴がかき消されていく。
「……ついでに、これも」
私は懐から、サツマイモ*4を取り出し、アルミホイルに包んで炎の中に放り込んだ。
ついでだ。火力は有効活用しないと。エコだ。
数分後。
コトリバコは跡形もなく燃え尽き、辺りには香ばしい焼き芋の香りが漂っていた。
呪いの臭気は消え、甘い匂いだけが残る。
「……ん、焼けたわね」
私はホクホクの焼き芋を取り出し、半分に割った。
黄金色の中身から、甘い湯気が立ち上る。
特級呪物を燃料に焼いた芋だ。ある意味、最強の除霊メシと言えるだろう。
「はい、夜宵ちゃん。デザートよ」
「……ん。美味しい」
夜宵が焼き芋をハフハフしながら頬張る。
その顔は、悪霊を見ている時よりもずっと幸せそうだ。
伽椰子たちも、遠巻きに欲しそうに見ている。
「ほら、あんたたちも食べなさい」
私は残りの芋を分け与えた。
空には満月。
今日も博麗神社は、物理と食欲と理不尽で、平和を守り抜いたのだった。
♢
そして、翌日。
博麗神社には、相変わらずのカオスと、ほんの少しの平穏が戻っていた。
私は縁側で、せんべいを齧りながら、けだるげな午後の日差しを浴びていた。
その横では、座布団の上で猫の姿をした俊雄が丸まって寝ている。
平和だ。
みこは学校、伽椰子は高所の窓拭き、貞子は神社の裏にある古井戸の水質検査をしている。
そんなのどかな昼下がり。
ランドセルを背負った夜宵が、いつものように音もなく現れた。
「霊夢。一狩りいこうぜ」
「は?」
私は飲みかけのお茶を噴き出しそうになった。
「何その国民的ハンティングアクションゲームみたいな誘い文句。ひと狩りって、山菜でも採りに行くの?」
「ううん。……もっと大物。ランクG級」
夜宵はランドセルから一枚の写真を取り出し、ちゃぶ台に置いた。
そこには、民家の塀から頭一つ分突き出た、不気味な白い帽子の女が写っていた。
「……縄張り荒らし。最近、この辺りをうろついてる『デカい女』がいる。……緊急クエスト」
「デカい女?」
「うん。身長2メートル超え。白いワンピース。……私の獲物を横取りしようとしてる」
夜宵が不愉快そうに眉をひそめる。
彼女にとって、悪霊はこの世に残る未練そのものであり、卒業生を作るための素材だ。それを荒らす同業者は許せないらしい。
「ふーん。2メートルねぇ。モデルかバレー選手じゃないの?」
「違う。……『八尺様』」
(八尺様……。白いワンピースに帽子……。2メートル越えの長身……)
(ってことは、剥ぎ取れる服の面積もデカいってことよね? しかも、あんな目立つ格好してるってことは、相当なレア物の可能性が高いわ)
私の脳内で、ハンターとしての物欲センサーが騒ぎ出した。
「……部位破壊報酬はあるのかしら?」
「……報酬金、出す」
夜宵が懐から封筒を取り出し、ちゃぶ台の上にコトッと置いた。
その厚み。紙幣の感触。
私の視線が、瞬時に写真から封筒へと吸着する。
夜宵は封筒を少し開き、諭吉の束をチラリと見せた。
私の目が、チャリンという音と共に¥マークに変わった。
湯呑みを置き、スッと立ち上がる。
巫女装束の袖をまくり上げ、お祓い棒を手に取る。
「……いいわ。そのクエスト、受注したわよ。私のシマで勝手な真似をするそのデカい女、ちょっとシメに行きましょうか。博麗の巫女の恐ろしさを教えてやるわ。……ついでに身ぐるみ剥いでやる」
「……交渉成立。行こう、霊夢」
♢
私たちは神社を出て、坂を下った先にある閑静な住宅街へと足を踏み入れた。
時刻は夕暮れ時。
逢魔が時と呼ばれる、世界と異界の境界が曖昧になる時間帯。
綺麗に整備されたアスファルト。建ち並ぶ一軒家。どこにでもある、平和な日本の住宅地だ。
だが、だからこそ異様だった。
「……霊夢。もうすぐ」
先頭を行く夜宵が、ランドセルの肩紐を握りしめながら呟いた。
彼女の視線は、整然と並ぶ民家の屋根に向けられている。
「随分と普通の住宅街ね。こんなところにデカ女が出没するなんて、よっぽど目立ちたがり屋か、家探しでもしてるのかしら」
私は軽口を叩きながら、お祓い棒を手に周囲を警戒した。
報酬の封筒は、しっかりと懐にしまってある。
諭吉の重みが、私の心に安らぎを与えてくれる。
「……八尺様は、子供を好んで狙う。あるいは、若い男」
夜宵が淡々と解説する。
「魅入られたら最後、数日で死ぬ。……物理的な距離も、お札も関係ない。強力な結界で隔離しない限り、どこまでも追ってくる」
「ストーカー気質ってわけね。厄介な女だわ」
私は肩をすくめた。
そんな話を聞いても、恐怖よりも「面倒くさそう」という感想が先に来る。
私の今の関心事は、八尺様の恐怖度よりも、彼女が着ているワンピースのブランドタグだ。
「……でも、霊夢なら大丈夫。……たぶん」
「『たぶん』って何よ。私は最強よ?」
(……いやまあ、中身はただの元社畜で、霊的な修行なんて一秒もしたことないけどね!)
(使えるのは、この身体に備わったチート級の力。術式? 結界? 知らないわよそんなの。全部『気合』で解決してきたんだから!)
(でも、クライアントの前で弱気な姿は見せられないわ。ハッタリも実力のうちよ!)
さらに歩くこと数分。
周囲の空気が、じっとりと重くなった気がした。
湿度が上がり、肌にまとわりつくような不快感。
夕方のチャイムが鳴る時間だというのに、子供の声も、車の音もしない。
静寂が、街を支配している。
「……霊夢。あそこ」
夜宵が足を止め、とある民家の角を指差した。
「……来た」
ポ……ポ……ポ……ポ……
奇妙な音が聞こえてきた。
機械音のようでもあり、低い男性の声のようでもある、不快なリズム。
都市伝説『八尺様』のトレードマークだ。
「……ホントにいた」
夜宵の視線の先。
民家のブロック塀の向こうから、白い帽子を被った、信じられないほど背の高い女が姿を現した。
塀よりも、庭木の生垣よりも、さらに頭一つ分高い。
不気味なほど白い肌。長く垂らした黒髪。そして、その異様なまでの威圧感。
二階の窓を覗き込めそうな高さだ。
(うっわ、デカっ。ガンダムかよ)
(てか、あのワンピース……近くで見るとやっぱり仕立てが良いわね。シルク混? 麻? これ夏場に出品したら絶対「いいね」稼げるやつじゃん)
私は電柱の陰からその姿を値踏みした。
恐怖? ない。
私の目には、あの巨体が「報酬金+ボーナス」にしか見えていないからだ。
八尺様は、何かを探すようにキョロキョロと首を動かしている。
獲物を探しているのだろうか。
「……夜宵。作戦は?」
「私が囮になって引きつける。霊夢が背後から……」
「めんどくさ。正面突破よ」
私は夜宵の緻密な作戦を秒で却下し、路上へと堂々と飛び出した。
「おいコラァァァァァ!! そこの不審者!!」
私の怒声が、静寂な住宅街に響き渡る。
夜宵が「あ……」と口を開けたまま固まっているが、知ったことか。
時は金なりだ。サクッと終わらせて帰るんだ私は。
八尺様が動きを止め、ゆっくりと私の方を向いた。
のっぺりとした顔。帽子に隠れた口元が、ニヤリと裂けたように見える。
ポ……ポ……ポ……?
「『ポ』じゃねーよ!! ここは閑静な住宅街よ! 住民税払ってんの!?」
私はお祓い棒をビシッと突きつけた。
完全に因縁をつけるチンピラのムーブである。
八尺様も、まさかこんなクレームをつけられるとは思っていなかっただろう。
一瞬、その巨体が困惑したように揺れた。
だが、すぐに怪異としての本能が勝ったらしい。
八尺様が片手を挙げると、見えない壁――強力な結界が私の周囲に展開された。
私を閉じ込め、魅入るつもりだ。
普通の人間なら、これで終わりだ。一生、この音を聞きながら精神を病んでいくことになる。
だが。
「……あ? 結界?」
私は目の前に現れた透明な壁をコンコンと指で叩いた。
硬い。並の霊能者なら一生出られないレベルの強固さだ。
(へえ、やるじゃん。防犯ガラス並みの強度はあるわね)
(でも残念! こちとら幻想郷最強の巫女なんでね! ルール無用のフィジカル勝負なら負けないのよ!)
「私の前で結界自慢とは、いい度胸ね」
私は右手にありったけの霊力を集中させた。
握り拳が白く発光する。
スペルカード? 必要ない。ワンピースは傷つけたくないが、怪異の中身はどうなってもいい。
ならば、使うのは純粋なる「破壊の暴力」のみ。
「調子に乗るなよ、デカ女!!」
私は丹田に力を込め、右手にありったけの霊力を集中させた。
握り拳が白く発光する。
スペルカード? 必要ない。
今の私に必要なのは、精密な術式ではなく、純粋なる「破壊の暴力」だ。
「ガラス割りィィィィ!!!」
ドォォォォォォォンッ!!!
私の拳が、不可視の結界を捉える。
パリーンッ!!
凄まじい破砕音と共に、結界が文字通りガラス細工のように粉々に砕け散った。
キラキラと光る破片が舞う中、私は弾丸のように飛び出した。
八尺様が驚愕にのけぞる。
その高い高い顔面が、隙だらけになる。
「届かないと思った? 甘いわよ!」
私は地面を蹴り、近くの杉の木の幹を蹴って三角跳びの要領でさらに跳躍した。
空中高く舞い上がる、紅白の巫女装束。
重力を無視した、人間ロケットだ。
私の視線が、八尺様の顔面の高さと並ぶ。
「そこどきなさい! その服は私のボーナスよ!!」
私は空中で体を捻り、全体重と遠心力、そして日頃のストレスを乗せたドロップキックを放った。
ドゴォォォォォンッ!!
クリーンヒット。
私の両足が、八尺様の顔面に深々と突き刺さる。
メキメキッという嫌な音がして、2メートル越えの巨体が、まるで伐採された大木のようにゆっくりと、そして豪快に後ろへ倒れていった。
ズズゥゥゥゥン……!!
地響きを立てて倒れる八尺様。
土煙が舞う中、私はスーパーヒーロー着地を決めた。
「ふぅ……。安眠妨害の罪、重いわよ」
私が髪をかき上げていると、背後からパチパチパチと乾いた拍手が聞こえた。
夜宵だ。
彼女はキラキラした目で倒れた八尺様を見つめ、そして私にサムズアップを向けた。
「……ナイス、暴力」
「でしょ。さあ、剥ぐわよ」
私は気絶(?)してピクピクしている八尺様に近づき、その白いワンピースに手をかけた。
「うわ、いい生地使ってるじゃない。シルク? いや、これ特注の麻ね。涼しそう」
私は遠慮なく、そのワンピースを戦利品として剥ぎ取った。
中身? 知らない。
怪異に下着の概念があるのか確認する気もない。
あられもない姿*5になった八尺様を、夜宵が手際よく自身のぬいぐるみへと封印していく。
「……ゲット。卒業生たちのいい素材になりそう。ありがとう、霊夢」
「いいのよ。私はこれが手に入れば」
私はホクホク顔で、巨大な白いワンピースを畳んだ。
これなら、解体して私の寝間着にするもよし、みこに仕立て直してもらってフリマアプリで売るもよし。
「これ、絶対に『ハイブランドのヴィンテージ品』って言えばメルカリで高く売れるわよ。元値は取らなきゃね」
夜宵は呆れたように首を振ったが、そのランドセルの中には新たなぬいぐるみが収まっていた。
こうして、博麗神社の近隣から騒音が一つ消え、私の手元に謎の白い布が増えた。
今日もまた、平和な一日が終わるのだった。