都市伝説の女王『八尺様』を物理的なドロップキックで沈め、その衣服を剥ぎ取った帰り道。
私と夜宵は、最寄りの駅のホームに立っていた。
時刻は18時を回り、少しずつ帰宅ラッシュが始まろうとしている時間帯だ。
そして、私は今、猛烈に居心地の悪さを感じていた。
「……ねえ、あれ。撮影?」
「うわ、ガチの巫女服じゃん。イベント帰り?」
「隣の子、ランドセル背負って変なぬいぐるみ持ってるけど……何かのコスプレ?」
周囲からの突き刺さるような視線。
ヒソヒソと交わされる好奇の声。スマホを向けようとして、私の眼力に気づいて慌てて隠す女子高生。
無理もない。
夕方の駅のホーム、疲れ切ったスーツ姿のサラリーマンや制服姿の学生たちの中で、鮮烈な紅白の巫女装束は異物でしかない。
しかも、背中には泥棒風呂敷*1を背負っているのだ。完全に不審者である。
(ジロジロ見んじゃないわよ! 見世物じゃないのよ! 無料でガン見するなら拝観料よこしなさい!)
(確かに、ラッシュ時の駅のホームで、紅白の巫女装束に大きなリボンは浮いてるかもしれないわよ? 違和感が仕事してるのは認めるわ。でもね、これはいわゆる仕事着なの! 流行りのワークマン女子的なアレよ!……いや、目立つのは自覚してるけど! そんな珍獣を見るような目で盗み見ないで!)
私は内心で悪態をつきながら、努めて平然を装った。
中身はただの一般人オタクだが、外見は「博麗霊夢」。
ここで恥じらって下を向くのは解釈違いだ。
私はあえて胸を張り、「これは正装ですが何か?」という堂々たるオーラを全方位に放射して威圧する。
「……ねえ、霊夢。その布、本当に持って帰るの? 目立つ」
夜宵が私の抱える風呂敷包みを見て、珍しく呆れたような声を出す。
あんたも人のこと言えないわよ、そのドクロ目とぬいぐるみ。
「当たり前じゃない。リメイクして売れば、神社の当面の食費になるわ。SDGsよ」
私は鼻を鳴らした。
この布面積なら、みこちゃんにお願いしてカフェカーテンとか、クッションカバーとかに作り変えてもらえば、オカルトマニア向けの商品として高値で売れるはずだ。
そんな皮算用をしていると、改札の方から聞き覚えのある声がした。
「みーこ! ねーねー、お腹すいたー! 寄り道してクレープ食べよーよー!」
「ちょ、ハナ! 声大きいってば……!」
人混みの雑踏を切り裂くように響いたのは、底抜けに明るく、そして食欲に忠実な声だった。
どんよりとした疲れが漂う夕方のホームにおいて、そこだけスポットライトが当たっているかのような、ふくよかで健康的なオーラ。
あれは間違いない。
我らがスポンサー、四谷みこと、その親友である百合川ハナだ。
ハナは満面の笑みでみこの腕をブンブンと振り回しており、対するみこは周囲をキョロキョロと警戒しながら、必死に友人をなだめている。
遠目に見ても、みこの様子がおかしい。
その瞳は恐怖で潤み、今にも決壊しそうなほど涙目になっているのに、顔の筋肉だけは能面のように強張らせていた。
感情を殺し、視界に入る「異形」を徹底的に無視しようとする、悲痛なまでのポーカーフェイス。
おそらく、ハナの体質のせいで、帰り道でも散々な目に遭ってきたのだろう。
「見えている」のに「見えていない」フリをする。
その矛盾した演技を極限状態で強いられている彼女の顔色は、青白く透き通るようだった。
「あ、霊夢さん!?」
私に気づいた瞬間、みこの鉄壁のポーカーフェイスが劇的に崩壊した。
怯えと疲労に染まっていた瞳に、パァッと希望の光が宿る。
それはまるで、蜘蛛の糸が垂れてきた時のカンダタか、あるいは地獄の釜茹で刑の最中に仏様に出会った亡者のようだった。
彼女の視線が、熱烈に私を求めている。
『助かった』『神様』『最強の用心棒』──そんな心の声が聞こえてきそうだ。
……まあ、彼女にとって私は、悪霊を物理で粉砕する「歩くセコム」みたいなものだからな。頼られるのは悪い気はしない。
「あら、奇遇ね。学校帰り?」
「はい……! 学校帰りです……! うぅ、霊夢さんに会えてよかった……!」
みこが涙目で駆け寄ってくる。
その背後から、キョトンとした顔のハナもついてきた。
「ん? みこの知り合い? ……わぁ、巫女さんだ! すごーい!」
「あ、この子は親友のハナです。……ハナ、こちら霊夢さん」
「はじめましてー! みこの友達のハナです! え、なにこれコスプレ? クオリティ高っ! 本物みたい!」
ハナと呼ばれた少女は、屈託のない笑顔で私に近づいてきた。
周囲の乗客が向けてくる「痛い人を見るような目」や「不審者を見る目」とは根本的に違う。
そこには一点の曇りもない、純粋な好奇心と称賛だけがあった。
その瞬間。
至近距離まで近づいてきた彼女を見て、私は思わずのけぞりそうになり、反射的に手で顔を覆いかけた。
(うわっ、眩しっ……! なにこの子!?)
物理的に発光しているわけではない。
だが、私の「霊視」の目には、彼女の全身から立ち昇る凄まじい「生命力」が、まるで真夏の太陽のように焼き付いて見えたのだ。
熱い。痛いほどに熱い。
普通の人間が豆電球なら、この子は業務用の投光器だ。いや、核融合炉だ。
内側から溢れ出るカロリーとバイタリティが、毛穴という毛穴から噴き出している。
「生きたい」「食べたい」「眠りたい」という、生物としての根源的な欲求が、あまりにも純粋かつ強大すぎて、霊的な干渉すらも弾き飛ばしそうな勢いだ。
(こりゃあ、幽霊も寄ってくるわけだわ……)
私は戦慄した。
死んで冷たくなった霊たちにとって、この温かさは何よりの御馳走であり、真冬の焚き火だ。
みこが「視える」ことで霊を引き寄せるなら、この子はただ「存在している」だけで霊を呼び寄せる、歩く特級誘引剤。
ある意味、みことは最悪の相棒を選んでしまったのかもしれない。
「ちょっと、その子すごいわね。歩くパワースポットじゃない」
「……霊夢。この子、すごい」
隣で夜宵も目を丸くしている。
彼女のドクロの瞳が、ハナを「極上の餌」としてではなく、「興味深い特異点」として観察している。
「あ、あの……霊夢さんたちも電車ですか? 一緒に帰りましょう!」
みこが必死にウィンクしてくる。『守ってください』というSOS信号だ。
まあ、可愛いスポンサーのお願いだ。断る理由はない。
それに、このコスプレ扱いの視線地獄から逃れられるなら何でもいい。
私たちは4人で電車に乗り込んだ。
♢
車内は帰宅ラッシュの時間帯でそこそこ混雑していたが、運良く車両の端にあるボックス席が一つだけ空いていた。
窓際に私と夜宵が並んで座り、通路側にみことハナが座る。
女子4人が向かい合って座る図は、傍から見れば放課後の仲良しグループに見えなくもない。……私の服装が巫女服で、夜宵がぬいぐるみを持ってさえいなければ。
ガタンゴトン、と電車が揺れるリズムが心地よい。
窓の外では、夕暮れの街並みがオレンジ色から群青色へと変わりつつある。
「ん〜っ! 生き返るぅ〜!」
静寂を破ったのは、ハナの幸せそうな声だった。
彼女は通学鞄から、ソフトボール大の巨大な物体を取り出していた。
コンビニの肉まんではない。駅前で売っていたという、本格的な「特製豚まん」だ。
「……でかっ」
私が思わず呟くと、ハナはニシシと笑って豚まんを割った。
「いただきまーす!」
ハナが大きな口を開けてかぶりつく。
ハフハフと熱そうに、しかし至福の表情で咀嚼するその姿は、見ているだけでこちらの満腹中枢を刺激してくる。
生命力の塊が、カロリーを摂取してさらに輝きを増していくようだ。
「ハナ、こぼさないでよ。……ほら、口の端についてる」
みこがハンカチを取り出し、ハナの口元についた皮を拭ってあげる。
甲斐甲斐しい。完全にお母さんだ。
しかし、その目は笑っていない。
彼女の視線は、ハナの笑顔を見守りつつも、油断なく周囲を――警戒している。
「見えている」のだ。この平和な日常の皮一枚下に潜む、異形たちの姿が。
そんなみこの緊張を解そうと思ったのか、私は話題を振ることにした。
「……あんたたち、仲いいわね」
「えへへ、そうですか? 小さい頃からの腐れ縁みたいなもんですよー」
ハナが豚まんを飲み込んで答える。
みこも少しだけ表情を緩めて、「まあ、手のかかる妹みたいなものですけど」と苦笑した。
「あ、そういえば霊夢さん。今日はその……なんの帰りだったんですか? 荷物も多そうですし」
「ああ、この風呂敷? ……近所の山に『デカい女』が出るって噂があったから、ちょっとばかり退治に行ってきたのよ」
「デカい女……? もしかして、八尺様ですか?」
みこが息を呑む。
オカルト知識がある彼女なら、その名の危険性は知っているはずだ。
「まあね。『ぽ……ぽ……』とか言って上から目線で見下ろしてくるから、黙らせてやったわ。ついでに身ぐるみ剥いできた」
「み、身ぐるみ……!?」
「……素材、上質。高く売れる」
隣で夜宵が、風呂敷の端をつまんで補足した。
彼女のドクロの瞳も、商魂逞しい光を宿している。
「えー! 巫女さんって悪霊退治とかするの!? すっごーい! アニメみたーい!」
ハナが目を輝かせて身を乗り出してくる。
彼女には「悪霊」という概念がピンときていないらしく、完全にファンタジーの話として受け取っているようだ。
その無邪気さが、今は心地いい。
「ま、そんなところよ。……ふふん」
私はまんざらでもない顔で鼻を鳴らした。
JKに褒められるのは悪くない。承認欲求が満たされていく。
(ふふふ、もっと敬いなさい。そしてお布施をしなさい)
そんな邪なことを考えていた、その時だった。
ガタンッ。
電車が大きく揺れた。
次の駅でドアが開いた瞬間。
車内の空気が、ドロリと重く澱んだ。
腐った生ゴミと、古い血の臭い。
みこの肩がビクリと跳ねる。
彼女の顔色が、一瞬で土気色に変わった。
入ってきたのは、人間ではなかった。
電車の天井に頭が届きそうなほどの巨体。顔は薄汚れた布のようなもので覆われ、その隙間から濁った眼球がギョロリと覗いている。
そして、その手には、自身の胴体ほどもある大きな「斧」が引きずられていた。
刃には、べっとりと黒い液体が付着している。
(……うわ、最悪。どうみても悪霊)
私はため息をついた。
周囲の乗客には見えていないらしい。彼らはスマホを見たり、眠ったりしている。
だが、怪異は確実な殺意を持って、乗客を物色し始めた。
怪異はぶつぶつと言葉にならない声を漏らしながら、ドア横で座っていたサラリーマンの前に立つ。
そして、その頭上に巨大な斧を振りかざし──。
ブンッ!!
風を切る音と共に、巨大な斧が振り下ろされる。
サラリーマンの脳天を目掛けて、一直線に。
「――させるわけないでしょ!!」
私の思考より早く、身体が動いていた。
私は懐からお札を抜き放ち、手首のスナップを効かせて投擲した。
シュッ!
風切り音と共に飛んだ霊符は、怪異のに正確に突き刺さる。
物理的な刺突ではない。霊的な楔だ。
「縛ッ!!」
私が印を結ぶと同時、霊符から青白い光の鎖が弾け飛び、怪異の巨体を空中でがんじがらめに拘束した。
ガギィィンッ……!!
サラリーマンの頭上、わずか数センチのところで、巨大な斧がピタリと静止する。
まるで時が止まったかのように。
『……ア……ガ……ッ!?』
怪異が困惑の声を漏らし、斧を押し込もうと力を込めるが、光の鎖はビクともしない。
サラリーマンは、自分の頭上で何が起きているかも知らず、疲れた顔でスマホを見続けている。
──だが、異変に気づいたのは、霊的な存在だけではなかった。
「……えっ?」
「な、なに?」
車内がざわめいた。
一般人には怪異も、霊符の鎖も見えない。
彼らの目に見えているのは、「コスプレ姿の不審者が突然立ち上がり、叫びながら虚空に向かって紙切れを投げつけた」という、極めてヤバい光景だ。
スマホを見ていた女子高生たちが、ギョッとして顔を見合わせる。
隣の席のおばさんが、バッグを抱きかかえて距離を取る。
ドア横のサラリーマンも、何かが風を切った気配を感じたのか、キョロキョロと周囲を見回し、私と目が合ってビクッと体を震わせた。
視線が痛い。
「関わっちゃいけない人だ」という無言の圧が、霊符の結界よりも強固に私を取り囲んでいる。
(……くっ、これだから人助けは割に合わないのよ!)
私は羞恥心で顔から火が出そうになるのを、鉄の精神力でねじ伏せた。
ここで怯んではいけない。私は今、正義の執行中なのだ。変質者ではない、博麗霊夢なのだ。
「……たく。公共の場での凶器の使用は禁止されてるのよ」
私は努めてクールに、しかし周囲から見れば「誰もいない空間」に向かって話しかけた。
車内の空気がさらに凍りつく。
「ヒッ……」と誰かが小さく悲鳴を上げたのが聞こえた。
私はカツカツと床を鳴らし、空中で磔にされている怪異の目の前まで歩み寄る。
そして、怪異が腰に下げている、何やらモゾモゾと動く薄汚れた袋をビシッと指差した。
「それより、その袋。ちょっと見せなさい」
『……?』
「とぼけんじゃ無いわよ。あんた、ここに来る前にも別の車両で『回収』してきたでしょ? 中から助けてくれって声が聞こえるのよ」
私は憤慨した。
命や魂の尊厳? 違う。私が怒っているのは「所有権の侵害」だ。
魂はその人自身の財産だ。それを勝手に搾取して自分の懐に入れるなど、賽銭泥棒と同罪。資本主義の敵だ。
周囲の乗客は、もはや恐怖で固まっていた。
「袋?」「回収?」「聞こえる?」──彼らの脳内で、私が完全に「電波を受信している危険人物」として認定されていくのが手に取るようにわかる。
誰かがそっと席を立ち、隣の車両へ逃げようとする気配すらある。
「勝手に回収した魂を解放しなさいよ、この泥棒!」
私は怪異の返答を待たず、虚空に手を伸ばし、パントマイムのように何かを掴む動作をした。
そして、見えない袋をひったくり、口紐を乱暴に解き、逆さまにして振った。
ヒュルルルル……。
袋の中から、霊魂らしき塊がいくつもこぼれ落ちた。
それらはふわふわと宙を舞い、窓の隙間から外へと飛んでいく。
一つだけ、目の前のサラリーマンの肩に留まった光もあった。
彼が一瞬、「ん?」と首を傾げ、凝り固まった肩が軽くなったように回したのを見て、私は満足げに頷いた。
「……ふん。一件落着ね」
私は空になった袋を怪異の顔面に投げつけた。
傍から見れば、一人芝居を完遂してドヤ顔をしている痛いコスプレイヤーだ。
だが、これで終わりではない。
「さあ、盗品は返したわ。あとは──万引き犯の処分ね」
私は右手に、ありったけの霊力を収束させた。
慈悲はない。泥棒には鉄槌を。
「消えなさい! この三流処刑人が!」
私は空中に固定された怪異の懐へ、超高速で潜り込む。
至近距離からの、一点集中砲火。
「ハァッッ!!!」
ズドォォォォォォォン!!!!
私の掌底が、怪異の鳩尾に深々と突き刺さる。
凄まじい衝撃波が発生し、車内の窓ガラスが一斉にビリビリと激しく振動した。
つり革が大きく揺れ、網棚の荷物がガタガタと音を立てる。
「キャアァァァッ!!」
「うわっ、なんだ!?」
「地震!? 急停車!?」
突然の揺れと轟音に、車内はパニックに陥った。
乗客たちが悲鳴を上げ、手すりにしがみつく。
誰も私が「何かを殴った」とは認識できない。ただ、私が掌を突き出した瞬間に、謎の衝撃波が発生したという異常事態に、恐怖の色を濃くしている。
怪異は断末魔すら上げられなかった。
霊的な核を一撃で粉砕され、その巨体が内側から弾け飛ぶ。
黒い霧となって霧散し、巨大な斧も砂のように崩れ去り、跡形もなく消滅した。
後に残ったのは、静寂と、私の荒い息遣いだけ。
「……ふぅ。一丁上がり。……って、やりすぎたかしら」
私は袖を払い、スカートの埃を叩きながら振り返った。
そこには、口をあんぐりと開けたみこと、きょとんとした顔のハナ。
そして──ドン引きして青ざめた顔で私を凝視する、数十人の乗客たちがいた。
シーン……とした気まずい沈黙が車内を支配する。
「絶対に関わらないようにしよう」という固い団結力が、この車両の乗客全員の間に生まれていた。
ある意味、怪異よりも恐れられているかもしれない。
私は「コホン」と咳払いをし、何事もなかったかのように席に戻ろうとしたが、みこの視線が痛いほど熱いことに気づいた。
彼女は、腰が抜けたのか椅子にへたり込んだまま、涙目で私を見つめている。
「れ、霊夢さん……! ありがとう、ございます……!」
彼女の声は震えていた。
私が最初から介入してくれたことで、彼女は恐ろし怪異にポーカーフェイスを貫くという究極の選択を迫られることなく済んだのだ。
その安堵感たるや、筆舌に尽くし難いだろう。
周囲の冷ややかな目など、彼女の感謝の前では些細なことだ*2。
一方で、事態の蚊帳の外にいた百合川ハナはというと──。
彼女は口の端に豚まんの皮をちょこんとつけたまま、不思議そうに首を傾げていた。
「え? なになに? 今、なんか揺れなかった? 地震?」
彼女には何も見えていない。
斧を振り上げられたことも、私が掌底を叩き込んだ衝撃も、すべては「ちょっとした揺れ」として処理されている。
この圧倒的な鈍感力。そして、怪異すらも引き寄せ、食欲を刺激する過剰なまでの生命力。
ある意味、みことは対極にある「最強」の素質かもしれない。
「……揺れたわね。線路の継ぎ目かしら」
私は表情筋一つ動かさず、しれっと嘘をついた。
みこも、涙を拭いながら必死にコクコクと首を縦に振り、話を合わせる。
「そ、そう! 線路! 古い線路だから、ガタンってなっただけ! ね!」
「そっかー。ビックリしたー。みこが急に青い顔するから、何事かと思っちゃったよー」
ハナはケラケラと笑うと、ゴソゴソと通学鞄を漁り始めた。
そして、どこからともなく、別の包みを取り出した。
「あ、そうだ! 霊夢さん!」
彼女が差し出してきたのは、艶やかな焼き色が食欲をそそる、丸々としたパンだった。
「助けてくれたお礼! ……いや、何かわかんないけど、みこがすっごい安心した顔してるから、きっと霊夢さんのおかげだよね! 私の勘は当たるんだー!」
彼女の野生の勘は、もはや予知能力の域に達しているのではないだろうか。
あるいは、その天性の善性が、本能的に「守ってくれた相手」を嗅ぎ分けたのか。
「これ、駅ナカ限定の『極上つぶあんぱん』! さっき並んで買ったんだけど、あげる! 中にお餅が入ってて、甘くて美味しいよ!」
その瞬間、私の脳内でファンファーレが鳴り響いた。
ハナに対する好感度メーターが、音速でカンストを突破したのだ。
この子、天使か?
ただの生命力の塊じゃなくて、善意と糖分の塊なのか?
怪異を引き寄せる体質なんて些細な問題だ。この「餌付け能力」の前では、全てが許される。
「……いただくわ。あんた、いい子ね。すごくいい子ね」
私は拝むようにして、ありがたくあんぱんを受け取った。
まだほんのり温かい。
この温もりこそが正義だ。斧を振り回す怪異には絶対に出せない、生の輝きだ。
周囲の乗客たちは「あの子、あの不審者に餌付けしてる……勇者か?」という目でハナを見ているが、知ったことではない。
隣では、いつの間にか夜宵もハナの懐柔を受けていた。
彼女の小さな手には、ハナから渡されたであろう色とりどりの飴玉が握られている。
最恐の小学生も、この無垢な施しの前では毒気を抜かれたようだ。
夕焼けに染まる電車は、ガタンゴトンと平和なリズムを刻みながら走っていく。
怪異は消え、私の手には極上のあんぱん。
みこの涙も乾き始め、ハナの笑顔が車内を明るく照らす。
まあ、たまにはこういう「割に合わない人助け」も悪くない。
報酬が現金じゃなくても、あんぱんで支払われるなら、私は喜んで働く所存だ。
私はあんぱんを大きく一口齧り、口いっぱいに広がる甘い餡子の味に頬を緩ませながら、ハナの圧倒的な生命力オーラに目を細めるのだった。