みこを見送った後、私は社務所に戻り、ちゃぶ台の前でドサリと座り込んだ。
「……はぁ。やる気出ない」
口の中に残るフレンチトーストの甘美な記憶と、目の前に広がるボロ畳の現実。このギャップが私の勤労意欲を根こそぎ削ぎ落としていく。
私は壁に掛かったカレンダー*1を眺めた。
今日は土曜日。動画の編集ストックはある。予約投稿も済ませてある。
そして何より、私のメンタルが「今日はもう無理」と悲鳴を上げている。
「よし、決めた」
私はパン! と手を叩き、境内にいるスタッフたちに招集をかけた。
「本日、博麗神社は臨時休業とします! よって、これより『有給休暇』消化タイムに入る!」
私の宣言に、Jホラーオールスターズがキョトンとした顔を見合わせた。
伽椰子が「あ、あ……(休み?)」と首を傾げ、俊雄が「ニャー(遊んでいいの?)」と目を輝かせる。
「そうよ。たまには休息も必要だわ。働き詰めじゃ効率も落ちるしね。……というわけで、私は寝る! あんたたちも好きにしなさい。ただし、近隣住民に通報されるようなことは厳禁よ!」
私はそう言い捨てると、煎餅布団を敷き直し、ゴロリと横になった。
久しぶりの休日だ。誰にも邪魔されず、昼寝をして、起きたら漫画でも読んで、また寝る。
そんな自堕落な一日を過ごすのだ。
――そう思っていた時期が、私にもありました。
◇
1時間後。
私は布団からガバッと起き上がり、血走った目で叫んだ。
「うっさいわね!! 寝かせろって言ってんでしょ!!」
私の安眠を妨害しているのは、自由時間を満喫し始めたスタッフたちの「余暇活動」だった。
まず、リビング担当の貞子。
彼女はテレビ画面から半身を乗り出し、何やらリモコンを操作していたのだが……。
『ザァァァ……ブツッ……ザザザ……』
大音量のホワイトノイズ。
そして、画面に映し出されるのは、見飽きた「古井戸」の映像。
そう、彼女は自分の出演作『呪いのビデオ』を再生し、鑑賞会を始めていたのだ。
「なんで自分のビデオ見てんのよ! ナルシストか!」
私が枕を投げつけると、貞子はゆっくりと振り向き、長い髪の隙間から不満げな視線を送ってきた。
どうやら「デジタルリマスター版の画質チェック」をしているらしい。
画面の端で、貞子が井戸から這い出るシーンがスロー再生され、ご丁寧に一時停止までしてフォームを確認している。
プロ意識が高いのは結構だが、あの不快なノイズ音をBGMに昼寝なんてできるわけがない。
次に、庭担当の美々子。
彼女は縁側に座り、愛用の赤いガラケーをポチポチと操作していた。
『ピロリロリン♪ ピロリロリン♪』
例の「死の着信メロディ」が、軽快なリズムで連打されている。
「美々子! アンタ誰にかけてんの!? ランダムに死の予告ばら撒くのはやめなさいって言ったでしょ!」
私が怒鳴ると、美々子は「違うもん」と言いたげに口を尖らせた。
よく見ると、彼女の手元にはチラシが置かれている。
『高収入! 簡単なお仕事です!』『絶対に儲かる投資話!』といった、ポストに入っていた怪しい詐欺業者のビラだ。
「……もしもし……美々子だよ……」
「……おじさん、明日……死ぬよ……」
美々子は、詐欺業者の電話番号に片っ端から「死の予告」をかけていたのだ。
電話の向こうで「はぁ? イタ電か? ふざけんなガキ!」という怒声が聞こえたかと思うと、直後に「ギャァァァァ!」という悲鳴と共に通話が切れる。
物理的な死ではなく、回線を呪ってパソコンをショートさせたり、データを飛ばしたりしているらしい。
「……あ、そう。世直し活動なら……まあ、いいか……」
毒を以て毒を制す。
詐欺グループ壊滅に一役買っているなら文句は言えないが、着信音がうるさいことには変わりない。
そして極めつけは、私の頭上だ。
バキッ、ゴキッ、メキョッ。
生々しい骨の音が、リズミカルに響いている。
天井を見上げると、梁の上で伽椰子がストレッチ……もとい、奇行に走っていた。
四肢をありえない方向にねじ曲げ、首を180度回転させ、背骨をブリッジのように反らせている。
「あ、あ、あ……*2」
彼女なりのヨガなのだろうか。
しかし、その音はどう聞いても「複雑骨折」の音だ。ASMRにしてはハードコアすぎる。
「……はぁ」
私は深くため息をついた。
休まらない。
一秒たりとも心が休まらない。
この家には「静寂」という概念が存在しないのだ。
私は布団を畳み、諦めて起き上がった。
ここでイライラしていても精神衛生上よくない。
何か、別のことで気を紛らわせよう。
「……ねえ、伽椰子」
私は天井に向かって声をかけた。
伽椰子がクルリと首を回してこちらを見る。
「あんた、マッサージとかできない? 最近、肩こりが酷くて」
社畜時代の後遺症か、それとも硬い床で寝ているせいか、肩が岩のように重い。
伽椰子のあの握力と、人体の構造を無視した可動域なら、凝り固まった筋肉をほぐせるのではないか。
そんな淡い期待を抱いたのが間違いだった。
伽椰子は嬉しそうに「あ、あ、あ!」と頷くと、天井からボトッと落ちてきた。
そして、私の背後に回り込み、冷たく湿った両手を肩に乗せた。
ズブッ。
「いっだぁぁぁぁ!!? 指! 指食い込んでる!!」
マッサージというより、肉を千切り取る握力だ。
ツボを押すのではなく、鎖骨を粉砕しに来ている。
「力加減! ソフトに! フェザータッチで!」
私が絶叫すると、伽椰子はハッとして力を緩めた。
今度は、冷たい指先が首筋を這うような感触。ゾワゾワと鳥肌が立つ。
そして、耳元で響く「あ、あ、あ……」という吐息。
「……逆に疲れるわ!!」
私は伽椰子を背負い投げした。
ドサッ、と畳に転がる伽椰子。彼女は「なんで……?」と悲しそうな目をしているが、こっちのセリフだ。
◇
結局、休むことを諦めた私は、縁側でぼんやりと空を眺めていた。
隣には、詐欺師への嫌がらせ電話に飽きた美々子が座り、赤い飴玉を舐めている。
庭では、俊雄がダンゴムシを並べてレースをさせている。
「……平和ね」
無理やりそう自分に言い聞かせる。
カオスで、うるさくて、命の危険と隣り合わせだけど。
ブラック企業で死んだ魚のような目をしていた頃に比べれば、今の生活は随分と彩り豊かだ。
「……おーい! 霊夢さーん!」
その時、石段の下から元気な声が聞こえてきた。
手を振りながら駆け上がってくるのは、制服姿のみこと、ハナだ。
二人とも、手に大きなビニール袋を提げている。
「学校終わったんで、来ちゃいました! ……あ、ハナも一緒なんですけど、大丈夫ですか?」
「へへーっ、お邪魔しまーす! 差し入れ持ってきたよー!」
ハナが掲げた袋からは、甘いドーナツの香りが漂ってくる。
みこの袋からは、スナック菓子とコーラの気配。
「……!」
私の目が輝いた。
休日は終わりだ。ここからは「パーティー」の時間だ。
「いらっしゃい! ちょうど今、お茶にしようと思ってたところよ!」
私は満面の笑みで迎えた。
貞子がテレビを消し*3、伽椰子が正座で出迎える。
ハナは「わー! コスプレのお姉さんたちだー!」と無邪気に喜び、みこは引きつった笑顔で「こ、こんにちは……」と挨拶する。
こうして、博麗神社の休日は、なし崩し的に「女子会*4」へと移行していくのだった。
まあ、これも悪くない。
ドーナツが美味しいなら、全てよしだ。
◇
日が沈み、社務所にオレンジ色の電球が灯る頃。
ちゃぶ台の上には、ドーナツの空き箱とスナック菓子の袋、そして大量の空き缶が散乱していた。
宴もたけなわ。女子会特有の、何の意味もないお喋りで盛り上がっていたのだが……。
「ねえねえ、霊夢さん! これ見ようよ! 私、新作借りてきたんだー!」
ハナが通学鞄から取り出したのは、一枚のDVDだった。
タイトルは『戦慄! 呪われた廃校・地獄の鬼ごっこ編』。
パッケージには、血走った目の幽霊と、逃げ惑う女子高生がB級感満載のタッチで描かれている。
「えっ……ホラー? ハナ、そういうの平気なの?」
「平気平気! 私、お化けとか全然信じてないし! フィクションとして楽しむタイプだから!」
みこが引きつった顔で私を見る。
その背後では、本物の幽霊が、ハナの生命力オーラに当てられて少し距離を取りつつも、興味津々で覗き込んでいる。
「信じてない」と言い切るハナの横に、ガチの怪異がいるという究極の皮肉。
「……まあ、いいわよ。暇だし」
私は貞子に目配せした。
彼女は心得たように頷き、テレビの入力切替を行った。DVDプレイヤーなんてないが、貞子が念動力でディスクを読み取るので問題ない。
私たちは電気を消し、ちゃぶ台を囲んで画面に見入った。
『キャアアアア! 来ないでぇぇぇ!』
『ウウゥゥ……呪ってやるぅぅ……』
安っぽい効果音と共に、画面の中の幽霊が女子高生を追いかける。
よくあるB級ホラーだ。
ハナは「わー! 来た来た! 後ろ!」とポップコーン片手に楽しんでいる。
みこは「ひぃっ……」と怖がっているというか、隣にいる本物の幽霊の方が怖いらしい。
私は「CGのレベル低いなー」とあくびを噛み殺していた。
だが。
この映画鑑賞会には、想定外の「コメンタリー音声」がついていた。
「……あ、あ、あ*5」
伽椰子が、不満げに喉を鳴らした。
画面の中で、幽霊が階段を降りてくるシーンだ。
「えっ、なに? 伽椰子、なんか言ってる?」
私が通訳を試みると、伽椰子はおもむろに立ち上がり、部屋の隅にある階段箪笥へと向かった。
そして、実際にブリッジの体勢になり、四つん這いで高速移動してみせた。
ゴキョ、ベキョ、ズササササッ!
人間には不可能な角度と速度。その迫力たるや、映画の比ではない。
「……あ、あ*8」
ドヤ顔でこちらを見る伽椰子。
ハナは見ていないが、みこは白目を剥いて気絶寸前だ。
「は、はい……勉強になります……」
さらに、映画の中で幽霊がテレビから這い出てくるクライマックスシーン。
『呪ってやるぅぅ……』
ズズ……と画面から上半身を出す女優の演技。
それを見た瞬間、今度は貞子が立ち上がった。
長い髪が怒りで逆立っている。
「……ッ!!*9」
貞子がテレビの横に立ち、画面の中の女優を指差して激しく首を振る。
「……ッ!*10」
「……ッ!*11」
ジェスチャーだけで伝わってくる、プロの矜持とダメ出し。
貞子は悔しそうに画面を睨みつけ、ついには我慢できなくなったのか、自らテレビ画面に頭を突っ込み、内側から女優を引っ張り込もうとし始めた。
「ちょ、やめなさい! 放送事故になる! フィクションだから! 演出だから許してあげて!」
私が慌てて貞子の腰を掴んで引き剥がす。
危ないところだった。危うくこのB級ホラーが、ガチのスナッフフィルムになるところだった。
そして極めつけは、映画の中で鳴り響く「呪いの着信音」。
『プルルルル……』
その瞬間、美々子がバン! とちゃぶ台を叩いた。
「だっさ!!」
美々子が赤いガラケーを掲げ、不満たらたらに叫ぶ。
「なによその着信音! 昭和か! もっとこう、不安を煽るような不協和音じゃないとダメじゃん! それにタイミングも最悪! あと3秒溜めてから鳴らすのが定石でしょ!」
彼女はガラケーを操作し、自前の『死の着信メロディ』を最大音量で流し始めた。
『ピロリロリン♪ ピロリロリン♪』
生理的嫌悪感を催す、あのメロディ。
映画の音声をかき消すほどの大音量だ。
「ほら! これくらいエッジが効いてないと死ぬ気になんないでしょ!?」
「わかったから! 消しなさい! ほんとに死人が出るわよ!」
私は美々子のガラケーを取り上げようと手を伸ばす。
もうカオスだ。映画の内容なんて頭に入ってこない。
本職の方々のこだわりが強すぎて、ただの鑑賞会が「ガチ勢による公開処刑」になっている。
「あははは! なんかラップ音がすごーい! 臨場感あるねー!」
ハナだけが、この状況を「4DX上映」か何かだと思って楽しんでいる。
その圧倒的な鈍感力と陽のオーラに、逆に救われている気がした。
結局、映画が終わる頃には、私たちはぐったりと疲れ果てていた。
伽椰子は「最近のホラーはなってない」とばかりに肩を落とし、貞子は「私ならもっとうまくやれる」と悔し泣きし、美々子は「センスがない」と不貞腐れて飴を舐めている。
「……ねえ、みこ。次はコメディにしなさい。絶対よ」
「は、はい……。絶対にそうします……」
私たちは固く誓い合った。
ホラー映画を、本物の幽霊と観てはいけない。
それが、博麗神社の新たな教訓となった夜だった。
◇
夜も更け、カラスが鳴く時刻。
みことハナが帰る時間になった。
「じゃあねー! 霊夢さん、楽しかったー! また来るねー!」
「はい、霊夢さん。今日はありがとうございました。……命拾いしました」
鳥居の下まで見送りに来ると、ハナが名残惜しそうに私の手を取った。
その手は、驚くほど温かかった。
カイロなんて目じゃない。内側から生命力が燃えているような、純粋な熱。
普段、冷え切った伽椰子や、井戸水で湿った貞子、あるいは無機質な夜宵とばかり触れ合っている私にとって、その体温は火傷しそうなほど眩しかった。
「ねえ、霊夢さん」
ハナが、ニシシと無邪気な笑顔を向けてくる。
「また、ここに来ていい?」
次の瞬間、彼女はためらいもなく、私にギュッと抱きついてきた。
「!!?」
思考が停止した。
柔らかい感触と、圧倒的な「陽」のオーラが、全身を包み込む。
ドーナツの甘い匂いと、汗と、太陽の匂い。
何の裏表もない、打算も契約もない、ただの純粋な親愛の情。
(……なに、これ)
私の体の中で、何かが溶けるような音がした。
この神社の冷たい床板で冷え切っていた芯の部分が、急速に温められていく。
それは、賽銭箱にお札が入った時の興奮とも、高級焼肉を食べた時の快楽とも違う。
もっと原始的で、もっと根源的な「安心感」。
「……しょーがないわね」
私は顔が熱くなるのを感じながら、そっぽを向いて呟いた。
本当は、突き放して「気安く触るな」と言うべきだったかもしれない。最強の巫女キャラとしては。
でも、どうしても、その腕を振りほどく気にはなれなかった。
「お菓子持ってくるなら、歓迎してあげるわよ」
「やったー! じゃあ次は肉まん持ってくるー!」
ハナはパッと私を離すと、満面の笑みで手を振った。
みこも、それを見て安心したように微笑み、深々とお辞儀をした。
「おやすみなさい、霊夢さん」
「……ええ。おやすみ」
二人の背中が、石段を降りて夜の闇に消えていく。
私はその姿が見えなくなってからも、しばらく鳥居の下に立ち尽くしていた。
夜風が吹く。
いつもなら寒々しい廃神社の風も、今夜だけは少しだけ心地よく感じられた。
(……温かいって、悪くないわね)
私は自分の胸元を軽く押さえた。ハナの体温が、まだそこに残っている気がした。
背後の暗がりから、伽椰子が「あ、あ……」と心配そうに顔を覗かせてくる。
私は振り返り、いつもの不敵な笑みを浮かべた。
「さあ、店じまいよ! 伽椰子、戸締まり! 俊雄、歯磨き! 明日はもっと稼ぐわよ!」
私はパン! と柏手を打ち、社務所へと戻っていった。
お腹も心も満たされた休日は、こうして幕を閉じたのだった。