現代怪異社会の博麗霊夢(偽)   作:拓拓

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第23話

 博麗神社に、未曾有の危機が訪れていた。

 食料備蓄が、尽きたのだ。

 

「……ない。ないわ。どこを探しても、乾パンひとかけらもない」

 

 私は社務所の戸棚を開け放ち、絶望の淵に立っていた。

 頼みの綱だったカップ麺の在庫は昨日の夜食で消え、夜宵が置いていった高級クッキーの缶は空っぽ*1

 冷蔵庫*2の中には、賞味期限の怪しいチューブわさびと、伽椰子が大事に冷やしている謎の黒い液体*3しかない。

 

「どういうことよ……。みこが来なくなって、もう三日目よ?」

 

 私はガリガリと頭をかきむしり、畳の上を飢えた熊のようにのた打ち回った。

 その殺気立った様子に、庭で遊んでいた俊雄がビクリと震え、慌てて縁の下へ避難していくのが視界の端に見えた。

 

 あのみこが、私への貢ぎ物を三日も絶やすなんてありえない。

 彼女にとって、この博麗神社への参拝は、ただの放課後の寄り道ではない。

 日々の生活で削り取られたSAN値を回復し、憑いてきた雑魚霊を私が威圧して散らすための、生存に直結したルーティンワークのはずだ。

 そして何より、私への餌付けはもはや趣味の領域を超え、義務教育に組み込まれてもおかしくないレベルの献身だったはずだ。

 

 初めはコンビニのナナチキだった。それが朝マックになり、スーパーの惣菜になり、最近では「霊夢さん、栄養足りてますか?」とタッパーに入った手作り煮物まで持ってくるようになったのだ。

 あの完璧な餌付け係が、予告もなく供給を断つ? 

 ありえない。私の腹時計が、異常事態を告げる警鐘をガンガンと鳴らしている。

 

 風邪でも引いたか? それならハナが代理で来るなり、何らかの手段で連絡を寄越すはずだ。

 それとも、ついに私の性格の悪さに愛想を尽かしたか?

 賽銭箱の前で「金、金」と騒ぐ姿に幻滅したか?

 夜宵と一緒になって「悪霊をポケモン扱い」する倫理観のなさに引いたか?

 

(いや、後者はない。あの子の愛は、そんな生易しいものじゃない)

 

 私は即座に自分の懸念を否定した。

 みこの私に向ける視線は、推しを崇めるオタクのそれであり、同時に出来の悪い子供を見守る母親のそれでもある。

 深夜二時に「お腹すいた」と呟くだけのクソリプみたいなLINEを送っても、秒速で既読がつき『今から牛丼持って行きます!』と返してくるような子だ。

 あの子の執着と依存心は、もっと重くて、湿度が高くて、粘着質なのだ。物理的な壁以外で、彼女が私から離れる理由が見当たらない。

 

(だとしたら……トラブル?)

 

 嫌な予感が背筋を撫でる。

 私は懐からスマホを取り出し、LINEのトーク画面を開いた。

 既読はつく。だが、返信がない。

 最後のメッセージは三日前の『今から学校行ってきます』だけ。

 

「……美々子。着信履歴、調べてない?」

 

 私が縁側で赤いガラケーをいじっている美々子に声をかけると、彼女は首を横に振った。

 その時。

 

 ピロン♪

 

 静寂な境内に、通知音が響いた。

 みこからだ。

 私は画面に飛びついた。

 そこには、震える指で打ったような、誤字だらけのメッセージが表示されていた。

 

『たすけて』

『がっこうから でられな い』

『旧校舎 あいた』

『先生が ひとりで たたかってる』

 

 添付された写真には、夜の闇に沈む校舎と、窓ガラスにびっしりと張り付いた無数の「赤い手形」が写っていた。

 

(……嘘でしょ)

 

 私はスマホを握りしめたまま、奥歯を噛み締めた。

 みこには、渡してあるはずだ。「博麗神社特製・厄除け守り」を。

 あれを持っていれば、並大抵の悪霊は近づくことすらできないし、もし襲われても強力な結界が発動して持ち主を守る仕様になっている。私の「博麗の巫女」としてのプライドと、みこへの過保護なまでの執着を詰め込んだ、最強の盾のはずだった。

 

 なのに、この状況はどうだ。

 結界が破られた? それとも、お守りの許容量を超えるほどの「数」に囲まれている?

 写真に写る手形の数は尋常じゃない。これだけの悪意に晒されれば、いくら私のお守りでも消耗しきってしまうかもしれない。

 

(……無事なの? 怪我は? まだ息はある?)

 

 嫌な想像が脳裏をよぎり、心臓が早鐘を打つ。

 大丈夫だと思いたい。あの子は悪運が強いし、お守りもまだ効力を残しているかもしれない。

 でも、もし万が一、あの子の綺麗な肌に傷一つでもついていたら。あの子が恐怖に震えながら、私の名前を呼んで助けを求めていたとしたら。

 

「……はぁ」

 

 私は深く、重いため息をついた。

 そして、スマホを懐にしまい、パン! と手を叩いた。

 

「総員、配置につけ!」

 

 私の号令一発。

 縁側で洗濯物を畳んでいた伽椰子がバッと立ち上がり、庭でダンゴムシと遊んでいた俊雄が猫のような動きで駆け寄ってくる。

 さらに、テレビの中から貞子がズルリと這い出し、美々子が赤いガラケーを閉じて包丁を構えた。

 

「みこが学校でトラブルに巻き込まれたわ。相手は『数』で攻めてきてるようね。……だったら、こっちは圧倒的な暴力で制圧するわよ!」

 

 私は仁王立ちで宣言した。

 心配? もちろん心配だ。私の大切なスポンサー兼、癒やしのJKだぞ。

 だが、それ以上に腹が減った。

 空腹の巫女は、悪霊よりもタチが悪いことを教えてやる。

 

「今回の出撃メンバーは……全員よ! 留守番なんてなし! 伽椰子、俊雄、貞子、美々子! 博麗神社オールスターズで、夜の学校を更地にするわよ!」

 

「あ、あ、あ*4

「ニャー!*5

「……(コクン)」

「死ななきゃいいんでしょ?」

 

 こうして、深夜の学校への殴り込み……もとい、救出作戦が幕を開けた。

 

 ◇

 

 夜の学校というのは、どうしてこうも不気味なのだろうか。

 昼間は子供たちの声で溢れている場所が、闇に沈むだけで、巨大な墓標のように見える。

 

 みこが通う高校の正門前に立った私は、眉をひそめた。

 

「……うわぁ。濃いわね」

 

 校舎全体が、ドロリとした紫色の膜で覆われている。

 結界だ。それも、かなり強力な。

 中からの脱出を拒み、外からの侵入も許さない、悪意に満ちた隔離空間。

 校庭には人魂のような青白い火が漂い、窓という窓から、この世のものではない視線を感じる。

 

(典型的な『学校の怪談』全部乗せセットって感じね)

(トイレの花子さんに、動く人体模型に、音楽室のベートーヴェン……。ベタだけど、数が多すぎる)

 

 私は正門の鉄柵に手をかけた。

 鍵がかかっているが、そんなものは関係ない。

 

「伽椰子、開けて」

 

 私が命じると、伽椰子が鉄柵の隙間にぬるりと入り込み、内側から錠前を握りしめた。

 メキョッ。

 握力だけで南京錠が粉砕される。

 物理攻撃こそ最強の鍵開けだ。

 

 ギィィィ……と錆びついた音を立てて門が開く。

 敷地に一歩足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。

 肌にまとわりつく湿気。カビとチョークの粉が混じったような、学校特有の匂い。

 そして、ゾワリと肌を撫でる無数の気配。

 

「……ふん、歓迎ムードってわけ?」

 

 私が鼻を鳴らすと、背後で貞子がゆらりと前に出た。

 彼女の長い髪が生き物のように広がり、周囲の闇を威嚇するように蠢く。

 美々子は手にした赤いガラケーを開き、画面の明かりで不気味に顔を照らしながら、逆手に持った包丁を舌で舐めた。

 

「……俊雄、みこの匂いを追える?」

 

 俊雄が鼻をひくつかせ、校舎の奥──渡り廊下で繋がれた、古びた木造校舎の方を指差した。

 旧校舎。

 ホラーの定番中の定番だ。ラスボスはあそこにいる。

 

「よし、行くわよ。……雑魚は蹴散らしなさい」

 

 私たちは夜の校庭を疾走した。

 もはや「百鬼夜行」ならぬ「百Jホラー夜行」だ。

 

 途中、二宮金次郎像がガタガタと動き出し、背負った薪を投げつけてきたが、伽椰子が髪の毛で薙ぎ払ってバラバラにした。

 テニスコートから無数の生首ボールが飛んできたが、俊雄が口を大きく開けてキャッチし、美味しそうに咀嚼した。

 

 さらに、校内放送のスピーカーから「キーン」という不快なハウリング音が響き、こちらの平衡感覚を奪おうとしてくる。

 だが、それには美々子が反応した。

 

 ♪ ~(死の着信メロディ)

 

 美々子のガラケーから流れる不協和音が、校内放送の音を上書きし、打ち消していく。

 音による呪いの相殺。毒をもって毒を制す、というやつだ。

 

 渡り廊下の鏡からは、血まみれの生徒の霊が這い出そうとしてきた。

 しかし、その目の前に貞子がヌッと顔を近づけ、前髪の隙間から「邪眼」を覗かせる。

 ギィィィッ!?

 鏡の中の霊は、格の違いに絶叫し、自ら鏡の奥へと逃げ帰っていった。

 

(圧倒的じゃない。頼もしいわぁ、うちのスタッフ)

 

 旧校舎の入り口、昇降口にたどり着く。

 ガラス戸は割れ、中からは深淵のような闇が覗いている。

 その時。

 

 ドォォォォンッ!!

 

 校舎の奥深くから、爆発音と閃光が走った。

 そして、聞き覚えのある熱血な叫び声。

 

「生徒には! 指一本! 触れさせんんんんっ!!」

 

(……この声!)

 

 私はニヤリと笑った。

 やっぱりいた。あのアツ苦しいヒーローが。

 私はお祓い棒を構え、闇の中へと飛び込んだ。

 

 ◇

 

 旧校舎の廊下は、異界化していた。

 壁や床が脈打つように蠢き、天井からは得体の知れない粘液が滴っている。

 そして、その廊下の突き当たり。

 数えきれないほどの悪霊の群れに囲まれながら、孤軍奮闘する一人の男がいた。

 

 黒いシャツに白いネクタイ。左手には赤く輝く異形の『鬼の手』。

 鵺野鳴介──ぬ~べ~先生だ。

 

「南無大慈大悲救苦救難……!!」

 

 ぬ~べ~先生が経文を唱え、鬼の手を振るう。

 爪が閃くたびに悪霊が切り裂かれ、霧散していく。

 だが、数が多すぎる。

 壁から、床から、次々と湧き出る怨念の集合体。それらが波のように押し寄せ、先生を飲み込もうとしていた。

 そして、先生の背後には──恐怖で動けなくなっている数人の生徒たちと、青ざめた顔のみこがいた。

 

「先生……! 後ろ!」

 

 みこの悲鳴。

 先生の死角、天井の排気口から、ヘビのような長い首を持つ悪霊が襲いかかる。

 鬼の手は正面の敵を防いでいて間に合わない。

 

(甘いわね! 背中がガラ空きよ!)

 

 私は床を蹴った。

 縮地。一瞬で距離を詰める。

 

「そこぉっ!!」

 

 私の跳び蹴りが、ヘビ悪霊の鎌首にクリーンヒットした。

 グシャッ!

 物理的な衝撃で悪霊が壁に叩きつけられ、ピクピクと痙攣して消滅する。

 

「なっ……!?」

 

 ぬ~べ~先生が驚愕に目を見開く。

 

「霊夢さん!?」

 

 みこがパァッと顔を輝かせる。

 私はスタッと着地し、巫女装束の袖を払った。

 

「お待たせ。……随分と賑やかな文化祭ね、先生?」

「き、君は……! 博麗神社の霊夢君か!?」

 

 ぬ~べ~先生が叫ぶのと同時に、私の背後から「あ、あ、あ……」という呻き声と共に伽椰子が這い出し、俊雄が「ニャー!」と天井から降ってきた。

 さらに、床の影からは貞子がぬらりと上半身を起こし、天井裏からは美々子が包丁を持って飛び降りてくる。

 それを見た瞬間、ぬ~べ~先生が鬼の手を構えかけ──あまりの光景に絶句した。

 

「あの神社にいた悪霊たちか……!? き、君は一体何者なんだ……!?」

 

 先生の顔に、驚きと混乱、そして微かな安堵が混じった色が浮かぶ。

 よかった、私のことは覚えていてくれたらしいが、流石にこのメンツが揃うとインパクトが強すぎたようだ。

 前に神社に来た時、「彼らは更生プログラム中の元悪霊で、今は神社の運営を手伝っている」と説明したが、まさか全員引き連れてくるとは思わなかったのだろう。

 

「そうよ! 今回は特別課外授業の助っ人に全員連れてきたわ! 総力戦よ!」

「なんと……! こんな危険な場所にまで、これだけの強力な霊たちを統率して連れてくるとは……! 彼らも君の指導で立派な正義の心に目覚めたのだな!」

 

 先生が目を潤ませる。

 いや、単に私のために働かせてるだけなんだけど。

 

「霊夢さんっ!!」

 

 その時、先生の後ろからみこが飛び出してきた。

 

「みこ! 無事!?」

「はい……! 放課後、補習で残ってたら急に旧校舎が閉鎖されて……逃げ遅れた私を、先生がかばってくれたんです!」

「校内で異様に強い霊気を感じてな。駆けつけてみれば、彼女が悪霊に囲まれていたのだ」

 

 ぬ~べ~先生が油断なく周囲を睨みながら説明する。

 なるほど。みこの「引き寄せ体質」が、逆にこの最強の教師を呼び寄せたってわけか。

 ある意味、悪運が強い。

 

「状況は把握したわ。……ここから出すわよ、全員!」

「頼もしい援軍だ! 行くぞ、霊夢君!」

 

 ♢

 

「妖気、悉く滅ぶべし!」

 

 ぬ~べ~先生の怒号と共に、紅蓮に輝く鬼の手が虚空を切り裂く。

 鋭利な斬撃波が走り、廊下にひしめく悪霊たちをまとめて両断した。

 

(つっよ……! 何あれ、演出が派手すぎるでしょ!)

 

 隣で見ていた私は、内心ドン引きしつつも感心していた。

 私の戦い方が「ただの暴力」だとしたら、先生のは「必殺技」だ。少年漫画の主人公補正がバリバリにかかっている。

 

「霊夢君! 右だ!」

「分かってるわよ! ──そこっ!」

 

 先生の警告より早く、私は右側面から飛びかかってきた「二宮金次郎っぽい像」の顔面に、お祓い棒を叩き込んだ。

 ゴッ! という鈍い手応え。

 そのまま壁にめり込み、星になって消えた。

 

「す、凄い……! 霊的波動をまとった打撃……。無駄のない動きだ……」

 

 いや、ただの力技です。

 先生が勝手に深読みしてくれているおかげで助かるけれど。

 

 戦況は、圧倒的だった。

 ぬ~べ~先生の火力、私の物理攻撃。そこにJホラー組のトリッキーな動きが加わることで、悪霊たちは完全にパニックを起こしていた。

 

「あ、あ、あ……」

 

 天井を這う伽椰子が、長い黒髪を触手のように伸ばし、逃げ惑う悪霊たちを捕獲する。

 そして、まるで洗濯物を絞るようにギリギリと締め上げ、霊的エネルギーを吸い取ってポイ捨てしていく。

 

「にゃーん*6

 

 落ちてきた残骸を、俊雄が嬉しそうに回収する。

 さらに、貞子が両手を広げると、廊下の闇が一層濃くなった。

 彼女がカッと目を見開くと、襲いかかろうとしていた悪霊の群れが「金縛り」にかかったように硬直し、次々と泡を吹いて倒れていく。

 呪いの眼力による広範囲スタン攻撃だ。

 

「お姉ちゃんの邪魔をするな!」

 

 美々子は、硬直した悪霊の隙間を縫うように走り抜け、手にした包丁で悪霊の足を次々と切り裂いていく。

 動けなくなった悪霊の背後から、携帯の着信音が鳴り響き、爆発四散する。

 

「うむ……」

 

 それを見たぬ~べ~先生が、感極まったように頷いた。

 

「以前、神社で見た時も驚いたが……こうして実戦で見ると改めて思う。あの凶悪な怨霊たちが、君の指示に従い、生徒たちを守るために戦っている……! これは恐怖による支配ではない。強い信頼と、更生の意思を感じる……!」

 

(えっ)

 

「君は……彼らの歪んだ憎しみすらも受け止め、正しい道へ導いたというのか……! なんという慈愛! なんという教育者精神!!」

 

(いやいやいや! 買いかぶりすぎ! これおやつとかで雇ってるだけだから!)

 

 先生の脳内で、私が「マザー・テレサ」みたいな聖人に変換されている気がする。

 訂正したいが、今はそれどころではない。

 

 ズズズズズ……ッ!

 

 突如、廊下の突き当たりの音楽室から、凄まじい瘴気が噴き出した。

 床板が腐り落ち、壁が溶解していく。

 闇の奥から現れたのは、無数の机や椅子、人体模型や楽器が融合してできた、巨大な「ガラクタの怪物」だった。

 

「グオオオオオオオオッ!!」

 

 咆哮だけで、校舎のガラスがビリビリと震える。

 これが、この旧校舎のヌシか。

 

「くっ……! 生徒たちの恐怖心を取り込んで、ここまで巨大化しているとは!」

 

 ぬ~べ~先生が鬼の手を構えるが、巨大すぎて一撃では倒せそうにない。

 怪物が腕(グランドピアノ)を振り上げる。

 

「危ない!」

「チッ……伽椰子、壁! 貞子、拘束!」

 

 私が叫ぶと、伽椰子が瞬時に私たちの前に降り立ち、大量の髪の毛でドーム状の盾を作った。

 ドゴォォォォン!!

 ピアノの一撃を受け止め、伽椰子が「あ゛っ!」と悲鳴を上げる。

 

 同時に、貞子が怪物の影から無数の黒い髪を伸ばし、その巨体に絡みついた。

 ギチチチチ……!

 怪物の動きが鈍る。

 

「美々子、足止め!」

 

 私が命じると、美々子が怪物の足元に包丁を突き刺した。

 そこから赤黒い呪いが広がり、怪物の足を床に縫い付ける。

 

「伽椰子!」

「大丈夫、死んでるから死なないわ! ……先生、あいつの核はどこ!?」

 

 私が問うと、先生は左目に意識を集中させた。

 霊視だ。

 

「……見える! 胸の中央! あの肖像画の裏だ!」

 

 怪物の胸部には、音楽室によくあるベートーヴェンの肖像画が埋め込まれていた。あそこか。

 しかし、怪物は暴れまわり、近づくことすら難しい。

 

「私が動きを止める! その隙に、君がトドメを刺してくれ!」

「無茶言うわね! ……でも、乗った!」

 

 ぬ~べ~先生が走り出す。

 怪物の注意を引きつけながら、懐から数珠を取り出し、詠唱を開始した。

 

「宇宙天地 与我正気 万物降伏……!」

 

 白衣の裾を翻し、先生は怪物の懐に飛び込んだ。

 グランドピアノの拳が先生を襲うが、ギリギリで回避し、その巨体に数珠を巻き付ける。

 

「縛!!」

 

 カッ! と数珠が光り輝き、怪物の動きがピタリと止まった。

 

「今だぁぁぁっ! 霊夢くぅぅぅん!!」

「言われなくてもぉぉぉっ!!」

 

 私は床を蹴り、伽椰子の背中を踏み台にして高く跳躍した。

 宙を舞いながら、右の拳に全身全霊の霊力を込める。

 空腹の怒り。

 睡眠不足のイライラ。

 そして何より、私のみこを怖がらせた罪。

 全部まとめて、くれてやる。

 

「私の鉄拳は痛いわよ……ッ!!」

 

 私の拳が、ベートーヴェンの肖像画を貫いた。

 メリメリメリッ!

 さらに奥にある、赤黒く脈打つ核を、握りつぶす。

 

「粉砕ッ!!」

 

 パァァァァンッ!!

 核が弾け飛び、まばゆい光が溢れ出した。

 

「グ、ギャァァァァァァ……!!」

 

 怪物は断末魔を上げながら、ボロボロと崩れ落ちていく。

 私はスタッと床に着地し、フゥーッと息を吐いた。

 

「……除霊完了。お疲れ様でした」

 

 ◇

 

 朝日が、旧校舎の窓から差し込んでくる。

 結界が解け、さっきまでの禍々しい空気が嘘のように清々しい朝だ。

 

 廊下には、気絶していた生徒たちが無傷で転がっている。

 そして、その中心で、みこがへなへなと座り込み、涙目で私を見上げていた。

 

「れ、霊夢さん……」

「無事? 怪我はない?」

 

 私が手を差し伸べると、みこは飛びつくように抱きついてきた。

 

「怖かったですぅぅぅ……! もうダメかと……!」

「はいはい、よしよし。……もう大丈夫よ」

 

 震える背中をポンポンと叩く。

 ああ、この温もり。やっぱりみこは私の精神安定剤だ。

 そして何より、これで食い扶持が繋がった。

 

 ふと視線を感じて顔を上げると、少し離れたところで、ぬ~べ~先生が腕組みをしてこちらを見ていた。

 その目からは、ツー……と熱い涙が流れている。

 

「……素晴らしい」

「へ?」

 

 先生はツカツカと歩み寄り、ガシッ! とみこごと私の手を握りしめた。

 

「君のような若者がいるとは、日本の霊能界も捨てたものではないな! あの凶悪な悪霊たちを従え、自らの手足として人助けに使う……。並大抵の覚悟と愛情ではできないことだ!」

「あ、いや、あの、これは……」

「分かっている! 君は多くを語らない主義なのだな! 以前、神社で会った時も感じたが、その背中で語る教育方針……私自身、大いに学ばせてもらったよ!」

 

 先生の瞳がキラキラしすぎていて、直視できない。

 背後では、ボロボロになった伽椰子が「あ゛……*7」と訴え、俊雄が「ニャー*8」と鳴いている。

 貞子は疲れたのか陰キャモードで体育座りをし、美々子は退屈そうに携帯をいじっていた。

 それを「愛のムチ」と解釈している先生、ポジティブすぎる。

 

「まあ……先生が無事でよかったわ。ここの生徒たちも」

 

 面倒なので話を合わせることにした。

 すると、先生はニカッと爽やかな笑顔を見せた。

 

「ありがとう、博麗霊夢君! 君とはまた、どこかで会う気がするよ! ……その時は、ぜひ教育論について語り合おう!」

「ええ、まあ……機会があれば。絶対イヤだけど

 

 私は引きつった愛想笑いを浮かべた。

 

 ◇

 

 後日。

 博麗神社に、桐箱に入った立派なマスクメロンが届いた。

 送り主は『童守小学校 鵺野鳴介』。

 手紙には『生徒の実家から頂いたものだが、君たちへの感謝のしるしだ。ビタミンを摂って、これからも頑張ってくれ』と熱い筆文字で書かれていた。

 

「わぁ……! すごいです霊夢さん! これ、マスクメロンですよ! 見てください、この芸術的な網目! T字のつる! 完全に『本物』です!」

 

 みこが目を輝かせて、恭しく桐箱の蓋を開ける。

 パカッ、という乾いた音とともに、芳醇で濃厚な甘い香りが、一気に社務所中に広がった。

 それは、この古びた神社に染み付いた線香やカビ、そして伽椰子たちが持ち込む湿った瘴気を一瞬で上書きするような、圧倒的な「高級」の暴力だった。

 

「ふふん、まあね。命がけの労働の対価としては、これくらい当然よ」

 

 私は夜宵が忘れていった扇子を優雅に仰ぎながら、精一杯のドヤ顔を決めた。

 内心では「でかしたぬ~べ~! 一生ついていくわ!」とガッツポーズをし、頭の中でこのメロンの時価を計算してニヤけそうになるのを必死で堪えている。

 横では夜宵が、そのドクロのような瞳孔をどす黒く濁らせ、メロン……ではなく、私を凝視していた。

 

「……霊夢」

「な、なによ。怖い顔して」

「……なんで、昨日の夜、呼んでくれなかったの」

 

 夜宵がジリジリと距離を詰めてくる。その背後には、怒れる悪霊のようなオーラが見える。

 

「学校の怪談オールスターズ……。動く人体模型に、音楽室の幽霊……。全部、私のコレクションにできたはずの『極上の素材』だったのに……!」

 

 ギリリ、と歯ぎしりの音が聞こえた。

 どうやら彼女は、昨夜の乱戦に参加できず、大量の悪霊ゲットのチャンスを逃したことを深く恨んでいるらしい。

 

「いや、急だったし! あんたの連絡先知らないし!」

「……損失、甚大。レアな悪霊数十体分の機会損失……」

 

 夜宵はふてくされたように頬を膨らませると、目の前のメロンにガブリとフォークを突き立てた。

 

「……このメロンで、手打ちにする。……でも、次は絶対に呼んで。じゃないと、霊夢の寝室に『卒業生』を放つ」

「ひいっ!? わ、分かったわよ!」

 

 クワッ、と大口を開けてメロンを頬張る姿は、獲物を逃した捕食者のヤケ食いそのものだった。

 さらに、その甘い香りに誘われて、Jホラー組もソワソワと集まってきていた。

 伽椰子は「あ、あ、あ……*9と喉を鳴らして痙攣し、俊雄は「ニャー!」と箱の周りをグルグル回り、隙あらば触ろうとしている。

 貞子もテレビから身を乗り出し、長い髪をかき分けて興味津々に覗き込んでいる。

 

「よし、切り分けるわよ! 美々子、包丁!」

 

 私が号令をかけると、美々子が手慣れた手つきで包丁を回しながら進み出た。普段は凶器として振るわれるその刃物が、今日ばかりは平和なデザートタイムのために使われる。

 ザクッ、という小気味よい音と共にメロンが割られ、瑞々しい果汁が滴り落ちた。

*1
俊雄が宝物入れにしている

*2
佐伯邸から略奪

*3
呪いの触媒

*4
御意

*5
ラジャー!

*6
ごちそうさまー

*7
手当、出るの?

*8
腹減った

*9
おいしそう」

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