現代怪異社会の博麗霊夢(偽)   作:拓拓

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第4話

 石段を降りると、そこは予想以上に普通の住宅街……に見える場所だった。

 アスファルトの道、立ち並ぶ電柱、ガードレール。

 だが、決定的に何かがおかしい。

 色彩が彩度を落としたように薄暗く、空気がネットリと肌にまとわりつく。そして何より、音がしない。車の走行音も、生活音も、一切聞こえてこないのだ。

 

「ひっ……うぅ……」

 

 みこが私の袖をギュッと掴み、震えている。

 彼女の視線の先──電柱の陰には、何かがいるらしい。

 私には見えない。見えないが、オタクとしての勘が告げている。「アレは絶対に見ちゃいけないヤツだ」と。

 

(ちょ、みこちゃん? 握力強すぎない? 袖ちぎれる! ちぎれるってば!)

(ていうか、何が見えてんの? 実況しないでね! 「そこにいる」とか言わないでね!)

 

 内心で絶叫しつつ、私は平静を装って前を歩く。

 すると、前方の電柱から、ぬらりとした長い黒髪の女が顔を出した。

 マスクをしている。ベージュのトレンチコート。

 ……ベタすぎる。あまりにもベタな昭和の怪異だ。

 

「……ワタシ、キレイ?」

 

 しゃがれた声が響く。

 みこが「ヒィッ!」と悲鳴を上げ、私の背中に隠れた。

 私は足を止め、深いため息をついた。

 恐怖よりも先に、呆れが勝ったからだ。

 

(うっわ、口裂け女じゃん! 平成初期かよ! 今どきその格好は逆に浮くって!)

(ていうか、マスクのサイズ合ってなくない? 顎はみ出てるよ?)

 

 私は腕組みをして、その怪異を見下した(身長差で物理的には見上げているが)。

 

「マスクが安っぽいわね。不織布くらい買いなさいよ」

 

 私の言葉に、女がピクリと反応した。

 マスクの下で、口が耳元まで裂ける気配がする。

 

「……これでも、キレイ?」

 

 マスクを剥ぎ取ろうとするその手。

 みこがガタガタと震え出す。

 めんどくさい。非常にお腹が空いているのに、こんな古典的な問答に付き合っている暇はない。

 

「整形外科紹介しようか? 高須クリニックなら知り合い(嘘)がいるけど」

 

 私が冷たく言い放つと、口裂け女はポカンとしたように動きを止めた。

 その隙を見逃さず、私はみこの手を引いて早足で脇をすり抜ける。

 

「行くわよ、みこ。あんな古臭いのに構ってたら日が暮れるわ」

「えっ、ええぇぇ……!?」

 

 みこは涙目で振り返りながらも、私に引きずられていく。

 背後で「ポマード……ポマード……」とブツブツ呟く声が聞こえた気がしたが、無視だ。

 今の私にとって最大の敵は怪異ではない。

 空腹という名の生理現象なのだから。

 

 ♢

 

 数分後。

 暗い道の先に、見慣れた三色の看板がぼんやりと光っているのが見えた。

 オレンジ、緑、赤。

 それは、この灰色の世界における唯一の希望の光。

 

「あ、あった……! セブンイレブンよ!」

 

 私は声を弾ませ、小走りで駆け寄った。

 みこも「よかった……お店だ……」と安堵の息を漏らす。

 ガラス越しに見える店内は明るく、雑誌コーナーで立ち読みするサラリーマンや、レジに並ぶ主婦らしき姿も見える。

 なんだ、普通じゃん。

 警戒して損した。

 

 私は拍子抜けしながら、自動ドアの前に立った。

 ウィーン、と軽快な電子音を立ててドアが開く。

 中から漂ってくるのは、空調の効いた少し冷たい空気。

 

「……ん?」

 

 一歩足を踏み入れた瞬間、違和感が肌を刺した。

 静かすぎる。

 BGMが流れていない。レジ打ちの音もしない。コピー機の稼働音もしない。

 そして何より、「いらっしゃいませ」の声がない。

 まるで、ここだけ時間が凍りついたような、絶対的な静寂。

 

 私が足を止めた、その時だった。

 

 ザッ。

 

 示し合わせたように、店内にいた「全員」が動いた。

 立ち読みしていたサラリーマンが。

 お弁当を選んでいたOLが。

 レジカウンターの中にいた店員が。

 全員が一斉に、機械的な動作で首だけを回し、入り口に立つ私たちの方を振り向いたのだ。

 

 そして、その顔を見た瞬間。

 私の背筋を、氷のような戦慄が駆け抜けた。

 

「…………」

 

 ない。

 目がない。鼻がない。口がない。

 そこにあるのは、ただの肌色の曲面。

 のっぺらぼう。

 十数人の「顔のない人間」たちが、無言で、無表情(顔がないから当たり前だが)で、じっと私たちを「凝視」している。

 

「ヒッ……!!」

 

 背後でみこが息を呑み、私の帯を強く握りしめた。

 無理もない。これはキツい。

 動物の化け物とかならまだ愛嬌があるが、これは純粋に生理的嫌悪感を煽るタイプの怪異だ。

 

(ギャァァァァ! 無理無理無理! 集合体恐怖症の逆バージョン!? ツルツルすぎて怖いってば!)

(なんで全員こっち見てんの!? 見えないでしょ目がないんだから! 視線を感じるのが一番怖いんですけど!)

 

 内心では悲鳴を上げてダンスを踊りたい気分だったが、ここでも「最強巫女」のプライド(と空腹)が私をその場に踏みとどまらせた。

 震える膝に力を入れ、私は眉間にシワを寄せた(顔があることのマウントをとるように)。

 

「……なによ。人の顔をジロジロ見て」

 

 精一杯の虚勢。

 しかし、のっぺらぼうたちは答えない。

 ただ、ゆらりとその体を揺らし、一歩、また一歩と、私たちを取り囲むように距離を詰め始めた。

 そして、その手元にある「商品」が見えた瞬間、私の怒りは恐怖を凌駕した。

 

 サラリーマンが読んでいる雑誌は、ただの「泥の塊」。

 OLが持っている弁当は、腐った「落ち葉の山」。

 そしてレジカウンターに並んでいるのは──小石で作られた「おにぎり」と、泥水が入ったペットボトル。

 

「…………」

 

 頭の中で、何かがプツンと切れる音がした。

 

(ふざけんなよ……)

(私の……私の純情を返せ! 空きっ腹に響かせた期待を! 脳内で再生した鮭ハラミの塩加減を! 全部返せよオラァァァァ!!)

 

 絶望は怒りへ。怒りは殺意へ。

 そして殺意は、純粋な破壊衝動へと昇華される。

 私は懐から、大事に取っておいた一枚のお札(ただの紙切れ)を取り出した。

 その瞳には、怪異すらも戦慄するほどの、ドス黒い炎が宿っていた。

 

「……おい」

 

 地を這うような低い声。

 のっぺらぼうたちが、ピタリと足を止める。

 

「人を騙すのは百歩譲って許すわ。顔がないのも個性の範囲内として認めてあげる」

 

 私は一歩踏み出し、お札を頭上に掲げた。

 カッ、と指先から紅白の霊力が迸(ほとばし)り、薄暗い店内を照らし出す。

 

「でもね……私の食事(カロリー)を愚弄した罪は、万死に値するのよ!!」

 

 みこが驚愕に目を見開く中、私は叫んだ。

 

「この……インチキ空間がぁぁぁ!! 私の食欲を舐めるなぁぁぁ!!」

 

 私はお札を振りかざし、ありったけの霊力を叩きつけた。

 それは破壊のためのスペルカードではない。

 このふざけた幻覚を、理不尽な偽物を、根こそぎ「正常」に戻すための、純度100%の浄化の光だ。

 

「現実に! 戻れぇぇぇぇッ!!」

 

 カッッッ!!

 

 視界が白一色に染まる。

 紅白の衝撃波が店内を駆け巡り、のっぺらぼうたちを、腐った商品を、そして澱んだ空気を、次々と洗い流していく。

 ガラスが割れる音はしない。壁が崩れる音もしない。

 ただ、世界が「あるべき姿」へと上書きされていく音だけが響いた。

 

 ……数秒後。

 光が収まると、そこには静寂があった。

 私は恐る恐る目を開ける。

 目の前には、レジカウンター。

 その向こうに立っているのは、狐耳の化け物でも、のっぺらぼうでもない。

 少し眠そうな、名札をつけた人間のアルバイト店員さんだった。

 

「……あ、あの、お客様? 大丈夫ですか? 急に大声出して……」

 

 店員が不思議そうに私を見ている。

 周囲を見渡せば、サラリーマンが普通に雑誌を読み、OLがスマホをいじりながら弁当を選んでいる。

 BGMには、聞き慣れたセブンイレブンの入店音が軽やかに流れていた。

 

(か、勝った……!)

(狐の化かしを、霊力ゴリ押しで解除してやったわ!)

 

 私は震える手で、自分の握りしめていたものを見た。

 そこにあるのは、茶色い枯れ葉ではない。

 パリパリのフィルムに包まれた、愛しの「大きな具の鮭ハラミ」だった。

 

「……本物……」

 

 じわり、と涙が滲む。

 泥団子は幕の内弁当に。小石はツナマヨに。

 ここは正真正銘、現代日本のオアシス、セブンイレブンだ。

 

 そして、私の鼻腔をくすぐる、たまらない香り。

 スパイシーで、ジャンキーで、暴力的なまでに食欲をそそる油の匂い。

 視線をレジ横に向ければ、そこには黄金色に輝く宝物殿(ホットスナックケース)が鎮座していた。

 

(ああ……! 後光が差して見える……!)

(お久しぶりです、ナナチキ様……! 会いたかった、揚げ鶏様……! 貴方たちに会うために、私は異世界転生してきたのかもしれない……!)

 

 私はポロポロと涙を流しながら、ケースの中の神々(チキン)に向かって合掌した。

 店員が「えっ、泣いてる……?」とドン引きしているが、知ったことではない。

 これは祈りだ。聖なる儀式だ。

 

 レジカウンターに、ドン! とカゴを置く。

 おにぎり、パン、そして──

 

「……ナナチキ、二つ」

 

 私は厳かに注文を告げた。

 震える声で。しかし、確固たる意志を込めて。

 

「……あ、はい。ナナチキお二つですね。……全部で800円になります」

 

 店員がトングで、神々しいキツネ色の塊を掴み上げる。

 その瞬間、私の腹の虫が「グゥオオオオン!」と歓喜のファンファーレを鳴らした。

 

「みこ。……支払いを」

 

 私は感動を噛み殺し*1、背後で腰を抜かしているみこに振り返って告げた。

 その声は、勝利者の凱旋のように力強かった。

 

「……え、あ、はいっ!」

 

 みこは慌てて立ち上がり、財布を取り出す。

 こうして、最強の巫女(偽)による「異界コンビニ強行浄化作戦」は、無事に大勝利(お買い上げ)で幕を閉じたのだった。

 

 店の前の縁石に二人並んで座り、熱々のチキンにかぶりつく。

 ジュワリと溢れる肉汁。スパイシーな衣の刺激。

 それは、私の枯渇した身体に染み渡る、生命の味だった。

 

「……んまぁぁぁぁ……!!」

 

 思わず声が出る。

 生きててよかった。転生してよかった。

 隣のみこも、おにぎりを頬張りながら、安堵の涙を流して笑っていた。

 

 食後の余韻に浸りながら、みこがコンビニの袋にゴミをまとめる。

 私は最後の一滴まで肉汁を舐め取り、油で汚れた指をティッシュで拭いた。

 

「あの……霊夢さん」

 

 ゴミをまとめたみこが、もじもじしながら私を見上げている。

 その頬は、夕焼けのせいか少し赤らんで見えた。

 

「その……霊夢さんのこと、もっと知りたい、です」

 

 蚊の鳴くような声。しかし、まっすぐな瞳。

 その言葉の意味を理解するのに、私は数秒を要した。

 

(えっ、なにその告白!? もっと知りたいって、私のこと!?)

(待って待って、みこちゃんってそっちの気がある子だったっけ? 確かに私はガチ百合勢だけど、リアルで来られると心の準備が!)

 

 内心で大パニックを起こし、顔から火が出るかと思った。

 しかし、すぐに冷静な自分が「違うだろ」とツッコミを入れる。

 彼女が見ているのは「私」ではなく、私の持つ「最強の結界(安全地帯)」だ。

 要するに、「またここに来て、守ってもらってもいいですか?」という婉曲的な契約交渉に過ぎない。

 

 ……ちぇっ、なんだ。

 少しだけガッカリした*2が、これはチャンスだ。

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 ビジネスチャンスを逃す手はない。

 

「……ふん、物好きね」

 

 私は照れ隠しにそっぽを向き、腕を組んでみせた。

 

「別に、来るなとは言わないわよ。……ただし」

 

 チラリとみこを見る。

 

「タダでとは言わないわよ? 賽銭箱にお布施を入れてくれるなら、歓迎してあげる」

 

 その言葉を聞いた瞬間、みこの表情がパァッと明るくなった。

 まるで、捨て犬が飼い主を見つけたときのような、全幅の信頼を寄せた笑顔。

 

「はいっ! ありがとうございます! また来ます、絶対に来ます!」

「う、うん。……ほどほどにしなさいよ」

 

 そんなに嬉しそうにされると、こっちまで調子が狂う。

 私は咳払いをし、彼女に背を向けた。

 

「じゃあね。暗くならないうちに帰りなさい。……帰り道、気をつけて」

「はい! 霊夢さんも!」

 

 みこは何度も振り返りながら、手を振って去っていった。

 その背中が見えなくなるまで、私はなんとなくその場に立ち尽くしていた。

 

(……はぁ。行っちゃった)

 

 一人になると、急に周囲の音が静かになった気がした。

 お腹はいっぱいになったけれど、心には少しだけ隙間風が吹く。

 寂しい? 私が? まさか。

 私はボロボロの草履を踏みしめ、神社の石段を登り始めた。

 

 これからどうする。

 住む場所*3はある。食料*4も当面はなんとかなりそうだ。

 もっと強くならなきゃ。もっと稼がなきゃ。

 そして、いつか絶対に──

 

「……おや。お戻りかな?」

 

 決意を新たに鳥居をくぐった、その瞬間だった。

 拝殿の前。

 そこには、一人の男が待ち構えていた。

*1
よだれを拭い

*2
いや、かなりガッカリした

*3
廃神社

*4
みこの差し入れ

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