現代怪異社会の博麗霊夢(偽)   作:拓拓

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第8話

 神社の石段を降り、閑静な住宅街を歩くこと十数分。

 周囲の空気が、明らかに変わった。

 湿度が急激に上がり、肌にまとわりつくような不快な重みが漂う。空は晴れているはずなのに、この一角だけ薄墨を流したように暗い。

 カラスの鳴き声すら聞こえない、異様な静寂。

 

 そして、目の前にそびえ立つ、その家。

 鬱蒼と茂った雑草に覆われ、壁には蔦が血管のように絡まりつき、窓という窓が変色したガムテープで目張りされた、典型的な「幽霊屋敷」。

 門柱には、掠れた文字で『佐伯』という表札がかかっている。

 

「ひっ……こ、ここですか……?」

 

 みこが私の袖をギュッと掴み、ガタガタと震え出した。

 彼女の視線の先──二階の窓の隙間から、ドス黒いヘドロのような何かがドロリと垂れているのが、私にも見えた気がした。

 

(うっわぁ……想像以上に『呪怨』してるわ。美術スタッフ仕事しすぎでしょ)

(これ絶対、中に入ったら二度と出られないやつじゃん。セーブポイントどこ?)

 

 内心では「帰りたい」の大合唱だったが、背に腹は代えられない。

 今の私に必要なのは、恐怖心よりも生活必需品だ。

 ここにはきっと、前の住人が残していった使える家具や家電が眠っているはず!

 

 私はお祓い棒*1を片手に、ズカズカと敷地内へ侵入した。

 錆びついた鉄門を押すと、キィィィ……と鼓膜を逆撫でする音が響く。

 玄関ドアは鍵がかかっていなかった。不用心極まりない。

 

 ギギギ……と扉を開けると、そこには埃っぽい廊下が広がっていた。

 意外にも、中はそこまで荒れていない。ただ、空気が澱みきっている。

 

「お邪魔しまーす。……あら、意外と立派な家具があるじゃない」

 

 私は値踏みするような目で屋内を見渡す。

 アンティーク調の鏡台、重厚なソファー、そして何より──掃除用具入れらしき戸棚を発見した。

 と、その時だった。

 

 ──ニャァ。

 

 足元の暗がりから、白い影が飛び出した。

 猫? いや、違う。

 パンツ一丁の、全身真っ白に塗られた男の子だ。

 佐伯俊雄。

 その黒目がちの大きな瞳は、どこまでも虚ろで、底知れぬ闇を映している。体育座りをして、こちらをじっと見上げているその姿は、生きた人間とは決定的に何かが違っていた。

 

「ひぃっ!!」

 

 みこが悲鳴を上げて私の背中に隠れる。

 だが、私は即座に反応した。

 恐怖よりも先に、私の脳内で電卓が弾かれ、「使える」という直感が走ったからだ。

 

「……あら、手頃なサイズ」

 

 私はしゃがみ込み、俊雄と視線を合わせた。

 普通の人間なら目を逸らすだろう。だが、私は今「金欠の博麗霊夢」だ。怖いものなど*2ない。

 

「あんた、狭いところとか入るの得意でしょ? 縁の下の掃除とか、家具の隙間の埃取りとか」

 

 俊雄が「ニャ?」と首を傾げる。

 その口の中が、ありえないほど黒く深い。

 

「採用。今日からあんたは、博麗神社の『隙間産業部門』担当よ。給料は煮干し一本からスタートね」

 

 私は懐からお札を取り出し、俊雄が逃げる隙を与えることなく、その額に「ペタリ」と貼り付けた。

 カッ!

 お札が淡く発光し、俊雄がビクッとして動けなくなる。

 よし、まずは一人確保。小回りの利く人材(?)ゲットだぜ。

 

 ──あ、あ、あ、あ……。

 

 その直後。

 世界が歪むような感覚とともに、二階の階段の上から、あの耳障りな音が響いてきた。

 喉の奥を潰したような、カエルの鳴き声にも似た不気味な怨嗟。

 見上げれば、手すりを掴む青白い手。

 関節を無視した動きで、蜘蛛のように這い降りてくる血まみれの女。

 

 伽椰子だ。

 圧倒的な怨念と殺意が、黒い奔流となって階段を雪崩れ落ちてくる。

 そのプレッシャーは、先ほどの俊雄とは桁が違う。本物の「呪い」の具現化だ。

 

「…………ッ!!」

 

 みこが腰を抜かしてへたり込む。

 普通の人間なら心臓麻痺レベルの恐怖映像だ。実際、私の心臓も早鐘を打っている。

 だが、今の私には「労働力不足」という切実な悩みと、「ここまで来たからには手ぶらでは帰れない」という貧乏根性があった。

 

(すごい。あの動き、人間業じゃない。スパイダーマンもびっくりだわ)

(……ってことは、あんな動きで雑巾がけしたら、手の届かない天井や梁もピカピカになるんじゃない?)

 

 閃いてしまった。

 恐怖よりも利益(メリット)が上回った瞬間、オタクの思考回路は最強になる。

 私は立ち上がり、這い寄ってくる伽椰子に向かってお祓い棒を突きつけた。

 

「おい、そこの不法占拠者!」

 

 私のドスの利いた声に、伽椰子の動きが一瞬止まる。

 血走った目が、私を凝視する。

 

「家賃も払わずに人を呪って遊んでる暇があったら、働きなさい! そのスパイダーウォーク能力、高く買ってあげるわ。神社の高い天井の梁を、その髪の毛で拭き清めるのよ!」

 

「……あ、あ……?」

 

 伽椰子が困惑したように声を漏らす。

 まさか、呪いに来て「就職の勧誘」をされるとは思っていなかったのだろう。

 だが、私は畳み掛ける。

 

「嫌とは言わせないわよ。断るなら、この家ごと『夢想封印』で更地にして、あんたらの居場所を無くしてやるわ!」

 

 私は懐から、ありったけのお札*3を取り出し、扇のように広げて見せた。

 ハッタリだ。でも、霊力マシマシの、特大のハッタリだ。

 私の背後には、空腹と生活苦による「鬼」のようなオーラが立ち昇っているはずだ。

 伽椰子が怯む。その一瞬の隙を見逃さず、私はお札の一枚をシュッと投げつけ、彼女の動きを封じた。

 

「はい、採用! あんたは『高所清掃部門』のチーフね! 異論は認めない!」

 

 お札が伽椰子の額に張り付き、彼女の動きがピタリと止まる。

 こうして、日本ホラー界最強の怨霊親子は、あっけなく*4私の軍門に下った。

 

「……さあ、行くわよ。道具と人員は確保したわ」

 

 私は右手に俊雄の首根っこを、左手で伽椰子の長い髪の毛を掴んで引きずりながら、唖然としているみこに振り返った。

 その顔は、勝利者の凱旋のように晴れやかだった。

 

「帰って大掃除の続きよ。……これぞ、博麗神社復興のためのドリームチームね! さあ、働くわよあんたたち!」

 

 みこの「……どこがですか。これじゃ百鬼夜行じゃないですか」というツッコミは、廃屋の闇に虚しく吸い込まれていった。

 こうして、私の神社には「最強の戦力*5」が加わることになったのだった。

 

 ♢

 

 ――そして、現在。

 博麗神社は、異様な熱気……もとい、異様な妖気に包まれていた。

 

「あ、そこ! 伽椰子さん、梁の裏側に埃が残ってるわよ! ちゃんと関節外して奥まで拭きなさい!」

「……あ、あ、あ……」

 

 天井を見上げれば、四つん這いになった伽椰子が、重力を完全に無視した動きで天井の梁を這い回り、その長い黒髪をモップ代わりにして高速拭き掃除を行っていた。

 カサカサ、ズリズリという音と共に、長年蓄積された埃が物理的に削ぎ落とされていく。

 時折、関節が「ゴキッ」と鳴る嫌な音が響くが、本人は無表情で作業を続けているので良しとする。

 

「俊雄くん、縁の下のシロアリ駆除は終わった? 終わったら次は雑草抜きよ。根っこから引き抜かないとダメだからね」

「ニャァ……」

 

 庭を見れば、パンツ一丁の俊雄が、驚異的なスピードで地面を這い回り、雑草をむしり取っている。

 全身白塗りだった肌は、すでに泥と土で茶色く汚れ、もはや「呪いの化身」というより「泥んこ遊びに夢中な野生児」にしか見えない。

 その姿はさながら、自動草むしり機能付きの白いルンバだ。

 

(ふっふっふ……壮観ね)

(人件費ゼロ! 労災なし! 24時間稼働可能! これぞ、私が求めていた理想の職場環境*6だわ!)

 

 私は縁側で、みこが淹れてくれたお茶をすすりながら、満足げに頷いた。

 自分は指一本動かさず、最強の怨霊たちをこき使って家を綺麗にする。

 これ以上の贅沢があるだろうか。

 みこは私の隣で、引きつった笑顔のまま固まっている。彼女の目には、この光景が「地獄絵図」にしか見えていないのかもしれない。

 

「れ、霊夢さん……これ、本当に大丈夫なんですか? 呪われたりしませんか?」

「平気よ。こいつらも、久しぶりに人に構ってもらえて嬉しそうじゃない。ほら、目が輝いてるわよ」

 

 嘘である。

 伽椰子の目は完全に死んでいるし、俊雄は疲労で少し透け始めている。

 だが、大家の命令は絶対だ。この世界は、力が強いものがルールを作る。

 

 と、その時。

 廊下の奥、社務所の方から、新たな気配が漂ってきた。

 湿った、冷たい空気。そして、ブラウン管テレビ特有の「キィィィン」という高周波音。

 

 ザッ、ザッ、ザッ。

 

 砂嵐の音と共に、佐伯邸から持ち出した古いテレビが勝手についたのだ。

 画面には、見覚えのある古井戸。

 そして、そこから這い出してくる、長い髪の女。

 

「……あ」

 

 みこが息を呑む。

 貞子だ。

 まさか、テレビごと憑いてきてしまったらしい。

 貞子は画面からぬらりと上半身を出し、今まさに、拭き掃除が終わったばかりの綺麗な床に手をかけようとしていた。

 

(うわ、マジか。貞子さんまで参戦? オールスター感謝祭かな?)

(でも待って、今ちょうど床のワックスがけが終わったところなんですけど!)

 

 私は湯呑みをドンと置き、眉間に深いシワを寄せた。

 画面の向こうは井戸だ。ということは、貞子の足元は泥だらけのはずだ。

 そんな汚い足で、私のピカピカのフローリングを歩かれてたまるか。

 

「ちょ、ちょっと待ちなさい!」

 

 私は叫んだ。除霊のためではない。清掃責任者としての、魂からの怒号だ。

 

「あんた、足! 足拭いてないでしょ! 土足厳禁って学校で習わなかったの!?」

 

 貞子の動きがピタリと止まる。

 長い髪の隙間から、「え、そこ?」という困惑の波動がビシビシ伝わってくる。

 

「入るなら足を拭く! 拭けないなら、その長い髪で床を磨きながら進みなさい! それがここのルールよ!」

 

 私は近くにあった雑巾を丸めて、貞子の顔面にシュートした。

 ボフッ、といい音がして命中し、濡れた髪に張り付く。

 

(……やった。日本のホラー界の頂点に雑巾ぶつけたった)

 

 一瞬の静寂。

 次の瞬間、テレビ画面が激しく明滅し、部屋中の空気がビリビリと震え出した。

 貞子がキレた。

 念動力の嵐が吹き荒れ、障子がガタガタと揺れ、畳がめくれ上がる。

 

「……ッ!!」

 

 みこが悲鳴を上げて私にしがみつく。

 天井で掃除していた伽椰子も、ビビって動きを止めて縮こまっている。

 だが、私は一歩も引かない。

 今の私は、空腹と労働のストレスで、ある意味「最強」の状態にある。

 

「あぁん? 逆ギレ? いい度胸ね」

 

 私はお祓い棒を構え、画面から半分飛び出している貞子に向かってメンチを切った。

 

「あんたのその呪いのビデオ、ダビングしてメルカリで売り捌いてやろうか? それとも、そのテレビごと粗大ゴミ回収日に出してやろうか?」

 

 ドスの利いた脅し。

 そして、全身から放たれる「めんどくさい女」のオーラ。

 数秒の睨み合いの末、貞子の念動力が霧散した。

 彼女は大人しく雑巾を手に取り、念動力で器用に床を拭き始めた。

 その動きは精密機械のように正確で、人間の手では不可能な速度で床を磨き上げていく。

 

「……よし。採用」

 

 私はニッコリと笑い、みこに親指を立てて見せた。

 

「これで『床拭きルンバ部門』も確保ね。完璧な布陣だわ。コンセントいらずのエコ家電よ」

 

 しかし、カオスはまだ終わらない。

 直後、部屋の隅に転がっていた、誰のとも知れない赤いガラケーから、あの不快なメロディが響き渡ったのだ。

 

 ――ピロリロリン、ピロリロリン……♪

 

『着信アリ』の死の予告。

 

「……もしもし……美々子だよ……」

「……三日後の夜……雨が降るよ……お姉ちゃん、死んじゃうよ……」

 

 勝手にスピーカーから流れる、幼い少女の声。

 本来なら恐怖で震え上がる場面だ。

 だが、私は天を仰ぎ、そして盛大に舌打ちをした。

 

(三日後? はぁ?)

(こちとら今日中にリフォーム終わらせたいのに、そんな悠長なこと言ってられるか!)

 

 私はガラケーをひっ掴み、画面に向かって怒鳴りつけた。

 

「三日後? 遅いのよ! 殺る気があるなら今すぐ来なさい! 順番待ちなんてさせてんじゃないわよ!」

「……え?」

「三秒以内に来ないなら、この携帯ごとへし折って着信拒否にするわよ! カウントダウン開始! 3、2、1……!」

 

 ――ギャアアアア!!

 

 理不尽な挑発にブチ切れた美々子が、赤い霧と共に包丁を持って飛び出してくる。

 速い。即日納品だ。素晴らしい。

 私は冷静にその額へお札を「バァン!」と叩きつけ、動きを封じた。

 

「はい、採用! あんたは『草むしり部門』担当! その包丁で庭の頑固な雑草を根こそぎ刈り取りなさい! 根絶やしにするまで休憩なしよ!」

 

 美々子は涙目でコクコクと頷き、庭へと走っていった。

 

 ……こうして。

 天井には伽椰子。床下には俊雄。床には貞子。庭には美々子。

 Jホラーオールスターズによる、涙ぐましい強制労働環境が完成した。

 これぞ、博麗神社復興のためのドリームチーム。

 

 みこが遠い目をして呟く。

 

「……ここ、本当にお祓いが必要な場所なんじゃ……」

 

 その言葉は、掃除機の音*7にかき消されていった。

 

「ふぅ……。ちょっと休憩にしましょうか」

 

 私はパンパンと手を払い、縁側に腰掛けた。

 目の前では美々子が、まるで親の仇のように雑草をザクザクと切り刻んでいる。俊雄がその横で、抜けた草をせっせと集めている。

 なんという連携プレー。

 私はリュック*8から、とっておきのアイテムを取り出した。

 

 みこが持ってきてくれた、冷えたオレンジジュース。

 そして、さっき美々子が落とした赤い飴玉。

 

「……ん?」

 

 美々子が手を止めて、恨めしそうにこちらを見ている。

 自分の飴だと言いたいらしい。

 

「あげるわけないでしょ。これは労働契約の手付金代わりよ」

 

 私は飴の包み紙を剥き、口に放り込んだ。

 甘い。ちょっと鉄の味がする気もするけど、糖分は正義だ。

 

「……あの、霊夢さん」

 

 みこが、遠慮がちに私の隣に座る。

 その視線は、庭で働く怨霊たちと、私を交互に行き来している。

 

「本当に、このまま神社に住むんですか? ……こんな、お化け屋敷みたいなところで」

「失礼ね。今はリフォーム中よ。完成したら、きっと素敵なパワースポットになるわ」

 

 私は強がって見せたが、本音を言えば不安がないわけではない。

 夜になれば、こいつらが反乱を起こすかもしれない。

 食料だって、いつまで持つか分からない。

 でも。

 

「……みこが来てくれるなら、まあ、悪くないかもね」

 

 ボソリと呟く。

 みこが目を見開き、パァッと顔を輝かせた。

 

「はい! 毎日来ます! お弁当持って、また来ます!」

「……お弁当は大歓迎よ」

 

 照れ隠しにジュースを啜る。

 ストローがズズッと音を立てた。

*1
木の枝

*2
税金以外

*3
実はただのメモ用紙も混ざっている

*4
そして理不尽に

*5
掃除

*6
ホワイト企業

*7
貞子の念動力音

*8
も佐伯邸から拝借した

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