白く透き通った指先から、数的の血が滴り落ちる。濡れた布に染み込み、瞬く間に雨粒に吸い込まれ、何もなかったように消えていく。
いまだ、雨は止む気配を見せない。戦いで擦り減った体の感覚は、雨粒に打たれ続けたせいで、麻痺している。
そのおかげで歩けているんだと、健二は意識のない小百合を背負いながら、余裕にも似た感情を抱いた。
何時間歩いたんだろうか。足から伝わる感触が、硬いアスファルトのものとは違う感触に変わった。
輪郭しか捉えられない視界で、カラフルな色を捉えた。──おそらくマジ女に戻って来れたんだろうと、ぼやける頭で悟った。
曖昧な記憶を頼りに、落書きだらけの廊下を歩いた先に、扉を見つけ。弱りきった握力で掴み、扉を引く。
乱雑に置かれているベッドへ、小百合を壊れ物を扱うようにそっと寝かせる。
健二「はあ……はあ……」
ベッドの側に腰を下ろし、やっと一息ついた。
麻痺していた感覚が徐々に覚醒し始めると、同時に体の節々から痛みが走り始めた。
普通の人間だったら、ここであまりの痛みに苦悶し、項垂れているだろう。けれど、アマゾン細胞を持った健二は、その痛みに耐え抜いている。
それも、数秒しか続かず。とうとう意識を手放そうとした時、保健室の扉から人影が飛び込んできた。
革命を一緒に成し遂げた仲間が、自分の名前を呼んでいる。
笑顔で手を振り、溌剌とした笑顔を浮かべて。それがなんだか恋しく、思わず手を伸ばした。
けれど、虚空を掴むことしか叶わない。どんどんと仲間の姿は遠ざかっていく。
気づけば全てが暗闇に食い潰され、視界が閉ざされた。
次の瞬間、強制的に瞼を見開かれ、飛び込んできたのは灰色の天井。
小百合は全身に駆け巡る鈍痛に顔を歪め、上半身を起こし、周囲を見渡す。
すぐ隣、伸び切った包帯を握ったままウーチン、ペリカン、CGが深い寝息を立てながら眠りこけていた。
三人を下手に起こさないよう、ベッドから降りる。足をゆっくり引きずりながら、保健室の扉を開けた。
壁や窓ガラス全体に年季の入った落書きが残る廊下へ出て直ぐ、人の──アマゾンの気配を感じとった。
健二「……起きましたか」
低く落ち着いた声が聞こえ、そこへ視線を向ける。
そこにはコンビニ袋を下げた健二が、廊下の壁に立っていた。
長い時間、小百合が目覚めるのを待ちながら、どんな言葉を掛ければいいか、思案していた。けれど、彼女を前にしたら、頭は真っ白。視線を泳がせながらコンビニ袋を探る。
そして、食べられそうな菓子パンとお茶を取り出し、不器用に差し出した。
健二「目覚めたばかりで、喉は通らないでしょうけど……早く傷を治すには、食べるのが一番です」
慎重に言葉を選びながら言い切った。
小百合から反応があるかに思えたが。わずかにためらいを見せたものの、パンとお茶だけを受け取り、健二の横を風が過ぎるように音もなく、横切っていく。
健二「この場所で皆んなと……待ってます」
人間とアマゾンの境に苦悩していたとき。手を差し伸べてくれたオジュケンのように。
健二は勇気を振り絞り、静かに言葉を紡いだ。
この言葉が、小百合に届いたのかは分からない。ただ、その悲痛に満ちた背中は遠ざっていくのを見送って。保健室の扉を開け放った。
中から、賑やかな会話が聞こえてきて、強張っていた体が自然と綻んだ。
目覚めた彼女が去った翌日は雨模様だった。
窓ガラスに激しく打ちつける雨音を聞きながら、健二は無意識に胸に手を触れる。
打ち込まれた拳の傷は跡形もなく消えた。チームのみんなが心配して差し入れてくれた食べ物のおかげで、満身創痍だった体は元通りだ。
けれど、小百合の体は大丈夫だろうか。
華奢な体であれ程の戦いを繰り広げたのだ。多少なりともダメージは残っているはずだ。
オジュケン「健二くーん!!おっはよう!!」
雨にも負けないほどの声で、明朗快活なオジュケンがクラスに飛び込んできた。
健二「おはようございます。オジュケンさん、珍しく早いですね」
現在の時刻は、まだ朝の8時。チームお好み、もんじゃが登校してくる時間には早い。
オジュケン「女の子が、もう来て無いかなと思ってたら。早起きしちゃって、駆け足で来たの」
健二「そうですか」
オジュケン「ねぇ健二君!女の子とは仲良くなれた?」
目の前まで迫る勢いで、オジュケンは椅子を引っ張り、腰を落とす。
健二「どうでしょう。待ってますとか言いましたけど、来ることはないかもしれません」
オジュケン「どうして?」
言葉の口調から何かを感じ、首をかしげる。
健二「……僕にも、分からないです。ただ、感覚で彼女は来ることはないかもしれないって感じるんですよ」
言い切った瞬間、オジュケンが立ち上がったかと思えば。突然、健二の腕を掴み、引っ張る。
健二「どうしたんですか、オジュケンさん!」
オジュケンは高揚しながら、窓の外へ指差す。
オジュケン「赤い傘が見えたの!もしかしたら、来てるかもしれない!」
自分の直感を信じ、健二と一緒に廊下を駆け抜ける。
下駄箱に差し掛かったとき急ブレーキをかけ、視線を校門へ向ける──そこには真っ赤な傘を差し、立ち尽くす人影があった。
オジュケン「来てくれたんだ」
雨の中、立つ人影は彼女だった。
健二「……」
呆然と立ち尽くす健二を置いて、オジュケンが笑顔で外へ飛び出していく。
その勢いのまま、白く透き通る彼女の腕を掴んだら、健二と彼女は自然と真っ向から向き合う形になる。
オジュケン「今日、二人で君が来るの待ってたの!そうだ、名前を教えて!!」
心の壁を軽々と飛び越え、オジュケンはいつもの調子で問い掛けた。
それが、彼女の心を動かすきっかけになったのか。口を開き、弱々しい口調で名前を口ずさんだ。
「清水……小百合。前の学校では……リリーって呼ばれてた」
今日は、珍しく午前九時になってからマジ女に登校した。
小百合との戦いで負った傷は癒えたものの体力は戻りきっていなかった。そのせいで、初めて寝坊した健二だったが。久々に起きた抗争のせいで、眠気は一気に吹っ飛んだ。
久々に人間離れした身体能力で、混沌とした廊下を駆け抜け、一年の教室にヘッドスライディングで飛び込んだ。
前回とは違い、教室には凛々とした佇まいで文庫本を読み耽る小百合だけがいた。他の生徒は抗争に駆り出ていて姿はない。
健二は定位置になった端っこに身を隠し、小百合に小声で語りかける。
健二「小百合さん、隠れなくて良いんですか?」
だが、廊下の外から聞こえる怒号でかき消され。声は届かない。
元々、強い彼女に心配などしなくても良いのだが。混沌としたこの状態で、声をかけずにはいられない。
もう一度、声をかけようかと頭を半分出したら。今度はCGとペリカンがヘッドスライディングで飛び込んできた。
CGが、痛がりながら顔を上げたら小百合に歩み寄って行く。
CG「なあ!リリー、助けてくれ!!あいつら集団でやってきて、負けそうなんだよ」
小百合は文庫本から視線を上げ、CGと視線を合わせた。
小百合「貴方の喧嘩、買いましょうか?」
──マジ女に来るようになってから初めての第一声は、『喧嘩を買う』というものだった。
健二は小百合の過去を知っているからこそ、理解できたが。いざ、彼女の流儀を見せられると衝撃的だった。
ペリカン「喧嘩買うって、なんだよそれ~!」
小百合「私、善意でやっていないので。有金、全部出してください」
数巡、二人は考え込んだ末。背に腹はかえられぬと思ったんだろう。急いでロッカーに入ってる鞄から財布を取り出し、小百合の鞄の中に有金を全部放り込んだ。
小百合「貴方達の喧嘩、私が買いました」
静かに告げたら。凛とした佇まいで教室から出た。
一歩、廊下に出れば。混沌とした空間が広がっている。男女のヤンキー達が入り混じり、怒号を上げ殴り合っている。
その中で佇む、華奢な小百合は恰好の的だ。案の定、数人の男が舐めるような目で立ちはだかった。
だが、小百合は物怖じせず。堂々とした佇まいで、睨み据えている。
小百合「私の前に立つんじゃねえ」
幼い少女とは思えない気迫に満ちた声が、廊下に静かに響き渡る。
「うらぁ!」
一人のヤンキーが飛び出し、怒涛の勢いで殴りかかる。
小百合は避けもせず。突き出された腕を軽く弾き、空を切る。ガラ空きになった鳩尾に、色白の脚が突き刺さる。
呻き声をあげて床に倒れ伏す男に目もくれず。小百合はヤンキー達の中へ、一息に踏み込む。一人目はボディーブローを、背後から襲い掛かろうとする二人目には強烈な肘鉄を打ち込んだ。
小百合「百合の花を見納めに、地獄へ行きな」
まるで、死の宣告をするかのごとく。強靭な軸足を起点に一閃の回し蹴りが唸りを上げ、残りのヤンキーを薙ぎ払い、廊下に崩れ落ちた。
一瞬、小百合の圧倒的な強さに混沌した空間を、静寂が支配した。
校舎での抗争は、荒れ散らかった体育館にまで及んでいた。
ギシギシと古くなった床板が激しく軋み、至るところから響く打撃音が反響する。
校舎に比べ小規模だが、喧嘩は喧嘩。埃が舞い散る中──耳をつんざぐほどの衝撃音が轟いた。
殴り合っていたヤンキー達は動きを止め、音のした方を注視する。
噴き上がった粉塵を突き破り、オメガに変身した健二が転がり出てきた。
肺にある空気が全て吐き出され、意識が混濁する。それでも、なんとか受け身を取るが、床を強く叩きつられたせいで視界が白く弾け飛ぶ。
体勢を整える暇もなく、ゾウアマゾンが荒々しく踏み鳴らしながら迫り来る。
健二はルビー色の複眼でその巨体を見据え、一歩も動かずに全身の膂力で持って受け止めた。
健二「あぁぁぁぁあ!!!」
鋼鉄の皮膚に覆われた背中へ、一心不乱に拳を振り下ろす──至るところから、響いていた打撃音とは訳が違う。床が揺れるほどの衝撃だ。
だが、拳では衝撃が伝わるだけで止まってしまう。健二は殴るのをやめ、背中から伸び出た突起を掴み、顔面へ痛烈な膝蹴りを叩き込んだ。
確実に脳天を捉えた。だが、鋼のような皮膚の前では無力。逆にゾウが振り上げた足を鷲掴み、力任せに散乱する跳び箱へ吹き飛ばす。
「ヴァァァァア!!」
今度は相手が立ち上がらないと確信すると、仕留めに掛かろうと駆け出した──刹那、視界の端から漆黒の影が遮った。
思わぬ乱入者に体勢を崩し止まったゾウは、その影を睨み据える。
健二「ふぅ……ふぅ……小百合さん」
そこには、有金全てでしか喧嘩を買わないカラスアマゾンに変身した小百合が立っていた。
なんの理由で心境が変わったのかは、計り知れない。
今は、呆気に取られている余裕はない。一瞬で、意識と体は闘争本能に満たされ。床を強脚で蹴り上げ、ゾウへと踊りかかる。
勢いを保ったまま、腕が届かない距離まで飛び上がる。宙で体を捻らせ、背中を引っ掻いた。
意識が頭上の健二に注がれた隙を狙い。駆け込んできた小百合が懐に潜り込む。強靭な体を支える片足を踏み台に、廊下で見せた回し蹴りが顔面に突き刺した。
二人の繰り出した攻撃が一点集中し、立派に生え揃った二本の牙の内、一本が砕け散る。
明らかに鋼の皮膚にヒビが入っている。健二は更に畳み掛けようと、緩急つけての乱れ打ちを叩き込む。
小百合も健二の拳打は合間を掻い潜り、的確に打ち込んでいく。
───だが、二人には致命的な欠点があった。一人でしか戦ってこなかったということだ。
抑えの効かない闘争本能の赴くまま戦う健二。相手の動きを見極め、的確に急所を突く小百合。
決して相反することのない二人の動きが、奇跡的に噛み合っていた。だが、ゾウが一瞬の隙を突き、健二の攻撃を弾いたのが二人の間にヒビを生じさせた。
その僅かな乱れが、小百合の蹴りを鈍らせた。蹴りが鋼鉄の皮膚に弾かれ、健二の腹部に直撃してしまう。
連鎖的に小百合も、ゾウの当て身を真正面から受け、獰猛な勢いで弾き飛ばされた。
もう、身動きは取れないと本能的にゾウは確信した。今度こそ、二人を確実に仕留めようと、巨体を感じさせない速さで駆け出す。
それは健二も同じだった。
右手のバトラーグリップを握りしめ、勢いよく引き抜く。
健二「うあぁぁぁぁぁあ!!!」
《バイオレントブレイク!》
全身の筋肉を肥大化させ、ゾウと正面衝突する刹那。健二は鎌に変化したバトラーグリップを脳天めがけ突き立てた。
鋼鉄の皮膚が、まるで嘘だったかのように容易く貫かれ。真っ黒な血飛沫を上げ、巨体は静かに崩れ落ちた。
健二「はあ……はあ……」
液状化していく巨体を見下ろしながら、バトラーグリップから麻痺する手を離す。その瞬間、コンドラーコアが点滅し、人の体へ収束し始める。
健二「小百合さん……大丈夫でしたか」
疲労の色を濃く滲ませ、健二は後ろに立つ小百合に振り返り問い掛けた。
小百合「なんで、貴方の方が疲れてるのに。私を労うんです?」
健二「一緒に戦ったから……」
言い終えると、突然、片足が一気に脱力し思わず片膝をつく。それでも、気力で立ち上がり、嵐の去った体育館を後にした。
清水小百合は、マジ女でテッペンを取れるほどの実力を持っている。少なからず一年の間では周知の事実だ。
さらに、カラスアマゾンに変身すれば力は何十倍にも跳ね上がり、健二ですら互角に渡り合えるかどうか怪しい。
だからこそ、ゾウアマゾンと戦いで生じた乱れは致命的だった。
今後、小百合と一緒に戦う瞬間は必ず訪れる。連携が取れないままでいれば、乱れは大きくなり、命の危機に繋がりかねない。
黙々と通学路を歩いていたら、隣を歩くハンナマが、唐突に口を開いた。
ハンナマ「朝から、なに深刻そうな顔で考え込んでんだよ」
健二「ちょっと、小百合さんのこと考えてて」
ウテナ「昨日の抗争か?」
健二「ええ。アマゾンと戦ったとき一瞬、連携が崩れた時があったんです」
ハンナマ「えっ!同じアマゾンなら野生の勘とかで、出来たりするもんじゃないのか!」
本気の声色のハンナマに、健二は苦笑を漏らした。
健二「野生の勘っていうのも、あながち間違いではないですが……」
ゾウとの戦いで、一瞬だけ繋がりに似た観覚はあった。だが、一瞬でしかなく、長く戦うにはあまりにも脆すぎる。
ウテナ「健二が言いたいのはあれだろう。野生の勘を確かなものにできないのが、悩みってことだろう」
健二「その通りです」
ちょうどそのとき、下駄箱に辿り着き。この話は一旦、止まった。
イカノメ「小百合との連携……確かに、今後、アマゾンと戦うでは必須だな」
ホットプレートから噴き上がる煙と、ソースの焼ける匂いで満ちる昼休みの一年の教室。
イカノメはお好み焼きを食べながら、文庫本を読む小百合へ視線を流した。
ウーチン「なぁ、小百合。健二とどう戦いたい?」
健二「……ウーチンさん、ちょっと聞くの早いですよ」
不意打ち気味に投げかけられた直球さに、健二は眉を顰め、小百合を見る。
文庫本から視線を上げた小百合は、凛と澄み切った瞳で健二を見据えた。
小百合「私は、誰かと一緒に戦うとか興味ありませんから」
静かで力強く、突き放した物言いに一瞬、教室が静まり帰った。
スキナシ「だったら、黒板に書き出してこうぜ!」
その一言で、張り詰めた空気は霧散し、チームお好み、もんじゃの皆んなの面々は次々と黒板に書き出し始める。
数分も経たないうちに、黒板は各々が考える提案で書き尽くされた。
『声掛け』や『目線での合図』、『手を使っての合図』といった現実的なもの。『テレパシー』や『共鳴』、『技名を叫ぶ』と荒唐無稽なものまで書かれている。
カンドレ「テレパシーって。ふざけてんにもほどあるだろう」
テキサス「だったら、声掛けとか目線の合図も、アマゾンと戦ってるとき見てる余裕ないだろう」
ハンナマ「じゃあ、技名を叫ぶのが一番、良いってことだろう!!」
それを発端に、両チームはどう連携するべきかで、昼休みの教室は喧騒に包まれ始めた。
慌ただしい光景に、健二は思わず笑ってしまいながらもんじゃを一口。
その時、天井の校内スピーカーに電源の入る微かな音が、ノイズとなって紛れ込んできた。