どなたか「きららちゃん」という怪談を知っていますでしょうか? 作:工帝 アザレア
電車やエレベーター、トンネル、地下空間などに関する怪談。
異空間は出口が保証されず、地図が意味を失い、時間がズレ、空間が意志を持つ。
そんな怪談は多く存在しているがなぜ"その証拠がないのか"。そんな話。
この世界には数えきれないほどの怪談が存在しています。
特にその中でも、電車の中で眠って知っていたら存在しないはずの駅に降り立ってしまう「きさらぎ駅」や、いつも利用しているはずのエレベーターでふとしたきっかけで知らない階に迷い込んでしまうようなタイプの怪談…
まぁ、とりあえず「異空間系」とでも言っておきましょうか。こうした種類の怪談も、この世に数多く存在しています。
けれど、こうした異空間系の怪談って、不思議に思いませんか?
語られている数の割に、「その空間の写真」や「そこから持ち帰った物」が具体的な証拠として提示されることは、ほとんど無い。
映像の時代です。
誰もが常にスマートフォンを持ち歩き、何かあれば反射的に撮影する。
にもかかわらず、異空間系の怪談だけは、なぜか“証拠”が残らない。
まぁ現実的に考えてしまえば、そもそも作り話だからそんな証拠品も存在していないということで済ませることもできます。
でも⸻最近、私は別の可能性に気づいてしまいました。
「もし、その異空間の写真を撮ったり、物を持ち帰ろうとした人間は“向こう側の存在”として異空間に取り込まれて誰一人としてこちら側へ帰ってこれてないんじゃないか」って。
神社の石を持ち帰ると祟られる。
異界の食べ物を口にすると、元の世界に戻れない。
昔話や神話、創作の中で何度も語られてきたルールです。
あれは比喩ではなく――
境界を越えた証を持ち帰ろうとする行為そのものが、「こちら側」と「向こう側」の線を確定させてしまうのではないか。
たとえば。エレベーターの扉が開き、見知らぬ廊下が広がっている。
壁紙は少し古く、蛍光灯は微妙に明滅している。
空気は静かすぎて、自分の呼吸音がやけに大きく響く。
その瞬間。
あなたは二つの世界の“境界線”に立っている。
まだ、どちらの存在でもない。
でも――
スマホを取り出して、カメラを起動し、シャッターを切る。
その空間を“証明”した瞬間、
あなたはその空間の一部になる。
だから異空間の写真は残らない。
残そうとした人間が、帰ってこないからだ。
ここまで読んで、どう思いましたか?
面白いですよね。
“戻ってきた人の証言”はたくさんあるのに、
“証拠を持ち帰った人の証言”は無い。
証言はある。
物証は無い。
言葉だけが、境界をすり抜けてくる。
……あるいは。
言葉だけは、こちら側に残されるのかもしれません。
なぜなら、言葉は曖昧だから。
画像は確定させる。物は存在を主張する。
けれど言葉は、読み手の頭の中でしか完成しない。
完全にこちら側にも、完全に向こう側にも属さない。
“境界の上”にある。
だから怪談は語られ続ける。
でももし。
あなたが、好奇心に負けてしまったら?
存在しないはずの異空間。
扉が開いたとき、あなたはきっと思うはずです。
「写真を撮っておこう」
「あとで見返せるように」
「誰かに見せられるように」
でも、そのとき。
カメラの画面に映るのは、本当にその風景でしょうか。
それとも。
シャッター音が鳴った瞬間、
あなたの背後で、エレベーターの扉が静かに閉まっているのでしょうか。
電波は届きません。
位置情報は取得できません。
バッテリー残量は、なぜか急激に減り始めます。
それでもあなたは撮りますか?
“証拠”を。
“向こう側のデータ”を。
今、あなたは安全な場所でこの文章を読んでいる。そう思っていますよね?
では最後に、ひとつだけ聞きたいことがあります。
⸻もし次に、知らない階に止まったエレベーターの扉が開いたら。
あなたは、証拠を残そうとしますか?