どなたか「きららちゃん」という怪談を知っていますでしょうか?   作:工帝 アザレア

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ルール

この世界には数えきれないほどの怪談が存在しています。

 

そして、その多くには“ルール”があります。

 

例えば、特定の手順を踏めば異界へ行けるとされる儀式型の怪談があります。

「ひとりかくれんぼ」や「こっくりさん」はその代表例でしょう。

 

いずれも開始手順と終了手順が細かく定められています。

塩水を口に含む、帰ってくださいと告げる、使い終わった物の処分方法など…

これらは一見すると「怪異側の規則」に見えます。

 

⸻しかし本当にそうでしょうか。

 

怪異が人間の宣言に従う必然性はあるのでしょうか。

終了宣言という概念自体が人間の側の都合ではないでしょうか。

 

次に、境界型の怪談を見てみます。

「くねくね」では「見てはいけない」とされています。

しかし、どの距離からが危険なのか、どの程度の視認が許容されるのかは明示されていません。

ルールは提示されるものの、その閾値は曖昧です。

 

また、交渉型の怪談も存在します。

「口裂け女」では特定の返答をすることで危機を回避できるとされています。

これは怪異が言語的な条件分岐に従って行動するという前提を含んでいます。

つまり怪異は、一定の論理構造を共有していることになります。

 

一方で、「コトリバコ」のように、開封した時点で不可逆とされる怪談もあります。

ここには回避条件が存在しません。

あるのは事前警告のみです。

 

以上を整理すると、怪談におけるルールは大きく三種類に分類できます。

一つは手順型。

一つは境界型。

一つは不可逆型。

しかし、ここで一つの仮説が浮かびます。

 

⸻怪談におけるルールとは、本当に怪異の制約なのでしょうか。

あるいはそれは、人間が完全な不確実性に耐えきれずに作り出した「条件付き希望」ではないでしょうか。

 

「これを守れば助かる」という形式は、恐怖を制御可能なものへと変換します。

ランダムであることよりも、条件付きであることのほうが人間は耐えやすい。

だとすれば、ルールは怪異の性質ではなく、人間側の補助線なのかもしれません。

 

さらに極端な仮説を提示します。

もし怪異が存在すると仮定するならば、それはルールに従う存在ではなく、

「ルールがあると信じた人間」を選別する存在なのではないでしょうか。

 

検証しようとする者。

条件を確かめようとする者。

境界を測定しようとする者。

 

それらの行為そのものが観測である可能性は否定できません。

 

検証という行為は常に対象との距離を縮めます。

その距離がゼロになったとき、それは観測ではなく接触と呼ばれるのかもしれません。

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