どなたか「きららちゃん」という怪談を知っていますでしょうか? 作:工帝 アザレア
この世界には数えきれないほどの怪談が存在しています。
その中で、読んでいて疑問に思ってしまうものがあります。
話のラストで主人公が怪異に取り込まれたり、死んでしまう怪談です。
それらの怪談には、不思議な特徴があります。
主人公が死ぬ話ほど、やけに詳しい。
最後に見た光景。最後に聞いた音。
最後に感じた、背後の気配。
悲鳴で終わるはずの物語が、
なぜか寸分違わず語られている。
あなたも一度は読んだことがあるはずです。
ラストで主人公が怪異に取り込まれ、
二度と帰ってこない怪談を。
そこで、疑問に思いませんでしたか。
もしその人が本当に消えたのなら。
この話は⸻誰が語っているのでしょうか。
その物語は一体誰の視点なのでしょうか。
誰が誰に聞いて、今こうして自分の元に届いた怪談なのか。
怪談のお約束と言ってしまえばそれまでです。
ですが、あまりにも詳細すぎる話が多い。
最後に見た光景。
最後に聞いた音。
最後に感じた気配。
まるで、その場にいる“誰か”が記録していたみたいに。
第一話で触れたように、怪談は生成されるものかもしれません。
第二話では、観測によって境界が確定すると考えました。
第三話では、ルールは人間側の補助線にすぎないと述べました。
では。
主人公が消えた瞬間を“観測していた存在”は何でしょう。
怪談は、語られたときに完成する。
そう考えると、主人公が消える物語は、消える瞬間までを“誰か”が見届けていることになります。
その“誰か”は毎回、姿を見せません。
名前もありません。
正体も明かされません。
けれど必ず存在しています。
なぜなら、物語が残っているから。
そこまで考えて、少しだけ嫌な感じがしませんか。
気づいていますか。
主人公はこの世にいない。
でも、この話を知る“モノ”はまだ存在している。
そしてそれは、物語が語られるたびに、読む者のすぐ隣に立つ。
怪談は警告ではないのかもしれない。
体験談でもないのかもしれない。
もしかしたらこれは、観測者を選別するための構造なのではないでしょうか。
最後まで読む者。
意味を考える者。
構造を理解しようとする者。
それらを、静かに記録するための。
だとしたら⸻
今この話を最後まで読んでしまったあなたは、
まだ安全な読者でしょうか。
それとも。
すでに“視られている側”に立っているのでしょうか。
ほら。
今、ほんの少しだけ周囲の音に敏感になった。
それだけで十分です。
境界は、大きな出来事ではなく、
小さな意識の変化から始まるのです。
まだ、はっきりとはしません。