甚爾と闘也
1989年12月7日。
五条悟、爆誕。
青く輝く六眼を携えて生まれた幼子は、その後当たり前のように無下限術式を発現させた。
以来、呪術界では二言目にはその名が紡がれる。
呪術界に
数百年振りとなる六眼と無下限術式の抱き合わせ。
永い呪術の歴史。
様々な魑魅魍魎が渦巻く、血塗られた歴史の中でもひときわ際立つ絶対的な強者の誕生。
呪術界のあらゆる局面において、五条悟の名は絶大な影響力を誇った。
だが、同じ御三家の名を冠する
確執のある五条家に対し、何ら反応しない禪院家を揶揄する者もいた。
「六眼と言えばだ。禪院の
「音沙汰無しだ。あの家ならば対抗してすぐにでもその存在を顕にするからな。間違いなく今はいない」
「奴ら、ますます態度を硬直させるぞい。御三家同士でいつまでいがみ合うというのだ……」
「いやはや……400年前の御前試合での相討ちがよほど堪えたらしい」
「しかし、六眼と無下限の抱き合わせが現れたのであれば五条家の独走は必至」
「もはや御三家などとは呼ばぬかもしれんな。五条家とその他二つ、だ」
しかし外圧に対し、彼らは何も変わらない。
禪院の名を持つ者たちの思いは一つ。
五条家に五条悟あり。
されど、禪院家に禪院
五条悟の誕生に先駆けること少し。
禪院家にもまた、麒麟児が誕生していたのだ。
未だ秘匿されしは、呪力無しの猿を作り出した男が、種切れの際に作った最後の子。
これが驚異の子であった。
禪院闘也。
出生時の体重4700グラム。
産湯に浸かった瞬間に言葉を発し、さらには齢1つにして己の術式を自覚した。
その術式は当然のように相伝。
禪院家は待望の十種影法術持ちに湧いた。
後に闘也の術式が
なによりも、闘也が示す強さは圧倒的であった。
故に、諸事を瑣末な問題へと成り下がらせた。
幼子とは思えぬほどの圧倒的な呪力量と卓越した思考力を有し、さらには凡庸な術師であればようやく自らの術式を自覚しようという頃に、呪術の極地たる領域展開を修得するという偉業を成し遂げたのだ。
これは奇しくも、五条悟が六眼と無下限術式を持つことが呪術界に喧伝されるのと同タイミングであった。
故に、天啓。
闘也による、まるで天才の産声に対抗するかの如く所業に、禪院家の者たちは雷に打たれたが如く、尽く同じ考えに至った。
「禪院闘也こそが、真の天才である」
「忌まわしき五条家を討ち破り、呪術界に覇を唱えるのは禪院家である」
元より呪術師の数の多さで他の御三家に勝る禪院家は、禪院闘也という極上の質すらも手に入れたことにより、その結束と歪な思想をより強固なものにした。
かくして禪院闘也の存在は、禪院家の総意により秘匿されている。
蒙昧な世間の目など、五条悟という偽りの天才に集めさせておけば良い。
彼らの至宝は、相応しい場所、極上のタイミングで披露する。
それが禪院の総意であった。
禪院家の者たちは密やかに言い合う。
五条悟は確かに強い。
だが、それがどうした。
こちらには禪院闘也がいる。
幾多の血筋を取り込んだ、数多の呪術師がいる。
質も量も勝る我ら禪院家こそが至高。
一人の天才に縋る五条家のなんと脆いことよ、と。
五条悟の誕生後も禪院家は揺るがず、今日もまた歪んだ家訓を掲げる。
禪院家に非ずは呪術師にあらず。
呪術師に非ずは人間にあらず。
禪院の者たちの口元は怪しく歪む。
「いずれ、江戸の世における御前試合の仕切り直しをしよう」
「今度こそ禪院家に誇りある勝利を」
「十種が六眼に勝ることの証明を」
「禪院闘也に五条悟の首を落とさせ、その首級をもって元服の証としよう」
禪院家を差し置いて呪術界の代表面をするあの男を、禪院家の最高傑作である禪院闘也に打倒させる。
なんと甘い響きか。
禪院の名を持つ者たちは、日々強くなる闘也の背に輝かしい未来を幻視した。
いずれ至る甘さを享受できるのであれば、現状の何も理解していない者たちからの誹りなど屁でも無かった。
そんな禪院家の野望は、禪院
▽▽▽▽▽▽▽
反逆の日。
その前日深夜。
禪院直毘人の私室にて。
「起きろ。禪院直毘人」
誰だ、とは言うまい。
儂の部屋に忍び込むことができる人間なんぞ、一人しかおらんわ。
「甚爾か。遂に事を起こすか……しかし最初の標的が儂とは思わなんだ」
「御託はいい。そこに座って話を聞け」
「……聞こう」
言えば、甚爾はゆっくりと後退した。
その行動の意味を考える前に、唐突に人影が現れる。
姿を見せたのは、禪院闘也。
……なるほどな。
瞬間に理解したわ。
これは夜討ちではない。
"交渉"じゃ。
しかも、選択肢は最初から一つしか用意されておらん類のな。
「こんばんは、直毘人さん。知ってる? 甚爾兄ちゃんって無機物扱いだからフロル*1のワープポイント設置できるんだよ? すごくない?」
ああ……こういうやつだったの。
研究熱心だが、なんというか……オタク気質じゃの。
喋り続ける闘也は儂の正面。
甚爾は少し後ろ。
あやつにしては大人しくしとる……いや、もう動いとったわ。
儂の秘蔵の酒瓶が、いつの間にか甚爾の手にある。
あやつめ。
手癖が悪い。
しかし気付いた時には結果だけが転がっておる。
相変わらず、規格外の男じゃ。
「で、用件は何じゃ」
儂がそう言うと、闘也は目をぱちくりとさせて笑った。
立派な身体と不釣り合いな、子供の笑顔でな。
そういう意味では甚爾よりもこちらの方がよほど気味が悪い。
「簡単だよ。僕と、甚爾兄さんの二人で禪院家を出る」
その一言で、部屋の空気が変わった。
なるほど。
てっきり「さっさと当主にならせろ」とでも言うかと思ったが、なかなか予想外じゃの。
「……条件は? 黙って出て行くだけの力はあるのは知っておる」
儂が続きを促すと、闘也は少しだけ視線を泳がせた。
……ああ、やはり。
頭は切れるが交渉慣れはしとらん。
てっきり反対されるとでも思うておったか?
言うだけ言って満足してるようじゃ、まだまだじゃな。
代わりに、甚爾が口を開く。
「追手は要らねぇ」
端的すぎて思わず笑いそうになったわ。
だが笑える内容ではない。
「禪院の忌庫の呪具は持っていく。たけーやつからな」
「人員も殺す気はねぇが……邪魔するなら知らねえ」
「あー、説明ありがとね。甚爾兄ちゃん。高い呪具の件はおいとくとして……ま、だいたいそういうことかな」
ますます笑えん。
儂は闘也を見る。
視線が合う。
……ああ。
こやつ、やるわ。
こやつは義理を通しとるだけ。
それにしてもなんて雑な宣戦布告じゃ。
受ければそこそこの被害。
断れば"禪院家"が更地にされる。
めんどくさい。
なんで儂にこんな話が来るんじゃ……本当にめんどくさいわ。
断られることなど微塵も考えておらん。
そして、それが許されるほどの力を持っておる。
じゃが。
儂も舐められたままでは終われんな。
「……つまり」
儂は扇子を開き、ゆっくりと言葉を選ぶ。
「秘蔵の次期当主候補にむざむざ出奔され、呪具も失う。その禪院家の恥部と災厄を儂に押し付けて」
「お前たちは"何事もなく"消えたい、と」
闘也はにっこりと笑った。
甚爾は獰猛に笑った。
最悪の兄弟じゃな。
無責任過ぎて逆に腹も立たんわ。
「さすが直毘人さん。肝が据わってる」
「扇ならキレ散らかしてるだろうよ」
儂の弟に酷い言いようじゃの。
まあ、その通りだろうが。
「そんなに褒めるな」
「でもさっきの回答はちょっと違うかな」
「ほう」
「押し付けるのは今の当主に、だよ。そして直毘人さんには結構お世話になってるからね……勝手だけどお礼として受け取って欲しいかな」
当主の座をつまらないものみたいに渡そうとするな。
……しかし、現当主の失脚か。
混乱の責任を一手に引き受ける"敵役"としては、確かに当主の首が適任じゃの。
そしてその混乱を収めた者が“次代当主”に自然と収まる、か。
……盤面が、綺麗すぎる。
「雑じゃな。儂が疑われる。じゃが、道理でもある」
「お、乗り気でよかった。安心してよ。怪しまれない程度に直毘人さんもちゃんとボコボコにするから」
無視して扇子を閉じた。
やると言ったらやる奴らだし、これ以上は話しても無駄じゃ。
「決まりだ。禪院家は追手を出さない」
「儂は当主として、荒れ果てた家を泣く泣くまとめる」
「お前たちは禪院家から"亡き者"として扱われる……これでよいな」
「うん。それでいい」
闘也はあっさりと言った。
なるほどな。
名誉も評価も要らん。
ただ、自由が欲しい。
ついでに己の力の証明もしたい、というところか。
甚爾と組んだのはそういうことじゃな。
思いのほか二人とも青い。
じゃが……嫌いではない。
確かにこんな暴れん坊共に禪院の庭は狭かろう。
「条件は飲もう」
「ただし一つだけ」
「"禪院"の名は捨てろ。それが残ると儂がやりにくい。というか、煙たくてしょうがないわ」
その瞬間、闘也は笑う。
「うん。元々そのつもり。だって禪院の奴ら弱いしキモいし古臭いからね。あ、直毘人さんは違うけど」
好かれた結果がこれなら嫌われた方とどちらが良いんかの……まあ、いいか。
「じゃあ決まりだ」
儂は立ち上がった。
「好きに暴れろ」
「儂は寝る。そして明日には当主になる」
甚爾が肩を回す。
本当に珍しいくらい大人しくしとるの。
よほど闘也が気に入ったか?
「話、終わりか?」
「ああ」
そう答えた瞬間、甚爾は姿を消した。
それはそれとして、やっぱり我慢しとったなアイツ。
というか障子を開けっぱなしにするでないぞ。
「早いなぁ……じゃ、僕も行くね。たまには会おうね、直毘人さん」
闘也は障子を丁寧に閉めようとして、止まった。
嫌な予感がするわい。
「ね、直毘人さん。寝るのはストップ。いいこと思いついたから楽しんでいってね」
掌印。
ファイティングポーズのようなソレは、呪術の極地の合図。
足下に影が広がる。
儂らは落ちていく。
闘也の作る世界に取り込まれる。
……まったく。
年寄りに、派手な夜更かしをさせおって。
だが――悪くない。
禪院家は今日で一度死ぬ。
そして儂はその死体の上に立つ。
五条家との確執も、再建に必死になれば一旦は忘れられるじゃろう。
そういえば……五条悟か。
確かに化け物じゃ。
じゃがな。
"もう一体"化物が生まれていたことを、あやつはまだ知らん。
そういう意味では二人の邂逅が楽しみじゃの。
『おーい、ジイさん! オレとスピード勝負しようぜ!!』
気付けば奇抜なレース場のような場所に立っている。
そうして目の前のその存在を認識した瞬間、嫌な汗が背を伝った。
軽快な息遣いをしながら、儂の目の前を往復移動する青い生き物。
……本当に移動なんじゃろうか?
速い、などという生易しい話ではない。
脚が地を蹴ると、既に別の地点にいる。
風切り音は後から来る。
かろうじて視界に残るのは、青い残像だけ。
ふざけた加速。
あり得ない減速。
溜めも無いときたもんじゃ。
初めから終わりまで、常に最高速。
理屈が存在せん。
なんなんじゃこの生き物。
「本当に退屈せんの……闘也のやつめ」
『お、やる気になった? オレはソニック! じゃ、やろーぜ!!』
闘也め、わざわざ儂にこれを当ておったな。
性格が悪い。
実に性格が悪い。
嫌いじゃないがの!!
『いーい勝負だったな!! でもオレの方がずっと速かったぜ!! じゃーな!!』
ソニックとやらが消え、領域も消えていく。
……怪しまれぬためとはいえ、儂の骨をバキボキと折り過ぎじゃろ。
レースと言いつつ普通に拳が飛んできまくっておったぞ。
「領域に屋敷を取り込まんかったのは……あやつの良心か?」
おそらく死者はおるまい。
だが、呪具はバカみたいな量を盗っていったんじゃろうな。
やっぱり嫌いじゃ。
闘也も、甚爾も。