『溜めは何秒あればいいんだ?』
『30秒』
『そうかい。案外短えんだな』
30秒稼げばあとは闘也がなんとかする。
そういう話だった。
笑わせんな。
一瞬で死ぬ世界で、30秒なんて永遠みてえな時間を稼げ?
しかも距離も取れねえ、遮蔽物も無えこんなクソみたいな場所で?
なんつー馬鹿みたいな約束をしちまったんだ。
少し考えちまったその次の瞬間、空が燃えた。
「『ファイガ』」
セフィロスの声と同時、デカ過ぎる火炎が落ちてくる。
全力の横っ飛びを追って爆風が背中を焼く。
地面を滑りながら俺は歯を食いしばった。
セフィロスの手は止まらない。
斬撃と呪文を絶え間なく飛ばしてくる。
……クソが。
剣が振られる。
同時に横から冷気。
「『ブリザガ』」
斬撃を紙一重で躱しつつ、天逆鉾を氷塊に突き立てて散らす。
同時に呪具の持ち手に追撃の斬撃が迫る。
考えるな。
音に反応し続けろ。
天逆鉾を一瞬手放して斬撃を躱し、跳んで移動しつつ回収。
仕切り直し。
呪文は散らせる。
斬撃は辛うじて避けられる。
だが次の瞬間、再び斬撃が来る。
「『サンダガ』」
追撃……こねえ!?
ブラフか!!
呪文に備えて横っ飛びしちまった状態じゃ避けきれねえ。
「ッッ!!」
咄嗟に出した左腕が千切れかける。
深手。
歯を食い縛る。
痛みに構うな。
動くために脚と右腕を守れ。
視界が揺れる。
血が外へ流れていく。
だが止まれねえ。
止まったら死ぬ。
「……ハッ!」
歯を剥いて笑った。
いいじゃねえか。
まだまだ動ける。
生きてる。
だが細かい傷が増えていく。
ジリ貧。
それでも虎視眈々とセフィロスの首を狙う。
油断すれば即刻落とすと全力で迫る。
そうしなきゃ俺から狙いが逸れちまう。
まだなのか!?
弱音が出かけたその時。
背後。
あの融合した式神の呪力が――
異常な密度になっていた。
来る!
セフィロスの視線が初めて俺から逸れた。
させるかよ。
俺は踏み込んだ。
距離をさらに殺す。
密着。
長過ぎる刀が振れない距離。
そして俺の得物の届く距離。
この距離なら――殺せる!!
初めてセフィロスの動きに迷いが生まれた。
遠くの一撃か、近くの俺の呪具か。
その間で一瞬視線が揺れる。
瞬間、式神が突如として目の前に現れる。
『オオオオオオオ!!!!』
雄叫びと共に振りかぶられた拳は虹色に輝く。
その輝きに隠すように、天逆鉾の刃をセフィロスの首に静かに迫らせる。
転移だ。
俺に仕込まれたフロルのワープポイント。
闘也の術だ。
さらに迷うセフィロス。
迫る天逆鉾。
莫大な呪力が込められた式神の拳。
間違いねえ。
どっちかは通る。
殺せる。
勝てる。
アイツの元へ帰れる!
そう思った瞬間。
拳はあっさりと空を切った。
天逆鉾は刀で鮮やかに逸らされた。
「……あり得ねえ」
セフィロスが紙一重で躱していた。
神業。
思わず動きが止まった。
しまった。
そう思った瞬間、式神の腕が飛び、俺の胸を刀が撫でていく。
「ガッ……ハ……!」
急速に力が抜ける。
世界が音を失う。
……終わりか。
戻れないのか?
恵、悪い。
だが次の瞬間。
もう一つの虹が視界の端で閃いた。
闘也だ。
式神と同じ光を纏った、闘也自身の拳。
絶体絶命を乗り越えて、僅かに弛緩したセフィロスの腹に容赦無く突き刺さる。
つんざく爆音。
迸る衝撃。
視界を埋め尽くす光。
銀髪の化物が、
文字通り――爆散していた。
静寂。
帳の中に風だけが残る。
その帳がゆっくりと崩壊していく。
役目を終えたんだ。
調伏の儀が終わった。
生き残った。
俺は膝をついた。
左腕、まだついてるよな?
……はは。
「……やりやがったな」
闘也が振り返る。
少し照れた顔で笑った。
「僕、コピー能力あるんだよね。あと溜めは3秒でいいし、別に雄叫びをあげる必要も無いんだ」
「敵を騙すなら味方から……だよね?」
ああ。
なんてクソ生意気な弟だ。
だが――
最高の弟だよ。
病院の夜は静かだった。
俺と闘也。
でけえ身体の二人が息を潜める。
「『アレイズ』」
声と共に、柔らかい光が妻を包む。
ゆっくりと光が身体へ溶け込んでいく。
「……ん……?」
妻は目を開けた。
自分で身体を起こした。
頬に赤みがさして、目線もはっきりしている。
「……甚爾さん、闘也くん……おはよう?」
「ああ、おはよう」
「おはようございます!」
妻は首を捻っている。
まあそりゃ当然だろうな。
こんな真夜中にでけえ男二人で病室に押しかけられてんだ。
そんで身体の調子も抜群に良いときたもんだ。
呪文のおかげか元気一杯になって眠れねえ妻をなだめながら、色々なことをぶっちゃけた。
呪術のことも。
俺の体質のことも。
闘也とさっきまで何をやってきたのかも。
そしたら拳骨を食らった。
俺も、闘也も。
「勝手に命を懸けるな!!」
「もうしねえよ」
「あはは……反省します」
「でも……!」
妻は言葉を切った。
涙を流して。
シーツを力いっぱい握りしめて。
笑った。
「ありがとう!! 私、生きてる! 本当に、ありがとう……!」
ああ。
生きてるな。
本当に良かったよ。
翌朝。
病院内はにわかに騒がしかった。
ま、あのまま死ぬのが当然って流れだった。
それが今朝になったら元気いっぱいだなんて信じられねえだろうよ。
俺もまだ信じられねえ。
医者に検査してもらうまでは、まだな。
「まだ予断は許しません。ですが、腫瘍は消えていますね」
医者もまた首を捻る。
検査結果を何度も見返して、同じことを言った。
そうして丁寧に丁寧に検査を終えたあと。
医者は笑顔を添えて言った。
「おめでとうございます」
そうかよ。
俺は何も答えなかった。
流石にこいつらには説明する必要はねえ。
理解される話でもねえしな。
銀髪の化け物を倒して手に入れた呪文で治しましたなんて。
おとぎ話だからな。
だけどおとぎ話みてえに、めでたしめでたしだ。
それで良いじゃねえか。
家に戻ると、生活の音が戻ってきた。
フライパンの焼ける音。
水の流れる音。
恵の泣き声。
全部うるせえくらいだ。
だが悪くない。
戯れに撮った妻の後ろ姿を闘也に送信する。
『良いね! 何かあったらすぐ連絡してね!』
ああ。
何かなくても連絡してやるぜ。
全部オマエのおかげだからな。
とある日の夜。
ブローカーから仕事の連絡が入った。
割のいい話だ。
殺しの話だ。
もし、妻を喪っていたら受けていたかもしれねえ。
だから俺は断った。
俺には必要の無いことだし、やる意味も見当たらなかったから。
ま、理由は言わねえ。
言う必要もねえし。
電話を切って家に戻る。
妻はソファで恵を抱いていた。
二人は俺を見ると少しだけ笑った。
それで十分だった。
恵を抱き上げる。
また重くなったな。
温かい。
生きている。
……重さってのは嫌いじゃない。
生きてる感じがする。
俺は普通になる。
今度こそな。
▽▽▽▽▽▽▽▽
砂埃の舞う町だった。
国境近く。
現地の手書きの地図で探さなきゃ名前も出てこないような場所。
僕は安宿の屋上で、ぬるい缶ビールを飲んでいた。
「マッズ」
甚爾兄ちゃんの真似をして飲んでみたものの、全く良さがわからない。
前世でもビールは最後まで美味さがわかんなかったけど、それはどうやら今世でも同じらしい。
昼間は観光して、夜中は術式の研究。
それだけの日々。
なんというか、今の僕は"敢えて何もしていない"んだ。
セフィロスを調伏したことで僕は一段上のステージに登ってしまった。
多分、世界とか救ったりできると思うんだよね。
でもなーんかやる気が出ない。
というか個人が世界を左右できるなんてダメじゃない?
あとは甚爾兄ちゃんを見てるからかな?
力があるからって何かをやらなくちゃいけないってのは違うよねぇ。
なんて思ってたら。
トラブルが向こうからやってきた。
「少年。どんな女がタイプだ?」
金髪グラサン長身美人が変な問いかけをしてきた。
呪力は多い。
呪詛師かな?
「強ければ強いほどいいかな」
「おお……見込みがあるね、キミ」
気に入られてしまった。
金髪グラサン長身美人は勝手に隣に座ってきた。
僕のぬるいビールをちらっと見て、少しだけ顔をしかめる。
「全然飲んでないじゃないか。さてはビール好きじゃないね?」
「うん。真似してみただけ」
「かわいいじゃないか」
そう言って彼女は自分の缶を開けた。
どうやら相席は確定らしい。
まあ、いいけど。
「私は九十九由基。特級呪術師だ」
呪詛師にしては、妙に空気が軽いと思った。
でも特級は驚きだね。
なんの任務でこの国に来たんだろう。
特に強い呪霊がいるとか、厄介な呪詛師が潜伏してるってのはないと思うけどな。
「で、さっきの続き」
九十九さんは長い脚を組んで夜空を見上げた。
「強ければ強いほどいい、ね。恋愛観が呪術師向きだ」
「そう?」
「そうだ。力を対等に扱える相手じゃないと、どちらかが歪む」
「一理はあるかな」
「含みがあるね」
「まあねぇ」
甚爾兄ちゃんと奥さんはどうみても力っていう点では対等じゃないからね。
でも彼らは対等にお互いを想い合ってる。
素敵な関係だよね。
ああ、"呪術師"は別って話なのかな?
まあ僕別に呪術師って感じでもないからわかんなくても当然か。
なんて考えていたら。
「キミさ」
九十九さんは真剣な顔をした。
今度ははっきり僕を見る。
「自分がどれくらい強いか、自覚ある?」
「……まあ、強いとは思ってるよ」
「自己肯定感が高くていいね。でも多分、自覚は足りないかな」
九十九さんってすごい美人だな。
まじまじと顔を見ると余計にそう思う。
「キミは世界のルールを書き換えられる側だよ。陳腐な言葉で言えば"特級"だ」
僕は肩をすくめる。
「でも、だから何かしなきゃってのは違うと思うんだよね」
「お、いいねぇ」
九十九さんは嬉しそうに笑った。
「私もそう思う。個人が世界を救うとか、滅ぼすとか。最悪の思想だ」
「だよね。不健全だと思う」
「うん。人はもっと自由になるべきだ。それこそ……呪力という枷からの脱却なんか理想的だ」
少しだけ、真面目な沈黙。
遠くでクラクションが鳴る。
「……日本にさ」
九十九さんが、何でもないみたいに言った。
「面白いのがいるんだ」
「面白い?」
「五条悟」
その名前を聞いた瞬間、懐かしくなった。
禪院家と五条家の因縁。
そんなのあったねぇ。
「存在してるだけで、呪術世界の平均値を底上げしてる男だ。あれはもう、個人じゃなくて"現象"に近い」
「あれが誕生したから世界が方向性を変えた。そういう存在なんだ」
へぇ。
流石にそれは、ちょっと興味が湧く。
「会ってみたいかい?」
「うーん……」
僕は正直に考える。
もうちょっと前なら最強候補とのバトルも興味津々だったけどね。
とはいえ興味が全く無いと言えば嘘になる。
「話くらいはしてみたいかも」
「だと思った」
九十九さんは立ち上がって屋上の縁に腰掛けた。
「ただし、キミとあいつの相性は最悪だ」
「それはそれで楽しそうだね」
「だろう?」
彼女は振り返って笑った。
「日本、行ってみなよ。ついでに会いたい人もいるだろう」
「その付け加えは余計かなぁ」
「む、なぜだ。仲の良い家族がいるんだろう」
「それ、人質みたいで怖いよ? 九十九さん強いんだから」
「私は事実を話しているだけだよ」
頑固だなぁ。
じゃあ、ちょっとカウンターするか。
「僕、特にリスク無しでデカめの隕石*1とか降らせられるんだけど、どう思う?」
「……確かに事実だろうと言わない方が良いことはあるようだね」
「それがいいよ。あ、これ僕の連絡先。九十九さん面白いからあげる」
「光栄だね。精々、面白い用件を持ってくることにしよう」
それにしても甚爾兄ちゃん一家か。
幸せな光景が頭の中に自然と浮かんだ。
確かに会いたいな。
「ま、私も方々をフラフラしているからさ」
九十九さんはひらひらと手を振る。
「生き急がなくていい。でも、停滞もしすぎないこと」
「年長者からのお節介だ。じゃあね」
そう言い残して彼女は夜の街に消えた。
一人になった屋上で僕はビールをもう一口飲んで、やっぱり眉をしかめる。
どうやら僕の味覚はすでに停滞しているらしい。
「……日本、か」
世界を左右する男。
そして、会いたい家族。
うん。
動く理由としては十分だ。
僕は缶を置き、日本に向かうことにした。
おしまい。