「せんせーい、いらっしゃいますかー?」
私は今、シャーレへと来ていた。というのも、今日初めて当番として先生の業務の補佐をするためだ。
イチカやハスミ先輩から事前にどういうことをするのかを聞いてはいるものの、事務作業については正義実現委員会での報告書作成くらいしか経験がないので先生に教えて貰いながら...と思っていたのだが、いざシャーレへとやってきて執務室の中を覗いてみると、誰の姿も見えなかった。
もしかして不在なのかな?と思いつつも執務室の中へと入っていく。真ん中の机の上に高々と積み上げられた書類を見上げて、思わず息を漏らした。
「うわぁ...これは忙しくなりそうだ。」
元々シャーレが忙しくしているのは噂程度ながら知ってはいたし、先生はそんな素振りは見せなかったが隠しきれていない目の隈が多忙っぷりを物語っていた。
だがここに来て書類の山を見上げてようやく私は実感したのだ。
とはいえ、サボるつもりなんて毛頭なく、むしろ色々とお世話になった先生への恩返しとして最大限頑張ろうという意気込みでいた。
...のだが、先生が不在とあっては業務を進めることもできない。勝手が分からないまま進めるのもいただけない。
ということで先生を探して執務室を歩き回っていると、一際大量の書類に囲まれたデスクの中心に、小さな寝息を立てながら机に突っ伏している大人、つまり先生がいた。
起こすのも申し訳ないかなとは思いつつ、先生が指定した時間はもう過ぎているためこのまま何もせずに待つ訳にもいかないので、私は先生の肩を揺さぶって声をかけた。
「先生、起きてください。朝ですよー。」
「"んえっ...わぁ!ナナ!?どうしてここに...!"」
起き上がって目を擦った先生は私を見るなり驚いて声を上げた。まだ寝ぼけてるのかな。
「どうしても何も、当番です。」
「"え...えっ!もうこんな時間!?ごっ、ごめん!すぐ準備するね!"」
慌ただしく机の上に置かれていた書類を乱雑に端に追いやる先生に苦笑いを浮かべながら、私は先生に話しかけた。
「落ち着いてください、別に急かしてませんから。それにその様子を見るに、昨晩はお風呂に入っていないのでは?下手をすると晩御飯も...」
いつものスーツ姿のまま机で寝ていて、そこに並べられたエナジードリンクの空缶から察した私は先生を問い詰めた。
「"えっと...あはは..."」
苦笑いを浮かべて誤魔化そうとしているのか、言葉を濁した先生に対して私は大袈裟にため息を吐いてみせる。
「はぁ...先生はご飯を食べて、お風呂に入って、眠ってください。やり方はイチカやハスミ先輩にでも聞きながらやります。」
「"いやいや、生徒に任せて自分は休むなんてとても..."」
何を言っているんだコイt...この人は?
「この際どうしてこんなに溜まっているのかは聞きません。この山を見るにそもそもの仕事量が適正には思えませんしね。でも、だからといってあなたが自分を蔑ろにしてまで仕事を進めるとどうなるかわかっていますか?」
「"え、えっと...仕事が進む...かな?"」
「殴ってやろうかな。」
「"え???"」
おっと本音が漏れてしまった。
「ごほん、失礼。
...普通に考えたらわかると思いますが、このままではあなたが倒れて仕事どころではなくなります。しかもそんな状態で進めたところで作業効率なんて雀の涙でしょう。無理をして普段の半分以下の効率で仕事をしてその結果倒れて進捗ゼロ...なんて笑い話にすらなりませんよ。」
「"うぐっ...おっしゃる通りで..."」
「分かったらすぐにでも風呂、飯、就寝!さあ早く!」
「"は、はい!"」
「...はぁ、あの人はほんとに...」
背筋をピンと正して立ち上がった後、慌ただしく執務室を出て行った先生を見送りながら、私はイチカに業務のやり方を聞くためにモモトークを送った。
それからイチカにやり方を聞きながら業務を進めて行く。途中分からなかったものは別に分けて置いている。
『それで先生を休ませたんすか?ナナもやるっすねー。』
「流石に先生が悪いよ。あんなフラフラの顔色が悪い状態で仕事を進めようとなんてするんだから。」
それなりに分からないものもあったため結局イチカと通話を繋いでいた。
もちろん手元は次々と書類への必要事項の書き込みを進めていく。
『まああの人も相当ワーカホリックっすからね。休ませるいい機会っすね。』
「そうなってくれるといいんだけどね。どうせまた徹夜を繰り返すよ。」
『想像つくっすね。あ、そろそろパトロールの時間っす。あとは大丈夫っすか?』
「あ、うん。色々とありがとうね、イチカ。」
『全然。また頼って欲しいっす。それじゃあまた。』
「うん、バイバイ。」
電話を切ってからも作業は続いていく。
やがて書類の山のひとつを切り崩し終わった頃、執務室の扉が開いた。
「"おはようナナ。ありがとう、よく眠れたよ。"」
チラッと時計を見ると13時半。朝8時から考えて、お風呂とご飯に1時間ほど使ったと考えると眠れたのは4時間半くらいか。
睡眠時間としては全然足りていないが、まあここで寝過ぎて昼夜逆転でもしようものなら本末転倒。
一応朝方に寝ていたっぽいし、及第点だろうと思って机の隣に置いてあった書類の塊をまとめて先生の机の方に移した。
「イチカに聞いてみましたが分からなかった書類群です。一応やり方を教えて貰えると助かります。それとこっちが私ができることはやりましたがあとは先生の確認が必要なものになります。」
「"本当に助かるよ、ありがとうナナ。"」
「一応釘は刺しておきますが、また徹夜で進めるなんてことにならないようにお願いしますね。もし終わりそうにないなら遠慮なく他を頼ってください。あなたなら手伝ってくれる生徒は沢山いるでしょうから。...もちろん、私も。」
「"そうかなぁ...でも私は当番よりも自分たちの時間を大事にして欲しいな。やっぱり私は生徒の方が大事だからさ。"」
自分の時間すら満足にとれてない人が何を言っているんだか...
「あんまりそんなことを言っているといつか刺されますよ。」
「"刺される!?なんで!?"」
「というか既に背中をロックオンされてたりして。」
急いで後ろを振り向いて周りを警戒しだした先生に思わず吹き出してしまった。
「冗談ですよ、冗談。...後半は。
とりあえずお昼にしましょうか。あいにく私は料理とかできませんので下のコンビニ飯ですが。
午後はこれら書類の確認からお願いします。」
「"あ、うん。ありがとうね。"」
それからシャーレ1階にあるコンビニでお昼を買って食べた。
店員の子中学生とかか?小さいのに凄いなぁ...
お昼ご飯を手早く済ませた私たちは、早速とばかりに業務に戻っていた。私が分かる書類を次々と記入していき、先生は渡した書類をどんどん確認していく。
効率がいい、とはお世辞にも言えないのだが私はシャーレの当番は初めてなので許して欲しい。次回からはもっと効率的に進められる。
というか今回は先生が自分の体調も考えずに無茶をしていたのも悪いと思う。
いや、それが悪い。ワタシワルクナイ。
「"うん、特に問題なかったよ。ありがとう。"」
「そうですか。それは良かった。」
私が進めた書類を先生が確認し終わる頃には、私も書類の山の3つ目の中腹と言ったところだった。結構慣れてきたかな。
「"書類仕事はほとんど経験がないって言ってたけど、丁寧ないい仕事だったよ。"」
「...それ、誰にでも言ってないですか?」
「"いやいや!ほんとにいい仕事だったから...!"」
焦り方からして誰にでも言ってるんだろうなぁ...
「私も
ほんとに刺されても知りませんよ?」
「"...それ、他の子にも言われたなぁ..."」
あっ、もう手遅れでしたか。それならもう何も言うまい。
それから正義実現委員会での仕事がどうだとか、補習授業部のみんなとどうだとか、いくつか雑談をしながら仕事を進めていくと、やがてシャーレの当番終了の時間がやってきた。
「"ナナ、もう上がっちゃっていいよ。あとはやっておくから。"」
今日の朝に何があったのかをすっかり忘れたらしいこの人はそんなことを言い出した。
「...先生、今日中に終わらせなきゃいけない書類はあとどれ位残ってますか?」
「"ここからここまでだけど..."」
そう言って山を4つ指さす先生。
先生も途中からだったから正確には分からないが、先生がひとりであの山を切り崩し終わるまでだいたい...5~6時間と言ったところか。
それも休憩なしで。つまり終わる頃にはもう日が暮れているということだ。
「"大丈夫だよ!これくらいはいつもやってるし、それよりもナナは自分の時間、を..."」
話しているうちに今朝の出来事を思い出したのか、それとも私の怒気が先生に伝わったのか、先生が声が少しずつ沈んでいった。
私は無言で笑みだけを浮かべて先生を見る。
一方の先生は冷や汗を流して私から視線を逸らしていた。
「今朝、何があったのか。ようやく思い出してくれましたか?」
「"は、はい。ごめんなさい。"」
そう言って縮こまったままの先生に、私はため息を漏らしながら言った。
「はぁ...先生、私は幸い帰ったところでやりたいことがあるわけではありません。...何を言えば良いか分かりますか?」
「"えっと...その...て、手伝ってください...?"」
「よろしい。」
私は再び机に向かいながらそう言った。
生徒に対する思いも大人としての責任も、理解はするけど納得はしない。
ましてや自分を蔑ろにしてまでこの退屈な紙の山を切り崩す作業をするだなんて、心配もする。
これは多分私だけじゃないだろう。
先生の活躍はSNSでかなり広まっている。
先生のことだ。色んなところで生徒を助けて、救っているのだろう。
先生を好意的に思っているどころか、恋心を抱いている生徒もいるだろうことは想像に難くない。
実際私もイチカがいなかったら先生に惚れてたかもしれない。それくらい先生には救われているのだ。
それを全然分かっていないこの大人は、今後も責任がどうだとか言って、ひとりで抱え込むんだろう。
まあその時はその時。今は頼ってくれたということでよしとしておこう。
とりあえず今はこの書類の山を何とか切り崩して、連邦生徒会に苦情でも入れるとしよう。
流石にこの量は多すぎるもんね。当番がいるとはいえ1人に抱え込ませていい量じゃない。
一日の労働時間で終わる量じゃないだろこれ。
それからおよそ2時間と少し。ようやく今日の分の仕事が終わった。
「"本当にありがとうね、ナナ。おかげで今日はゆっくり眠れそうだよ!"」
「やっぱりこの仕事量のせいでまともに睡眠も取れてなかったんじゃないですか。今後は気を付けてくださいね、またひとりで抱え込んで睡眠時間を削ったりだとか、ご飯を抜いたりだとかしないように。」
「"うん、気を付けるよ。"」
ほんとかなぁ...?
まあこの辺のひとりで抱え込む云々は、正直私が言えた話ではないんだけど、それはそれ、これはこれとして棚に上げた。
先生が心配だから言っているだけだしね。
「"もう外も暗くなって来ちゃったな...ナナ、トリニティまで送ろうか?"」
「いえ、大丈夫ですよ。まだ一応日は出ていますし...それに今日の作業が遅れたのは私が原因の一端を担っていますしね。」
私が無理やり先生の午前中を潰すようなことをしなければ今日の分の仕事ももっと早く、なんなら作業時間内で終わったはずだった。
「"いやいや、ナナは私を心配してくれたんでしょ?私がちゃんと寝られてなかったから..."」
「分かってるならいいんです。」
そういえばそうだ。悪いのは先生だった。ワタシワルクナイ。
そんな言い訳を心の中で呟きながら、私がシャーレを後にしたのだった。
数日後、トリニティに用事があって学園を訪ねていたらしい先生を見かけた時、目の下に隈をこしらえていた。
パトロールの準備中での事だったので声はかけなかったが、私は心の中でつぶやいた。
後で説教だな。と。
お久しぶりです。サボっていました。
私ハッピーエンドが好きとか言いつつハッピーになったあとの展開を考えるのが下手くそだということに気が付きまして。曇ってる時の方が筆が進むのなんか屈辱...