転生したら山羊でした〜小さい山羊の奮闘記〜 作:漫画好きのクリオネ
揺れる馬車の中で、僕はじっと目を閉じていた。
ぼろ布一枚だけの服装では、秋の冷たい風が身に染みる。でも、寒さなんてもう慣れっこだ。六年間、ずっとこうだったから。
奴隷商人に買われてから、僕の日常は単純だった。髪を切られて、それを布に織る。また髪が伸びたら切られる。その繰り返し。
『パシュミナ』なんて称号、何の役にも立たない。いや、むしろ呪いだ。この「天使の産毛」とやらのせいで、僕は商品として売買される。今回も、アレッサの貴族に高値で売られることになった。
馬車の中には、僕以外にも何人かの奴隷がいる。その中に、黒い獣人の少女がいた。
黒猫族の女の子。同じくらいの年齢に見える。彼女も、僕と同じような虚ろな目をしていた。
いや、違う。彼女の目には、まだ何かが残っている。諦めきれない何かが。
「......」
彼女と目が合った。僕は小さく会釈する。彼女は少しだけ驚いたような顔をして、それからわずかに頷いた。
それだけの交流。でも、こんな状況で他人と目を合わせられただけでも、少しだけ心が軽くなった気がした。
前世では、アニメやゲームばかりしていた高校生だった僕。事故で死んで、神様に願いを叶えてもらえることになって、大好きだった作品の世界への転生を望んだ。
でも、その世界の記憶は全部消された。今の僕には、前世の一般知識と精神年齢しか残っていない。
この世界が、あの作品の世界なのかどうかすら分からない。
ただ分かるのは、この世界もまた、残酷だということだけ——
「ぐるるるるるっ!」
突然、馬車が激しく揺れた。
外から聞こえてきたのは、人間のものではない、低く唸るような咆哮。
「ま、魔獣だ! ツインヘッド・ベアだ!」
奴隷商人の声が、明らかに怯えていた。
馬車の扉が乱暴に開け放たれる。
「お、お前たち! 降りろ!」
僕たち奴隷は、次々と馬車から引きずり出された。
そして、僕は見た。
二つの首を持つ、巨大な熊。その体躯は、人間など簡単に踏み潰せそうなほど大きい。
「奴隷ども、奴を足止めしろ!」
奴隷商人が叫ぶ。その隙に逃げるつもりなのだろう。
僕の体が、勝手に動き出した。首輪の魔術契約のせいだ。逆らえない。
(ふざけるな......!)
武器も何も持たされていない。つまり、死んで時間を稼げということだ。
他の奴隷たちも、同じように魔獣に向かって歩いていく。
男の奴隷が、真っ先に熊の前足に薙ぎ払われた。
たった一撃で、上半身と下半身が分離する。
血が飛び散った。
「ひっ......!」
僕の体が震える。
(また、だ......また、こんな......!)
村が襲われた時のことを思い出す。
あの時も、こうして理不尽な暴力が降りかかってきた。
僕以外の村人は、全員殺された。
(死にたく、ない......!)
僕は必死に魔力を髪に込めた。
髪が伸びる。硬くなる。体を覆っていく。
岩のように硬い髪の繭。ユニークスキル『岩毛籠り』。
「なんだあれは!?」
誰かの驚きの声が聞こえた。でも、今はそれどころじゃない。
繭の中で、僕は震えながら耐え続けた。
外からは、悲鳴と、肉が裂ける音と、骨が砕ける音が聞こえてくる。
(怖い、怖い、怖い......!)
でも、繭を解くわけにはいかない。解いたら、死ぬ。
どれくらい時間が経っただろう。
気づけば、周囲の音が変わっていた。
「......声?」
誰かの声が聞こえる。女の子の声と、男の人の声。
でも、男の人の声は、どこか不思議な感じがした。
「綺麗な剣」
「ありがとよ! でも、そんな場合じゃないから!」
剣......? 剣が喋ってる?
恐る恐る、繭に小さな隙間を作って外を覗いた。
そこには、あの黒猫族の少女が、美しい剣を握って立っていた。
白く輝く不思議な金属に青い縦線が入った刀身。ロングソードのような形をしている。抑えた色合いの上品な金色の鍔には、勇ましい狼の彫り物と赤い飾り紐。柄には赤と白の組み紐で、格子模様が編み込まれている。
(綺麗な剣......)
そして、彼女の前には——
「やぁ!」
少女が動いた。
その動きは、信じられないほど速く、そして美しかった。
一瞬で魔獣に接近し、心臓を貫く。
巨大な魔獣が、あっけなく倒れた。
「すごい......」
思わず呟いてしまった。
彼女は、僕と同じくらいの年齢の、やせ細った奴隷だったはずなのに。
あんな風に戦えるなんて。
いや、違う。あの剣のおかげなんだろうか。喋る剣......。
少女は剣と何か話している。念話だろうか。
それから、遠くから奴隷商人が走ってきた。
部下らしき小男の姿は見えない。もう死んだのだろう。
「生きてるのは1匹だけか! しかも、ツボが割れてるじゃないか! 大損だぞ。くそ!」
奴隷商人は、死んだ奴隷たちのことなど気にも留めず、壊れた荷物の方を嘆いている。
そして、少女に近づいていった。
「お前がツインヘッド・ベアを倒したのか?」
「はい」
「どうやって......。なんだその剣は?」
「拾った」
「それをこっちによこせ」
「......ん」
「おい、なんだその目は!」
「ごめん、なさい」
「ちっ、ケダモノが。陰気な目つきしやがって」
パシン!
奴隷商人が、少女の頬を平手で叩いた。
「あぅっ」
少女が蹲る。
商人は無理やり剣を奪い取った。
僕は繭の中で、拳を握りしめた。
(ひどい......!)
彼女は魔獣を倒したのに。僕たちを助けてくれたのに。
それなのに、感謝もせずに、暴力を振るうなんて。
「おい、ケダモノ。使える品物を積み込め。そうしたら、町まで出発だ」
少女は痛む体を引きずりながら、立ち上がった。
首輪の契約のせいで、逆らえないんだ。
僕も、同じだ。
(くそ......!)
無力さが、胸に突き刺さる。
その時だった。
「くぺっ?」
奴隷商人が、妙な声を上げた。
次の瞬間、白く輝く剣が勢いよく飛び出して、商人の顔面に突き刺さった。
血飛沫が上がる。
商人の体が、地面に倒れる。
「......え?」
少女も、驚いているようだった。
剣が、浮いている。
そして——
『えーと、これからどうしよう?』
剣が喋った。
少女は、剣の方を見ている。
僕は、恐る恐る繭を解いた。
髪が元の長さに戻っていく。
「あの......」
声をかけると、少女がこちらを振り向いた。
「......生きてた」
「う、うん......僕も、なんとか」
少女は、僕の方に歩いてきた。
「大丈夫?」
「うん。僕は、大丈夫。君は?」
「平気」
そう言って、少女は僕の前にしゃがみ込んだ。
「髪、すごかった」
「あ、ありがとう......。君も、すごかったよ。あの魔獣を、一撃で」
「剣のおかげ」
少女は、浮いている剣の方を見た。
『おう、感謝しろよ?』
剣が喋った。本当に、喋る剣なんだ。
「感謝する」
少女が真面目に答える。
なんだか、少し可笑しくて、僕は思わず笑ってしまった。
「ぷっ......ごめん」
「?」
「ううん、なんでもない。ねえ、君の名前は?」
「......ない」
「名前、ないの?」
「うん」
「そっか......。僕は、モルン」
「モルン」
少女が、僕の名前を繰り返した。
『俺は剣だ。よろしくな、モルン』
「よろしく......剣さん」
なんだか、不思議な出会いだった。
喋る剣と、強い少女。
そして、奴隷商人は死んだ。
「これから、どうしようか」
僕が呟くと、少女は首を傾げた。
「わからない」
『とりあえず、街に行くか? このままここにいても仕方ないし』
「そうだね......。アレッサの街、って言ってたよね」
「うん。そこに行く」
少女は立ち上がって、商人の死体から鍵を取り出した。
そして、自分の首輪を外す。
「これ」
少女が、僕に鍵を差し出してくれた。
「ありがとう」
僕も首輪を外す。
長い間つけていた首輪が外れた瞬間、不思議な開放感があった。
「自由......」
「うん」
少女が、小さく頷いた。
その顔は、相変わらず無表情だったけれど、どこか晴れやかに見えた。
第二話:解放
フランは師匠——名前がついた剣と、何か話している。
念話なのだろう。僕には声が聞こえない。
でも、フランの表情が、ほんの少しずつ変わっていくのが分かった。
無表情だった顔に、わずかな感情が浮かぶ。
「壁を突破する」
フランが口に出して言った。
師匠との会話の一部が、こうして聞こえてくる。
「私は、強くなる。絶対」
その声には、強い意志が込められていた。
僕は黙って聞いていた。
フランは、何か大きな目標を持っているんだ。
それは、きっと僕なんかには想像もつかないような、重いものなのだろう。
「本当?」
フランの声が、少し明るくなった。
「ありがとう」
師匠が、フランに何かを約束したんだろうか。
フランの横顔が、少しだけ嬉しそうに見えた。
それから、名前の話になったようだ。
「ない」
フランが言う。
「奴隷契約をすると、名前がなくなる」
ああ、そうだったんだ。僕も同じだ。
僕には「モルン」という名前があったけれど、それは奴隷になる前の名前。
奴隷商人は、僕を「ヤギ」とか「商品」としか呼ばなかった。
「8歳の時に、奴隷にされて、名前が消された」
フランは、4年も奴隷だったのか。
僕は6年。フランより長い。
でも、フランの方が、ずっと強い。
心が、強い。
「フラン」
フランが、自分の名前を言った。
「私はフラン」
嬉しそうだった。本当に。
名前を取り戻せたことが、そんなに嬉しいんだ。
「師匠」
フランが剣に名前をつけた。
師匠、か。
なんだか、ぴったりだと思った。
「うん」
フランが満足そうに頷く。
僕は、少し離れたところで座っていた。
邪魔をしちゃいけない気がして。
でも——
「モルン」
フランが、僕の名前を呼んだ。
「?」
「こっち」
フランが手招きする。
僕は立ち上がって、フランの隣に行った。
「モルンも、首輪外す」
「え?」
「師匠が外してくれる」
師匠が、外してくれる?
でも、どうやって?
首輪は契約魔術で縛られているはずだ。壊したら死ぬ。
「大丈夫。信じて」
フランがそう言った。
僕は、フランを見た。
彼女の目は、真っ直ぐだった。
「......うん」
信じよう。
フランを、そして師匠を。
『じゃあ、やるぞ。動くなよ』
師匠の声が聞こえた。
フランが師匠を握っている。その師匠の刀身が、僕の首輪に触れた。
(怖い......)
体が震える。
でも、フランが僕の手を握ってくれた。
「大丈夫」
その小さな手の温かさに、少しだけ落ち着いた。
『契約魔術、発動』
師匠が何かをしている。
首輪から、魔力が流れていくのが分かった。
バチ、バチ、と小さな音がする。
何度も、何度も。
そして——
パキン。
首輪が、外れた。
自然に、ぽろりと。
「あ......」
僕は首輪が地面に落ちるのを、ただ見つめていた。
6年間、ずっとつけていた首輪。
それが、今、外れた。
「......っ」
涙が出そうになった。
でも、泣かなかった。
前世が男だったからか、それとも、この6年で涙が枯れてしまったのか。
「これ」
フランが、何かをくれた。
鍵の束と、ズダ袋。
「一緒に分ける」
「......ありがとう、フラン」
僕は初めて、心からお礼を言った。
『さて、これからどうしよう。何かあてはある?』
師匠が聞く。
「町がある」
フランが答えた。
「あっち」
フランが東の方を指差す。
「僕も、一緒に行っていい?」
思わず聞いていた。
フランは、少しだけ驚いたような顔をして、それから頷いた。
「うん。一緒」
『おう、3人で行こうぜ』
師匠も言ってくれた。
なんだか、嬉しかった。
生まれて初めて、仲間ができた気がした。
馬車から使えそうなものを集めた。
フランは奴隷商人が持っていた防具を身につけている。革鎧と、小さな盾。
僕には合うものがなかったので、とりあえず小男が持っていたマントを羽織った。
ぼろ布よりはずっとマシだ。
師匠は、馬車の幌に包まれて、フランの背中に括り付けられている。
「じゃあ、出発」
フランが歩き出す。
僕も続いた。
森の中を進む。
フランの動きは、驚くほど軽やかだった。
さっきまでと、まるで別人みたいだ。
『師匠を装備している効果で、身体能力がかなり強化されてるんだ』
師匠が説明してくれた。
どうやら僕も会話に入れてくれているらしい。
「すごいね、師匠」
『はっはっは。そうだろう』
なんだか楽しそうな声だった。
30分もしないうちに、森を抜けた。
「すごい。師匠すごい」
フランが目を丸くしている。
『まあな。気配遮断のスキルもあるから、魔獣にも会わなかっただろう』
「本当に......こんなに楽に森を抜けられるなんて」
僕も驚いていた。
普通なら、もっと時間がかかるはずだし、魔獣との遭遇も避けられない。
それが、こんなにあっさりと。
師匠の力は、本当にすごいんだ。
森を抜けた場所で、師匠がフランの首輪を外す作業を始めた。
契約魔術を何度も使って、レベルを上げていくらしい。
『レベル7で、契約を上書きできた』
パキン、という音と共に、フランの首輪も外れた。
「......ありがと」
フランが、少しはにかんだような顔をした。
かわいい。
思わずそう思ってしまった。
『さて、これからどうしよう』
「町に行く」
「うん、アレッサって街だよね。奴隷商人が言ってた」
「そう。あっち」
フランが指差す方向は、東。
方向感覚のスキルがあるのだろう。
『じゃあ、そこを目指すか』
こうして、僕たちは歩き出した。
自由になった、3人で。
草原を歩いていると、突然師匠が警告した。
『待て! 魔物の気配だ』
「どこ?」
『前方、100メートル先。数は......5体』
フランが剣を構える。
僕も身構えた。
そして、草むらから飛び出してきたのは——
「ゴブリン......!」
緑色の肌をした、小柄な人型の魔物。
でも、その手には粗末な武器が握られていて、目は獰猛だった。
「フラン、3体頼む。モルンは2体だ。大丈夫か?」
『師匠が聞いてくる。』
「......やる」
僕は覚悟を決めた。
前世では戦闘なんてしたことがなかった。
でも、今は違う。
この世界で生きていくためには、戦わなければならない。
ゴブリンが襲いかかってくる。
僕は魔力を髪に込めた。
髪が伸びる。硬くなる。
『岩毛籠り』
全身を覆うまではいかない。頭と肩を中心に、髪が岩のように硬くなる。
ゴブリンの棍棒が振り下ろされる。
でも、硬くなった髪が防ぐ。
「っ!」
反動で体が揺れる。
でも、大丈夫。
僕は頭を下げて、ゴブリンに突進した。
『頭突き』
ゴン!
硬くなった髪ごと、ゴブリンの腹に頭をぶつける。
ゴブリンが吹き飛ばされた。
そして——
(このまま......!)
体が弾むように跳ね返る。
硬い髪の球体のようになって。
もう一体のゴブリンに向かって、体が飛んでいく。
ゴン!
二体目にもぶつかった。
心の中で、技の名前を呟く。
(『ピンボールアタック』......!)
二体のゴブリンが地面に倒れている。
動かない。
「やった......!」
僕は髪を元に戻した。
少し離れたところでは、フランが3体のゴブリンを鮮やかに倒していた。
「モルン、すごい」
フランが、僕を見て言った。
「え?」
「その技、すごい」
「あ、ありがとう......」
照れくさかった。
『なるほど、髪を硬くして防御しつつ攻撃か。面白い戦法だな』
師匠も褒めてくれた。
「でも、まだ完璧じゃないから......もっと練習する」
「うん。一緒に強くなろう」
フランが、僕の手を取った。
「うん!」
僕は力強く頷いた。
フランと師匠がいれば、僕も強くなれる気がした。
そして、僕も二人の役に立てるかもしれない。
そう思えた。
『よし、じゃあゴブリンを解体して、街に向かうか』
「解体?」
『魔石とか、素材が取れるんだよ。それを売れば金になる』
「なるほど......」
師匠はいろいろ知ってるんだな。
フランが慣れた手つきでゴブリンを解体していく。
解体スキルを持っているらしい。
僕も手伝おうとしたけど、見たことのない作業で、結局見ているだけになってしまった。
「モルンは、次は頑張って」
「う、うん......」
フランが優しく言ってくれた。
なんだか、フランがお姉ちゃんみたいだ。
同い年のはずなのに。
いや、僕は前世を含めれば30歳近いはずなのに。
でも、不思議と嫌じゃなかった。
むしろ、心地よかった。
解体を終えて、僕たちは再び歩き出した。
アレッサの街を目指して。
自由な、3人で。