難易度1000の異世界生活 ――バカ騎士とポンコツ魔法使いに囲まれて―― 作:晴ノ日
「二人とも、遅いわ! 早くしてよ!」
明日の依頼が決まったところで、僕たちは眠りにつく――……わけじゃない。
僕たちは馬小屋を出て、数多くの屋台が並ぶ大通りを歩いていた。
向かう先は、野原にある川。
そこが僕たちのお風呂場だ。
僕たちの住処は馬小屋だから、もちろん風呂なんてない。
普通なら銭湯に行って体を洗うところだけど、僕たちは一文無し。
そんなお金はない。
だから体を洗うとなれば、無料で使える川しか選択肢がなかった。
僕とオオガミは「別に毎日風呂に入らなくてもいい」派なんだけど、うちのワガママお嬢がそれを許してくれない。
まあエナは女の子だし、常に清潔でいたいのは仕方ないと思う。
でも今日は、僕も風呂に入りたい気分だった。
ゴブリンに追いかけ回されて汗臭いし、体もクタクタだ。
早く湯船に浸かりたい。あったかいお湯で癒されたい。
川で風呂なんて、とバカにできない。
拾った壺に水を張って、エナの魔法でお湯を沸かせば、簡易的な露天風呂になる。
周りには誰もいない。夜空も綺麗だ。
落ち着いて体を休めるには、ちょうどいい場所だった。
「あぁ……腹減った」
大柄な体格のわりに、ほんの少ししか食べていないオオガミが、力のない声を漏らした。
空腹に苦しむ僕たちにとって、この大通りはあまりにも誘惑が多い。
通りの奥までずらりと並ぶ屋台からは、肉の香ばしい匂いと、魚を炒める音がしていた。
オオガミはよだれを垂らし、僕とエナは屋台の食材から目を離せずにいた。
「お願いします!」
「ごめんな……お嬢ちゃん」
腹の虫を鳴らしながら歩いていると、ケーキ屋の前で、一人の女の子が店主に必死に懇願しているのが目に入った。
「ちゃんとお小遣い持ってきました! お願いします……!」
「だから無理なんだよ。まいったな……」
何かあったのか気になって、僕たちはケーキ屋に近づいた。
「どうしたんだ? オッサン」
オオガミが声をかけると、店主は困った顔でこちらを見て、ため息まじりに言った。
「ちょっと助けてくれよ」
視線を女の子に向けると、彼女は小さな手をぎゅっと握りしめ、唇を噛んでいる。
必死に涙をこらえているようだった。
……この子、5歳くらいかな?
「おい、チビ助。どうしたんだ?」
オオガミが女の子に声をかけたが、巨体で強面だから、子どもにとって恐怖でしかなかった。
「うえ~ん、怖いよ!」
女の子は即座に泣き出してしまう。
「うおっ! なんで泣いてるんだ? 腹でも痛いのか?」
「あんたの気色悪い顔を見て怖がってるのよ! 私に代わりなさい!」
今度はエナが事情を聞こうと前に出る。
オオガミとは違い、女の子を怖がらせないようにしゃがみ込み、視線を合わせた。
「どうしたのかな?」
「うえ~ん……」
「ママはいないのかな?」
「うわーん!」
穏やかな声で話しかけても、女の子は泣くだけで、理由を話してくれなかった。
まだ小さな子だ。初対面の大人に囲まれたら、怖くて当然だろう。
それでも一向に泣き止まない様子に、エナはついに痺れを切らした。
「いい加減、泣き止みなさい! 女はね、泣きたいときでもそれをぐっと堪えて、強く生きないといけないのよ!」
「ちょっとエナ! そんな言い方したら、余計に泣いちゃうだけだよ!」
エナは女の子の両肩を掴んで説教を始める。
慌てて、僕は止めに入った。
「さて、二人とも。お風呂に行きましょう」
もうどうでもよくなったのか、エナは立ち上がり、その場を離れようとする。
「……僕たち、女の子を泣かせただけなんだけど。関わった以上、ちゃんと話を聞いてあげようよ」
「私はこれからお風呂で忙しいの。めそめそ泣いてるガキに構ってる暇はないの」
悪魔か、お前は。
このままじゃ本当にエナが行ってしまいそうだったので、今度は僕が聞き出すことにした。
とはいえ、本人は泣きじゃくっている状態だ。仕方なく、ケーキ屋の店主に話を聞くことにする。
「何かあったんですか? この子、頭を下げてたみたいですけど」
「あぁ……ケーキは売れねぇって言っても、帰ってくれなくて困ってるんだよ」
「……ちゃんとお小遣い、持ってきたのに」
「え?」
女の子はそう言って、手のひらに握りしめていた小さなコインを見せた。
確かに、この金額ならケーキのワンホールは買えるはずだ。
「オッサン、なんでこの子にケーキを売らねぇんだよ?」
オオガミが睨みつけながら問い詰めると、店主は気まずそうに目を逸らした。
「し、しょうがないだろ! 俺だって売ってやりたいさ! でも、もう売るケーキがねぇんだ!」
店主の言葉どおり、ショーケースの中は空っぽで、ケーキは一つも残っていなかった。
「だったら今から作れ」
「材料がないんだよ!」
「どうにかしろ。お前、ケーキ屋だろ?」
「そんなの無茶な!?」
脅すように無理難題を突きつけるオオガミに、店主は今にも泣き出しそうになっている。
「じゃあ……今から材料を買ってきて、作るっていうのはどうですか? 僕、急いで行ってきます」
僕が提案すると、店主は苦い顔で首を振った。
「いや、ダメだ……もうこんな時間だ。どこも、とっくに閉まっちまってる」
どうしようもない状況だった。
売るケーキもない。作るための材料もない。近くに他のケーキ屋もない。
困り果てた僕と店主を前に、女の子は再び涙をこぼし始めた。
「ごめんね……力になれなくて。でも、明日ならケーキがあると思うよ」
「今日じゃないとダメなの!」
「どうして?」
「だって今日……お母さんの誕生日だから」
「そいつは……困ったね」
「どうしよ……お母さんに、ケーキを買ってくるって約束したのに……」
その言葉に、僕は静かに目を伏せた。
うーん。本当は、あまり自分の力を使いたくないんだけど……。
でも、このまま放っておくのは、さすがに可哀想だ。
覚悟を決めて、僕は微笑んだ。
「そっか。じゃあ、とびっきりおいしいケーキを用意しないとね」
「え?」
僕が優しく肩に手を置いて声をかけると、女の子はきょとんと目を丸くした。
ついでに、店主まで慌て出す。
「ちょっと待て! 材料はないって言っただろ!? どうやって作るんだよ!」
「あんたは黙って見てなさい」
「そうだ。サクに任せとけ」
エナとオオガミにそう言われ、店主は渋々口を閉ざした。
僕は女の子に目線を合わせて聞く。
「ねえ、どんなケーキがいい?」
さっきまで泣いていた顔が、ぱっと明るくなる。
「イチゴがいっぱい乗ってるやつ。お母さん、それ大好きなの!」
「ショートケーキだね。よし、兄ちゃんに任せて」
僕が親指を立てると、店主が呆れたように言った。
「おいおい、一体何をするつもりだよ?」
「僕の力を使います」
「……力?」
「ええ。あんまり自慢できるような力じゃないですけど……それじゃ、さっそく」
「……お兄ちゃん」
女の子が不安そうに、僕を見上げてくる。
そうだ。もうこの子には、僕しか頼れる人がいない。必ず成功させないと。
安心させるように微笑んで、僕はゆっくりと女の子の頭を撫でた。
「ユニークスキル【取引】――イチゴがたくさん乗っているショートケーキ」
巾着から一枚の硬貨を取り出し、親指で弾いて空中へ放つ。
子供と店主が固唾を呑んで見守る中、硬貨は白く輝き始めた。
光の粒が空中に舞い、それらが渦を描くように集まっていく。
まるで何かを紡ぐかのように、少しずつ形を成して――。
「……成立」
一瞬の閃光。
次の瞬間、僕の手のひらの上には、イチゴが山ほど乗った豪華なショートケーキが現れていた。
よし、成功だ。
「わぁ……!」
女の子の目がぱっと輝き、一歩前に出る。
「な……なんだこりゃ。一瞬でケーキができやがった……」
店主は目を疑うように、思わず一歩後ずさった。
「これで、お母さん喜ぶと思うよ」
そう言って、僕はケーキを差し出す。
小さな手で皿を受け取ると、女の子は甘い香りに目を細め、可愛い笑顔を浮かべた。
そして頬を赤くしながら、嬉しそうに小さく呟く。
「……おいしそう」
「すみません。崩れないように、箱に入れてもらえませんか?」
「お、おう……そうだな」
店主は慌ててケーキを箱詰めし、ついでにロウソクまで入れてくれた。
「お嬢ちゃん、落とさないように気をつけろよ」
「うん! お兄ちゃん、ありがとう!」
「どういたしまして。お母さん、いい誕生日になるといいね」
僕がそう言うと、女の子は力強くうなずいた。
「うん! お母さん、きっと喜ぶ! お兄ちゃん、じゃあね!」
大事そうにケーキを抱え、女の子は駆けていく。
「気をつけて帰るんだよ!」
その後ろ姿を見送りながら、僕は軽く手を振った。――と、そこで。
エナがハッとした顔をする。
「あ! ケーキ代、もらってないじゃない! 私、回収してくるわ!」
子供を追いかけようとするエナの腕を、慌てて掴む。
「ちょっとやめてよ! せっかくのいい雰囲気が台無しじゃないか!」
「知らないわよ。あのガキに社会の厳しさを教えてあげないと! こらぁぁぁ! ケーキ代と手数料合わせて、4000ゴールド払えぇぇぇ!」
「なに、子供からぼったくろうとしてるのさ!」
「サクの言うとおりだ。そんなにごちゃごちゃ言ってると、胸だけじゃなくて器まで小さいって言われるぞ」
「胸は関係ないでしょ!」
「ほらエナ。風呂に入るんでしょ? 早く行くよ」
エナが女の子から金をたかる前に、無理やり川のほうへ引きずっていく。
その途中で、ケーキ屋の店主と目が合った。
先ほどの不思議な光景を見ていた彼は、驚いた顔で僕をじっと見つめている。
眉をひそめ、何か言おうとして――言葉を探すように口を閉じた。
そして、ようやく絞り出すように問いかけてくる。
「……一体、あんた何者なんだ?材料もないのに、一瞬でケーキを作るなんて……まさか神様か何かか?」
「そんな大層なものじゃありませんよ。ただの
軽く頭を下げ、僕はオオガミと一緒にエナを運んでいった。
「やめなさい! サク! バカオオガミ!」
「なんで俺だけバカなんだよ!」
「本当のことだからでしょ!?」