ヒアンシーは、ファイノンの永劫回帰を、自分たちにも理解できる痛みへ置き換えてはいけないと悟る。誰もがどこかで限界を設ける中、彼だけは顔も知らない人々を切り捨てず、耐え続けた。その強さを英雄性ではなく、異常な負荷として受け止め直す。
仲間たちも共に背負う方法を幾度となく試したが、同じ場所へは届かなかった。壊滅への答えが見えない今、ヒアンシーは七夕を、ファイノンにも今日を生きて楽しむ時間として渡したいと願う。
彼自身の願いを書く短冊を用意すると約束し、祭りの準備へ戻っていく。
100 光ほどける朝の空
翌日あらゆる想いを抱えながら、わたしは空を見上げました。少し前まで胸の内側を占めていた考えごとは、消えてしまったわけではありません。
ファイノンさまが何を望んでいらっしゃるのか、わたしたちがどのような言葉を届ければよいのか、それとも、今は何も言わない方がよいのか。答えの出ない問いはいくつも残ったまま、大講義場の向こうから開催前の確認を知らせる声が飛んできました。
広げられた布が風を孕んでぱたぱたと鳴り、それを合図にするように視線を持ち上げれば、思考の底へ沈みかけていた意識も自然と今日という時間へ引き戻されていきます。
見上げた先には、どこまでも遮るもののない青がありました。
薄くたなびく雲は、高いところを急ぐでもなく、かといって天空のどこかへ留め置かれるでもなく、朝の風に任せてゆっくりと形を変えながら流れています。
頭上に天井も、光を拒む暗雲も、空を仰ぐ者へ罰を下すために見張っている巨大な瞳も、地上へ影を落としていたあの恐ろしい緊張もありません。ただ、太陽があって、雲があって、風が吹いていて、その向こうには夜になれば星々が姿を現すのだと、今では誰もが知っています。
そんな当たり前のことを、わたしはまだ、ときどき胸の中で確かめずにはいられませんでした。空を見上げてもいい。目を細めて光を追ってもいい。雲の形を眺めながら、今日は雨になるでしょうかと考えてもいいし、鳥の姿を見つけたなら、どの辺りへ巣を作ったのだろうと足を止めてもいい。
天空のタイタン・エーグルの天罰を怖れていた頃には、まじまじと頭上を観察するという行為そのものが、どこか畏れ多く、そして危ういものとして人々の身体へ染みついていましたから。
こうして何の制約もなく首を上へ向けていられることは、何度繰り返してみても不思議なくらい贅沢でした。
かつてのわたしなら、もっと天空の動きを読み取ろうとしていたでしょう。雲の流れ、翼獣の飛び方、吹き下ろす風の温度、遠くで響く羽音、それらの変化を一つずつ拾い上げ、エーグル様の意思と結びつけようとしていたかもしれません。
それは信仰であり、生活の知恵でもありましたけれど、同時に、決して逆らってはいけない空へ身を縮める習慣でもありました。
けれど今の空は、何も命じてきません。そう考えた瞬間、胸の奥へ吸い込んだ空気が少しだけ深くなり、肩に入っていた力が知らず知らず抜けていきました。
命じられないからこそ、こちらから好きなだけ眺めていられるのです。今日は快晴ですね。と笑うことも、あの雲は動物の形に見えます。と誰かへ話しかけることも、夜になったら星を見ましょうと予定を立てることもできます。
空そのものは昔からそこにあったはずなのに、わたしたちがようやく手にした自由は、何か新しい世界が頭上にひらけたような広さを持っていました。
その青を透かすように、視界の下方から薄い翡翠色が重なります。大講義場の中央に根を下ろした若木の
木々の隙間から伸び伸びと育った枝葉は、まだ盛夏の大樹のように濃い影を落とすほどではなく、一枚一枚の葉のあいだには青空がたっぷり残って――それでも、陽が斜めから差し込むたび、薄い葉脈の一本一本まで光が通り抜け、外側から照らされているというより、葉の内側に淡い灯を入れたようにきらめきました。
風が渡ると、その灯が一斉に揺れます。葉と葉が触れ合う音は、まだ若い木らしく軽く、さらさらというよりも、しゃら、しゃら、と乾いた細い響きを含んでいました。
祭りのために整えた飾り布が遠くで翻る音や、準備を続ける人たちの足音と重なっても消えず、耳を澄ませば木そのものが朝の空気へ小さな返事をしているように聞こえてきます。
ここへ植えたばかりの頃には、土の匂いの方が強かったものです。
今も根元へ近づけば、新しく盛られた土の湿り気と、朝露を含んだ草木の青い香りが微かに残っていますが、視線を上げれば、もう「運び込まれた若木」という印象より「ここで育ち始めた木」という方がよく似合います。
根が土地へ馴染むにはまだ時間が必要でしょうし、医療と植物の生育を同列に語るのは少々乱暴ですけれど、それでも、環境を整えて急かさず見守るという意味では、どこか患者さんの療養と似ている気がしました。
早く大きくなってください、と枝を引っ張るわけにはいきません。もっと強くなってください、と根へ無理に栄養を押し込めばよいわけでもありません。
陽が届いているか、水は足りているか、根を傷めるものはないかを確かめながら、その木自身が伸びる時間を待つ。それがいちばんです。
そこまで考えて、わたしは自分の思考がまた別の誰かへ向かいそうになっていることへ気づき、こっそり唇を結びました。
今日は、何を見ても診察へ結びつける日ではありません。いえ、もちろん体調不良の方がいらっしゃれば話は別ですし、ファイノンさまについても経過観察は継続しますけれど。
七夕イベントを開いた本人が若木を見上げながらずっと難しい顔をしていては、これから来てくださる皆さんまで緊張してしまいます。
せめて今日くらいは、楽しんでいただきたい。その「いただきたい」には、ファイノンさまだけでなく、わたしたち全員も含めるべきなのでしょう。
そう考え直して頬へ触れてみれば、思っていたより表情へ力が入っていたらしく、指先の下で筋肉が少し固くなっていました。両の頬を軽くほぐし、息をひとつ吐き出してからもう一度若木を見上げると、枝先を抜けた陽射しがちょうど額へ落ちてきて、目の奥が眩しさにきゅっと細まります。
この木は、今日からたくさんの願いを預かることになります。
まだ正式な開会時間には早いため、色とりどりの短冊で枝が埋まっているわけではありません。けれど、すでに会場の外縁には幾つもの机が並べられ、筆記用の道具、紐、予備の飾り、空白の短冊を入れる箱が、それぞれ担当者の手によって整然と配置されていました。
受付から若木まで人が一度に流れ込まないよう歩く方向も決めてあり、小さなお子さんや足腰に不安のある方が休める椅子も、日射しが強くなった場合に備えた休憩場所も確保されています。
正式な開会はお昼からです。
今はその前段階として、早くから足を運んでくださった方々や、混雑を避けたいご老人、小さなお子さんを連れたご家族、それに準備を手伝ってくださった皆さんを対象にした先行受付を始めるところでした。
同時に、受付から記入、短冊の受け渡し、若木へ結ぶまでの流れに不具合がないかを確かめる、最後の運用確認でもあります。
こうして順番に並べてみると、やることは意外とたくさんあります。願い事を書く催しなのですから、紙と筆を用意して木へ結べば終わりです――などと最初は少し簡単に考えていましたけれど。
実際に人をお招きするとなれば、転倒しやすい場所はないか、導線が交差していないか、座って書きたい方の場所は十分か、文字を書くことが苦手な方には誰が付き添うのか、短冊を自分で結びたい方と高い場所へ結んでほしい方をどう案内するのかと、次々に考えることが増えていきました。
そういう準備を面倒だと思わなかったのは、たぶん医療の仕事と似ていたからでしょう。患者さんを治療する時だって、薬や処置だけで終わるものではありません。
歩ける場所を確保して、休める寝台を整え、必要なものを手の届く位置へ置き、声を上げにくい方が困っていないかを見て、次に何をするのか分からず不安そうな方にはこちらから説明する。人が安心して何かをするためには、その「何か」の外側にある環境が思った以上に大切なのです。
だから受付の机ひとつにも、わたしなりに理由があります。大人の方にはちょうどよい高さでも、小さな子どもには高すぎる机がありましたから、低い台も追加してもらいましたし、筆先から落ちた色で袖を汚してしまわないよう布も多めに敷きました。
願いを誰にも見られたくない方のためには、隣との間隔を少し広く取った席もあります。内容を声に出して尋ねる必要はありませんし、どうしても文字へするのが難しい方だけ、ご本人が望まれた時にお手伝いする予定です。
願いというものは、身体の痛みよりもずっと見えにくいものですから、聞き出すことより、書いても大丈夫な場所を用意することの方がきっと大切です。
そんな受付の上には、アグライア様の仕立て屋で作っていただいた短冊が、朝の光を浴びながら整えられていました。
今はまだ束ねられたままですけれど、オンパロスに存在した各国家都市を思わせる意匠が紙面の端へ織り込まれているため、重なっていても一色には見えません。ここからでは細部までは分からないものの、風が紙の端を少しだけ持ち上げるたび、異なる色が覗いては隠れ、その様子が若木の葉とどこか似て見えました。
今日、この紙に何が書かれるのかは、わたしにも分かりません。大きな夢かもしれませんし、今日の夕食に好きなものを食べたいという願いかもしれません。
誰かの無事を願う人も、自分自身の将来について初めて考えてみる人もいるでしょう。どれが立派で、どれがささやかだなんて、主催者であるわたしが決めることではありません。願いを書いてみようと思えること、その紙を自分の手で持ってここまで来てくれること自体が、今のオンパロスにとって十分すぎるほど大切なのだと思います。
木の向こうから風が吹き抜け、桃色の髪が頬へかかりました。指で耳の後ろへ送ろうとしたところで、その風に紛れて、もっと高い場所から翼の音が聞こえてきます。
最初は一羽だけでした。青空の高いところを、長い翼を広げた鳥がゆっくりと横切っています。羽ばたく回数は少なく、大きな翼へ風を受けて滑るように移動し、若木よりずっと向こうの建物の上を越えていきました。
その姿を追っているうちに、別の小さな影が雲の下から現れ、二羽、三羽と距離を取りながら同じ風へ乗ります。
鳥を眺めることが好きなわたしにとって、そんな光景はつい時間を忘れてしまいそうになるものでした。飛び方だけでも、その日の風がどの程度安定しているのか、おおよそのことは分かります。高いところを一定の姿勢で滑空する鳥が多ければ、上空の流れは穏やかなのでしょうし、小さな鳥たちが頻繁に方向を変えている場所には、建物や地形によって風が複雑に巻いている可能性があります。
以前なら、それをエーグル様の機嫌や天空の兆しと結びつけて読み取っていたこともありました。だけど今は、鳥が飛びたい場所へ飛んでいる、と考えられます。
それだけの違いなのに、見える景色まで変わってしまったようでした。鳥たちは神託を運んでいるのではなく、何かを警告するために円を描いているのでもなく、餌を探しているのかもしれませんし、巣へ戻る途中なのかもしれません。あるいは本当に、風が気持ちいいから飛んでいるだけなのかもしれません。
もちろん本人たちへ聞いてみなければ分かりませんけれど、分からないまま眺めていられることが、今は嬉しいのです。
やがて、もっと遠い上空にペガソースの成獣らしい影も見つけました。太陽を背にした輪郭は白く眩み、翼を大きく打つたびに光が羽根の縁からこぼれます。
以前の天空なら、あれほど広々とした飛行を日常の風景として眺めることなど、どこか現実離れして感じたかもしれません。けれど今では、空が自由になったのなら、その中を生きる獣たちの行動範囲もまた広がるのは当然だと考えられます。
(だって、
わたしたち人間だけが空を見上げられるようになったのではありません。天空に生きてきたものたちも、決められた領域へ身体を押し込める必要がなくなり、翼を伸ばせる場所を自分で選べるようになったのでしょう。もちろん危険が完全になくなったわけではありませんし、幼い個体にはまだ見守りも必要ですけれど。
それでも「飛ばないように守る」のではなく、「飛べるように見守る」ことができるのなら、その方がずっといい――そんなことを考えながら、成獣のペガソースが遠ざかるのを目で追っていると、背後から、ぱた、ぱたぱた、と先ほどまでの雄大な羽音とはずいぶん違う響きが聞こえてきました。
空気をきれいに切り分けるというより、一生懸命に叩いているような音です。一定の間隔で続いたかと思えば、急に二度ほど速くなり、そのあと一拍ぶんだけ静かになる。
鳥を観察する癖で、思わず「姿勢を立て直したのでしょうか」と考えた直後、白い影がわたしの肩越しを横切りました。
低いところを円を描くように回ったその身体は、遠くを飛ぶ成獣たちと比べれば、まだずいぶん小さなものです。翼も立派に生え揃ってはいますが、羽根の付け根には幼い個体らしい柔らかさが残っていて、一度大きく羽ばたくたび、白い産毛のような細い羽毛が朝日に透けました。
「ぷるるっ!」
イカルンです。
こちらへ近づくにつれ、丸みを帯びた身体の輪郭までよく見えるようになります。胸元の毛は朝露を弾いてふわふわと膨らみ、翼を広げた時だけ少しすっきり見えるのに、畳みかければすぐに元のやわらかな形へ戻ってしまいます。
開拓者――グレーたんが二相楽園から持ってきてくれた天外のお菓子の中に、手のひらへ収まるほど丸く、指で押せばもちりと戻りそうな
もちろん、本人へ「お饅頭みたいですね」と言うつもりはありません。翼獣にもそれぞれ体格がありますし、健康な幼獣の丸みは悪いことではありませんから、医療従事者としても不用意なことを言うべきではないでしょう。……ただ、見た目として非常に愛らしいという点についてまで否定する必要はないと思います。
「ぷるる?」
近くまで来たところで、わたしはつい口元を緩めました。けれど、可愛いからという理由だけで観察を終えることはできません。
左右の翼の開きに大きな差はなし。羽ばたきに痛みを庇うような偏りもありません。胸元の毛並みは乱れておらず、朝露で一部が濡れていても身体を冷やしている様子はなし。飛行中の姿勢は幼さゆえに多少忙しないものの、着地を求めて高度を下げ続けているわけでもなく、呼びかけを必要とするような異常も見当たりません。
(つまり、コンディションはばっちりです!)
そこまで確認できてから、ようやくわたしは医師としてではなく、今日の相棒を見る気持ちで肩の力を抜きました。イカルンは治療を助けてくれる助手であり、長く一緒に過ごしてきた仲間でもあります。
人の言葉を喋ることができないからといって、こちらが勝手に何でも代弁してよいわけではありませんし、わたしが考えたことをいつでも理解してくれていると決めつけるのも違います。それでも、翼の動きや視線の向き、鼻先の仕草を見ていれば、長い付き合いのぶんだけ分かることは増えました。
今日は医療のお仕事ではありません。それでも、イカルンにも大切な役目があります。若木の高いところへ願いを届けること。人の手では届きづらい枝へ短冊を運び、無理な背伸びや危険な足場を使わなくても、望んだ高さへ願いを託せるよう手伝うこと。
誰かを治すための翼ではないけれど、誰かがこれからを願うために使う翼なら、きっとイカルンにも似合います。
そう考えたところで、わたしはようやく空から視線を下ろしきりました。若木の周囲では、先行受付を始めるための最終確認が続いています。
紙を揃える人、机を拭く人、椅子の位置を直す人、案内役と手順を確かめている人。まだ正式開会前なので声は控えめですが、会場のあちこちから短いやり取りが重なり、祭りが目を覚ます直前のようなざわめきになっていました。
わたしの手元にも、確認しなければならないことが残っています。空白の短冊の数、筆記具の予備、受付の動線、休憩場所、それからお子さんたちが走り出してしまった場合の安全確保。
高い場所への取り付けを希望される方が増えた場合には、イカルン一頭へ集中させず、ほかのペガソースたちにもお願いする予定ですし、混雑状況によっては受付そのものを一度区切る判断も必要になります。……うう、主催者というのは、思っていたより落ち着かないものですね。
胸元で手を重ねると、鼓動は普段よりほんの少しだけ速いように感じました。体調不良ではありません。準備不足があるのではないかと頭の中で確認項目を何度も往復してしまう、いわゆる本番前の緊張というものなのでしょう。自分でそう判断してから、わたしは小さく息を吸い、ゆっくり吐きました。
患者さんへ「緊張したら呼吸を整えましょうね」とお話ししている身なのですから、こういう時くらい自分でも実践しなければ説得力がありません。
視界の端では、イカルンがまだ楽しそうに白い翼を動かしています。空は晴れて、若木の葉も元気です。風も穏やかで、会場の準備も予定どおり。先行受付を待ってくださっている方々の姿も、少しずつ大講義場の外へ増えてきました。
ここまで準備してくださった皆さんの時間も、グレーたんが教えてくれた天外の風習も、アグライア様が仕立ててくださった短冊も、ファイノンさまが支えてくださっている若木も、どれか一つだけで今日が出来上がったわけではありません。いろいろな人の手から別の人の手へ渡されながら、ようやく、この朝まで辿り着いたのです。
(だからこそ、ここから先は主催者であるわたしがしっかりしなくては……!)
外套の裾を整え、風で頬へ戻ってきた桃色の髪を耳へ掛け直してから、わたしは抱えていた確認用の紙へ最後にもう一度だけ目を通しました。
正式な開会はお昼から。それまでは先行受付を行いながら、実際に人が動いた時の流れを確認する。焦らせない。困っている方を置いていかない。願いの内容へ踏み込みすぎない。そして、何より今日という日を、誰かの「やらなくてはならないこと」にしない。
よし、と声には出さずに頷いて、紙を胸元へ戻します。その時ちょうど、頭上を回っていた白い影がもう一度近くを横切り、ぱたぱたと小さな羽音が耳元へ届きました。
丸い身体の向こうには、薄い翡翠色の若木と、そのさらに上へひらけた青空が重なっています。これからたくさんの願いを預かる木と、そこへ願いを運ぶ小さな翼と、それを迎えるためにここへ立つ自分を順番に見ているうちに、さっきまで胸の底へ残っていた重さとは別の、明るく忙しい緊張がようやく身体へ馴染んできました。
これにて完――であるはずもなく、……ダンジョンRPGの設定はねるねるねるねるしてたのに、なかなかたどり着けないんですけど……あるぇ……?