皆ともう一度冒険する方法を考えるうち、開拓者はいつしか眠りへ落ちていた。
夢に現れたのは、旅の傍らで幾度となく言葉を交わしたキュレネ。その記憶のひとつで、彼女は告げる――オンパロスには無限の可能性があり、訪れるたび皆に会え、出会い方さえ自由なのだと。
過去をそのまま繰り返す必要はない。目覚めた開拓者は、同じ旅を取り戻すのではなく、皆と新しい時間を作るための「新しい出会い方」を、自分たちで生み出せないかと考え始める。
新しい出会い方を、自分たちで作る。そこまで辿り着いたところで、開拓者は再び机の上へ散らばる紙を見回した。
先ほどまでの紙束はオンパロスで過ごした過去を残すためのものだったのに、今はその白い余白が、まだ何も決まっていない未来をこちらへ突き返してくるように見える。何を作るのか。どう作るのか。そもそも「出会い方を作る」とは何なのか。
夢から持ち帰った勢いだけで何とかなるなら、すでに何とかなっている。開拓者は片手で頬を支え、もう一方の指先で机を一定の間隔で叩きながら、頭の中へ浮かんだものを片端から検討した。
皆を列車へ呼ぶ。違う、会う方法としては素晴らしいが、それだけでは新しい冒険をする場所そのものにはならない。オンパロスへ皆で出かける。これも楽しそうだが、新生を待つあの世界で好き勝手に遊び回ってよいのかという問題が残る。それなら別の場所を用意する。
じゃあどこに? 場所を用意するとは? 星をひとつ探す? さすがに規模がおかしい。誰かに怒られそうだし、たぶん最初にヴェルトが眼鏡を押し上げる。
「…………相談しよう」
開拓者は真顔で結論へ達した。自分だけで分からないことを、自分だけで考え続ける理由はない。一人で背負わない道を人には散々勧めておきながら、自分が机へ張り付いて唸り続けるのも何かが違う。
そう決めて顔を上げたところで、開拓者はようやく、ひとつ奇妙なことに気づいた。ラウンジに、人が多いのである。
なのかは窓際のソファで端末と写真を見比べていて。これはいつものこと。向かいでは丹恒が資料を読んでおり、ページを送る指だけが規則正しく動いていた。これは珍しい。でも、いつものように、少し離れたテーブルにはヴェルトが腰掛け、その傍らで姫子がコーヒーを片手に何かのデータを眺めている。
サンデーまでいる。彼は少し離れた席で読み物を開き、白い耳翼の周囲へ落ちる光を揺らすこともなく静かにページを追っていた。パムは車内整備の途中らしく、何か確認するたびに端末へもこもことした小さな指で記録している。
別に、誰かがラウンジにいること自体は珍しくない。しかし、これだけ揃っていることは、それなりに珍しい。そして考えてみれば、ここ数日、妙に誰かしらが近くにいた気がする。
開拓者が夜遅くまで文章と睨み合っていれば、姫子が通りがかることもあれば、気づけばなのかが隣で写真整理を始めることもあった。丹恒も以前より頻繁に資料をラウンジへ持ち出していたような気がする。ヴェルトがここで作業をしている時間も長かったし、サンデーも読書や休息に自室ではなく共有空間を選ぶことが増えていた。
パムに至っては何度か、「まだ起きておるのか」と見回りに来ている。開拓者は皆を順番に眺めた。視線に最初に気づいたのは、なのかだった。
「ん? どうしたの、そんな顔して」
「どんな顔?」
「何か言いたいけど、どう言えばいいか分かんない顔」
どんな顔だ。言われて、開拓者は自分の頬を触った。指先に触れた皮膚はいつも通りで、鏡があるわけでもない以上、自分ではどんな表情を浮かべているのか分からない。けれど、なのかの言い方には、ここ数日ずっと見ていたからこそ分かるものがあるらしかった。
開拓者は無意識に眉間へ寄っていた力を抜き、口元を指でなぞる。もしかすると、考え事をしている時の自分は、思っている以上に分かりやすい顔をしているのかもしれない。
「顔に出てた?」
「最近ずーっと出てたよ?」
「えっ、ずーっと?」
「そう、ずーっと!」
なのかが当然のように頷いた。開拓者は今度は丹恒を見た。丹恒は資料から視線を上げ、ほんの一拍だけ沈黙してから、「気づいていなかったのか」と返した。
「何に」
「自分がここ数日、考え込んだまま食事中にも手を止めていたことに、だ」
「食べてたよ」
「食べてはいたが、途中で何度も止まっていただろう」
「……観測されている」
「同じ列車で生活しているから自然と目に入っただけだ」
開拓者は次にヴェルトへ視線を移した。彼はすでにこちらの様子に気づいていたのか、端末へ表示していた画面を閉じるように指を滑らせ、机の上へ静かに置いた。それから、考えを整理する時の癖なのか、眼鏡の位置を軽く直す。
「無理に聞き出すつもりはなかった。君自身、まだ言葉にできていないようだったからな」
「ええ。だから、話せるようになった時に話せばいいと思っていたの」
姫子がカップをソーサーへ戻す。小さく触れ合った陶器の音が、妙に静かなラウンジへ澄んで響いた。カップの縁から立ちのぼる湯気が、彼女の横顔の前で細く揺れ、その向こうから開拓者を見つめ、急かすことも、答えを促すこともなく、ただ静かに微笑んだ。
「その時に誰もいないのは寂しいでしょう? だから最近は、なるべくここで出来る仕事を持ってくるようにしていたのよ」
開拓者の視線が止まった。姫子の言葉が、胸の奥へ静かに沈んでいく。誰もいない場所で一人きりにならないように、けれど無理に踏み込まないように、皆がそれぞれの形で傍にいてくれたのだ。
それは、開拓者がずっと探していた「新しい出会い方」とは、少し違うものだったけれど、誰かと出会うということは、必ずしも劇的な出来事から始まるわけではない。何気ない時間を共有し、相手が口を開くまで待ち、必要な時には手を差し出せる距離にいる。そういう積み重ねもまた、ひとつの出会い方なのかもしれない。
なのかが頬を緩める。開拓者の表情から、ようやく張り詰めていたものがほどけたのを見て取ったのだろう。
「ウチも! アンタさ、聞いてほしくなった時にわざわざ人を探し回るのも面倒でしょ? だから、そのうち喋るかなーって」
「俺は元々、資料を読む場所が変わっただけだ」
丹恒は淡々と言ったが、それが「自分だけは違う」という意味には聞こえなかった。少なくとも、開拓者には。
「ワタシも似たようなものです」
サンデーが本を閉じる。彼は少しだけ言葉を選ぶように間を置いてから、開拓者へ視線を合わせた。
「アナタが一人で考える時間を必要としているのなら、そこへ踏み込むべきではないと思いました。ですが、話そうと思った時に相手がいない必要もありません。ワタシたちは同じ列車にいるのですから」
「それに、悩み事をしておるからといって生活を疎かにしてよいわけではないぞ」
パムがすかさず付け加えた。
「相談する時は相談する、休む時は休む、ご飯の時はちゃんと食べるんじゃ。乗客の諸君が同じ場所におれば、誰か一人くらいはお前の悩みに対する答えを出せるかもしれんじゃろ?」
開拓者は再び全員を見回した。どうやら待っていてくれたらしい。言えるようになるまで。何があったのかと無理に聞かず、かといって一人きりにもせず、ただ手の届く場所に。
姫子はコーヒーを飲みながら。ヴェルトは作業をしながら。なのかは写真を整理し、丹恒は資料を読み、サンデーも自分の時間を過ごし、パムは車掌の仕事をしながら。何でもない日常の形を保ったまま、開拓者が口を開く瞬間だけを残しておいてくれた。
ぐわっと胸の奥が急にいっぱいになった。感動のあまり、あふれ余る激情の逃し方を知らない開拓者はしばらく真顔で全員を見たあと、低い声で呟く。
「ッスー……ビックラブ……」
「え?」
なのかが聞き返した時には、もう遅かった。開拓者はおもむろに椅子から立ち上がり、そのまま最も近くにいたなのかへ一直線に向かった。
「ちょ、待っ――うわっ!」
両腕で抱き締める。なのかは一瞬だけ身体を仰け反らせたものの、次の瞬間には状況を理解したらしく、開拓者の背中へ腕を回した。
「も~、なんなの急に! びっくりするじゃん!」
「ビックラブ」
「それしか言わないの!?」
「ありがとう」
「……もう! どういたしまして!」
声は抗議しているのに、なのかの腕は離れなかった。数秒してようやく解放すると、開拓者は次へ向かった。丹恒だった。オンパロスでは直接的に要求されたことはあるが、さすがに妙齢の女性にみだりに触れるのは。近づいてくる開拓者を見た時点で、丹恒の眉が僅かに動いた。
「待て」
「ビックラブ」
「待てと言った」
待たなかった。開拓者が正面から抱きつくと、丹恒の身体がほんの僅かに固まる。ぎゅってしてくれないの、と凪いだ表情で見上げてくるいつかの彼女の姿を思い出し、仕方なしに腕を回してやることにした。
「……何をしている」
「感謝の抱擁」
「言葉で十分だ」
「身体表現も追加した」
「追加する必要はない」
そう言いながらも、本気で引き剥がす様子はなかった。開拓者が満足して腕をほどくと、丹恒は一度だけ深く息を吐き、乱れた衣服の襟を整えた。
「相談があるなら聞く。だから落ち着け」
「うん」
そのまま姫子へ向かう。
「あら、私もなの?」
「全員するよ、このラブを表現するには体が一つじゃ足らないんだ」
「そう」
くすくす笑った姫子は逃げなかった。開拓者が抱きつくと、コーヒーカップを安全な距離へ置いてから、片腕を背へ回して軽く叩いてくれる。髪から微かに漂う香りと、淹れたてのコーヒーの香ばしさが近づいた。
「一人で答えを出してからでないと相談できない、なんて決まりはないのよ」
「うん」
「でも、そこまで悩んだからこそ分かったこともあるのでしょう?」
「うん」
「なら、それを聞かせてちょうだいね」
開拓者は頷き、次へ進んだ。ヴェルトは既に眼鏡の奥からこちらを見ていた。
「俺もか?」
「当然」
「そうか……」
諦めが早かった。抱きついた瞬間だけ杖を持つ手が僅かに浮いたものの、ヴェルトはすぐ姿勢を安定させ、空いている手で開拓者の肩を軽く叩いた。
「元気が戻ったようで何よりだ」
「悩みはまだある」
「なら、今度は皆で悩めばいい」
「ビックラブ」
「……それは、どういう分類の言葉なんだ?」
「最大級の感謝」
「そうか。なら、ありがたく受け取っておこう」
口元が僅かに緩んでいた。
次はサンデー。開拓者が向きを変えた瞬間、サンデーは何かを察したように瞬きをした。逃げることはしなかったが、腕を広げて迎えるわけでもない。開拓者がそのまま抱きつくと、端正な姿勢が一瞬だけ停止した。
「……なるほど。これが、アナタなりの謝意の表現ですか」
「ビックラブだよ」
「先ほどから聞こえていました」
「もちろん、デーさんにもあるよ。ほら」
「そ、それは光栄です……?」
少し遅れて、彼の手が開拓者の背へ触れた。力を込めて抱き返すというより、そこにいてよいと伝える程度の静かな接触だった。
「ですが、次回は予告があると助かります」
「善処する」
「その返答には、あまり期待しない方がよさそうですね」
わずかに笑われた。その笑みは、からかうようでいて、どこか柔らかかった。開拓者が予告なしに抱きついてくることを、もう完全に諦めて受け入れているらしい。
それは、どこか年下の弟妹に振り回されてくれる兄の気質を感じさせる振る舞いであったが、ひとりっこであり、末っ子である彼女には分からなかった。開拓者は腕をほどくと、満足そうに一度頷いた。
ラウンジにいる全員へ感謝を伝えるなら、最後に残るのはパムだ。車掌として忙しく動き回り、誰よりも細かく皆の様子を見ている。開拓者が食事を抜こうとすれば叱り、夜更かしをすれば見回りに来て、何も言わずにいる時でさえ、きっと一番早く異変に気づいていた。だからこそ、最後にする。
開拓者はゆっくりとパムへ向き直った。パムは、こちらの視線を受けた瞬間に、手元の端末を閉じた。もこもことした小さな指が、端末の縁をきゅっと掴む。
「待つんじゃ」
「パム」
「その目は何じゃ。オレは車掌じゃぞ。今は勤務中――」
「うっ、ビックラブ……!」
「わっ、こ、こら!」
屈んで抱き上げるように腕を回すと、柔らかな毛並みが頬へ触れた。思った以上にふかふかで、開拓者は無意識に頬を埋める。
「ふかふかだね」
「毛並みを乱すでない! 帽子にも気を付けるんじゃ! お、おい、聞いておるのか開拓者!」
「聞いてる聞いてる」
「なら離すんじゃ!」
「ありがとう、パム」
その言葉で腕の中でじたばたしていた動きが、ほんの一瞬止まった。
「……まったく。分かったならよいんじゃ。じゃから、次からは一人で机と睨み合ってないで、ちゃんと話すんじゃぞ」
「うん」
「それと毛並みを直すんじゃ」
「はい」
一通り抱きつき回ってから席へ戻った開拓者は、不思議なくらい頭が軽くなっていることに気づいた。問題そのものは何も解決していない。それでも、自分以外の誰かが同じ机を囲んでいるだけで、さっきまで形のなかった考えを口へ出してもいい気がしてくる。
なのかが身を乗り出した。ソファの背へ預けていた身体を勢いよく起こし、端末を膝の上へ置く。写真整理の途中だった画面はそのままになっていたが、今や彼女の意識は完全に開拓者へ向いていた。
「で? 何をそんなに悩んでたの?」
「ちょっと長くなるかも」
「いいよ。今まで待ってたんだから。」
「……――うん、私、オンパロスのみんなに会いたいんだ」
誰も言葉を挟まなかった。開拓者の声が途切れても、急かすような相槌も、驚きを示す声もない。ただ、それぞれが静かにこちらを見ていた。なのかは膝の上の端末から手を離し、丹恒は開いた資料へ視線を落とすことなく、ヴェルトと姫子も口を挟まずに次の言葉を待っている。サンデーは閉じた本へ指を添えたまま、パムでさえ端末を操作する手を止めていた。
その沈黙は、否定でも困惑でもなかった。開拓者が自分の言葉を探し、最後まで話し終えるための余白だった。誰も先回りして答えを出そうとはしない。ただ、ここにいると伝えるように、静かに耳を傾けている。その沈黙に背中を押されるように、ゆっくりと息を吸った。
「でも、会うだけじゃ足りなかった。また一緒に冒険したい。でも、前と同じことを繰り返したいわけじゃないんだ。違う場所でもいいし、違うことが起きてもいい。むしろ、その方がいい」
言葉にしてみると、頭の中で考えていた時よりも拙いものだった。それでも、皆の視線は逸れなかった。
「それで……キュレネが前に言ってたことを思い出したんだ。出会い方だって自由なんだって。だから、前と同じところに戻るんじゃなくて、新しい出会い方を作れないかなって思って」
「作るって、何を?」
「……分からない」
「なるほど。それで悩んでいたのか」
ヴェルトが静かに頷く。開拓者は続けた。
「場所かもしれない。何か仕組みかもしれない。皆が来られて、そこで一緒に歩けて、自分で好きなことを選べるような……」
「待って待って」
なのかが片手を上げた。開拓者は口を閉じる。なのかは少し眉を寄せ、今まで聞いた言葉を頭の中で繋ぎ合わせるように視線を動かしたあと、ぱっと顔を上げた。
「それってオンパロスのこと?」
「……うん」
「やっぱり! 最近ずっと本と睨めっこしてるし、書いてるのもオンパロスのことだし、絶対そうだと思った!」
「分かりやすかった?」
「結構」
「かなりだ」
丹恒が即答した。
「そんなに?」
「君が思っているよりはな」
ヴェルトまで加わり、開拓者は少しだけ口を尖らせた。
「隠してたわけじゃないよ」
「だから誰も問い詰めなかったのでしょう」
サンデーが穏やかに言う。
「今の話を聞く限り、アナタが求めているのは過去の再現ではない。オンパロスで出会った人々が、それぞれの意思で新しい選択をできる場所――そして、アナタ自身もそこへ参加できる形、ということでしょうか」
開拓者は何度か瞬いた。頭の中でぼんやりと浮かんでいたものを、まるで自分の代わりに言葉へしてもらったような気がした。場所でも、仕組みでも、単なる再現でもない。自分が欲しかったものの輪郭が、サンデーの言葉によって初めてはっきりと見えたのだ。
「……たぶん、それ」
「なら、少なくとも一つは決まりましたね」
「何が?」
「何を作らないか、です。過去を寸分違わず再演するための舞台ではない。それだけでも、考える範囲はかなり変わります」
サンデーの指が閉じた本の表紙へ静かに触れた。先ほどまでそこにあった物語の余韻を確かめるような仕草だったが、彼の視線はもう本の中にはない。開拓者の言葉が示した、まだ形のない未来へ向けられている。彼の言葉は、開拓者の中にあった曖昧な境界線を、静かに引き直してくれた。
再現ではなく、再会。決められた筋書きではなく、そこから先へ続いていく可能性。オンパロスで過ごした時間を保存するのではなく、あの場所で出会った人々と、まだ知らない時間を新しく積み重ねるためのもの。
開拓者は紙の上へ視線を落とした。白い余白は相変わらず広く、何を書けばいいのかを教えてはくれない。それでも、先ほどまでのように何もないわけではなかった。作らないものが決まれば、作りたいものの輪郭も少しずつ見えてくる。「うん、」と開拓者は頷いた。
ヴェルトが腕を組む。彼はサンデーの言葉を受け止めるように一度目を伏せ、それから机の上の紙へ視線を移した。そこにはまだ、開拓者が書き留めた断片的な言葉しかない。けれど、断片だからこそ、これから整理できる余地が残されている。
「では、もう少し整理しよう。手段から考えると迷いやすい。君は、どんなものにしたいんだ?」
「どんなもの?」
「そうだ。場所なのか、仕組みなのかという話ではない。そこで何ができれば、君は『作った意味があった』と思える?」
開拓者は考えた。今度は、一人で机へ向かっていた時とは違う。分からなくなれば、目の前に問いを返してくれる人がいる。
「……一緒に歩ける」
「他には?」
「寄り道できる」
なのかが笑った。
「アンタらしいね」
「失敗してもいい」
開拓者は続ける。
「誰かが決めた通りに動くだけじゃなくて、本人がやりたいことを選べる。私が『こうしてほしい』って決めて、その通りの皆を置くんじゃなくて……本人たちと一緒に、新しいことが起きる場所がいい」
言い終えてから、開拓者は自分でも少し驚いた。これまで胸の中で形を持たなかったものが、言葉へ変わっている。ヴェルトは暫く黙り、頭の中で条件を並べるように視線を落とした。
「なるほど。だとすると、必要なのは景色を再現するだけの環境ではないな。参加する者が行動を選び、その結果が変化として返ってくる仕組みがいる。規模をどこまで取るかでも必要な演算量や設計は大きく変わるだろう」
「えんざんりょう」
「小さな空間を一つ作るのと、一つの都市を作るのでは違う。そこへ人を増やせば通信や管理も必要になる。誰が利用するのか、どの程度自由に動けるのか、安全面をどうするか……考えるべきことは多い」
開拓者の頭の中へ、突然たくさんの項目が降ってきた。
「……むずかしい」
「今すべて決める必要はない。というよりも、むしろ今は、決めない方がいい。君が本当に欲しいものが見えなくなるだろうからな」
「ヴェルトの言う通りね」
姫子が頷き、カップへ残ったコーヒーを一口飲んだ。
「技術から入れば、『できること』へ考え方を引っ張られてしまうもの。まずは『何をしたいか』を決めて、それから実現方法を探しましょう」
「作れそう?」
開拓者が尋ねると、姫子は少しだけ考えるように視線を上げた。
「内容次第ね。でも、仮想環境や大規模な演算についてなら、相談できそうな人には心当たりがあるわ。マダム・ヘルタやスクリューガムなら、少なくとも『できる』『できない』を判断する材料は持っているでしょう」
聞き覚えどころではない名前だった。
「つ、強い――ッ!」
「人選を戦闘力みたいに評価するな」
丹恒が静かに突っ込むと、なのかが噴き出し、姫子も口元へ手を添えて笑った。ラウンジの空気が少し軽くなったところで、丹恒は笑いが落ち着くのを待ち、改めて開拓者へ視線を戻した。
「ただ、相談する前に最低限の説明はできた方がいい」
「今のじゃ駄目?」
「最初よりはいい」
「最初は?」
「『新しい出会い方を作りたい。でも何を作るかは分からない』だった」
「……うーん」
「だから今、整理しているんだろう。先に結論を決める必要はない。目的を言葉にできれば、手段については詳しい人間に聞けばいい」
丹恒の声はいつも通りだった。けれど、その言葉に背中を押されるように、開拓者は机に置かれた紙へ目を落とした。そこには、先ほどまで何を書けばいいのか分からなかった白紙がある。今なら、少しだけ書ける気がした。開拓者は筆記具を手に取り、一番上へゆっくり文字を書いた。
『やりたいこと』
その下で、一度手を止めた。皆と会う? それだけではない。『オンパロスのみんなと、新しい冒険をする』 次。『過去をそのまま繰り返さない』 もう一つ。『本人たちが、自分で選べる』 さらに少し迷ってから、『一緒に新しい思い出を作れる』と書いた。
なのかが横から覗き込む。
「おお~。急に企画書っぽくなってきた」
「企画書?」
「まだメモだろう」
丹恒が訂正する。
「種、くらいじゃないかしら」
姫子が言った。種。確かに、まだ何になるかは分からない。どういう形で芽を出すのかも、どれほど大きく育つのかも分からない。実現できる保証すらない。
けれど、一人で考えていた時の「できたらいいな」は、もう少しだけ輪郭を持っている。皆に説明できた。何が欲しいのかを問われて、答えることもできた。そして、作れるかもしれないものについて、一緒に考えてくれる人がいる。それだけで、白紙だった未来に、最初の一筆が入ったような気がした。
「なんか……できそうな気がしてきた」
「そこまで言えるなら、相談した甲斐はあったな」
ヴェルトが眼鏡の奥で目を細める。
「ただし、まだ入口だ。規模も方法も何も決まっていない」
「分かってる」
「本当に?」
なのかが疑わしそうに覗き込む。
「三割くらい」
「全然分かってないじゃん!」
「残り七割はこれから理解する」
「前向きなのか雑なのか分かんないよ!」
賑やかな声を聞きながら、開拓者は紙をもう一度見下ろした。先ほどまで自分の頭の中だけを巡っていた願いは、皆との対話を経て、少しずつ言葉と形を得ている。
皆ともう一度、新しい冒険をしたい。新しい出会い方を作りたい。そのために、皆が自分の意思で動き、まだ知らない出来事を選べる何かを作る。答えも、方法も、まだ決まっていない。それでも、もう一人だけの空想ではなかった。机の上には、いつか形になるかもしれない小さな種が、確かに残されている。
開拓者は筆記具を置き、周囲を見回した。なのか、丹恒、姫子、ヴェルト、サンデー、パム。みんながいる。机の上に生まれたばかりの小さな種を囲むように。
「ありがとう」
なのかの笑い声が弾け、姫子は楽しそうにカップを持ち上げ、ヴェルトは困ったように口元を緩める。サンデーも小さく息を漏らし、パムだけが「ラウンジで騒ぎすぎるでないぞ」と車掌らしく声を張った。
開拓者はその音の中で、もう一度紙へ目を落とした。答えはまだないけれど、一人で答えを探す必要も、もうなかった。
書き込まれた数行は、まだ世界にも、場所にも、仕組みにもなっていない。それでも、いつか何かへ育つかもしれない最初の形として、そこに確かに残っていた。