皆の未来を楽しそうに語りながら、自分がそこで何をしたいかだけは語らないファイノン。小さな違和感を覚えた開拓者は、近くで彼を見てきたヒアンシーへそっと尋ねる。そこで返ってきたのは、思いがけない「七夕」という言葉だった。
かつて開拓者が教え、オンパロスで願いを短冊へ綴る行事として実践された外惑星の文化。原因までは分からない――けれど、ファイノンがどこかぼんやりした調子を見せ始めたのは、どうやらあの七夕のあとからだった。
宝箱の中へ何を入れるかという議論が、いつの間にか「見つけた時に嬉しいものとは何か」という妙に根源的な話へ膨らみ始めても、開拓者の意識の一部は、先ほどヒアンシーから聞いた言葉へ引っかかったままだった。
なんでも、ヒアンシーを筆頭とする神悟の樹庭組曰く、七夕のあとから、ファイノンの様子が少しだけ変わったらしいと言うのである。
原因が分かったわけではないし、短冊へ願いを書いたことが直接関係していると決まったわけでもない。それでも、皆が「自分なら何をしたいか」と《オンパロス・オンライン》の未来へ次々に踏み込んでいるこの場で、彼だけが自分自身の遊び方を語らなかったことと、あの七夕という行事が、開拓者の頭の中でどうしても離れなくなっていた。
サフェルとケリュドラの議論へ一通り意見を返し、宝箱の中身については「実用品だけだと夢が足りないから、たまに用途不明の妙なものも混ぜよう」という。技術者側から見れば何の仕様にもなっていない結論へ落ち着いた頃、開拓者は端末を胸の前へ抱え直した。
少し離れたところでは、ファイノンがキャストリスの話を聞いている。キャストリスが花畑の近くへ小さな東屋を置けたら嬉しいと話すと、ファイノンは穏やかに頷き、風の強い日でも休める形がいいかもしれないと答えていた。その声は普段通りで、返事が遅れているわけでもなく、表情にも不自然な硬さは見当たらない。
だからこそ、開拓者はもう一度ヒアンシーの方へ視線を向けた。彼女はちょうどキャストリスから離れたところで、自分の端末へ何かを書き込んでいる。
先ほどは七夕以降だという時系列だけを聞いて話を切り上げたが、今になってみると、ヒアンシーが言った「ぼんやりとした調子」が具体的にどんなものなのか、もう少しだけ知りたくなった。
「ヒアンシー、さっきの話なんだけど、もうちょっとだけ聞いてもいいかな。ファイノンがぼんやりしてるって、具体的にはどんな感じなの?」
開拓者が今度は先ほどほど声を潜めず、けれど周囲へ聞かせるほどでもない音量で尋ねると、ヒアンシーは記録していた手を止めた。
「そうですね……とても分かりやすく具合が悪くなった、と言えるような変化ではないんです。もしそうでしたら、わたしももっと早く診察へ連れていっていますし、アナイクス先生たちにも相談していましたから。」
ヒアンシーはファイノンへ目を向け、開拓者もその視線を追った。
「ただ、……以前よりぼうっとしている時間が増えたようには感じます。誰かと話している時ではなくて、一人になった時や、会話が途切れた時に、何かを考えているというより……遠くを見たまま、そのまま動かなくなってしまうことがあるんです。」
「呼んでも反応しないとか、そういう感じではないんだよね?」
「はい。お名前を呼べばちゃんとこちらを向いてくださいますし、何かお願いをすればいつものように返事もしてくださいます。会話がおかしくなるわけでもありませんし、ご本人へ『大丈夫ですか?』と聞けば、普通に『大丈夫だよ』と答えてくださるので……余計に、はっきりした異常とは言いにくくて……。」
開拓者はその説明を聞きながら、またファイノンの姿を見た。
ちょうどモーディスから何か声をかけられたらしく、ファイノンはすぐにそちらへ顔を向けている。何か冗談めいたことを返したのか、モーディスが僅かに眉を上げ、その後で二人とも自然に会話へ戻った。
ヒアンシーの言う通りだった。呼ばれれば戻ってくるし、話しかければ話す。笑う時には笑うし、相手が困っていれば助けるし、先ほどだって《オンパロス・オンライン》そのものへきちんと興味を示していた。明確に変だと言えるものが、どこにもない。
「……それって、本人もあんまり気づいてないのかな。『最近ぼーっとしてるよ』って言ったら、普通に『そうかな』って返ってきそうな感じ?」
「たぶん、そうだと思います。少なくとも、ファイノン様ご自身から『最近調子がおかしい』と相談されたことはありませんし、こちらから声をかけた時には、いつものファイノン様へ戻っていらっしゃるんです。」
ヒアンシーの言葉を聞いて、開拓者は眉間へ僅かに力を入れた。戻ってくる、という言い方が妙に引っかかった。
どこかへ行っているわけではない。目の前にいるし、手を伸ばせば届く場所にいて、呼べばこちらを見る。それなのに、声をかける前だけ、ほんの少し遠くへ置き忘れられているように見える。先ほど自分が感じた「遠い」という感覚と、よく似ていた。
「……七夕の前は、そういうのなかった?」
「全くなかった、とまでは言い切れません。ファイノン様も考え事をなさることはありますし、お疲れになることだってありますから。でも、わたしが『あれ?』と思うくらい回数が増えたのは、やっぱりあの行事のあとだと思います。」
開拓者は端末を抱える腕へ、僅かに力を込めた。七夕、短冊、願いを書く――その三つを頭の中で並べると、先ほどまで別々に見えていた違和感が、少しずつ同じ輪郭へ寄ってくる。
もちろん、まだ答えではない。ファイノンが短冊へ何を書いたのか、そもそも書いたのかさえ開拓者は知らず、七夕の日に彼が何を考えていたのかも聞いていなかった。ただ、今日の会話なら覚えている。
『へえ、なんだか面白そうな試みだね。』
ファイノンはそう言った。あの時、開拓者は言葉の響きだけを聞いて、どこか他人事のようだと感じた。けれど今になって思い返すと、他人事という表現も少し違う気がした。
彼は本気で興味を持っていた。ヒアンシーの病院にも、キャストリスの花畑にも、サフェルの宝箱にも、モーディスの鍛錬にも関心を示し、それらが実現する未来を楽しそうだと評価していた。問題は、興味の向きではない。その景色の中へ、自分を置いていなかったことだろうか。
開拓者は、そこまで考えたところで思わず顔を上げた。ファイノンは今、ケリュドラが広げた城の見取り図を皆と覗き込んでいる。セイレンスが何か説明しているらしく、彼は時折頷きながら、ここは街の人も通れるようにした方が良さそうだとか、見晴らしがいいなら休憩所にしてもよさそうだとか、自然に意見を挟んでいた。
やはり、世界の未来は見ている。皆がそこで何をするかも考えている。それなのに――、それなのに、どうして……。
「……あ。」
開拓者の口から漏れた声に、ヒアンシーがこちらを向いた。
「どうされました?」
「いや、まだ分かんないんだけど……なんとなく、さっき引っかかったところが見えてきたかもしれない。」
開拓者はファイノンから視線を外さず、ゆっくり言葉を選んだ。
「みんなはさ、《オンパロス・オンライン》の話をしたら、『自分はこれをしたい』って言ってたでしょ。ヒアンシーは病院を作りたいし、キャスたんは花を育てたいし、サフェルは宝箱を隠したいし、モーディスは鍛錬したい。」
「はい。それぞれ、ずいぶん具体的になってきましたね。」
「でも、ファイノンは違ったんだよね。」
そこで開拓者は、一度だけ言葉を止めた。違う、と断定するにはまだ弱い。けれど、比較してみると確かに差がある。
「ファイノンは、『この世界で自分が何をしたいか』じゃなくて、『この世界がみんなにとって面白そうか』を考えてた。私が何したいって聞いても、ヒアンシーの病院とか、キャスたんの花畑とか、サフェルの宝箱の話になった。」
ヒアンシーはすぐに返事をしなかった。驚いているというより、開拓者の言葉を一つずつ確かめるように、ゆっくりファイノンへ視線を移した。
「……確かに、そうですね。」
その声は小さかった。
「少なくとも、先ほどのファイノン様は、ご自身が何をなさりたいかというお話をされていませんでした。」
「うん。でも別に、遊びたくないって言ったわけじゃないんだよね。それどころか、みんなが楽しそうで本当に嬉しそうだった。」
だからこそ、開拓者は余計に困っていた。もしファイノンが企画に否定的なら、理由を聞けばいい。ゲームというものに興味がないなら、それも本人の好みとして尊重すればいい。まだ遊び方が思いつかないだけなら、完成までに一緒に探せばいい。
けれど、今のファイノンはそのどれとも少し違って見える。皆が楽しめることを喜んでいる。世界が未来へ続いていくことを喜んでいる。自分がいなくても成立する形で、その未来を自然に眺めているように見える。開拓者はそこまで考え、胸の奥が少しだけ冷えるのを感じた。
しかし、すぐにその感覚へ結論を与えることはしなかった。ファイノンが何を考えているか、本人から聞いていない。自分を未来から外しているのかもしれないというのも、今のところは開拓者が会話の違いから拾っただけの可能性だ。
それをいきなり「ファイノンは未来へ行く気がない」などという大きな言葉へ変えれば、それこそ本人を見ずに物語を決めることになる。
「……でも、ちょっと変だよね。」
開拓者は、端末の画面へ視線を落とした。そこには銀狼から送られてきた仮画像がまだ残っている。
何もない草原。仮置きされた街。顔も服も決まっていない、何人かの人影。ほんの少し前まで、開拓者はその人影へ黄金裔たちを当てはめ、誰がどこを歩くか考えるだけで楽しくて仕方がなかった。
その中には、当然ファイノンもいた。開拓者にとって「みんな」という言葉へ、彼を入れない理由など最初から一つもなかった。最初にこの世界を作りたいと思った時からそうだ。
またみんなと冒険したい。その「みんな」の中には、ヒアンシーも、キャストリスも、アグライアも、サフェルも、アナイクスも、モーディスも、そしてファイノンもいた。自分自身だって、そこへ当然入っている。自分がみんなと遊びたいから作るのだ。
だからこそ、開拓者には理解できなかった。どうしてファイノンの「みんな」には、ファイノン自身が見えないのか。
「七夕って、願いを書く行事だったんだよね。」
開拓者がぽつりと確認すると、ヒアンシーは頷いた。
「はい。叶えたいことや、これから訪れてほしい未来を、皆さんそれぞれの言葉で短冊へ綴っていただきました。」
「それで今は、みんながゲームの中で何したいか考えてる。」
「……そうですね。」
似ている、と開拓者は思った。短冊へ願いを書くことも、まだ存在しない世界で何をしたいか考えることも、どちらも自分を少し先の未来へ置いてみなければ生まれない言葉なのかもしれない。
その考えが正しいかは分からない。けれど、もしそうなら、七夕のあとからファイノンがぼんやりするようになったことと、今日もまた自分の未来だけを語らなかったことが、ただの偶然よりも近い場所で結びついて見えてしまう。
「グレーたん。」
ヒアンシーの声に、開拓者は我に返った。
「考えすぎないでくださいね。わたしたちが今分かっていることは、本当に少ないですから。ファイノン様が何を考えていらっしゃるのかは、まだファイノン様ご本人から聞いていません。」
「うん、分かってる。勝手に決めない。」
開拓者は頷きながらも、視線だけはファイノンから外さなかった。
彼は相変わらず、皆の話を楽しそうに聞いている。ケリュドラが何か大胆な案を出したのか、少し驚いたように目を丸くし、その後で笑う。サフェルが横から口を挟めば、今度はそちらへ顔を向ける。いつものファイノンだった。
それなのに、開拓者にはもう、完全に同じようには見えなかった。今までなら、彼が皆を見て笑っていれば、それだけで「ファイノンも楽しんでいる」と受け取っていた。
けれど今日は、その笑顔の向いている先ばかりが気になる。皆が楽しそうだから嬉しい。皆が新しい未来を考えているから嬉しい。皆に新しい出会いが生まれそうだから嬉しい。そこに嘘はないからこそ、その文章へ一つだけ加わらない言葉が目立つ。僕も、という、たった一つが。
開拓者は自分の端末を抱き直した。まだ、それを本人へ突きつけるつもりはなかった。問い詰めたところで、本人に自覚がなければ答えようがないかもしれないし、何より今は、自分の側が違和感の正体へようやく指をかけただけである。
それでも、気づいてしまった以上、見なかったことにはできなかった。《オンパロス・オンライン》は動き始めた。技術者たちは実現方法を探し、黄金裔たちは何を残し、何をして遊ぶか考え始めている。自分が「またみんなと冒険したい」と願ったことで生まれた未来は、確かに皆の方へ伸び始めている。
その明るい未来を作ろうとしたからこそ、開拓者は初めて気づいたのだ。その「みんな」の中へ、最初から当然いると思っていた一人が、自分自身だけを数えずに未来を眺めているのかもしれない、と。
まだ可能性に過ぎない。けれど、何かがおかしい。今の開拓者に言えるのは、そこまでだった。
投影端末の淡い光の向こうで、ファイノンはまた誰かの言葉へ穏やかに笑った。その姿を見ながら、開拓者は胸の隅へ残った違和感を、今度こそ無理に追い払わず、そのまま覚えておくことにした。