七夕以降、ファイノンは一人になると遠くを眺め、ぼんやりする時間が増えていたという。
呼べばいつものように笑い、会話もできるため、明確な異常とは言い切れない。けれど開拓者は、《オンパロス・オンライン》を前にした仲間たちとの違いへ気づく。
皆は「自分が何をしたいか」を語ったのに、ファイノンだけは「皆が楽しめそうか」を語っていた。未来を拒んでいるわけではない。ただ、その未来の「みんな」に、彼自身だけが入っていないように見えるのだ。
違和感への答えはまだない。それでも、何かがおかしいという違和感だけは、もう消えなかった。
開拓者が端末の画面を指先で滑らせると、まだ名前も与えられていない小さな街の模型が、淡い光をまといながらゆっくりと回転した。
薄い板状の端末に収められた景色は、手のひらほどの広さに縮められているというのに、屋根の傾斜や石畳の継ぎ目、建物の間を縫う細い路地に至るまで、拡大するたびに驚くほど細かな輪郭を見せてくれる。
もっとも、そこに暮らす人々の姿はなく、窓辺に灯りがともることもなければ、道を行き交う足音が聞こえることもない。
画面の隅には、開発用の操作項目が整然と並んでいた。地形の編集、建築物の配置、ダンジョン構造の確認、保存された設計図の呼び出しといった文字が小さな枠に収まり、その下では、現在選択している建物の寸法や向きが数字になって表示されている。
開拓者はそのうちのひとつを押し、街の端に置かれた建物をつまみ上げるように動かしてみた。――すると、建物の下に敷かれた石畳が薄青く発光し、配置可能な範囲を示す格子が地面いっぱいに浮かび上がった。
「おお……こうやって動かすと、ちゃんと道幅も確認できるんだ。前に試したときは、建物を置いたら路地が塞がっちゃったんだよね」
感心しながら位置を調整してみると、今度は建物の角が隣の壁にわずかに重なり、画面の端に赤い警告が現れた。開拓者は眉を寄せて建物を引き戻し、角度を少し変えてから、もう一度ゆっくりと配置を試みる。格子の色が青へ戻ったところで指を離すと、建物は音もなく地面に収まり、仮置きだった輪郭が周囲の街並みと同じ質感に変わった。
成功を示す小さな表示が現れたので、開拓者は思わず満足げに頷いたものの、次の瞬間には、完成した街角を眺めながら首を傾げることになった。
「……でも、これじゃあ通りに入ったとき、建物の裏側しか見えないか。うーん、こういうのって、置ければいいってわけじゃないんだなあ」
端末上ではどこからでも街を見下ろせるため、建物の向きなど大した問題ではないように思えていた。しかし、いつか本当にこの道を歩けるようになったとき、曲がり角の先に何が見えるかは、そこで過ごす時間の印象を大きく変えるはずだった。正面に広場が開けているのと、窓のない壁が立ちはだかっているのとでは、同じ道を通っていても、きっと気分が違うだろう。
開拓者はもう一度建物を選択し、今度は入口が広場へ向くように配置し直した。まだ誰も歩けない街の道順を考えるというのは、少し奇妙な作業だったけれど、そうした奇妙さを面白がれることこそ、この計画が少しずつ形になってきた証拠なのかもしれない。
《オンパロス・オンライン》。
端末の上部に表示されたその名前を見つめるたび、開拓者の胸には、初めて計画を聞いたときとよく似た期待が湧き上がった。
いま目指しているのは、仲間たちと同じ世界に集まり、ダンジョンを探索したり、街を訪ねたり、気ままに遊んだりできる仮想現実のオンラインゲームである。離れた場所にいても同じ景色を眺められ、旅先で出会った人々と、また別の形で顔を合わせることができるなら、それはきっと、とびきり賑やかな冒険になるだろう。
星穹列車で旅を続けていると、出会いが増えるほど、別れの数も増えてゆく。新しい惑星へ向かうたびに見知らぬ風景が待っていて、そこで知り合った人々と笑ったり、困難を乗り越えたり、ときには思いがけない騒動に巻き込まれたりする。そうして旅の思い出が積み重なっていくことは嬉しいものの、列車が出発してしまえば、次にいつ会えるのか分からない相手も少なくなかった。
もちろん、連絡を取り合う方法はいくらでもあるし、銀河には便利な通信技術が存在する。それでも、同じ場所に集まって何かをする楽しさは、文字や声を交わすだけでは埋めきれない部分があるように思う。
だからこそ、ひとつの世界に集まって遊べるという構想は、開拓者にとって単なる新作ゲームの企画ではなかった。
「みんなでダンジョンに入ったら、絶対に面白いよね。誰が先頭を歩くかで揉めそうだし、宝箱を見つけたら全員で取り囲んじゃいそうだし……あっ、でも、最初に罠を踏むのは誰になるんだろう」
思いつくまま声に出してみると、想像の中では早くも仲間たちが好き勝手に動き始めた。誰かが慎重に道を調べている横から別の誰かが突き進み、せっかく立てた作戦が思わぬ方向へ転がっていく光景など、実際に見たことがなくても妙にはっきり思い浮かぶ。
その様子がおかしくて、開拓者は口元を緩めながら、画面の表示を街からダンジョンの設計図へ切り替えた。
瞬く間に建物の模型が消え、代わりに幾重もの通路と部屋が組み合わさった立体的な構造が現れる。灰色の壁で区切られた区画には高低差が設けられ、階段や橋を置くための候補位置が淡い線で示されていた。まだ装飾を施していない部分は簡素な模型のままだが、通路の接続関係や部屋の広さを確認するには、それで充分だった。
開拓者は入口から奥へ向かって視点を移動させ、途中にある大きな空間を選択した。画面の右側に現れた編集欄には、部屋の寸法を変更するための項目が並んでいる。
横幅を少し広げると周囲の壁が動き、それに合わせて隣接する通路の接続位置も更新された。ところが、さらに奥行きを伸ばそうとしたところで、今度は別の区画との干渉を示す表示が現れ、開拓者は仕方なく変更を取り消した。
「なるほど、なるほど……部屋を大きくすると、ほかの場所にも影響が出るんだ。これ、適当に作ってたら、最後に入口と出口が繋がらなくなるやつじゃない?」
ひとりで笑いながら、開拓者は構造全体を縮小表示に戻した。俯瞰してみると、さっきまで複雑に見えていた通路も、いくつかの大きな区画を結ぶ線として理解できる。どこに曲がり角を作るか、広い部屋をいくつ設けるか、階段をどこへ繋ぐかによって、同じ広さのダンジョンでも探索の印象はずいぶん変わりそうだった。
もっとも、現時点で試せるのは、あくまでも設計図の編集と構造のシミュレーションまでである。画面の中に入口があっても、そこへ開拓者自身が立つことはできない。
曲がり角の先を確かめたくても、実際に足を踏み入れて探索する機能はまだ用意されておらず、表示された模型を拡大したり、視点を回転させたりして確認するほかなかった。試作世界に接続して、仲間と肩を並べて歩く。そうした体験は、まだこれから実現させるべき目標となるはずだ。
「早く中に入ってみたいなあ……でも、まだまだ先か。そりゃそうだよね、街を置いたら完成、っていうほど簡単じゃないもんね」
開拓者は端末の表面を軽く叩き、表示された構造をもう一度眺めた。自分の指ひとつで通路が伸びたり、部屋の形が変わったりすることには、すでに小さな冒険のような楽しさがある。けれど、その操作が快適だからといって、完成後の世界も同じように楽しめるとは限らない。
模型の上から眺めると短く感じる道でも、実際に歩けば長すぎるかもしれないし、見下ろしていると分かりやすい分岐も、壁に囲まれた状態では迷いやすくなるかもしれなかった。
想像してみれば、確かめなければならないことはいくらでもある。そして、まだ試せないことが多いからこそ、端末に映る小さな世界は、完成したときの姿を好きなだけ思い描かせてくれた。
開拓者はダンジョンの構造を保存すると、今度は建築物の配置画面を開く。そこには、石造りの家屋や木製の小屋、屋根付きの通路、階段、柵、植栽など、いくつもの試作素材が分類されている。ひとつひとつはまだ簡素なものも多く、細部の質感が整っていない建物も見受けられたが、異なる素材を組み合わせるだけで、画面の中にはそれらしい景色が生まれていった。
「ん-」
開拓者は広場の端に小さな家を置き、その隣に木を一本配置してみた。
すると、それまで石と壁ばかりだった場所に、わずかな柔らかさが加わった。木の影は簡易的な表示にすぎず、風に揺れる葉の動きまで再現されているわけではない。それでも、建物の横に緑があるというだけで、何もなかった空間に誰かの生活が入り込んできたような気がした。
「……あれ、ちょっといい感じじゃない? ここに椅子とか置けたら、休憩場所っぽくなるのかな」
開拓者は建築素材の一覧を探し、腰掛けに使えそうなものがないか確認してみた。まだ選べる品目は限られていたものの、試作された長椅子をひとつ見つけたので、木のそばへ置いてみる。
「うん、上出来!」
端末の画面には、小さな広場と家屋、一本の木、そして長椅子が並んだ。当たり前のことだが、そこに座る人影はない。それでも、開拓者はしばらく画面から目を離せなかった。
もしも、この世界が完成したら。ダンジョンを攻略して戻ってきた仲間たちが、こんな場所で休むこともあるのだろうか。
誰かが次の探索について話し始め、別の誰かが買ってきたものを広げ、予定を決めるつもりだったのに話が脱線して、気づけば何もしないまま時間が過ぎているような、そんな過ごし方だってできるかもしれない。
開拓者は長椅子の位置を少しずらし、広場の中央が見渡せる向きに整えた。不思議なことに、ダンジョンの入口を配置していたときとは、考える順序が変わっていた。
探索用の構造を作っているあいだは、どこへ進むか、何を見つけるか、どうやって奥へ辿り着くかということばかりを考えていた。けれど、今は誰かがここに立ち寄ったとき、どこへ目を向け、どこに腰を下ろし、何をしながら過ごすのかが気になっている。
目的地へ向かうための道と、そこに留まるための場所。どちらも同じように地形や建物を組み合わせて作るものなのに、出来上がった景色から想像する時間は、ずいぶん違うものだった。
「ゲームの中で、何もしない時間があってもいいんだよね……。いや、何もしないっていうのも変か。おしゃべりしたり、景色を見たりするのだって、立派な遊びだし」
声にしてみると、その考えは思っていた以上に自然に馴染んだ。そもそも、開拓者がこの世界で叶えたいと思っているのは、強い敵を倒すことだけではない。
仲間たちと同じ場所に集まれること、誰かが面白いものを見つけたら一緒に見に行けること、何気ない話を交わしながら時間を過ごせることも、冒険と同じくらい大切な楽しみだった。
戦闘や探索の仕組みは、きっと多くの人を夢中にさせるだろう。しかし、そうした目的を持たずに訪れた人が、気ままに歩き回ったり、好きな場所を見つけたりできる世界であってもよいはずだった。
開拓者は画面を少し引き、先ほど作った広場を周囲の街並みと一緒に眺めた。小さな家の屋根が並び、その間を石畳の道が通り、広場の片隅には一本の木が立っている。街としてはまだ寂しく、遠くへ続く道の先も模型の端で途切れていたが、それでも、そこに誰かがやって来る光景を思い浮かべることはできた。
例えば、約束をしていた仲間と待ち合わせる人がいるかもしれない。少し早く着いてしまった誰かが長椅子に座り、端末を眺めながら相手を待つかもしれないし、通りがかった知り合いに声をかけられて、そのまま話し込んでしまうことだってあるだろう。
待ち合わせの時間になっても相手が来なければ、近くの道を歩いて探してみるのも面白そうだった。……そう考えたところで、開拓者は思わず笑ってしまった。
「待ち合わせ場所まで作れるんだ……。まだ誰も入れないのに、待ち合わせのこと考えてるの、ちょっと気が早いかな」
自分でも呆れるほど先のことを想像していると分かっていたが、だからといって、考えるのをやめる気にはならなかった。
むしろ、完成までに時間がかかるのなら、そのぶん色々なことを試してみればよい。街の道幅ひとつ、建物の向きひとつで景色が変わるのなら、今のうちに何度でも配置をやり直せるし、失敗した設計も保存しておけば、あとから別の使い道が見つかるかもしれない。
開拓者は試しに、広場の反対側へもう一軒建物を置いてみる。先ほどまで開放的だった空間が少し狭くなり、二つの建物に挟まれた小道が生まれた。そこへ植栽を追加すると、今度は道の先が見えにくくなったため、開拓者は配置を変えながら、歩く人の目線を想像してみる。
端末には視点を傾ける機能も備わっていたので、模型を見下ろす角度を低くしてみた。ただし、それはあくまで設計図を確認するための表示であり、実際の探索画面とは異なる。建物の間を自由に歩き回ることも、長椅子へ腰掛けることもできないが、低い角度から眺めた街並みは、上から見ていたときとは別の表情を見せてくれた。
広場の中央から見れば、建物の向こうに木の梢が覗いて。小道の入口から見れば、石畳が奥へ細く続いている。その違いに気づくたび、開拓者は指先を動かし、気になったところを少しずつ直していった。
何度も操作を繰り返すうちに、端末を持つ手の位置が変わり、背中も少し丸くなっていた。開拓者は姿勢を正して肩を回すと、画面の隅に表示された編集履歴を眺め、思った以上に多くの変更を加えていたことに気づいた。
「うわ、結構いじってたんだ。こういうの、始めると止まらなくなるなあ……ダンジョンを作るだけでも楽しそうなのに、街まで作れるんだから、時間がいくらあっても足りないかも」
そう呟きながらも、指先は自然と次の素材を探していた。ゲームが完成すれば、こうした設計の楽しさを、もっと多くの人と分かち合えるのだろうか。
誰かが作ったダンジョンを見て驚いたり、思いがけない配置の工夫を教えてもらったり、自分では思いつかなかった景色に出会ったりすることもあるのかもしれない。実際にどこまでできるようになるかは、まだ開発の進み具合次第だが、少なくとも今、端末の中で試していることには、それだけの可能性を感じさせるものがあった。
開拓者は保存の項目を選び、作りかけの街並みに仮の名前を付けた。あくまでもオンパロスの文明を取り入れたファンタジーな世界なのである。保存が終わると、画面の中央に小さな確認表示が浮かび、すぐに消えていった。
それだけのことなのに、何もなかった場所へ自分の手でひとつの景色を残せたという実感が、胸の奥をくすぐった。
かつて旅の途中で訪れた場所にも、誰かが時間をかけて作り上げた街や、長い年月をかけて形を変えてきた風景があった。
そこには暮らしがあり、歴史があり、人々が守り続けてきたものがある。端末上の模型と同じに考えることはできないけれど、何もないところへ道を通し、建物を置き、誰かが訪れる姿を想像するという営みには、ほんの少しだけ通じるものがあるように思えた。
もっとも、現実の街づくりなら、指先ひとつで建物を持ち上げたり、気に入らない配置を簡単に取り消したりすることなどできない。
その違いを考えると、端末上の試作世界は、まだまだ気楽なものだった。失敗してもやり直せるし、気に入った設計を残して別の案を試すこともできる。何より、まだ実際に人が暮らしているわけではないから、配置を変えたせいで誰かが困る心配もない。そうした自由さが、開拓者には心地よかった。
「ここ、もう少し広くしてもいいかも。あとは、道を一本増やして……うん、やっぱりこっちのほうがいいな」
広場の外周に沿って道を伸ばし、建物の位置を調整してから、開拓者は全体表示へ戻した。そこには、まだ完成にはほど遠い、小さな街の輪郭があった。
遠くの景色は存在せず、建物の内部も細かく作り込まれてはいない。風も吹かなければ、人の声も聞こえず、画面の中を歩くための機能すら整っていない。それでも、広場を囲む建物の配置や、そこへ続く道の形には、先ほどまでなかったまとまりが生まれている。
いつか、この街を誰かと一緒に訪れることができたなら。そう考えたとき、開拓者の頭に浮かんだのは、壮大なダンジョンを攻略する光景だけではなかった。
初めて訪れた街を仲間と歩き、気になる建物を見つけて立ち止まり、何か面白いものがないかと寄り道をする。目的地を決めていなくても、誰かの一言で行き先が変わり、予定していたこととはまったく違う一日になる。そんな時間を、旅の途中で出会った人々と、また分かち合えるかもしれない。
開拓者は端末を両手で持ち直し、画面の中の長椅子を見つめた。誰も座っていないその場所は、今のところ、建築素材をひとつ置いただけの模型にすぎない。けれど、誰かがそこへ腰掛ける未来を思い描いた瞬間から、ただの飾りとは少し違う意味を持ち始めたように感じられた。
冒険の舞台として作り始めた世界にも、冒険をしていない時間があってよい。戦うための道があり、宝物を探すための迷宮があり、その一方で、誰かと待ち合わせる広場や、何となく立ち寄りたくなる街角があってもよいのだろう。
開拓者はその考えを確かめるように、もう一度だけ街並みをゆっくり回転させた。薄い端末の中で、石造りの屋根が光を受け、広場の片隅に置かれた木と長椅子が、小さな影を落としている。どこまで作り込めば本当に歩ける世界になるのか、今はまだ分からないことのほうが多いけれど、少なくとも、この街に何を置きたいのかは、少しずつ見えてきた気がした。
「完成したら、みんなを呼ぼう。ダンジョンに行くのもいいけど、まずはここで集まって、何をするか相談するのも楽しそうだし……ダンジョンマスターとかあってもよさそうだよね」
開拓者は笑みを浮かべ、作りかけの街をもう一度保存した。端末の画面には、誰も歩いたことのない道と、まだ誰も訪れたことのない広場が残されている。
そこに刻まれたのは、攻略の記録でも、誰かが勝利した証でもなく、これから集まる人々のために用意された、ほんの小さな余白だった。
《オンパロス・オンライン》は、まだ遊べる世界ではない。それでも開拓者には、完成を待つ理由が、またひとつ増えたように思えた。